2017-03

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安倍晋三は独裁者か?

 安保法制の強行採決、TPPの強行推進、庶民を苦しめる消費税増税と法人税減税、企業の利益を上昇させて底辺の青年を貧困にする派遣法改悪、辺野古基地工事強行等々、民意を無視して数々の悪政を強行突破している安倍内閣の首相・安倍晋三は独裁的権力の持主のように見えるかもしれない。

 法案成立後の、昨日の安倍の記者会見における、彼の態度は達成感にあふれていて、安定感に満ちているよう見えた。だがしかし、言葉の調子は浮薄感に満ちているように私には思えた。

バカ宰相
 これだけの独裁力を駆使しているように見える安倍の力の源泉は、彼自身の政治的能力に由来するものなのか?彼は最初の首相在任の時は、2007年の参院選で民主党に敗れたに関わらず、任期継続を宣言したのだが、その直後に辞任を表明し、投げ出すような形で首相の座を降りた。その時は、誰しも彼が再び首相に返り咲くとは想像しなかっただろう。

 2009年解散総選挙で、自民党は民主党に大敗し政権を奪われた。だが、その前後から、権力からの民主党の小沢・鳩山の対米従属からの脱却を図る幹部への弾圧が始まった。その結果、鳩山は首相の座から追われ、小沢は政治資金規正法違反をでっち上げられて、長い裁判に引きずり込まれて大きく勢力を削がれてしまった。
 それを側で見ていた菅直人が引き継いで首相になったのだが、彼は対米従属の日本の権力機構を見て、怖れおののいたに違いない。自分も対米従属になる約束で首相にさせてもらのである。売国奴の誕生であった。

 菅は首相になって直ぐ、「消費税増税」「TPP参加」を打ち出して、国民の反感をわざと買い、2010年の参院選では惨敗するように画策した。その訳は近い将来に、自民党に「大政奉還」する為の予備工作であった。菅の意図的な失政、東日本大震災の襲来によって、菅も辞任し役目を終えた。
 後を継いだ野田佳彦は元からの対米従属政治家である。当然、わざと国民を失望させるような政治のやり方をして、その最たるものが、自民党総裁に返り咲いていた安倍晋三と結託しての消費税増税の国会採決であった。民主党政権に失望した庶民が、次の解散総選挙では自民とに投票するのは、自然の成り行きとなった。

 政権の再交代が濃厚になった2012年の自民党総裁選で、野党時代に総裁を務めていた谷垣に代わって、安倍が返り咲いた事に私は意外に思い、これは何なのだろうか?と訝しく思った。一度、自民党の総理(総裁)を辞めた者が、再び復帰するには大変な政治的実力が必要であるのではないか。腹痛を理由に政権を投げ出した政治家にそんな力があろうか?国会での答弁などを見ても、彼にそんな知力も胆力もあるはずはない。

 要するに、安倍晋三はおつむの弱い男なのである。あのアメリカの息子ブッシュも、おつむの弱い大統領だったから、アフガンとイラクに二度も侵攻して、苦もなく多国籍軍産共同体に貢献したのだ。

 それ故に、アメリカのジャパンハンドラーたち、及びその影響下にある日本の官僚機構も、安倍晋三を再び日本の宰相に持ってきた訳は、自分たちのやらせたい事を、おつむの弱い彼にためらいなく実行させる為だった。谷垣や石原伸輝では安倍みたいに飼い犬の如くには、させ難かったものと思える。
 バカ・アホな宰相と言っても、安倍は今軽く見ていられる存在ではない。巨大権力に取り立てられたロボットとして、何でもやってしまう宰相として、今までで一番恐ろしい政治家かもしれない。
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コメント

米子インタビュー

 本記事に書こうと思いましtが、時間的余裕がないので、コメント欄に急ぎ、宮里米子さんとの談話を掲載します。2013年5月下旬@座間味

キー坊 あのー、宮城初枝さんと収入役と助役と…、5名一緒に…、
 米子  高又(たかまた)に、

 キ いえ、本部壕に…、
 米 あそこは高又と言うんだよ。

 キ ええ、そうだね。「爆弾を下さいと…、」と言ったけど、断られたというその話はね、嘘だというんですよ。
 米 いや!私聞きましたよ。その話ホントだと思うよ。

 キ 初枝さんから聞いたことある?
 米 ハイ、ちゃんと聞いて、誰々と一緒に行って、…… 隊長さんからこうこう言われたと、帰れ!と怒られたと、聞いたよ。

 キ すると、これが世の中に知られる前に、そういう話も、既に米子さんたちにはしていた訳ですね?
 米 ネェさんはもう、近所で毎日会ってたから、「よねこ―、ねぇー」と、戦争の事をね、先輩だからあっちはね、聞かしてくれたよ。だから、その話はホントだと思いますよ。

この対話は、90分くらいの内の2~3分の事です。

私に証言

和田さん、
>宮里米子が誰に証言したのかも重要です。

私が直接、座間味で宮里米子から「取材」しました。しかし素人の哀しさ、何時ごろ米子が初枝から、その話を聞き始めたのかを確認してない事に、後で気づきました。埼玉に帰ってから、聞いてみようと電話しましたが、常に不在で連絡取れなかったです。
 2013年5月から6月にかけて記事で、その辺の経緯を書きました。私と米子との会話は録音してますので、その部分を文字起こしして、次の本記事で述べましょう。

原告被告双方から引用される証人

キー坊さん
「宮里米子は初枝から、本部壕訪問・爆薬授与拒否の話を聞いていたと言っていた。」というのは、いつ頃のどのような情報でしょうか。 座間味の元郵便局長と宮里米子については、原告と被告など異なる立場から自分達の主張が正しい証拠として引用されています。
まず、時期の問題では1977年宮城初枝が娘に告白した時点より以前ということがはっきりした情報であれば宮城初子の証言の確実性を補強するものですが、以後だとほとんど意味はありません。以前であれば、主張の一貫性があると判断されるが、以後であれば軍命令の主張を変えたと判断されます。
狼魔人や原告が宮城初枝は一貫して軍命令を否定したと主張するものの伝聞者や時間を特定した証言を提示したことはありません。一般的・抽象的に断定しているだけ。

また、宮里米子が誰に証言したのかも重要です。たとえば「作る会」の藤岡信勝は宮平秀幸その他の証言について、明らかに誘導尋問と自作自演の手法を用いています。
同じ類型の証言は伝聞者、細かい時間点空間その他の関係で多くの証言と比較対照しないと証言者・伝聞者の誤解、証言者・伝聞者の恣意を排除できません。

http://blog.goo.ne.jp/taezaki160925/e/2b955008032d299d1a38a20690ba799e
上記でかの狼魔人は、「村長が忠魂碑前の広場で「訓示」をしたことは事実である。(多くの証言あり)」としている。具体的には宮里米子と知念久次郎の会話を指すようだ。そこで検索し
http://www.fujisan.co.jp/zasshi-kensaku.asp?sid=341719&q=%92m%94O
上記をみつけたが、文字化けがひどくて記載内容自体わかりにくい。
http://www.jiyuushikan.org/pdf/ikensho2.pdf
藤岡信勝が裁判所に提出した上記意見書にも宮里米子と知念久次郎の会話は記載されていない。(PDF検索ツールにより検索)
宮平秀幸証言については阪神さんが詳しいと思いますが、死亡した村長を持ち出して創作をするような藤岡に村長が忠魂碑で演説をしたという証明が出来ているのでしょうか。

朝日の安倍特集

天木直人氏のブログによると、朝日新聞が安倍首相を検証する特集を開始しているという。http://new-party-9.net/archives/2737

それによると、前回辞任の12日後に、安倍は慶応病院で、辞任の理由は「潰瘍性大腸炎」であると、記者会見していたそうである。

しかし、当初の理由は「政局を打開する」ためのやむを得ざる辞任と言っていた。
朝日は安倍の病気が、突然辞任をしなければならないほどの重篤のものだったのか、と疑問を呈している。
結局小生の観察通り、「ジャパンハンドラー」や官僚から、「辞めろ」と言われたのが突然辞任の理由である事を、朝日は示唆しているのである。

おつむ弱く、気の小さい安倍は、再度自分を拾い上げてくれた「ジャパンハンドラー」や官僚の恩に報いるために、言われるままに、何でもやってしまうのだ。

記述と事実との齟齬

阪神さん、ご返信有難う。この情報を保存してたのですが、タイトル・著者名を記入してなかったので忘れてしまい、お聞きしたのです。
『鉄の暴風』もそうですが、私が調べた限りでは、座間味に関する本田靖春・川田文子の記述についても似たような事がありました。
http://keybowokinawan.blog54.fc2.com/blog-entry-308.html
宮城初枝の子の晴美や他の当事者に確かめてみたら、事実とはずれたものになっていると解りました。少しの違いでも、責任論に関わる場合は重大な事です。

同じ戦後生まれでも身内に犠牲者が出なかった事が、啓美と晴美の違いでしょうね。

女も戦争を担った(川名紀美)冬樹社

キー坊さん

女も戦争を担った(川名紀美)冬樹社、1982です。

啓美と蓉子の矛盾

 和田さんおっしゃるように、(曽野に同調する事ではもちろんないが)伝聞で書かれた証言には事実と異なる事が多くなるでしょう。問題はそれ記述する者が自分の思い入れを出しすぎて、違う方向にもって行ってしまう事です。敵を利しかねないからです。
 この本の後書きで証言している、伊礼(古波蔵)蓉子を伯母に持つ源啓美(みなもと・ひろみ)さんは戦後生まれであり、『ある神話の背景』を読むまでは、故郷の戦時中の事には興味が無かったと言ってますね。彼女は直接体験者ではないです。

 源啓美さんの証言は、沖縄県史にある渡嘉敷青年団の匿名座談会で、K(古波蔵蓉子)が証言している事とは矛盾してます。県史は1974年に改訂されていますが、初版は1971年だったと思います。啓美さんは「伯母は戦後まもなく、逃げるようにして島を出た…。しかし、那覇とは目と鼻の先の、渡嘉敷島には決して帰ろうとしない。」と言ってますが、県史にある4名の元女子青年団員の座談会は何処でもたれたのか、4名とも本島に居たのか?と、疑問が湧きます。
 阪神さん、この啓美さんの証言を載せている本の著者は誰で、どんな書名でしょうか?http://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1432811133.jpg.html

 兵事主任の富山真順氏が曽野に証言した「手榴弾2個を渡され、1発は敵に投げて、もう1発は自決用に…」と証言した事を、Kが証言している事は、富山氏の証言は事実であった事の補助的な証拠になります。また、富山氏が曽野に面会した場所が、村にただ一つあった旅館であり、それを蓉子の母親が経営してたというのも面白い事です。曽野はこの時期までに、何度も蓉子と面会し、証言の聞きだしを重ねていたのは確かでしょう。

伊禮蓉子と阿波連後発隊の謎

阪神さんのhttp://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1432811133.jpg.html
によれば、伊禮の母は自宅に止まっているようだ。ところが狼魔人の
http://blog.goo.ne.jp/taezaki160925/e/c69ae488d47abce9a3e9dadeeae2deb6
のK伊禮談によれば「恩納河原を出て玉砕場へ向かっている時です。Mのお祖父さんは寒さのあまり、気絶しているのを家族は早合点して、捨てて先に行ってしまいましたが、この人が生きがえってちょうどそこを歩いていた私にとりすがってつれていってくれというのです。私は母をおんぶしているし、どうにもならない」と母をおぶって玉砕場に向かっていたと発言している。 母は阿波連に居残ったはずではなかったか。Kの発言を細かく見れば、自分自身が体験したことばかりでなく、他人から伝聞したことも書かれていることがわかった。 これは何も伊禮に限らず、金城牧師や宮城初枝も他人からの伝聞が多い。
金城牧師の万歳三唱などは伝聞で原告は伝聞が多いと非難する。しかし、宮城初枝が座間味戦記のすべてを書いたなどという原告の主張は虚偽。内容を見れば、多数の体験者の証言を纏めたものとすぐわかる。
K伊禮証言全体は自己の体験以外のこともかかれているし、私たちが知りたいことを証言していない。
伊禮は情報隠しをしているのではないか。

http://www.vill.tokashiki.okinawa.jp/wp-includes/pdf/jiketsu03.pdf
によれば、阿波連死者154人。これは29日米軍が谷で見つけた200人のうち死者見積と同じ数値。(米軍は50人程生き残っていると見積もっている)。 28日13時頃の第一玉砕場は北山盆地の北側で碑のある場所。谷ではない。
フィジガーという谷川や儀志布はもう少し北に下がった場所。28日午後6時からの阿波連先発隊自決はフイジガーと見られる。渡嘉敷部落は盆地の中の第二自決場ヒータティヤで実際には米軍の砲撃で死んだ者が多いという。 著作名と証人のメモが行方不明となり、原典を引用できないが、2009年頃私が本屋で立ち読みした本に阿波連後発隊は本部壕の近くで夜を明かすことが出来たという証言が掲載されていた。 数字上、阿波連死者のほとんどは先発隊で阿波連後発隊の死者は限りなく0に近いように思える。
果たして、伊禮蓉子等の本部壕近くでの睡眠後の軌跡はどうだったのか。青年団匿名座談会の伊禮発言ではフィジガーよりもっと北の儀志布に50人程いたようになっているがどうだろうか。

上記に関し
http://www16.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/1004.html
の下方に1945年4月上旬の「海上挺身第三戦隊複廓陣地配備概瓔図」を見ると
儀志布島に南面する場所(ジーシップ、儀志布)に住民が居たことになっている。渡嘉敷部落の住民の多くは恩納河原に帰還したとされ、阿波連後発隊と見ることが出来る。そちらへ向かい、止まったのはリーダーの発案か、それとも軍の誘導だろうか。 石田記者のレポートでは阿波連部落で赤松隊を宿泊させた者は赤松や皆本への評価が高いという。また伊禮・大城良平・金城武則など阿波連には熱烈な赤松支持者がいる。

そうすると赤松等が阿波連後発隊を保護したことも考えられないわけではない。新城(富山)兵事主任が軍の命令を伝えるのが本筋だが、巡査や伊禮は押しかけ自ら伝令を志願したととれる。赤松は協力者には礼を尽くしたと云うことか。

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Author:キー坊@ウチナー
沖縄本島中部、巨大な米軍基地を抱える町の生まれ。
齢を重ねるごとに、沖縄戦へのこだわりが強くなります。
曽野綾子・『ある神話の背景』は沖縄を究極的な軍事基地にする目的を持っています。「集団自決」は沖縄戦の集約された出来事だと思います。『ある神話の背景』は沖縄への抑圧・差別の集約文書です。

HP・「その『神話』の背景」(文献・資料集)
http://keybow.co

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