2017-04

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慶良間体験者との面談

 私が慶良間を訪ねたのは、これまで三回である。最初は2007年の夏に渡嘉敷島に行った。沖縄は狭いもので、この時、渡嘉敷の港で、当時小六だった姪に出会った。学校の夏休み研修で全学年で来たという。姪は今年琉大を卒業したが、哀しくも就職浪人しているらしい。

 この時は、私は渡嘉敷に関する知識も乏しくて、大して訪問の成果は得られなかった。面積の割に山あり谷ありで、険しい地形だという事が分かった。想像以上に観光客が多いと感じた。「玉砕場」に行ってみたかったが、「ハブに注意」の警告板があったので、単独行の故、降りるのを断念した。

 後に二回は、2008年3月初めごろと2013年5月末の座間味行である。
 2008年の時はその年の初めに、宮平秀幸藤岡信勝と一緒に、那覇でやった記者会見、即ち梅澤隊長は助役ら5人の申し出を断り「決して自決するでない」と言ったとの証言と、野村正次郎村長が忠魂碑前で、「隊長の命令で、自決はせずに解散せよ」との訓示ががあった、との秀幸証言があった会見である。


             宮里米子
        宮里米子 1987年頃 (仲程昌徳・大石芳野「沖縄の現像』より)

 私は、その真偽を秀幸に直接会って確かめたかったからである。しかし、経営する民宿「高月」に行ってみたら、誰も不在だったので、ひとまず退去して、同じく民宿を経営していた宮里米子の所に行った。
 藤岡が、村史米子証言にある「集結命令に従って、忠魂碑に向かっていたら、忠魂碑前から引き返して来た知念忠次郎老人に『もう解散だ、銘々自分で(自決)せよ』と言われた」という事に目を付けて、それを藤岡が米子に確認に行ったところ、彼女はそれを肯定した。だから、秀幸の証言が裏付けられたというものだった。

 その事を米子にあって、聞いてみようと思ったのであるが、玄関前で会った米子は民宿の仕事に忙しそうであり、「私が言った事と違う事を書く人が多いので、もう何も言いたくない。これから買い物に出かける」、と面会を嫌がっていたので、2~3分の立ち話で終わった。
 だが、「藤岡さん?誰かな」と。 
 私「秀幸さんが、野村村長が忠魂碑前で『軍命令による自決中止・解散』と演説したと言ってるのですが。」
 米子「そんなこと聞いたことない」。
 私「知念老人から、『解散・自決中止』と言われたことになってますが?」
 米子「知念のおじいさんからそう言われたので、引き返した。軍が解散とだ言った事は戦後になってもそういう事だった。野村村長の演説話は戦後も聞いた事はない。秀幸のところに行って聞いてみたら?あれは今隠居して暇だから、よく話してくれるのでないの。」
 
 忙しい商売を邪魔しても悪いので退散した。
 再び、高月に行って呼び鈴を押しても、また反応無かったが、裏から息子らしき色浅黒い四十歳がらみの男が出てきたので、父親の証言について聞いてみた。
「父は昨日、心臓の発作が起きて急ぎ本島の病院に運ばれた。もう大丈夫だとのことである。父とは戦争の話は1回もした事がない。先日の記者会見の内容は、今まで言ってきた事と矛盾しているという事は聞いている。だが、自分は何も知らない。しばらくしてから、電話で父に聞いて見たらよいですよ、けっこう何でも話してくれますよ」との答えだった。

 米子と秀幸息子の秀幸への言いぶりからは、秀幸は虚言癖を除けば「善良な一家の主」の印象だった。
 東京の住処に帰ってから(大江岩波裁判の直後)、高月に電話してみた。秀幸本人が出たので、多少詰問調に単刀直入に、記者会見でいった事は本当の事ですか?と聞いた。
 秀幸「もちろんそうそうですよ。年月が経っているので、細かい事はズレているかもしれないが、隊長が自決するなと言った事は本当だ。」というのが、電話のでの答えの趣旨である。やはりというか、秀幸には裁判の原告敗訴への悔しさは感じられなかった。自分の証言が認められなかったという事に不満があるという感じを受けた。

 この時期は「教科書検定」問題や米軍犯罪で、沖縄社会に不満が高まっている時期だった。座間味を引き上げて本島に戻った翌日には大雨の中、北谷のグラウンドで抗議集会が開かれていた。レイプ体験を持つというキャサリン・ジェーンさんが、サングラスをかけてメッセージを述べていた事を覚えている。
 帰郷して数日後に、大江岩波裁判の原告敗訴の1審判決があり、座間味の人達が大喜びしているニュースが流れていた。

 次に座間味を訪ねたのは、一昨年大型連休明けの時期である。この時はできるだけ多くの戦時体験者に会おうと思って、行ったのであったが、実際に面会できたのは宮里米子一人だけだった。(続)
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コメント

出口確並

昔、「ある神話の背景」の復刊を巡り海竜社でクライン孝子が曽野綾子に会ったとホームページに載せてすぐ、「出口確」なる中学生を名乗る者が復刊要請を始めたと指摘したことがある。 要するにクライン孝子が中学生になりすましたのだ。名前からして曽野綾子の願望を示しているし、「切りとられた時間」で曽野綾子が松川の兄さんをもじって石川防衛隊の心中事件を書いたのと似た発想。

精善なる者が座間味に実在するかは怪しい。証言内容が詳しくないし、いつ、どこで誰が証言を聞いたか明らかにしていない。 高裁結審の後というのも怪しい話で裁判所に提出できるようなものではなく、当時死んだ村長が秀幸の母に圧力をかけた話同様、作り話の可能性が高い。

宮平精善とは?

和田さん、この藤岡の論考を初めて読みました。
精善証言の出どころは何処でしょうかね?
もしかしたら、野村村長も来てたかも知れないですが、「自決中止」の軍命令があったとの証明にはなり得ません。

宮平精善

正論情報
http://www.eis-world.com/template/eiscolum/seiron/081105.html
「 しかし、この2つの証言には、「村長」という言葉が登場しない。誰か指導者が「解散」と命じたことは確かであっても、それが村長だったとは限らないとする議論の余地があることになる。
 しかし、その空隙を埋める第三の証人を、控訴審が結審したあとではあるが、10月になって見つけることができた。当時14歳の宮平★精善★(★内にルビ付く せいぜん)(秀幸と同姓だが、直接の親戚関係はない)は、自宅に家族とともにいたところ、「村長命令で忠魂碑前に集まれ」という話が人伝えに伝わって来た。村長命令は軍命令に基づくものだという。そこで母と2人の弟の、家族4人で忠魂碑前に向かった。ところが、学校の裏手まで来たところで、引き返して来る人に出会った。その人は、「★村長命令で★(★内に傍線付く)、この状態では(集団自決は)ダメだから解散するということになった。各自の壕に帰るようにとのことだ」と伝えた。そのあと、照明弾が落ち、直後に艦砲が激しく撃ち込まれた。精善は、まさに村長命令の直後に忠魂碑の近くまで来て、その情報を耳にしたことになる。
 これで、忠魂碑前における村長の「解散命令」は見事に証明された。宮平証言は完全に裏づけられたのである。」

この情報はいくらか拡散されているが、あまり流通していない。
「そのあと、照明弾が落ち、直後に艦砲が激しく撃ち込まれた。」というのが奇妙。
流布情報は艦砲をきっかけに解散である。そうではなくて村長命令で解散したというのであれば、その後忠魂碑に止まる理由がないはずだ。

控訴審が結審した後、証言収集者の名前すら記載せず雑誌に記載する情報など信用性がない。

流れ解散

鴨野藤岡等は、解散なら統率者がいると決めつける。三々五々解散する例はいくらでもある。解散の原因は艦砲の忠魂碑への命中(現在も写真で弾痕を確認出来る)だという多数の証言を無視している。 証言の中には、散り散りとなったとの表現もある。 指図ではない何かをきっかけにちりぢりになるのも解散という結果の一類型であることに間違いはない。

訂正

解散のキーワードの初出は「挑まれる沖縄戦(沖縄タイムス)2008.1.31」でした。
これを読んで藤岡らが嬉々として米子さんに会いに行ったのかもしれませんねw

ありがとうございます

判決直前の頃は、原告応援団は最後のあがきをしてたのですね。

米子は秀幸に対する信頼の情は、全然無いようでした。

米子さんは村長命令とは言っていない

宮里米子さんの証言は26年前に月刊の世界4月号にあります。
世界526号(岩波書店)1989.4石川文洋著
http://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1444193802.jpg.html

そして19年後「挑まれる沖縄戦(沖縄タイムス)2008.1」
http://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1444193784.jpg.html

そして1ヵ月後に『証言 沖縄「集団自決」謝花直美2008.2.20』
http://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1444194783.jpg.html

ここで初めて米子さんの「解散」というキーワードが登場します。
しかし村長命令の解散とは言っていません。

そして1ヵ月後に発刊された「諸君2008.4鴨野著」
http://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1444193734.jpg.html

同月には「正論2008.4藤岡著」
http://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1444193743.jpg.html

2年後に、ド負けした腹いせに書いた「正論2010.7藤岡著」↓頭にh付けて
ttp://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1444193762.jpg.html

はっきりしている事は、米子さんは村長が解散命令を出したなどとは絶対に言っていない事です。
鴨野と藤岡の悪質な印象操作に騙されてはいけません。
鴨野、藤岡バカ講師ども、反論してみろwww

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キー坊@ウチナー

Author:キー坊@ウチナー
沖縄本島中部、巨大な米軍基地を抱える町の生まれ。
齢を重ねるごとに、沖縄戦へのこだわりが強くなります。
曽野綾子・『ある神話の背景』は沖縄を究極的な軍事基地にする目的を持っています。「集団自決」は沖縄戦の集約された出来事だと思います。『ある神話の背景』は沖縄への抑圧・差別の集約文書です。

HP・「その『神話』の背景」(文献・資料集)
http://keybow.co

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