2017-09

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狼魔人等について

狼魔人ブログの「週刊新潮」最新号についての記事で、狼魔人はそれを読んでないのに、星雅彦が櫻井よしこに語ったという、1973年の曽野綾子「ある神話の背景」への星雅彦・批判文書きかえの裏話を披露している。
しかし、「週刊新潮」最新号にその裏話は掲載されてない。記載が無く、「週刊新潮」最新号を読んでもない内に、こんな裏話を狼魔人はブログで書いた。という事は、沖縄に居る狼魔人は、櫻井よしこの「週刊新潮」最新号取材に深く関与したという事は明らかなのではないか。こうなってくると、「うらそえ文藝」に星や上原があの特集を組んだ事にも、深く関与していたのではないかという疑惑を持たざるを得ない。狼魔人は去年の「うらそえ文藝」13号の後書きに星雅彦が書いてあった「集団自決特集」への予告をいち早く見つけて、ブログで紹介していた。今年14号の特集は彼が仕掛けた可能性が強くなったと思う。

狼魔人=江崎孝は、苗字からして沖縄人ではないと思う。また、彼の書く文章から沖縄人でない事を、沖縄人の私は直感的できる。 彼が実名(かどうかは確定できないが)でカミングアウトしてきたのは、「WILL」2008年8月増刊号で書いた「偏向ウォッチング これが沖縄の言論封殺だ」が最初だと思う。ブログのプロフィールには単に沖縄県としか記入がない。沖縄人(ウチナーチュ)が沖縄から発信しておれば、もう少しは詳しい経歴を記載すると思う。
2度目に表に出てきたのは、今年3月の秦郁彦編著・「沖縄戦『集団自決』の謎と真実」に於いての「『沖縄タイムス』と山城安次郎の『神話』を追う」であろう。
ここの著者略歴では「1941年・沖縄生まれ」となっている。結構な御齢である。用意周到な人間らしいから「ウソ」は書かないだろう。彼は沖縄戦直前に、沖縄で生まれたのである。終戦当時は満4歳には成っているから、微かな戦争の記憶は有ると思えるが、彼のブログや本に書いたものを読んでも、そんな記述は見られない。ひたすら自分の出自を隠す姿勢が見られる、と思うのは私の偏見ではあるまい。

彼のブログや本の読者は、彼が沖縄で生まれて沖縄で育った地元民(ウチナーンチュ)であると思っている人も少なくないと思う。これは彼の狙いではなかろうか。地元の人間がそう言っているのだからと得心する読者も多いだろう。しかし、私は断言しても良いのだが、彼は沖縄人ではない。

沖縄に在住して、沖縄を誹謗する言説を続けているトンデモ評論の第一人者・惠隆之介は沖縄のコザ生まれのコザ育ちで、「ウチナーンチュ」として地元沖縄の不正を糾すことを使命としているように吹聴しているが、彼は前に言ったように、その苗字からして奄美の血筋のニセ沖縄人である。その自分の血筋について何らの言及もしていない。彼は自分が沖縄では奄美血筋だと知られていながら、そんな事をおくびにも出さない。沖縄では、「奄美」の言葉を出して奄美人を批判する事はタブーだからである。

1953年に奄美は、沖縄よりひと足先に日本復帰したが、沖縄に残留した奄美出身者の権利が制限されていた事があった。それは沖縄の民衆からの声でそんな施策を採ったわけでなく、「琉球政府」及びその上位に君臨する「USCAR」(米軍政府)の政策であった。法的に奄美人は、沖縄では外国人となったのだから、制度上致し方ない面もあったとも言える。結果、沖縄に居残った奄美出身者は不自由な思いをすることに成り、「沖縄人」に対して、大きな不満・怨念ものを持つことになったのである。
こうは言っても、私は、全ての奄美出身者が沖縄へ反感を持っていると言うのではない。コザで生まれ育った沖縄芸人の藤木勇人のように、自分が奄美道筋である事を公言しつつも、沖縄人(ウチナーンチュ)である意識を強くもって、ウチナーグチ(方言)での一人芝居にも打ち込んでいる人物も居る。

現在でも、あの当時の事を持ち出して、沖縄の奄美差別を声高に言う奄美人は少なくないと思う。沖縄の側からは、後ろめたさも有るから「奄美のものは・・・」という非難の言葉は口にできない。だが、沖縄そっちのけで、20年近くも早く大和(鹿児島)に復帰した事実に眼を向けなければ成らない。そして、鹿児島県になった奄美には今、一つの米軍基地も存在しない事に注目すべきである。
沖縄に居た奄美出身者は当時、奄美だけの日本復帰に反対運動は起こさなかった。現地の奄美でも沖縄と一緒の復帰を主張したのは僅かなグループだったと聞く。
私の小中校同級生には奄美人を親に持つ者が多かったのだが、彼等は沖縄人であることより、「本土人(鹿児島県人)」である事を自慢げに言うするものがほとんどだった。といってもこれは沖縄人への対抗意識から口にしただけであって、芯からそうは思ってなかった事もありえるが。

狼魔人=江崎孝の話から、奄美へ話が飛んで長くなった。
つまりは、江崎孝なる沖縄を誹謗する言論を続けている沖縄在住の老人は、沖縄人ではなく、大和人あるいは奄美人の可能性もあるという事である。そして、こんどの『うらそえ文藝』の策謀も、彼もしくはその他の奄美人脈の低劣言論人(恵忠久・奥茂治・惠隆乃介など)が絡んでいるのではないかという疑惑が、今回の「週刊新潮」櫻井レポートによって、強くなったという事だ。
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コメント

阪神さんへ

目取真さんのコメント欄に関するメッセージをマイBBSに書いてあります。

話は変わりますが、最近はMIXIというところでの個人攻撃が激しくなっています。沖縄関係者から喝を入れてください。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=44376740&comment_count=57&comm_id=105955

なお、コメントを書き込むためには、Mixiメンバーになる必要があります。Mixiは推薦性なので、まだメンバーでない方は、メルアドを私までお知らせください。

syomuが狼魔人ブログへ

ここへコメントをくれた奄美2世だというsyomu氏が、あろう事か、狼魔人ブログで、沖縄への反感を丸出しにしたコメントを書いている。

http://blog.goo.ne.jp/taezaki160925/e/547b03ac7c546eb04c23f299b22998b1

どうやら、俺が、惠隆乃介らの低劣奄美人を貶したのはやはり面白くなかったようだ。相手は誰であれ、沖縄人が奄美人を貶すのは許せないのだろう。だが、そうであれば、この欄でそれを言うべきではないか。

狼魔人のコメント欄では、薄っぺら、的外れ、ピンとはずれと言い様がない沖縄批判を書いている。狼魔人に媚を売ってる風情もある。
結局、「奄美のアイデンティティが400年前からナンのカンの」、と言ってるが、この御仁はホントは、体制追随の似非奄美ナショナリストであろう。
クソ真面目に応対してしまった自分のオメデタさが情けない。

奄美にはこんな奴しか居ないとは、もちろん思ってないが…。

ni0615さん。狼魔人経歴情報をどうも。

「高校までは沖縄のようです。」
そうですか。どうりで沖縄方言にも詳しいわけですね。自在にしゃべれるかもしれません。
「マルチ商法を斬る」(コスモス出版)< ネットで国会図書館を検索しても出てきません。

星雅彦には近いうち手紙を書こうと思っています。

奄美の時計は400年前で

syomu さん。再度のコメントをどうも。
>私は奄美の時計は400年前で止まっているのだと感じるんです。

この言葉に重みを感じさせられます。それは沖縄も同じ事だと思います。だが、沖縄の人間の何パーセントがそれを考えてるでしょうか。

>それだけ沖縄には私たち奄美の人間は深い想いがあるのだと思います。

表面のよそよそしさとは逆に、お互いは深い思いを持っていると私も思いますね。ただ、南島圏内では沖縄は奄美に対してメジャーな存在だから、それが意識に登ることが少ないのです。

今回の記事では、特定の大和人や奄美人を貶しましたが、大和・奄美だからという事で強く貶したのではないという事をご理解いただけると思っています。

「WILL」2008年8月増刊号「偏向ウォッチング これが沖縄の言論封殺だ」におけるプロフィールは以下のとおり

えざきたかし
1941年生まれ、沖縄県在住。慶応大学経済学部卒。東京にて貿易会社勤務の後、米軍占領下の沖縄で輸入業を経営。平成15年退職。政治・経済ブログ「狼魔人日記」開設、多くの読者の支持を得る。著書に「マルチ商法を斬る」(コスモス出版)。

高校までは沖縄のようです。「米軍占領下の沖縄で輸入業を経営」、これは米軍基地口入業の恵xx介さんと業界分類的には相通じる商売だったかもしれませんね、米軍と関係があれば。

奄美の時計

キー坊 様

丁寧なお返事ありがとうございました。

奄美の人間が沖縄を意識せざるをえないのは、鹿児島県ですがどう考えても本土と異なる違和感を感じるのでみな共通していると思います。
 ただ、鹿児島とのつながりもあまりにも深くなっていますので表立ってはそれを意識できないのだと思います。

 私も最近までそういう心の不協和音をすっかり意識することがありませんでしたが、『奄美自立論  四百年の失語を越えて』という本を書いておられる喜山さんのブログ『与論島クオリア』でハッと思い出して私もブログをはじめてみました。

 私のバアさんは、ヤマトとアメリカの悪口は言ってもウチナーの悪口は聞いた記憶がありません。それだけ沖縄には私たち奄美の人間は深い想いがあるのだと思います。
 奄美の人間も色々ですのでキー坊様の憤りを否定する気もありませんし、沖縄の方々を責める気持ちもありません。
 ただ何か伝えたい気持ちが最近とみに湧き上がってまして。私は奄美の時計は400年前で止まっているのだと感じるんです。

阪神さん。コメントをどうも。

江崎が大和寄留民の子ならば、疎開していた可能性は強いですね。だが、彼の記事のどこかに、戦後親と一緒に沖縄で過ごしていたというような記述が在ったような記憶が有ります。また、慶応を卒業後、本土で就職した後、復帰前の沖縄で貿易業を営む、と著者紹介にあります。だから、定年後移住者ではなさそうです。

「WILL」に一緒に書いている奥茂治、照屋昇雄を右翼雑誌に担ぎ出した恵忠久、トンでもジャーナリストの惠隆乃介は奄美です。だから江崎孝もそうではないかと思ったのです。尚、江崎姓は沖縄の電話帳には載ってないです。

奄美をよく知らないのです。

syomuさん。拙ブログへコメントくださって有難うございます。

「奄美」という語を持ち出して、言葉荒く特定の人間たちを貶してしまいましたが、それほどに、本文で名前を挙げた在沖奄美出身の低劣言論人たちの、「集団自決」に関する謀略的所業が許せない小生の気持ちをご理解いただきたいです。

5.6年前あるBBSで、奄美の人が作った「奄美・沖縄連帯して独立を志向しよう」という趣旨のトピがあって、私もよく解らないながらも、論に参加した事がありました。それは沖縄カテゴリであったにも拘らず、沖縄からのコメント者は2名だけで、奄美からのコメント者は10名くらいありました。人口比を考えれば、沖縄人の問題意識はお寒いものです。そこには「あまみ庵」のMさんと思しき人も参加してましたね。

一人の「独立」反対の奄美人がしゃしゃり出てきて、「沖縄」対「奄美」の対決の場のような雰囲気に持っていかれて、多勢に無勢にような流れになり、沖縄の二人はやり込められた気分になって、退散した思い出が有ります。その時感じた事は右・左を問わず、奄美人の沖縄人への対抗意識には、大きいものが有るという事でした。それと、奄美の人は沖縄のことをよく意識していて知識もあるが、沖縄の者は奄美に関心を持たず、相手のことをあまり知らないという事でした。

充実した貴ブログを拝見させていただきました。共に、薩摩の侵略を受けてから400年ですが、当時は同じ琉球(この用語を使うのは適当かどうかですが、)という文化圏内で同等の存在であったのだと思います。支配・被支配の関係にあったとしても、それは中央と地方の差異でしかなかったのではと、小生は個人の単純な感覚で思うだけの事ですが。

1609から奄美・沖縄は歪んだ道を歩まされる事になったのです。400年も経った現在では両方の意識はかなり違って来ていて、私など偶に、奄美出身者と対面したりすると、沖縄とは違うなという感じがします。なんと言っても、奄美は薩摩の直轄領にされた事が大きいと思いますね。それだけ、間接支配の沖縄よりも酷い収奪を受けた。心理的な抑圧も沖縄より強かったと想像します。
明治維新では当然のごとく鹿児島県に組み込まれた。が、戦争ではそこは鹿児島県であった故に、それほどの惨禍を蒙らなかった。

奄美が鹿児島とは違う歴史・文化をもっている事を知っていたアメリカは、奄美を沖縄と供に日本から切り離して、占領下においたが、8年後には鹿児島に復帰させた。早急な復帰は奄美の人ほとんど全部が望んだ事でしょうが、私はそれは、鹿児島の支配層、および日本という国家の要求でもあったと憶測しています。「一度戦いによって勝ち得た領土は簡単に手放したくない」という大和支配層の前時代的感覚がそうさせたのではないかと思います。

長々とまとまりなく失礼しました。貴ブログで勉強させてください。

江崎は疎開していたのかも

こんにちは。江崎孝が41年に沖縄で生まれたとしたら、3歳位の時に疎開したのではないでしょうか。本土から沖縄来ていた商人達の多くが疎開しているし、本土から来ていた役人も出張にかこつけて沖縄を離れています。江崎が沖縄にずっといたのなら戦後の記憶くらい書くものでしょうが、何も書けない所を見ると、もしかしたら流行の定年後移住者なのかもしれませんね。僕も江崎は沖縄人と思えません。
私は奄美と琉球のお互いの認識については不勉強でわかりませんが、戦時中、伊是名島に奄美からイチマンイリーのごとく売られてきた少年達がいて、日本兵に斬首された事件を思うと、沖縄と奄美の間には大きな溝があるのでしょうか。この溝についてはこのブログの論題には関係ないので深入りするつもりはありません。
とにかく江崎には幼年時代の詳細な思い出をブログに書いて欲しいものですね。

奄美諸島の特殊な歴史

ブログ主様はじめまして、奄美二世のsyomuと申します。

奄美諸島が戦後先に本土復帰した背景には絶対的な貧困があったと感じます。
1609年以降、奄美諸島は琉球王国から薩摩に割譲され植民地的搾取が250年以上続きました。
明治以降も鹿児島商人による経済的な搾取の画策は続き、本土からの財政出動を拒んだまま太平洋戦争に突入しています。
そして、戦後も奄美大島・徳之島は地形的に(沖縄本島だとヤンバルに近い)基地に向かなかったので、米国民政府による資本投下もままならず貧困が続いています。
私のオジオバも貧困の中米軍基地に出稼ぎにいき、奄美復帰後も基地で働いていました。

沖縄の方に後ろめたい気持ちを持ってほしいとかではなく、奄美諸島の特殊な歴史、民族的なアイデンティティを持ち得ることができず、沖縄に捨て石にされた歴史もあり日本にすがりつかざるを得なかった気持ちも掬っていただきたいです。

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キー坊@ウチナー

Author:キー坊@ウチナー
沖縄本島中部、巨大な米軍基地を抱える町の生まれ。
齢を重ねるごとに、沖縄戦へのこだわりが強くなります。
曽野綾子・『ある神話の背景』は沖縄を究極的な軍事基地にする目的を持っています。「集団自決」は沖縄戦の集約された出来事だと思います。『ある神話の背景』は沖縄への抑圧・差別の集約文書です。

HP・「その『神話』の背景」(文献・資料集)
http://keybow.co

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