2017-08

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自決命令はあったか? 2

 大江健三郎の「沖縄ノート」が発刊されてから35年も経ってから、梅澤・赤松の両元隊長側から訴訟が起こされたのであるが、彼らは何を「切り札」として裁判に進んだのか?
 私は、それは「隊長命令」が無かったという事に、絶対の自信を持っていたからだと思う。おそらく、梅澤は住民に「自決せよ」と言ってないだろう。赤松の場合も、巡査が自決命令を否定している限り、無いものと思わなければならない。

 また、S30年代初期の援護法適用審査のとき、厚生省は「集団自決」で死んだ者への条件として、「隊長命令」を要求しており、座間味では宮城初枝に嘘の証言をさせた事実がある。これは渡嘉敷でも同様の条件を出したと思われ、赤松元隊長の承諾を得て自決命令書を捏造したという、照屋昇雄元援護課職員の証言も全くの嘘だとは言い切れない気がする。玉井村長は25年記念慰霊祭に赤松氏を招待しており、後に戦友会と協同で「戦跡碑」を建て、曽野綾子に碑文を書いてもらっている。曽野の取材にも協力的であった。赤松に「恩義」ある行為のような気がする。

 そもそも、曽野綾子はこれらの事情を早くから知り得る立場に会っただろう。赤松はS43年4月に、週刊誌で命令否定の言を発表している。この時期、曽野は赤松本人、元隊員、防衛庁筋、厚生省筋などから情報を得てから、S43年11月に、先ず「生贄の島」取材のため沖縄に乗り込んだと思える。曽野は当初から「自決命令」が無かったいう「切り札」を持って、沖縄告発に乗り出したに違いない。

 それに対して、沖縄の言論人はのんびりと構えていた。特に「鉄の暴風」執筆者の太田良博の落ち度は大きいと思う。悪意は無かっただろうが、元村長らからの「自決命令」証言を検証せずそのまま記述してしまった。渡嘉敷島の項では、日時、場所等記載に多くの誤りが見られる。この辺を今、星雅彦や上原正稔に責められている。
 「鉄の暴風」執筆時から、曽野が太田へ面会に来た時までに20年が経過していた。この間、太田及びタイムスは記述内容の検証作業をしなかったのだろうか。曽野が取材に来たのは、赤松来島騒ぎがあった直後だと思われる。にもかかわらず、この女作家が何の為に渡嘉敷の事を聞きに来たのだろうかと、太田は不審に思わなかったのだろうか。その時、渡嘉敷島の証言者が誰であったか思い出せず、情報提供者として宮平栄治・山城安次郎の名を挙げたら、曽野に「ある神話の背景」で、それを利用されて伝聞証拠説を広められてしまった。

 それを直ぐに否定する発言をしていればよかったのだが、太田が実体験者の古波蔵元村長らから、那覇での座談会で聞き取ったのだと言ったのは、「ある神話の背景」出版から12年も経った1985年の曽野とのタイムス紙上論争においてだった。
 この論争で曽野の伝聞説を否定できたから、太田は一矢報いたと言えるが、あまりに弁明が遅すぎ、内容では勝っていても曽野を論破したという印象は薄いものとなった。

 「鉄の暴風」とその著者太田良博を私は批判しているのだが、星や上原正稔が言ってるように、罪無き元隊長を罪人に仕立て上げた責任が太田にあると追及しているのではもちろんない。曽野綾子のような冷酷な作家につけこまれる材料を与えたという点で怒りを覚えるのである。

 強制的に孤島を秘密特攻基地にして、激烈な戦闘に住民を巻き込んで集団自殺に追い込み、自分らは特攻攻撃を実行せず生きながらえ、あまつさえ、自決を免れた十数名の住民の処刑を行った日本軍の責任は否定できようがない。軍の指揮官としての赤松・梅澤の両隊長に、「集団自決」への責任が無いといえるはずはない。

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コメント

赤面の至り

ここのコメント欄に来た沖縄人は、「沖縄市市民」と「うるま市民」の2名である。そろって、頓珍漢な応答をしている。沖縄でも、ネトウヨの類は増えているだろうから、ここにこんな連中が現れる事は珍しくもないが、他にまともな意見を言う者がいないとは侘しい限りである。

こんな連中を見ても、低劣右派言論人が沖縄を「全体主義の島」などと喧伝する事がデマに過ぎない事が判る。沖縄は隅々まで国家権力の支配が及んでいるが現実なのである。

国家に従えば、いい思いができる事を知っているから、こんなネトウヨも多くなってくるのだ。星雅彦と上原正稔の言論もこの流れに沿ったものと言える。

本を沢山沢山読んで下さい

残念ながらうるま市民さんの祖母様の戦記は得られませんでしたが、うるま市民さんには沖縄戦記を最低でも100冊、県市町村史の戦時記録つまり住民証言を最低でも1000人分以上読まれることを期待しています。住民虐殺についてですが、住民は安全な場所に保護されていたとは限らず、自分の家に帰されたり、他人の家に鮨詰め状態で暮らすなどしていました。また避難中の住民と敗残兵の出会いもありました。そこでどのような出来事があったのかは戦記や戦時記録を読んで下さい。肝心なのは自分で時間を掛けて、お金を掛けて調べる事です。沖縄に限らず日本兵が各地でどんな事をしたかを知る為には最低でも1000冊以上の戦記を読む必要があると思ってます。本を読んで読んで読みまくりましょう。

続き

>早い話が、うるま市民さんは、何らかの方法で検証可能な議論によらずにご自分の信じたいことを信じる、ということですね。それならわざわざこんなところに出張せずとも、チャンネル桜かどこかあたりでお仲間どうし仲良くなさってたらいいじゃないですか。


 「売り言葉に買い言葉」になりがちですが。

山本七平氏が{「事実」と「事実」が「真実」とは限らない}というようなことを書いていた記憶があります。 正鵠を射ていると思いませんか。

 検証。感情が入ってしまったら何の意味もありませんね。 私が裁判員制度を危惧する理由です。

 こちらのブログでは座間味、渡嘉敷のことということになりましょうか。赤松隊長、当時25歳くらいですよね。私の娘と同年位です。梅沢さんにしても29歳くらいでしょう。 日本軍の隊長というと老獪で残忍そうと言うイメージが作られていますよね。でも現実は若い。あまりにも若すぎる。

 記憶は定かではありませんが、「赤松隊が捕虜になりもどった住民を殺害した。」ということですよね。

 この事実はまちがいないわけですよね。事実を羅列しても本当の意味で検証したことにはならないような気がします。虐殺なのか処刑なのか、処刑なら陸軍刑法によるものか、それは軍人以外にも適用されるのか。利敵行為は全く無かったのか。などなど。そうなると住民の利敵行為は無かったことを証明しなければならないし、軍は陸軍刑法やスパ防止法?みたいなものに触れたことを証明しなければならない。恐らく戦場においての利敵行為は各国軍隊同じようにこ処刑しているのではありませんか。 ヨーロッパ戦線でもよくある事例ですよね。 こういった類は映画にもなっている筈です。

 これは戦場という異常な状況では世界中でおきているはずです。

 それを日本軍や日本兵のみが行ったような印象操作があるなら「検証」云々する以前の問題でしょう。

 特に、天皇や国家にこの問題の責任を擦り付ける。もうこの時点で政治プロパガンダでありイデオロギーの問題ですから「真実」「真相」はどうでもいい事になるのです。


 キー坊さん、つうこうにんさん、みなさん。

 お付き合いいただきありがとうございました。


 

捕虜になった住民殺害の心理

うるま市民さん
赤松や鹿山は、捕虜になりそうな住民だけでなく一度捕虜になり、他の住民などに投稿勧告に来た住民などを斬殺しています。

類型化すると米軍捕虜収容所に収容された住民を住民や軍人へ投稿勧告させる、それらの人は軍人から殺されていることが多い。

この類型は、沖縄本島でもかなり確認されています。部隊の全滅や部落の全滅もあるので全部が記録に残ることはありえないでしょうが。

あなたとは想像だけでなく、事実を確認してからでないとかみ合いません。 軍人によるスパイ嫌疑による斬殺というのは無理心中に似ている面もあるのではないか。 自分達だけが戦陣訓により、自決させられるのはばからしい、いくらか死への道連れがほしいとの。 沖縄を土民と呼ぶ感覚からすれば家畜を道連れにする感覚とも思える。  「沖縄ノート」の屠殺との表現は軍人の感覚を踏まえて語っている。

植民地台湾で事実上、本土出身者が1等国民で、沖縄出身者を2等国民、漢民族を3等国民、いわゆる高砂族を4等国民扱いしていた血縁序列思想から当然導かれる結果なのである。
満州に移住した(させられた)一般民が一等民族などと言っているから乗せられた面・乗った面もあります。  仁恕といっても民族ごとに平等ではない、差別的な仁恕が当然と考えられている。
低層文明に長く留まった民族イヌィット・アボリジニ・アイヌ・ヤマノミの名称は人間を意味している。

つまり、自民族だけが人間で異民族は禽獣。選民思想・中華意識は前近代に特有なもの。 欧米は一応文明と聖教を旗印にする。 実質的には異教徒と非文明人として民族差別もしたが、建前は血縁的理由ではないから、キリスト教に改宗し文明化すれば、差別をしない人たちもいた。 アニミズ゜ムと多神教に染まった東アジアは自力で産業革命を生み出せなかった。

そこで和魂洋才・中体西用などの文化優越と文明摂取を分けて考えた。 このことから未だにマックスウェーバーの魔術の園(無感動的恍惚=自然やその置き換え、偶像、空文句などに対する感謝感激)から抜け出せないでいる。

そして、個人主義と自由主義を弾劾し家畜管理者あるいは家畜そのものになりたい真の意味での自虐者が多数存在する。


それとあなたのいう攻撃的社会病質体質は日本軍に蔓延していた。原因は訓練目的を超えた初年兵虐めによる加虐性の涵養、および記紀神話とアジアで初めて産業革命を起こしたことを根拠とした民族的優越感を根拠とする民族的差別にある。

こんにちは

 お断りしておきますが、私は「荒らし」行為をしているつもりはございません。悪しからず。

>別に美化でも何でもありません。それは軍隊として為すべき当然のことです。それをしたからといっても、特段に取り上げるべき善行にはなりません。

 ですよね。私も当然だと思いますし日本兵は極限状態の中、他国の軍隊に比して軍律は守られていたのではないかという認識です。

 ただ、捕虜になった住民を日本兵が殺害するということは疑問です。なぜなら捕虜になったということは後方の比較的安全な場所、つまり捕虜収容所に隔離されているはずです。 そこへ危険を冒して住民を殺害しに行くことはありえないと思うからです。

 しかし、捕虜になろうとした「住民を殺害した」それは、あなたの言うように多数あったかもしれません。 住民を殺した「日本兵」この時点で死の恐怖に怯えた一人の惨めな人間、自分が殺される恐怖で精神に異常をきたした人間ではなかったかと思うのです。

 現在ウェストポイントの士官学校で使われている教科書{戦場における「人殺し」の心理学}に{ある程度の期間それに参加すると、98パーセントもの人間が精神に変調をきたす環境、それが戦争なのだ。そして狂気に追い込まれない2パーセントの人間は、戦場に来る前にすでにして正常でない、すなわち生まれ付いての攻撃的社会病質者らしいというのである。}とあります。

 戦地で殺人、強姦、略奪を行う兵士はこの2パーセントなんでしょうね。 彼らは平時においても犯罪者になりうる人たちと言うことでしょうか。

 ですから、私は当時の兵士への教育、軍人勅諭や戦陣訓など戦場では何の意味も役にもたたなかったのではありませんか。軍国主義、皇民化教育も不毛だったと。 あるのは死の恐怖のみ。

知念の迎合と事実改竄の完成(続き)

http://www16.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/990.html
上記によれば「、『渡嘉敷島における戦争の実相』 (正しくは『渡嘉敷島における戦争の 様相 』) と表題される。島民の記憶を集めて、昭和25年にまとめられた 、島民自身の戦史である。」
曽野綾子は「ある神話の背景」に「戦争の様相」の編纂日を1953年編纂の「戦闘概要」より後だと記述した。 当時曽野自身が参照した星雅彦が戦争の様相のほうが戦争概要より前に書かれたとの記述を隠蔽し、週刊新潮の記事もほうかむりしたのであろう。

そうまでして曽野が主張したかったことは「鉄の暴風」の記事は伝聞ばかりで間違いだらけ、その記述を引き継いだ(曽野は様相と概要の記述が酷似していることを根拠にネタ本が(鉄の暴風)だと主張するのだが、B=CからA=B,A=Cという結論を導こうというごまかしの論理)のが様相と概要だ、そして1953年の概要では赤松自決命令を記述したが後に書かれた様相では赤松命令を削除した。 従って渡嘉敷村としても公式に軍命令を否定したのだ-このような主張であった。

曽野綾子はいつものように、主張したい事項のために事実改竄を企んだ。 週刊新潮が様相の編纂時期を1950年と記述したのは予想ではなく断定的な記述からすれば編纂者などへの取材からの判断のはずである。

さて、様相・概要は三池少佐を三宅少佐とするなど誤りもあるが、少なくとも「鉄の暴風」より事態を正確に記述している。 曽野は様相・概要の種本が「鉄の暴風」などと嘘をつくことにより、様相等の史料価値を卑しめる効果をも期待したであろう。
問題の赤松の持久戦・食糧確保の命令であるが様相等の日付はなく直前の日付が1945/3/31、また直後の記述が4月下旬である。
http://www16.atwiki.jp/pipopipo555jp/m/pages/1426.html?
引用すると「【様相】赤松隊も持久態勢に入り食糧確保に奔走した。 間もなく赤松隊長からの命令が伝達された。我々軍隊は島に残って凡ゆる食糧を確保し持久態勢を整へ上陸軍と一戦を交えねぱならぬ、事態はこの島に住むすべての人間に死を要求していると主張し住民に家畜屠殺禁止の隊長命令が出され違反者は銃殺といふ厳しい示達である。直ちに住民監視の前哨線が設けられ多里少尉がその任についた。」
米軍の一部が渡嘉敷から撤退したのは沖縄本島上陸作戦で忙しかったからだろう。
さて、谷本版陣中日誌である。               http://www16.atwiki.jp/pipopipo555jp/?cmd=word&word=%E9%99%A3%E4%B8%AD%E6%97%A5%E8%AA%8C&type=normal&page=%EF%BC%88%EF%BC%98%EF%BC%89%E9%99%A3%E4%B8%AD%E6%97%A5%E8%AA%8C%E3%80%80%E6%B5%B7%E4%B8%8A%E6%8C%BA%E9%80%B2%E7%AC%AC%E4%B8%89%E6%88%A6%E9%9A%8A%EF%BC%88%E4%B8%AD%EF%BC%89
4月7日晴 周囲海上に敵艦船おびただしく大多数なるも本渡嘉敷島には阿波連方面の敵兵の外落着きを取り戻し戦隊は次の敵の攻撃に対する準備のための陣地の構築、弾薬、糧秣の収集に鋭意努める一方地元村民の警備指導に全力を掲ぐぺく逐次計画を実施す。・・・・九、各隊の将校全員明八日〇七四〇迄本部に集合すぺし。                              
4月8日曇・・・・五、本日より本部に於いて蘇鉄の採取をなし食糧確保に全力を揚げるに付き各隊は陣地構築に専念するよう通達。

以上、様相と概要及び谷本版陣中日誌の内容は「米軍の動きが落ち着いて長期戦になりそうだから食料を確保し自給体制を整えるべし」という趣旨で一致する。
鉄の暴風は他の証言などが混在しモザイク上になっているのであり、「様相」は鉄の暴風から独立して編纂されたに違いない。 これも曽野綾子一味の企んだ嘘。古波藏氏が曽野の嘘を暴露できないのはよほどの理由があったに違いない。 その理由が生じた時期は週刊新潮の記事から「ある神話の背景」が発行されるまでの期間。

ああ、「圧倒的」という語を、数の問題として理解されたのですね。申し訳ありません。私は”証拠能力”として「圧倒的」と申しました。誤解を招いてしまったこと、お詫びします。証拠能力の意味は既に和田さんがお書きくださったことに尽くされています。和田さん、どうもありがとうございます。

>日本兵が住民を助けた証言は「圧倒的証言」ではなく戦争の「美化」になるのですか。
別に美化でも何でもありません。それは軍隊として為すべき当然のことです。それをしたからといっても、特段に取り上げるべき善行にはなりません。

>私は証拠とか根拠とは言っていませんよ。
早い話が、うるま市民さんは、何らかの方法で検証可能な議論によらずにご自分の信じたいことを信じる、ということですね。それならわざわざこんなところに出張せずとも、チャンネル桜かどこかあたりでお仲間どうし仲良くなさってたらいいじゃないですか。

祖母様のお話をお願いします

うるま市民様。
私は沖縄戦記をまだ130冊余りしか読んでいません。これから読む予定の単行本が30冊余りあります。沖縄戦に関する本は300冊ほどあるらしいのですが、発見出来る限りの本は入手しています。また、私は平和読本のような本は読まず、ひたすら体験者が書いた本を読んでいます。私は特に私家版やコピー機で印刷された手作りの戦記とかに興味があります。25万人の死者に対して、たったこれしか単行本が無いので困っています。そこでお願いなのですが、うるま市民さんの祖母様の体験を知ってる限りで構いませんので教えていただけないでしょうか。個人情報がわかってしまうような部分は○○○とか×××で伏せてたり仮名で構いませんので祖父様の戦死の情況なども教えていただけたらと思います。

ふるい

うらま市民さん
>では、あなたはどの証拠を根拠に「日本兵が殺害したという証言は圧倒的」を示しますか。

圧倒的というには個々の例を数多く挙げなければならず、小冊子なみの分量が必要。
しかし、少なくとも日本兵の殺害が珍しくないことは久米島の鹿山と渡嘉敷の赤松という離島の元軍人が複数の「米軍捕虜になった島民を殺害した」ことを自ら認めていることからも事実。

私は、あなたは軍人の認めたことなら信じる人ではないかと思っているのですが彼らも認めていることを信用しませんか。非常にまれな例外的事実にすぎないと主張しますか。(要根拠) 
鹿山・赤松がマスコミなどに対して殺害を認めていることは調べればすぐわかることなのでちゃんと調べて逃げないで回答してください。(私は知らないふりをしているだけで当然知っていると疑っていますが)

軍人の証言を信用するとして、その上で捕虜をスパイ容疑で殺害するのは正義だというのなら是非そのように主張してください。

後者をスルーするならあなたは曽野綾子と同じ謀略をこととする人で、一般人に見せかけて靖国思想を宣布しようとしている人と断定せざるをえません。

つうこうにんさん。

>つーか、ダブハンじゃね?

  君がよく使う手ですか。

  私にはない発想です。


>米軍の捕虜になった者を日本兵が殺害したという証言は圧倒的です。それを否定するからには、それ相応の証拠を出していただかなくてはなりません。


 圧倒的証言。 私はあまり信用しませんね。証拠になりますか。 では、日本兵が住民を助けた証言は「圧倒的証言」ではなく戦争の「美化」になるのですか。同じ日本人として狂気の戦場を逃げ回った同胞で、お互いかばい助け合った証言も圧倒的に多いはずですよ。しかし、証言は左右互いの思惑で恣意的になる。それはあなたも知っているでしょう。 客観的な証言とは? 

>その証拠というか根拠は本2冊ですか?出典の示し方としてもお話にならない。

 
 私は証拠とか根拠とは言っていませんよ。 沖縄戦の本を読んだことが無いのかというキー坊さんの質問に答え最近読んだ本を紹介しただけです。

 では、あなたはどの証拠を根拠に「日本兵が殺害したという証言は圧倒的」を示しますか。

 日本兵といいますが具体的にどの県の、どの部隊が米軍の捕虜になった住民を殺したのですか。証拠と根拠を把握しているあなたなら答えられるでしょう。

 

戦陣訓に、道徳的に肯定できる部分もあるということ自体は否定しませんがね。

>えっ。なんで米軍の捕虜になったら日本軍に殺されるのでしょうか。
こういう疑問の立て方自体が、最初に結論ありきといえますね。少なくとも、米軍の捕虜になった者を日本兵が殺害したという証言は圧倒的です。それを否定するからには、それ相応の証拠を出していただかなくてはなりません。その証拠というか根拠は本2冊ですか?出典の示し方としてもお話にならない。「意に添わない意見は認めない」という態度は、むしろうるま市民さんにこそ当て嵌まるというべきでしょう。
つーか、ダブハンじゃね?

結局、あなたは

 意に添わない意見は認めないということですね。

 戦前の軍国主義者と思考パターンが同じですね。 意に添わないと「非国民」と罵られた時代と。

 私も沖縄戦記は読んでいますよ。ただあたなと違う本だということ。米人の書いた「天王山」と「沖縄シュガーローフの戦い」を最近読みました。

 その中に本島北部だけで米兵に強姦された女性は5千人はくだらない全体では1万人以上と書いてあります。「人種偏見」という本には米兵が日本兵にどういう仕打ちをしたか書いてあります。

 あなたの知っている「真実」と私の「真実」が違うだけのことで「思想、信条の自由」ということでいいのではないでしょうか。

 

赤面させられる。

>うるま市民殿
>えっ。なんで米軍の捕虜になったら日本軍に殺されるのでしょうか。

こんな言葉を吐くなんて、ウチナーンチュとして恥ずかしくなります。アナタは沖縄の戦記というものを読んだこと無いのですか?

米軍に保護された住民が、後で日本軍に捕らえられて処刑された例は無数にあるのです。
あの宮平秀幸も、17年前のビデオ出演で、捕虜になった時どう思ったかと聞かれて、「一番不安だったのは日本軍が殺しに来るのではないかという事だった」、と言ってるくらいです。

私の祖母も、父も、叔父も、誰も日本兵の悪口は言ってったませんでした。だからと言って、日本軍は立派だったと、私は思いません。

ノー天気な事言ってないで、もう少しは自分の足下見詰めたら如何ですか?

一言。

>金城牧師を、肉親及び周辺の住民殺しに掻き立てたのは、鬼畜米英のくり返し宣伝と、捕虜になれば生きて行けない(日本軍に殺される)の強迫観念でした。
金城牧師は、「集団自決」は結局、日本軍による暗黙のうちの命令・虐殺であったと言っていますね。


 えっ。なんで米軍の捕虜になったら日本軍に殺されるのでしょうか。 

 もしかして戦陣訓の「生きて虜囚の・・・。」でしょうか。 戦陣訓には「皇軍の本義に鑑み、仁恕の心能く無辜の住民を愛護すべし。 」もあります。

 日本軍の命令は絶対だったから捕虜にならず自決したという人もいますが、「住民を愛護」するという命令は守らなくても良かったのですね。

 結局、あなたはあなたに都合のいい証言は受け入れそうでない物は排除する。

 わたしも沖縄市市民さんの意見が真相に近いような気がしますね。

 ところで私も生粋のウチナーンチュで祖父は現地招集で糸満で戦死しています。 祖母から日本軍への恨み言は聞いたことがありません。兵隊さんは立派な人が多かったとは聞きましたが。

 だから、日本軍悪説は信用しないのです。

3つの呪縛

どうも多くの人に3つの呪縛があるようです。
もっとも大きいのは靖国思想の呪縛です。
次には金の問題にかかる呪縛。
最後にまだけっこう、「ある神話の背景」の呪縛が効いているのがわかりました。

判決及び被告側の主張では「鉄の暴風」に史料(資料)的価値があることになっているのに「鉄の暴風」に史料的価値がないと思わされている人が多いのですね。
確かに恩納河原での自決や米軍上陸の日など「鉄の暴風」には誤りが多々ある。
しかしその原因ははっきりしている。
取材者側が前知識に乏しいまま短期間の集中取材をし、1950年当時テープなど記憶媒体もないだろう状況で体験者を多数集めた取材はどうなるか。 まして渡嘉敷で多くの島民は何もわからないまま当初本部陣地近く、次に西山盆地北方に移動させられた。
大状況を把握していない「ある神話の背景」のABCD夫人のような人々は自分だけの体験を熱心に語る。 そのような取材では取材者の時間的・空間的整理はバラバラに断片化してしまい整理しようとしても歪んだモザイクのようにいびつな整理になることは目に見えている。

曽野綾子の「ある神話の背景」はそうではない。何回も取材をして自分の頭で整理したものをあえて靖国思想に適合するようにモザイク化→再構築、つまるところ謀略により事実をねじ曲げた。 鉄の暴風もある神話の背景も歪みがあるが鉄の暴風の歪みは意図せざる歪みでありある神話の背景は意図する歪みである。
「鉄の暴風」には真実の柱も断片も残されているように思う。

さて、曽野綾子は珍しく「ある神話の背景」において珍しく1971年7月11日と日付を入れ那覇で知念元少尉に会ったとする。ここで知念から「鉄の暴風」での「3月27日、地下壕内において将校会議を開いたが、その時 赤松大尉は『持久戦は必至である、軍としては最後の一兵まで戦いたい、まず非戦闘員をいさぎよく自決させ、われわれ軍人は島に残った凡ゆる食糧を確保して、持久体勢をととのえ、上陸米軍と一戦を交えねばならぬ。事態は この島に住むすべての人間に死を要求している。』ということを主張した。これを聞いた副官の知念少尉は悲憤のあまり、働突し、軍籍にある身を痛嘆した。…」との記述は誤りであるとの証言を得たという。  このことは鉄の暴風の誤りの決定版のように語られるが必ずしもそうとはいえない。 実は日付が後だが一部同じ内容の表現が「戦争の様相」、「戦闘概要」及び谷本版「陣中日誌」に表現されている。
確かに3月27日には地下壕はなかっただろう。 また米軍が上陸しまだ米軍の増援部隊の上陸も予想される当日はクェゼリンやタラワのように2,3日で全滅も予想される状況であった。 そのような明日をも知れぬ状況で持久戦や食料の確保が語られるのはふさわしくない。  実は、米軍主力が沖縄本島に上陸した後4月8日に将校会議が開かれたことが「陣中日誌」に掲載されその内容は「戦争の様相」などの記述と同じく持久戦と食糧自給をテーマにしていることが窺える。

知念は1970年にも渡嘉敷に渡り、赤松の事実上の副官であったにしては曽野に地下壕に関する「鉄の暴風」に関する誤りを指摘する日付があまりに遅いと思う。  この日付を書いた意味は曽野の鉄の暴風批判の骨子が固まり、諸君に「ある神話の背景」を連載する運びとなったことを記念・自慢する意味があったと思う。

知念は県史に「ある神話の背景」とは異なり、自分が船艇の先頭であったと記述するなど正直なところがある。  おそらく知念は頭から「鉄の暴風」の記述全体が誤りという曽野からの提案に対してはしばらく渋っていたのだろう。
しかし、曽野は一部を否定することにより、全部を否定する方法を考案した。
1945/3/27には壕は出来ていないし、持久戦や食料の話など無い。 従って鉄の暴風の記述はほとんど全部が誤りであるという印象を読者に持たせようと計画した。
そして、これには知念も乗ったのであろう。

天皇の軍隊

つうこうにんさん。横レス有難うございます。
沖縄市市民 どのとのやり取りは不毛な争いになりそうなので、停止の措置をしました。あしからず。

私も身内に(四親等まで)戦争被害者がいないのは同じですが、ちょっと遠い親戚にはたくさんいます。全ての沖縄人は同じ立場にあると思います。

>昭和天皇の「モウ一度戦果ヲ挙ゲテカラ」発言
これは沖縄戦開始の直前のものですが、その時はもう政府は敗戦を見越していたわけですね。だが、天皇は講和を有利に持ち込む為に、その言葉を出したのであり、沖縄は「捨て石」にしても良い、の発言だったのです。のちの「沖縄メッセージ」もそれを裏打ちしてます。
天皇は沖縄を捨て石にする事は考えていたが、原爆までは想定してなかったでしょう。その意味で、日本国民にとって、天皇の降伏決断は遅すぎたといえます。

赤松隊長は天皇の軍隊の指揮官として、渡嘉敷島に君臨し、住民を「強制的に」協力させ、戦闘に巻き込み「集団自決」に追い込んだのです。自決せよとの「直接命令」の有無に拘らず、天皇の代理としての赤松隊長の戦争責任は免れません。

星雅彦は自分を冷遇した沖縄のマスコミへの私憤を、今回のような形で晴らしたのだと思います。

横レス失礼します。私は身内に具体的な戦争被害者がいない(幸か不幸か、戦争加害者もいない)んで、いわば「傍観者」としての意見ということで。

沖縄市市民さんは、感情に任せてご自分でも何がなんだかわからなくなっているように見えますね。

>それが戦争なんですよ。
私如きがいうのも何ですが、”戦争”と名がつけば何でもしていいってわけはありません。ところがまずいことに、当時の日本軍は戦時国際法の周知徹底という原理原則を欠いていた。まあ米軍も、記録に残らない範囲で戦時国際法違反をかなりやっていたという有力な説もありますが、当時の日本軍とは比較にならないでしょう。その結果が沖縄戦だったというわけで、そういう意味では、沖縄市市民さんの言葉を借りれば「当時の沖縄にいたのは悪い兵隊さん」だったわけです。
さらに、「沖縄出身の兵隊が大多数」といっても、それを指揮する将校たちは本土からというわけで、そういう指揮者の責任をあいまいにすることはできませんね。もっといえば、昭和天皇の「モウ一度戦果ヲ挙ゲテカラ」発言が無かったら、沖縄戦も東京大空襲などの本土各地の空襲もそして原爆もなくて済んだわけで、戦争指揮者の責任とは重大なものなのです。

で、どうなんでしょう。金城重明氏を悪し様に罵ることで、真に責任を負うべき者は誰でその責任はいかばかりか、という議論は進みますか?

キー坊さん
>>これではアナタは、ヤマト右翼の飼い犬でしかないと言わざるを得ないですね。

恥知らずは貴方ですよ。
なんですか?そのレッテル張りは。

金城牧師は、家族、親戚、周りの人を殺したんですよ。
それは、いかなる理由があろうと殺人ですよ。大量虐殺ですよ。
でも、当時はそれをやらざる終えなかった。それが戦争なんですよ。

殺人に言いも悪いもありますか?人殺しですよ。

>>アナタはヤマト右翼の沖縄蔑視のイデオロギーに毒されています。

恥を知りなさいよ。反論できないとレッテル張りですか。まともに検証したらどうですか?
あからさまな貴方のような全体主義はうんざりです。
当時の連合軍に攻められた沖縄で、軍民いったいになって戦った祖先の人たちが浮かばれませんよ。

文句を言うなら当時の米軍じゃないですか。当時の沖縄にいたのは
悪い兵隊さんですか?沖縄出身の兵隊が大多数ですよ。恥をしれ。

組合動員でしか集められない嘘で固められた平和運動はもううんざりです。

市民団体と言う活動家連中の言いなりにならないですよ。
そろそろ県民もおかしなことはおかしいと言える
時代になったのです。もうあなた方の嘘にはうんざりです。


何が右翼ですか?恥を知りなさい。

>沖縄市市民さん。
>殺しまくって自分だけ生き残り、…

金城重明氏は集団自決で家族や他の住民を手にかけたが、自分は生き残ってしまった。その絶望の淵から立ち上がった金城氏を、低級右翼の口真似をするかのごとくに冒涜するのは、ウチナーンチュとしては死んだも同然じゃないでしょうか?これではアナタは、ヤマト右翼の飼い犬でしかないと言わざるを得ないですね。
殺しまくって自分達が生き残ったのは赤松隊長と隊員のほうです。沖縄人の命を守ろうという意識は、当時赤松の頭には全くなかったでしょう。

>イデオロギーのない平和な沖縄を返してください。

自覚症状は無いでしょうが、アナタはヤマト右翼の沖縄蔑視のイデオロギーに毒されています。そんなアナタがそんな事言うのは、はなはだ僭越なことです。

>日本軍の物言わぬ(捕虜になったら殺すという)強>制力が住民を集団自決に追い込んだのです。

だから自ら殺しあったんですよね?
日本軍と関係ないじゃないですか。

当時の天皇崇拝、軍民一体になって戦ってた
心情を、今の価値観で語るのはナンセンスですよ。
お国のために、家族のために戦って死んだ沖縄出身の兵隊さんは犯罪者ですか?

>金城牧師は、「集団自決」は結局、日本軍による
>暗黙のうちの命令・虐殺であったと言っていますね。

本人の手記を読んだがいやいや・・ただの虐殺ですよ。
日本軍じゃなくて、攻めてきてる米軍に対しての
恐怖感からじゃないですか。殺しまくって自分だけ生き残り、
やったのは、日本軍から暗黙のなんてよく恥ずかしくもなく
言えるものだなと呆れますよ。恥をしれと言いたい。

>沖縄市市民さん。
ところで、アナタは沖縄の人ですか?それとも、移住者でしょうか?

これ重要なことでしょうか?
生粋のうちなーんちゅですよ。
それも世代的にも一番反米・反日思想を叩き込まれた。71年生まれです。

もうこう言った大嘘を次の代に絶対に思想利用させては
いけないと思います。
中立的な検証は必要です。
もう、沖縄をイデオロギーで支配するのはやめてもらいたい。
議論は、色々あっていいのじゃないのでしょか?
都合の悪いことは、個人攻撃をして反論さえしない言論統制には呆れるばかりです。

イデオロギーのない平和な沖縄を返してください。

日本軍は憎し

赤松隊の、住民を「集団自決」に追い込んだ責任と、捕虜になった住民などを処刑した責任は、大いに関系しています。
日本軍の物言わぬ(捕虜になったら殺すという)強制力が住民を集団自決に追い込んだのです。実際に、赤松隊は十数人を殺しましたね。「ある神話の背景」では、ウソの処刑理由を挙げて正当化してますが。

金城牧師を、肉親及び周辺の住民殺しに掻き立てたのは、鬼畜米英のくり返し宣伝と、捕虜になれば生きて行けない(日本軍に殺される)の強迫観念でした。
金城牧師は、「集団自決」は結局、日本軍による暗黙のうちの命令・虐殺であったと言っていますね。

>沖縄市市民さん。
ところで、アナタは沖縄の人ですか?それとも、移住者でしょうか?

結局日本軍憎しなんでしょ?

あなた方の論調は結局レッテル張りの結論ありきじゃないですか。

この記事も、集団自決がテーマなはずなのに、自決を免れた十数名の住民の処刑を行った日本軍の責任
とかって事実だとしてもまったく違う話でしょ?

集団自決に生き残った人ってどうやって生き残ったのですか?
金城と言う牧師は、親戚から殺しまくって犯罪者なのに生き残ったんでしょ?
本当は、絶望した集団自殺じゃないですか。
軍命があったと言うなら、生き残った人たちは軍法会議ものですね。敗戦すると分かってもいないのに

その覚悟はあったのでしょうかね。
あなた方が言うように日本軍は兇悪で恐れられてたのですよね?

本当に処刑を恐れずに、生き残る人が当時いたのでしょうかね?

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キー坊@ウチナー

Author:キー坊@ウチナー
沖縄本島中部、巨大な米軍基地を抱える町の生まれ。
齢を重ねるごとに、沖縄戦へのこだわりが強くなります。
曽野綾子・『ある神話の背景』は沖縄を究極的な軍事基地にする目的を持っています。「集団自決」は沖縄戦の集約された出来事だと思います。『ある神話の背景』は沖縄への抑圧・差別の集約文書です。

HP・「その『神話』の背景」(文献・資料集)
http://keybow.co

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