2017-09

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「自決命令」はあったか?

星・上原対談の冒頭で、星の「『自決命令』はあったか?」の問いに、上原正稔は「隊長の命令は全くなかった」と断言している。星雅彦も命令は無かったと考えての上で問うているのである。
赤松・梅澤、両隊長の「自決命令」はあったのだろうか?

曽野綾子が「ある神話の背景」を書いて沖縄告発に乗り出した大きな動機は、赤松嘉次隊長の「自決命令」は無かったという確証を得たからだと、私は思っている。曽野は、赤松本人、元隊員、防衛庁筋、厚生省筋などなど、から密着した取材を行って、それを摑んだものと思われる。

 私も明確な、号令的な「自決命令」は無かっただろうと思っている。「隊長命令」が在ったという根拠は、すべて当事者の推量・伝聞の域を出ないものである。最初の証言者は古波蔵元村長であったが、それは安里巡査を通じて伝えられたとの証言だったが、当の巡査は曽野綾子へ否定の証言をしているのであり、むしろ赤松隊長「名将説」を唱えたのである。最近出てきた吉川勇助氏の事件現場での目撃証言も推量の域を出ない。

 こう書いていると、私も「集団自決」への軍の責任を否定する立場なのかと思われそうであるが、もちろんそうではない。隊長が戦場で、明確な言葉で、或いは文書で、「住民は自決せよ」との言葉を吐くとは私には想像できないのである。米軍の猛攻撃の中で、「口減らしのため」「足手まといならせないため」とかは、理由としては薄弱だと思うのである。事実としての「隊長命令」は無かったものと思わざるを得ないのである。

 これは、私だけでなく、大江・岩波を支援する沖縄のマスコミ人、研究者もほとんどが同じ考えを心底では思っているに違いない。だが、誰一人本音を吐露する事はできないのである。沖縄の「同調圧力」で言えないなんてのは、低劣右翼の与太宣伝でしかない。もし、だれか沖縄の言論人が「隊長命令」は無かったと言えば、曽野綾子以下、秦・藤岡等々の与太者言論人が、「真実が明かに成った」などと、大々的宣伝を繰り広げるに違いないからだ。実際、マイナーな言論人である星雅彦・上原正稔の、今回の「うらそえ文藝」での言論でさえ、狼魔人の格好のネタにされている。

 宮城晴美は「母の遺したもの」で、梅沢元隊長が村三役の「自決記念碑」の前で、冷静に花を手向けたのを見て、隊長命令の無いことを確信したと言いながら、新版ではそれを削除した。晴美は削除せざるを得なかったのである。母の事実打ち明け後、梅澤の数々のあくどい仕打ちを受け、最後は、そそのかされて「大江・岩波裁判」の原告となり、「歴史歪曲勢力」の黒い陰謀に手を貸した梅澤の行為を許しがたいものとして、あえて前言を覆して、改訂版を出さざるを得なかったのである。

 さて、明瞭な「隊長命令」が無ければ、「集団自決」は軍に責任の無いことなのであるか。指揮官たる赤松・梅澤、両元隊長は何の責任も問えないのか?

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コメント

星・変節の理由

>和田さん。
>つまり、星は赤松や曽野の仲間だということだ。

星雅彦は今回の「うらそえ文藝」言説の結果として、そう見られても仕方ないですが、最低限、彼の名誉のために言わせていただければ、彼にこのような赤松免罪の論を言わせている理由は、曽野・赤松に立場をすり寄せたというのではないと思います。

彼は自分の意見を顧みてくれなかった沖縄の言論界への、長年溜まっていた不満を吐き出したという事だと思いますね。似たような立場にいた上原正稔を担ぎ出したのです。

星の嘘

うらそえ文芸での星の論考には嘘と瞞着がある。
星はかって「潮1971年11月号」に寄稿し
http://www36.atwiki.jp/yamazakikoutarou/
「ウシは長女に三日分の食糧だけを持たせてあったが、一日か二日、西山に避難するつもりだった。後でわかったことだが、ある人たちは、クワやナタやカマを持っていた。それらの農具は、西山で壕や小屋をつくることを予想して持ち運ぱれたのだ。多数が持っていた一メートルほどの棍棒は、荷物を肩にかけて持ち運ぶときに使われた。」
と書いた。
村民の中には、恩納河原からの移動命令の真意について(目的が明示されないため)短期的避難と考えた者もいたし、(恩納河原では自活耕作の準備を整えていたので)異動先に長期滞在することを予想していたものもいた。 ほかならぬ星自身がクワやナタ、カマの持参を長期滞在のためとの証言を聞いたか、何らかの理由でそう判断したのだ。
ところがこのたびのうらそえ文芸では
「住民が集団になって、防衛隊に誘導されながら、死ぬ覚悟で玉砕場を探して移動したそのとき、住民の中にはそれぞれ風呂敷などの中に、小刀、カミソリ、猫要らず、紐や帯など、手には棍棒、鎌、銛、斧など農具とはいえ自決の道具になるものを持参していた。偶然とは思えない。出発のときから住民は、混乱状態の中でも潜在的に死ぬつもりであったと考えられる。」とする。

座間味で自決命令が出たと忠魂碑に向かった島民は死に装束か自身の最高の衣をまとって出かけたとの多数の証言がある。 渡嘉敷ではそのような現象は起こっていない。  住民は玉砕場を探して移動したのではない。赤松の命令により移動した。 その段階ではあるいは地形的には考えられないが、軍が恩納河原よりも安全な場所を住民のために確保してくれたのかもしれぬ(古波藏村長)と考える島民もいて当然だろう。   本部壕付近に集結し赤松から他の場所に移動するよう第二次移動命令が出されたことにより、住民の多くが、軍は住民を玉砕させる気かもしれないとの懸念を抱いたはずである。  最近よく似た例がスリランカに起きた。タミール解放の虎という武装集団は約20年ハマスやイスラム聖戦を凌ぐ女戦士を含んだ自爆作戦を実行していた。彼らは政府軍に追い詰められると住民を連行し盾とした。 逃げ出した住民もいるが死んだ住民も多い。武装集団は政府軍の攻撃で死んだと宣伝し、政府軍は逃げようとする住民を武装集団が殺したという。事実はどちらのケースもあったのだろう。 サイパンでも死をためらう住民を日本軍が殺した例が米軍により報告されている。 タミール解放の虎と戦前の日本軍の体質は似ている。

出発のときから住民は死ぬつもりであったのではない。多くの住民は何もわからないまま軍命令に従った。 星の表現は限りなく赤松と曽野綾子に類似している。
もう一つ星の嘘を指摘したいが長くなるのでここまで。

曽野・赤松の論理

星氏の論考はまったく賛成できませんね。
事実認識に誤りがある。
http://keybow49okinawan.web.fc2.com/urasoe/hosi.dansou.html
以下引用同じ
判決を評して星は「「軍命」と「援護法」は直接関係ないのに、軍命の記述は援護法が出る前から「鉄の暴風」にあったから、「捏造」が崩れたとしている。しかし援護法は、「戦闘協力者」という規定に当て嵌めて適用したのであって、自決者も戦闘協力者であるとしたので、その視点から方便が使われたということば確かなことだ。」と語る。
前者は判決の論理であり、時間と事実関係の論理である。後者は日本政府が意図する援護法の論理であってそもそも両者には論理的接点がなく、次元の違う論理であるのに原告が無理に関連づけようとしたに過ぎない。  赤松や曽野は、日本軍はフィリピンで沖縄以上の虐殺をしたが賠償で解決した。だからフィリピン政府はいまだに国連で日本政府の票田となり、日本政府に友好的である、沖縄がフィリピン化していないのはけしからん。金を与えたのにしかも、厳密な自決に当てはまらない砲爆撃などで死んだ者にも年金を与え靖国神社に顕彰したのに昔の日本軍を悪く言うのはけしからんと言っているにすぎない。
星はそのような赤松・曽野の言い分に道理があるというのだ。

次に星はこう語る。
「それでも状況が突然悪化する前までの慶良間諸島では、軍と住民は例外的に一体感があうたようだ。・・・・村の指導者たちがまず考えたことは、軍の足手まといにならないように玉砕しようということだった。彼等は固く決意して、弾薬や手榴弾などの提供を軍本部に要望したのであった。」
座間味の宮城初枝の証言を根拠にしているのであろうが、他の島で軍本部に武器の提供を村幹部が要請したという証言はない。座間味においても前々から軍に言い含められているかどうか宮城初枝の立場では知り得なかった。 村幹部の自主的な要請を一般化するのは星の想像による断定に過ぎない。

次に星は次のように言う。
「太平洋戦争(大東亜戦争)勃発から一年余り経つと、「ガダルカナル島撤退」から「アッツ島玉砕」「マキン,タラワ島玉砕」と、日本の敗北が続く。それまで大本営も軍司令部も玉砕命令を下部へ出していたわけではない。その逆で、「最後の一兵まで戦え」であった。ところが次々と玉砕があったわけだ。」
星は戦史をごまかしている。 バンザイ突撃が現地軍司令部の玉砕命令でないだと。ベリリュー島ではフィリピン決戦の時間稼ぎとして、また沖縄戦は本土決戦の時間稼ぎとして持久戦を強要されたことも知らないのか。 

星は「、「自決命令を発した事実について、合理的資料、根拠がある」とは、ありそうでない結論に思える。」と言うが赤松はスパイ容疑者何人かに自決命令をしたことはよく知られている。赤松と安里は談合で「住民は捕虜になる恐れがある。(それよりは自決させるほうが望ましい)」ということで住民を危険な地域に移動させた。 これは未必の故意といって刑法上もりっぱな犯罪である。

星はさらに「住民が集団になって、防衛隊に誘導されながら、死ぬ覚悟で玉砕場を探して移動した」などと言う。
これこそ曽野綾子が必死になって作ろうとした神話だ。 「切りとられた時間」で曽野は住民をまるで有名な集団自殺鼠のように自然に(自主的に)御嶽に向かったと書いた。事実は赤松の第一次移動命令で住民は本部近くに集合させられたのだ。 安里と赤松の談合を1日早めたのも曽野と赤松の大嘘。 村長が安里に依頼していれば地理に詳しい者を付き添わせる。
星は現場に行ったにもかかわらず、これらの事実を隠し嘘をつく。

最後にはこんなことを言う。
「すべて強制に従ったとすると、殺す側も殺きれる側も狂気の中にあったにしろ自らの意思に反する行為を選んだことになる。この場合、逃げ場を失って混乱していたにせよ、鬼畜米英への恐怖だったにせよ,軍の足手まといにならないよう願っていたにせよ、何はともあれ戦時の皇民化教育や軍国主義などに洗脳されての自主的な行為ではなかったということになる。」
集団死したカルトは複数存在する。 星氏は彼らの行動を自主的と言うだろうか。

私は星の言葉の端々に洗脳により、個を抹殺された金朝鮮王朝やオウム真理教の国民・信者に比べて日本主義だけを特別扱い-ダブルスタンダード-し、暖かい同調的なまなざしで評価していることを見る。

つまり、星は赤松や曽野の仲間だということだ。

会ったのは二名

>阪神さん。

上原正稔が現地へ行き、会って、赤松元隊長に感謝していると言ったという人物は、金城武徳、大城良平の二人しか上げてません。二人とも、上原正稔が会うかなり前から、赤松擁護者として知られていた人物です。(拙HPhttp://keybow49okinawan.web.fc2.com/urasoe/songen2.html

赤松隊が行った数々の住民処刑については、上原正稔は全く触れてませんね。

感謝している人?

上原氏の「だからね、渡嘉敷村でも座間味村の人たちでも、実は赤松さんと梅澤さんには感謝しているわけですよ」という部分ですが、上原氏は感謝している人に会ったのでしょうかね。どんな謝意だったのでしょうか。
また、「赤松さんと梅澤さんを、今の窮地から救い出すことです。彼らの汚名を晴らしてあげることです。」とありますが、両者とも自決命令を出した証拠は出ていませんが、住民と兵士を独断で処刑したのは事実です。自決命令だけに目を向けて汚名を晴らしてやろうという発想は納得できません。

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キー坊@ウチナー

Author:キー坊@ウチナー
沖縄本島中部、巨大な米軍基地を抱える町の生まれ。
齢を重ねるごとに、沖縄戦へのこだわりが強くなります。
曽野綾子・『ある神話の背景』は沖縄を究極的な軍事基地にする目的を持っています。「集団自決」は沖縄戦の集約された出来事だと思います。『ある神話の背景』は沖縄への抑圧・差別の集約文書です。

HP・「その『神話』の背景」(文献・資料集)
http://keybow.co

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