2017-06

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

惠隆之介論考の点検1

前回、「惠隆之介」なるニセ沖縄人の解体を次回行いたいと書いたが、特に彼が奄美血筋であること以外に詳しい情報がある訳でなない。彼が過去に書いた文章を点検して、内容が如何にデタラメであるか、或いはかなりの事実歪曲を施したものであるかを明らかにしたいのである。

彼が、沖縄人でなく奄美血筋のニセ沖縄人であることが分ってさえいれば、それ以上のプライベ-トな情報は必要ないと思う。如何に「軍国主義」に毒されていても、沖縄社会を苦々しく思っていても、本当の沖縄人なら、惠隆乃介のような沖縄社会・沖縄人に対する徹底した罵りの言葉は吐けないのではないか。
HPに転載した『正論』2008年3月号に載せた論考をテクストクリークして、この、「惠隆之介」なるニセ沖縄人が、いかに荒唐無稽のドンデモジャーナリストであるかを検証したい。

「日本軍は沖縄県民を敵として戦ったのか」という題の論考であるが、この題名からして大袈裟である。
 日本軍はもちろんアメリカ軍を敵として沖縄で激しい戦闘を行い、多くの戦死者を出したのであるが、その際、多くの住民の存在に十分な配慮をせず、戦闘に巻き込み、兵士の戦死者を大幅に上回る数の犠牲者を出した。その過程で、日本軍は住民を「集団自決」という強制死に追い込んだり、スパイ容疑で処刑したり、避難壕を追い出して敵軍の攻撃にさらしたという、住民への残虐行為を行った事実が多々ある。
無論、戦闘中には住民に思いやりを示した日本兵も少なくなからず居ただろうし、また沖縄出身兵士や防衛隊員の中にも、住民に残酷な行為を行った者も居たかもしれない。だが、そんな事があったからと言って、上に書いたような、軍隊のエゴをむき出しにした日本軍の沖縄住民への残虐行為を無かったものにする事が出来るものではない。惠の論理は、僅かばかり(数多く在ったとしても)の日本兵の善行がある事をもって、厳然たる事実である悪行を帳消しにしようとするまやかしに過ぎない。

手榴弾の爆発で自決した人は少なく、多くは自分で持っていたナタや鎌、カミソリで自決したのだから、自決は日本軍の命令ではない、ということを言っているが、発火しなかったのは手榴弾が粗悪品であったか、住民が使い方を良く知らなかったであって、最初から使い物にならないと知って軍は住民に渡したのではないはずだ。粗悪品と分っていたら、軍自体が装備に加えないはずだ。
また、防衛隊員が勝手に家族に渡したとも言うが、乏しい装備の中の貴重兵器である手榴弾を、地元民である防衛隊員の自由に任せていたという事は、自決の黙認でしかないだろう。

「今回の検定意見撤回運動の目指す所は、旧軍のイメ一ジを失墜させようとする動きに他ならない。そしてそこには、日本本土と沖縄を離反させようとする特異な勤きが見えてくるのである。」
と、惠は書いているが、旧日本軍のイメ一ジは元々、沖縄では失墜しているのである。教科書検定審議会の書き換え意見は、その失墜した名誉を快復する為の文科省の画策に他ならなかった。それに反発して、沖縄では保守・革新を問わず、抗議の機運が盛り上がり、2007年9.29の「検定意見撤回県民大会」となったのである。実参加者数は10分の1だとかの揶揄もあるが、参加者数は問題ではない。たとえ1/10であったとしても、沖縄県全市町村議会の全会一致をもって、推進された抗議の波である事は無視できなかったから、文科省も再訂正を迫られたのでなかったのか。

惠隆之介の論考は、文章全体に噴飯モノの記述がされているから、こちらの批判文も長くなってしまう。何回かに分けて、検証を加えたい。
スポンサーサイト

コメント

偽沖縄人

ni0615さん、コメントをどうも。
偽沖縄人・惠隆之介の「誰も書かなかった沖縄」はまだ読んでなかったです。
隆之介がメディアに現れ始めたのは、1995年の「少女暴行事件」が起こった直後、大田昌秀知事が政府にたて突いた頃に、「正論」だか「サンサーラ」だかに沖縄の銀行員の肩書きで、大田県政誹謗を旨とした駄文を書いたのが始まりではなかったでしょうか?その頃は、琉球銀行もバブルに乗って景気良かったと思います。
しかし、世紀末頃になると国場組の経営破たんを受けて、琉銀も倒産の瀬戸際に追い込まれていたそうです。だが、大田知事も県政から退却させられ、政府のお助けもあり国場組を潰す(大幅規模縮小)かわりに琉銀は何とか存続させられたと、沖縄の知人から聞きました。その頃には、隆之介のような銀行に実利をもたらさない人材は必要なしとされたのではないでしょうか?

あんなトンでも作家が筆一本で食えるのでしょうかね?沖縄で何か事が起こった時に、「正論」などが必要に迫られて使う位ではないでしょうか?それとも、奥茂治ら奄美人自衛隊仲間と一緒に、何か金になる仕事をしているのですかね。

>※管理人さんへ、もし引用文を本文に転記されるならば、本コメントを長文に付き削除してくだるようお願いします。

お望みならば、しばらく経ってから、骨子部分を残して拙資料欄に引用部分を収録しましょうか?

元銀行員?

長文ですがお許しください。

  XX市立図書館に「誰も書かなかった沖縄」という本がありました。恵隆之介氏の初期の著書だと思います。
  興味深いので「あとがき」と「奥付」をコピーして来ました。私は恵隆之介氏を「元海上自衛隊将校」であると同時に「元銀行員」であると思っていたのですが、これを読んで、「元銀行員」というよりも「銀行の財布から生活費・研究費・活動費・海外研修費」を援助されていた「情報エージェント」(悪口でいう場合は「工作員」)だったのではと思いました。
  沖縄出身でインテリの自衛官は艦船乗務をしているよりも、沖縄の世論に楔を打つという急務に携わるべきだ! その声に押されてわずか2年で「退官」したものの(防衛大4年間の国税からの教育費と生活報酬は、2年ではとても「恩返し」できない)、5年経っても付け焼刃の「ジャーナリスト」では、論稿がメディアに採用される機会は少なく、某筋が「琉球銀行」に彼を食客として抱えるように依頼し、「琉球銀行」はそれを受けて隆之介氏の面倒をみることになったのではないかと思料します。本人がいう「特別採用」がそれを物語っています。
  「特別銀行員」恵隆之介氏は米国研修から帰って直ぐ銀行で研修成果を発揮することなく退職しています。これは、保守政治家を支援する企業が、政治家の私設秘書を名目上「社員」とし俸給を支払い支援することと変りません。

ご本人または御入魂(じっこん)の方から反論があれば歓迎します。

(以下は「誰も書かなかった沖縄」より引用、《■■》は引用者補う。)
P249-250
=============================
<おわりに>
  拙著を上梓したとき早速二人の恩師の墓前に手向けようと思っている。一人は故倉橋友二郎海軍大佐、もう一人は元琉球銀行頭取の故中山吉一氏である。倉橋大佐は防大時代の教官で、数々の海戦に生還した歴戦の勇者でありながら、辺幅を飾らず、絶えずリーダーとしての責任と便命感を教示してくれた。
  ところで私は防衛大学校、江田島(海上自衛隊幹部候補生学校)を出て昭和五十五《1980》年より艦隊勤務に就いていた。わが海上自衛隊は領海上でソ連、中国、北朝鮮などの不審船に遭遇しても的確に対処できず我々青年士官は切歯扼腕していた。そしてこのような人生を歩むよりもさらに国家社会に役立てる生き方はできないものかと思案するようになった。
  一方、郷里沖縄を見れば、人材払底たる情況は深刻であった。そこで私は制服を脱ぎ、まずは郷里のためにならんと文筆活動を始めたのである《1982年》。この頃琉球銀行役員の目にとまり、昭和六十二《1987》年特別採用された。
  当時の琉銀は絶頂期にあった。中山氏(当時専務)を始め米国留学組には国際的な視点があり、行内には沖縄社会をリードしていこうとする気概と米国的リベラリズムがあった。
  反面、沖縄本島を極端にモチーフした大型地球図を行内に掲示するなど騎りが発生していた。そこで私はレポートをもって二度にわたって役員に帝国海軍敗北の原因を列挙し、意見したのである。残念ながら琉銀は平成バブルで判断を誤り、今後の経営も極めて困難となっている。
  そういう中にあって、中山頭取(平成五《1993》年就任)は、左翼勢力より銀行を通して私にかかった言論抑圧の圧力を払拭していた。さらに、平成九《1997》年には米国研修を支援してくれた。そして私は中山氏への報告を楽しみに沖縄に帰ったところ、惜しくもその一週間前に他界されていた。
  「正々堂々と正論を書き続けよ!」「沖縄を頼むぞ!」と激励されたありし日の中山氏がよく瞼に浮かぶ。
  最後に拙著執筆にあたり私を励まし、支援してくれた照屋信栄氏、岡崎久彦先生、長野俊郎氏、友寄隆文氏、そして防大同期及び防衛庁内局先輩各位に深甚なる謝意を表す次第である。

平成十二《2000》年五月十五日
=============================

奥付
=============================
〈著者略歴〉
恵隆之介(めぐみりゅうのすけ)
  昭和29《1954》年、沖縄コザ市生まれ。昭和53《1978》年、防衛大学校管理学専攻コース卒業、海上自衛隊幹部候補生学校(江田島)、世界周遠洋航海を経て艦隊勤務、昭和57《1982》年、二等海尉で退官。昭和62《1987》年より琉球銀行就職、平成9《1997》年5月、米国務省文化広報局によるプログラムで国防総省、金融及び観光行政(フロリダ)、自由貿易及び一国二制度等(プエルトリコ)を研修。平成11《1999》年7月、琉球銀行退職。現在、ジャーナリスト。沖縄在住。
  著書に『天皇の艦長一一沖縄出身提督漢那憲和の生涯』ほか。

誰も書かなかった沖縄
一被害者史観を超えて
2000年7月5日第1版第1刷発行
著者 恵隆之介
発行者 江口克彦
発行所 PHP研究所
(以下 略)
====================引用おわり

《隆之介氏が言及した人物》
倉橋友二郎 著書はgoogleでも検索可
中山吉一 琉球銀行頭取 恵隆之介氏のパトロンとなっていた時期はバブル期と重なる
照屋信栄 パトロンの一人か、1998年に破産した照屋総業社長か?
岡崎久彦 有名人 元註タイ大使?
長野俊郎 防衛庁と施設庁のエージェンシー「パシフィック総研」
http://www.jca.apc.org/HHK/NoNewBases/2005NNB/050801.html
友寄隆文 国場組系不動産会社「恵和興産」社長か?
防大同期
防衛庁内局先輩各位

※WEBにはもっと情報があると思います。
※そういえば親族で代々自民党国会議員を排出した国場組は、昭和19《1944》年第32軍から飛行場突貫工事の人と資材の動員を請け負って、その仲介マージン(俗にはピンハネという)で巨財を成したと聞いています。「挙国一致」とか「一億玉砕」とか「軍官民共生共死」とか、「美しい」愛国精神が立場によってはボロ儲けのネタになるのだと、ウブな私は感心しきりでした。
※管理人さんへ、もし引用文を本文に転記されるならば、本コメントを長文に付き削除してくだるようお願いします。

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

http://keybowokinawan.blog54.fc2.com/tb.php/81-c8e1e00b
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

«  | ホーム |  »

プロフィール

キー坊@ウチナー

Author:キー坊@ウチナー
沖縄本島中部、巨大な米軍基地を抱える町の生まれ。
齢を重ねるごとに、沖縄戦へのこだわりが強くなります。
曽野綾子・『ある神話の背景』は沖縄を究極的な軍事基地にする目的を持っています。「集団自決」は沖縄戦の集約された出来事だと思います。『ある神話の背景』は沖縄への抑圧・差別の集約文書です。

HP・「その『神話』の背景」(文献・資料集)
http://keybow.co

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

未分類 (2)
関連著作の紹介 (73)
渡嘉敷島関連 (19)
座間味・阿嘉関連 (19)
奄美その他 (38)
曽野綾子論 (35)
基地 (55)
政局 (45)
自論 (40)
STAP問題 (17)
慶良間全般 (1)

FC2カウンター

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QRコード

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。