2017-09

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曽野と赤松はなぜ隠したか? 

 1992年に、TBSテレビが制作したニュース番組・「陸軍水上攻撃隊」の録画DVDを、関西の「京の京太郎」さんから、送っていただいた。この中でも、マルレ特攻艇は「必死」の体当たりの攻撃艇ではなく、寸前で反転しながら爆雷を投下して、敵艦の横腹に穴を開けて遠ざかる生還型の攻撃法だったと、アニメーション入りで解説している。
だが、所詮安作りのベニヤ艇で実際の場面では、敵の攻撃から逃れる事は不可能だったのではないかと、取材記者は言っている。

しかし、戦史叢書の「阿嘉島・慶留間島の戦闘」では、次のような趣旨の記述がある。
http://www.okinawa-senshi.com/aka-geruma.htm
28日払暁4艇(大下少尉以下16名か?)を指揮して出撃した。4艇は米艦艇を攻撃し2艇は消息を絶ったが、2艇は敵中を突破して大下少尉以下8名が沖縄本島に到着した。戦果は撃沈1、炎上2と報ぜられ本行動に対し、牛島司令官は感状を授与した。

 第2戦隊のマルレ4艇が慶留間島から出撃し、3敵艦艇に損害を与え、2艇は沖縄本島に「転進」したのである。WILLで梅沢元隊長が「10人のうち5人くらいが生還できる」と言ったように、半分は生きて自陣地に帰れたのである。

赤松隊長が、3.25日の夜、「戦況有利ならざる時は、敵艦を撃破しつつ、那覇へ転進せよ・・・」の電報を受け取って悩んだと言っているが、かねての作戦通り、敵艦に接近、爆雷投下後の退避という攻撃を仕掛ければよかったのではないか?
曽野は「転進」を「退却」の同義語だというが、陸上の作戦ではそんな意味に使われる事が多いだろう。だが、生還型の特攻作戦では、出撃した陣地には戻らずに沖縄本島へ向かえという意味に受け取るのが自然ではないのか?それで、出撃しなかったのは隊長以下、特幹隊全体に「生への執着心」が有ったからだと私は思う。あの無数の敵艦隊に対しては、生還が不可能だとおじけたのではないか?

曽野と赤松が、マルレ艇進隊が「生還型」である事を隠し、生きて帰らざる体当たりの特攻艇であると、しきりに強調した(嘘をついた)のは、命惜しくて特攻出撃を止めた事への言い訳を作るためであり、その責任を戦死した大町大佐におっ被せるための欺瞞であると、私は推測する。
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コメント

直感的に生じる疑問

陸軍特攻艇は、確か7戦隊が沖縄に配備されたと思う。そのうちの3戦隊は慶良間に配備されている。
船舶司令官・大町大佐は、マルレ特攻作戦は全戦隊を同時に出撃させなければ効果の薄いものであるから、本島の他の戦隊の企図がばれないように、赤松隊の出撃を中止させた。そして陸上げを命じたが、「干潮」のためそれも成らず、やむなく自沈させたと、赤松元隊長は「ある神話の背景」で言っている。

しかし、赤松隊も、慶良間に配備された他の戦隊も出撃しないとなると、まもなく米砲弾の餌食になる事は目に見えていたはずである。

本島の4戦隊の企図を隠すために、慶良間の3戦隊をダメにしても良いと司令官が考えただろうか?という素朴な疑問が生じるのは小生だけだろうか?

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キー坊@ウチナー

Author:キー坊@ウチナー
沖縄本島中部、巨大な米軍基地を抱える町の生まれ。
齢を重ねるごとに、沖縄戦へのこだわりが強くなります。
曽野綾子・『ある神話の背景』は沖縄を究極的な軍事基地にする目的を持っています。「集団自決」は沖縄戦の集約された出来事だと思います。『ある神話の背景』は沖縄への抑圧・差別の集約文書です。

HP・「その『神話』の背景」(文献・資料集)
http://keybow.co

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