2017-11

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星雅彦の論考

 私が読んだ限りの、星雅彦が「集団自決」について書いた論考は、「25年前は昨日の出来事」(1970・4.3沖縄タイムス)、「集団自決を追って」(1971「潮」11月号)、沖縄タイムス・コラム「曽野綾子・『ある神話の背景』をめぐって」(1973.6.12~14)、および去年の「うらそえ文藝」13号(2008・5月)の「編集後記」、今年の「うらそえ文藝」14号の「集団自決の断層」である。

 「25年前は昨日の出来事」は、赤松が慰霊祭出席の来島騒ぎ(70・3.26~29)があった直後に書いたものであるが、これは曽野綾子が「ある神話の背景」を書くに当たっての有効な材料を提供したようである。一部引用してみると。

 「私は記者団にまぎれこんで赤松一派をずっと追跡したが、詳細は別の機会にゆずるとして、問題の自決命令のことを考えると、赤松が直接命令したかどうか、結論を急げばどうも疑問符が次々と出てくるのである。」

 「そこで告発を徹底するためには、軍国主義に忠誠だった村の指導者たち(思想を先取りして、村民を足手まといに扱ったふしがある)にも向けてしかるべきであり、一人一人あの時点でどうだったか、真実をさらす勇気が問われるべきだと思う。」


 星は現地に行って体験者の証言を聞くうちに、赤松隊長が自決命令を出してないのではないかという疑問を持った。住民の自決は赤松の命令でなく、村の指導者たちが先導してやった事ではないか。その責任をまず追及すべきではないかという趣旨の論考である。

 この考えは、その数年前の、伊豆大島出身のルポ・ライター石田郁夫氏の「沖縄の断層」(「展望」1967・11月号)に示唆を受けたものと思われる。1967年に石田郁夫は渡嘉敷を訪ねて、体験者から聞き取りを行ったが、隊長命令の明確な証言者は見つける事ができず、及び赤松告発の言を為す者は少なくて、逆に赤松隊を擁護し、たたえる証言を聞いた。石田は、村長などの戦争協力指導者の責任を追及する事で、赤松元隊長の戦争責任追及が徹底できるのだとしている。

 この石田の助言も、当時の沖縄の論壇では取り上げられること無かったようだ。岡本恵徳琉大教授が「水平軸の発想」(1970頃)という論文の中でこれを批評しているが、石田の主旨とは、ずれた論点で冷ややかな論評を行っているように思える。
 40年近く経った今の感覚で言うのだが、石田ルポも星の論考も至極真っ当な主張をしていると私は思う。だが、当時の沖縄の言論界では受け入れ難い考え方だったのだろうか。沖縄文化人の星雅彦の、新聞コラムでささやかに行ったこの主張も一顧だにされなかったのかもしれない。

 沖縄の言論界が無防備に構えている間に、曽野綾子「ある神話の背景」が登場した。それの単行本出版直後、沖縄タイムス(1973年6月)に、岡本恵徳、いれいたかし、星雅彦の順に、沖縄の文人3名が曽野綾子への批判文を書いているが、三人とも虚を突かて、たじろいだ様な批判文である。三人ともこの一回きりで曽野綾子への反論を止めたようである。特に星雅彦はこれを最後に、政治的意味を含む論文を一切書く事なかったようだ。36年ぶりに書いた論考が今回の「集団自決の断層」である。
 曽野綾子が「ある神話の背景」で、沖縄の知識人へ加えた打撃は大きかったと思うのである。

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コメント

デジタル的証明

http://keybow49okinawan.web.fc2.com/hosi/hosi1973.html
星雅彦の1973年論考。 靖国思想に過度の思い入れがあり、事実を直視し論理を整理する視点に欠けていることがよくわかりました。

 周知の通り、 曽野綾子やその周辺は「大枠として住民は集団自決する意向を持っていたのであり、赤松隊長の行動による条件の変化により集団自決が避けられるものではなかった」との趣旨をばらまいています。

ところでhttp://www.vill.tokashiki.okinawa.jp/pdf/jiketsu04.pdf
http://www.vill.tokashiki.okinawa.jp/pdf/jiketsu03.pdf  を比較対照して下さい。

阿波連死亡者154人のうち150人が世帯全滅。 それに対して渡嘉敷部落は死亡者175人中47人が世帯全滅。  この違いを生んだ条件の違いは相当な難問で今、ここで深くは触れない。(遅れて到着した阿波連の住民の多くは、夜第二自決場で死んだと考えられる)

しかし、阿波連部落の状況は数学(確率論)的に限りなく百%近い結論が出る。  ただし聞き取りであり情報が正確でない可能性はあるものの、この情報は阿波連部落で援護金をもらった遺族は、ほとんど縁遠い3親等以上の親族であるというものであり、赤松・曽野・恵隆之介・狼魔人らから非難し続けられた情報をあえて掲載していることからすると島民に作為はないだろう。島民にとっては知られたくない情報に属する。

どう考えても、阿波連部落の人達は自決現場に行った者と行かなかった者に二分され、行った者はほとんど自決し、行かなかった者はほとんど自決しなかったというのが冷厳な事実という結論にならざるをえない。

もともと、当時青年が外征している状況で渡嘉敷人口は900人。自決場に集合したのは700人という情報もどこかの分権か証言で見た記憶がある。   阿波連には、大隊規模の米軍が船艇を伴い上陸した。多くの米軍が日本軍追討に北上するとしても飲料水・食料その他軍需物質の補強のため阿波連に留る米軍はいるだろう。 証拠写真もある。 本部陣地に恩納河原(渡嘉敷部落の住民が避難している)は近く、阿波連は遠い。しかも米軍が駐留。 つまり、伝令は米軍に阻まれて、一部阿波連島民に本部陣地近く集合命令を伝えられなかったと考えられる。

 米軍の研究では日本軍の捕虜比率(全滅比率の逆数)は島が狭いほどまた、戦闘日数が少ないほど低くなる。典型はクェゼリン・タラワ。 島が広く戦闘日数が長いため捕虜比率が高かったのはフィリピン・沖縄。 遊軍として自活することがまったく不可能ではなかったからだ。 ただし広いニューギニアは日本人の食習慣では一人で自活することがむつかしかったため捕虜比率は低い。  要するに軍の規制が緩めば緩むほど日本軍とて捕虜になる比率が高まった。  否定しようのない事実である。

住民の自決比率が高い傾向にあるのは、島が狭いわりに住民に対して日本軍が多いサイパン・渡嘉敷などで沖縄本島の比率は下がる。  このことからも軍の規制密度と自決比率は相関関係があることがわかる。 渡嘉敷においても、条件次第では、住民は自決しなかった。 これが疑う余地のない結論である。

曽野綾子は必死になって赤松が集合命令を出したことを否定しようとさまざまに画策し、村民・安里巡査の26日要請説を捏造、住民が集団自決鼠のように勝手に西山に向かったと「切りとられた時間」「ある神話の背景」でみせかけようと企んだ。     
星雅彦は観念的に深遠な思想でも見つけたように、住民の自決は赤松隊の動向に関係なく避けられなかったなどと結論づけようとしている。   そのような予見が星の目を曇らせる。 

渡嘉敷島の戦争の様相は戦闘概要より早く書かれたとの星の予想を曽野は「ある神話の背景」で無視し、「鉄の暴風」の記述を様相と概要が引き継いでいるなど考えられない謀略文書を作成する。星はその事実に気づかないふりをしている。

靖国に囚われて事実を無視し、論理をねじ曲げる。 星雅彦も例外ではなかった。

「軍がいなかったら…」

たびたび、物事のポイントを示して頂いて感心させられてます。

「軍がいなかったら集団自決なんか起こらなかったさ」

この言葉が、慶良間戦争体験者の共通の感覚だと思いますね。海上挺進隊が慶良間に進駐したのは住民が招いたからではなく、(戦時だからどうしようもないのだと言えばそれまでですが)有無を言わさずの侵入だったのです。軍に悪い思い出を持ってない人でも、気持ちの底にこの思いはあるでしょう。

米田惟好元村長は、集団自決に多くの住民を導いた後悔の念と、軍隊が来たからだという思いが有ったが為に、「鉄の暴風」で、太田良博に隊長の「自決命令」という、赤松隊長に全責任をおっ被せる証言をしたのだと推測されます。

仲程昌徳氏はもう曽野綾子に触れる事は止めているのでしょうね。論考を目にした事有りません。
沖縄の生真面目インテリたちは曽野の気合に押されたのだと思います。星もその一人だったと思います。
その点、関広延・石田郁夫など大和人の論客たちは歯に衣着せぬその批判を当時やってました。

キー坊さん
往時の「ラジカリズム」を批評しただけでは片手落ちでしたね。既成左翼も、おなじように「敵」と「味方」を見失って、今日のていたらくです。

今回の裁判で何が残ったか? それは、
「軍がいなかったら集団自決なんか起こらなかったさ」
という、2007年に渡嘉敷と座間味で再び起こった、実に端的な体験者達の声です。何のイデオロギーをも思弁をも借りる必要のない言葉です。

「自決の隊長命令があったかなかったか」
という設問自体が、そもそも問題のスリカエなのでしょうね。二人の隊長は悲劇の主人公ではないのです。

それをあたかも、読者をして「赤松」にならしめて考えさせる、曽野のその術中に本土人は陥りました。曽野を絶賛した沖縄知識人はどうだったのでしょう。

70年前後

ni0615 さん、何時もコメントを有難うございます。

あの頃無気力学生であった自分もその雰囲気を覚えてます。沖縄でも日本復帰反対論が目立ち始めていた気がします。
石田郁夫もこの「「内なるモノへの闘争」を沖縄人に勧めていたのでしょうか。星もそれに共感してあのコラムを書いたかもしれません。

 赤松を「エスケープゴート」に置いたままだと、権力から切り返しを受ける・・・。二人の危惧感を沖縄の主流は無視したのでしょうね。どんな確執があったか知る由もないですが、星はこの30余年に、かなりの鬱積があったのでしょうね。
 富村順一とは、文庫のK氏は長い交流があったそうですが、近年もて余していると言ってました。

推量文体だらけで、すみませんでした。

キー坊さん
こんにちは

> 曽野綾子が「ある神話の背景」で、沖縄の知識人へ加えた打撃は大きかったと思うのである。

これは、1970年を前後する東大闘争から全共闘運動そして沖縄返還と続く流れの中で、「内なるモノへの闘争」ということが恰好よく斬新であり、進歩派文化人や学生の流行となった時期がありました。既成左翼を「のりこえ」ようとする「ラジカル」な運動だともてはやされました。まだ批判されていなかった「文化大革命」の「造反有理」もかなり肯定的に報道されていました。

こうしたことが、星氏-曽野氏への批判が出てこないでむしろ歓迎することの背景だったのではないでしょうか? 現在、中村きよし氏「昭和史研究会」に原稿を寄せ「隊長賛美」をしている富村順一氏も、当時は突出した一匹狼の新左翼で「内なるものとの戦い」のヒーローとしてもてはやされ、朝鮮人慰安婦復権運動から住民指導者糾弾となり、ついには梅沢擁護に転じたのでした。

「よりラジカルでありたい」運動が、戦う相手をキョロキョロ探すうちに、敵を見失いそして我を失い、結局は体制の大きな流れに寄り添う「我のありのまま」をみて、精神力も体力も衰えた今それを肯定するしかなくなってしまった。

そんな人たちがチラホラと、「集団自決」裁判原告応援団やチャンネル桜の「NHK糾弾」街頭運動にも垣間見えます。

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キー坊@ウチナー

Author:キー坊@ウチナー
沖縄本島中部、巨大な米軍基地を抱える町の生まれ。
齢を重ねるごとに、沖縄戦へのこだわりが強くなります。
曽野綾子・『ある神話の背景』は沖縄を究極的な軍事基地にする目的を持っています。「集団自決」は沖縄戦の集約された出来事だと思います。『ある神話の背景』は沖縄への抑圧・差別の集約文書です。

HP・「その『神話』の背景」(文献・資料集)
http://keybow.co

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