2017-04

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宮城母の謝罪

 S30年代初め、厚生省は援護法を慶良間の「集団自決者」に適用する為に、自決は「隊長命令」に拠るものとするという条件を付けた。だが、これは厳密な意味合いで、厚生省は要求したものではないだろう。本土の空爆犠牲者などとの区別化を図る、名目的必要性の為であったと思われる。

 自決直前に梅澤隊長に面会した地元民の内の、唯一の生き残り者であった宮城初枝は村の長老の指示を断れず、「住民は隊長の命令で自決したのか?」の調査官の問いに、「はい」と答える偽証をしたという。その後、雑誌の体験談懸賞募集に応募し、悩んだ末に集団自決は隊長の命令であったという一文を加えてしまった。
その体験談は採用されて雑誌に掲載され、座間味で戦死した兵士の遺族の目に止まった。その遺族の手によって、単行本の中の一章として掲載出版されたので、色々なメディアでもそれが引用され、広くそれが知られるところとなり、「隊長命令説」が定着してしまった。自然、初枝は島での集団自決の語り部となっていた。

しかし、宮城初枝は自分のせいで、梅澤氏に無実の罪を着せてしまったと長年悩んでいた。その事をS52年ごろ、娘の晴美に打ち明けた。なんとか梅澤氏に面会して謝りたいと言った。
晴美はようやく梅澤氏の所在を付きとめ、S55年に梅澤氏を沖縄に招き面会し、初枝は謝罪を果たした。

 確かに、自分の証言が基で、元軍人に不遇の道を歩ませたという、責任を感じる事は人間の自然の感情である。詫びて許してもらいたい気持ちは否定できず、宮城母子がそれを実行したのは責められる事でなかった。

だが、私は、隊長命令の在る無しに関わらず、「集団自決」は軍の「強制」で起こったと考えるので、宮城母子は、梅澤氏の座間味島における「戦隊長としての責任」を、看過しては成らなかったと思う。援護法調査時における偽証の罪悪感に捕われるあまり、梅澤氏の前でひたすらの低姿勢を取ったのだろうと思う。宮城初枝は心から梅沢元隊長に謝った。だが、その後の梅澤氏の報復行動の数々は、宮城晴美「母の遺したもの」の終盤に書かれている通りである。

座間味に特攻隊長として乗り込み、住民の多数を「集団自決」という戦死に追い込み、自らは特攻攻撃も陸上斬り込みも実行せず、捕虜となって、その後米軍の命を受けて、隣の第二戦隊の投降説得に、負傷した体を引きずって参加したという行為までしたのである。

 部外者の後知恵で言わせてもらうのだが、また、宮城母子を責めるのでもないが、こんな自分の戦争責任を自覚しない元軍人に宮城母子は簡単には謝罪すべきではなかったと思う。どんな人格の持ち主なのかを見極める必要があったのではないか?
自分を含めてだが、沖縄人は人間性に対する素朴な信頼を持ちすぎている様に思う。曽野綾子はそこを見抜いて、「ある神話の背景」を書いたのだと思う。それ以後の、沖縄に対して傲慢不遜な言論を見ても分る。梅澤や赤松にとっても、曽野綾子は強大な援護者なのである。

 梅澤氏から、あくどい攻撃を受けた後に、晴美は「母の遺したもの」を書いて、母親の偽証の件を世間に知らしめたのだが、これは母子共々の「意地」でそうしたのだと思う。あえて、「偽証」を世にあらわにしても、梅澤氏個人の戦争責任、そして今尚、日本軍の戦争責任を無きものしたい彼の活動(裁判)を告発する書として、出版したものと思う。
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コメント

元隊長は犯罪的です。

豊岡マッシー さん。
演奏活動などでお忙しいところをコメント下さって大変ありがとうございます。
前に、貴兄ブログの沖縄戦のページで、勉強させてもらった記憶が有ります。
http://www.geocities.jp/toyobox1/okinawasen.html

山崎行太郎氏が言っていたのですが、大部分の軍人は汚名を着ても反論せず、黙って死んで行ったそうです。しかし、赤松・梅澤の二人は権力をバックに「日本軍の名誉回復」「沖縄告発」に乗り出したのです。
私は、彼らは口では自決命令を下してないと思いますが、たとえそうでも、このような形で、自分の名誉回復を計る事は犯罪行為に他ならないと思います。

私はこのブログで、本音を出して考えを述べて行きたいと思っています。どうぞ、お暇なときおいで下さい。

梅澤は立派でない

>阪神さん

コメントありがとうございます。
梅沢元隊長は3/25の、助役以下5名が爆薬要望の為、本部壕を訪ねて来たこと自体を忘れていたようです。(「母の遺したもの」262p)

また、「国の支え」という民間国防支援会の会誌で、「敵が上陸する前の暁に僕たちはもうボロボロに壊れた海岸近くの家におって、……戦闘準備をしていた。そこへ村の助役、それから校長先生……女子青年団長が来て、5人が来て…」という梅澤氏の発言があります。
敵砲撃が激しい中で、海岸近くの家に居れるはずはありません。こんな勘違い発言をする事は、彼がその時のことを記憶してないからです。
5人に「絶対自決するでない」と言ったというのは真っ赤な嘘です。

ほんとにそう思います

キー坊さん。時々見させてもらっております。いつも勉強になります。最終的には、その人の人格、だと思います。普通の人間なら、あれほどの犠牲を出した島の総責任者ですから。ほんとの軍人なら、自分だけは生きては戻れないという覚悟があると思いますが、でも若かったと思いますし、生き残るのもしょうがないかなと思いますが、それでも自分はおめおめと捕虜になったわけだし、収容所でボコられるわけですよね。いまさら人前にでてきてあれこれいうのかよ?って思うのが正直なところです。嶋田知事とか、太田実司令官とか、立派な方のことを語りたいのに、今や、ネットで座間味、梅沢と検索すると、「軍強制はなかった」との記事が圧倒的です。じゃあお前はこんなダメ軍人の部下になりたいのかよ?とも思うのですが、おれは絶対になりたくないですね。それこそ、大和魂で自決していった島の住民は悲劇というしかありません。

立派ではない軍人

こんにちは。
>どんな人格の持ち主なのかを見極める必要があったのではないか?
僕は梅澤氏が屋嘉の収容所で部下らにボコられている事実からして尊敬される人物ではなかったと思ってます。多くの沖縄戦記では捕虜収容所で将校が土下座させられて殴られまくるシーンが出てきますが、梅澤氏と特定できる戦記が複数あることからして、彼は情けない将校ナンバーワンでしょう。また、殺した帝大出身の兵士(他1人計2人)の遺族の面倒を一生観るという血判状があるのですが、梅澤氏は復員後にどうしたのでしょうかね。まさか知らぬ顔でいたわけではないでしょうね。座間味島を訪れた時に、部下が死んだ各所で泣いて詫びたそうですが、殺した帝大出身の兵士の為に泣いたのでしょうか。ウミガメが産卵に訪れる浜辺で頭を砂に擦り付けて詫びてもらいたいものです。また、捕虜の身でありながら、座間味で一緒にいた慰安婦(池上トミヨ)にノーブラで見舞いに来てもらって喜んでいるようじゃ、部下からの制裁が手ぬるかったのかもしれませんね。梅澤氏は将校だから昭和21年早々に復員しましたが、もし部下等と一緒に復員船に乗る事になっていたとしたら海に突き落とされて死んでいたかもしれません。

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キー坊@ウチナー

Author:キー坊@ウチナー
沖縄本島中部、巨大な米軍基地を抱える町の生まれ。
齢を重ねるごとに、沖縄戦へのこだわりが強くなります。
曽野綾子・『ある神話の背景』は沖縄を究極的な軍事基地にする目的を持っています。「集団自決」は沖縄戦の集約された出来事だと思います。『ある神話の背景』は沖縄への抑圧・差別の集約文書です。

HP・「その『神話』の背景」(文献・資料集)
http://keybow.co

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