2017-10

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星 雅彦の資質

 曽野綾子は渡嘉敷島の『集団自決』について記された第三の資料として、1970年、沖縄タイムスのコラムに掲載された作家・星雅彦の文章によってその存在を知ったと言う。これが琉大図書館に在った「渡嘉敷村における戦争の様相」という事である。この中には赤松隊長の自決命令は書かれてない。これは『概要』よりも後に書かれたに違いなく、村長らは隊長の自決命令を確認できなかったので、記述を削除したのだという根拠にしていた。

 しかし、それは曽野の勝手な判断である事が、伊敷清太郎氏の綿密な検証によって否定された。当ブログでも書いたように、『様相』は『概要』の草稿である事が明らかなのである。

星雅彦 タイムス1973612
 1973年6月12日沖縄タイムス

 1970(s45)年3月下旬に、赤松嘉次元隊長が沖縄を戦後訪問した直後の4月上旬、星雅彦は沖縄タイムスコラムにその件に関して文章を書いている。
 自分(星)が知っている渡嘉敷島の「集団自決」について記載されている資料は三つある。一に『様相』、二に『鉄の暴風』、三に『概要』と書いているのだが、「不思議なことには、 一、二、三は、どれか(一か二)を模写したような文章の酷似が随所にあるのである」としている。

 このコラムの「模写したような文章の酷似…」の文言が曽野の目に留まり、それを利用されたのである。もちろん、最初に書かれたのは執筆年代(1950)が明記されている『鉄の暴風』である。その後に、伊敷氏の検証のように、『様相』とその後に『概要』(1953)が書かれたのである。文章が酷似してることは、古波蔵元村長らは自分ら証言したとおりに、『鉄の暴風』の執筆者・太田良博は書いているので、そのまま真似て『様相』と『概要』に書き写したものと容易に推測できる。
 
 他者が書いた文章をそのまま真似する事は、褒められた事ではないかもしれない。しかし、そこには何の矛盾もないのである。戦争を体験した自分らが証言した事を、プロの記者がそのまま書いていて、その文章を真似しても、事実が歪められる事はないのである。
 曽野綾子は、太田氏が「伝聞」で書いた「隊長命令」を『概要』・『様相』の作者が引き写して、「神話」をでっち上げたとのトリックを作り上げたのであった。たとえ、「隊長命令」の存否が不確定なものとしても、「神話」のでっち上げにはならないのである。

 ところで、このコラムを書いた星雅彦は当時41才の若手文芸評論家だったのであるが、若手と言っても40代である。三戦記の文章が酷似している事を何で「不思議なこと」と思うのであろうか?太田良博が書いた『鉄の暴風』を真似て『様相』『概要』が、米田元村長らによって書かれたと推測するのは容易ではなかったのか?
 もし、「不思議なこと」と星が思ったのなら、何でまだまだ健在の太田良博、米田元村長に取材しなかったのか?評論家としての資質が問われる所である。

 星雅彦は「風見鶏」の沖縄の有名文化人だったのである。権力に寄り添いたい体質の文化人だったのであるが、当時の沖縄の旧日本軍告発の風潮には逆らえなくて、赤松隊長の弁護に回れなかった。それから40年余、戦後60年余も経ってから、浦添市の公文書『うらそえ文藝』でもって、権力に寄り添う意思を表明し、『桜』『正論』などで自らの体質を暴露したのであった。老醜を晒すとはこの事ではないか。
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コメント

タバコ

私は昔からタバコは吸いません。 ある神話の背景のタバコ記事から以下の想像ないし推測が浮かびます。 1 どんな理由であれ、曽野は赤松隊の苦労話を書いておきたかった。住民の苦労話の記載分量と比ぺればすぐわかる。 2 事実ならば、赤松隊と接触した時間が相当長いと推測される。 3 想像で書いた文章であれば曽野の事実改竄の意思の堅さを思い知る。

恩賜のタバコぷかぷか

キー坊さん、するどいですね、私は吸いません。

サウスポーさん
キー坊さんの言われた通り、限られた範囲なら見えます。
現代と違い、当時は暗いので星明りだけでも風景が見えたほどです。
石垣島では星明りで道がはっきりと見えたそうです。
赤松は恩賜と思われるタバコを吸っていたようですが、将校の役得ですね。
一般の隊員は吸えなかったはず。
松の葉やフーチバー、タンポポを枯らしたのを吸っていたようです。

タバコの灯り

サウスポーさん、こんにちわ。

私は25年前にタバコをやめました。私の勘では、さんげつ、和田、阪神の三氏もタバコ吸わない人だと思います。
昔の記憶から言えば、タバコを吸いこんだ時、1~2秒光度が増す事があります。戦時中の暗闇の中では、それだけでも頼りになるでしょうが、見える範囲は5~6十cmくらいのものでしょう。

タバコ

こんばんわ。サウスポーです。
『ある神話の背景』の110ページ、一行目の、

彼らは夜になっても掘った。赤松隊長自身も掘っていた。タバコのあかりで地面を見ながら掘った。

 どなたかタバコを吸われる方に質問なんですが、夜にタバコのあかりだけで地面を掘れるのですか?

無知な大学教師

和田さん、情報をどうも。
一般的大学教員の「ある神話の背景」についての知識はこんなものでしょうか?
これから私からもコメントを入れておきます。

一週遅れの不勉強な人

http://d.hatena.ne.jp/k-hisatune/20150713
上記大学教授(副学長 ?)らしき人が曽野綾子の「集団自決の真実」について7年遅れのような記事を書いているのでコメントしておきました。

田島氏サイトも

 サウスポーさん、コメントを度々有難う。
 まとまりない拙ブログを読み込んで下さるとは、嬉しい事です。

>わからないことがあればブログに質問してもよろしいですか?

もちろん、よろしいです。非公開的に質問があれば、「管理者にだけ表示を許可」をチェックしてコメントしてください。

このブログよりも濃密・体系的に書かれているさんげつさんの著書・ブログ、及び以前このブログによく『ある神話の背景』告発のコメントをくれていたni0615(田島直樹)さんのサイト(沖縄戦資料)もご参照ください。
http://www16.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/1415.html

おはようございます

サウスポーです。
キー坊さん、阪神さん返事ありがとうございます。

>サウスポーさんは沖縄在住なので、私より調べやすい環境にあると思います。ついでの時にお調べ頂ければありがたいです。

はい、何かわかったら連絡します。

阪神さん
>私は東京都に住んでいます。出身は所沢です。米軍の通信基地がある所です。辺野古へ基地を移設するなら所沢に持ってきてもらいたいものです。
その後、アメ公を叩き出しますw

心遣い感謝します。 所沢の方なのですね。 アメ公、久しぶりに聞きました。 

私は今、キー坊さんのブログの過去記事や、「検証『ある神話の背景』」などを読んで、基礎知識を取り込んでいるところなので、今は議論に参加するのは、時期尚早だと思います。なので頻繁にはコメントできません。でもブログは見ていますよ。
私のわかる範囲で、知識の及ぶ範囲で貢献できることがあればコメントしてきたいと思います。

キー坊さん、わからないことがあればブログに質問してもよろしいですか?
それとも別のルートとかありますか?

星克

サウスポーさん、そうでした。
私が物心付いた時、星克は保守政党の立法院議員でした。「ユンタ」の作詞者である事は、ずっと後になってから知りました。

私が星雅彦を戦後改姓した、とするのは臆測に過ぎません。が、江崎と恵は「ニセ」が確定です。

八重山は明治期から大和人移住者が多い土地です。星克もその血筋の可能性はあります。魚釣島で事業した古賀氏は、福岡県出身で石垣市を本拠地としてました。
現市長の中山氏も大和血筋の可能性があります。

両星氏、中山氏については憶測の域を出ません。サウスポーさんは沖縄在住なので、私より調べやすい環境にあると思います。ついでの時にお調べ頂ければありがたいです。

わかりにくいですね

誤解させてしまう箇所がありました。

>櫻井よしこ氏、星雅彦氏、惠隆之介氏など他何人かの方が寄稿をしていますが、上にあげた三方のなかで、星氏だけが、「那覇市  一九三二年生まれ」と記述されており、「那覇市生まれ」とは書いておりません。

これでは櫻井よしこ氏、惠隆之介も那覇市出身ということになります。言いたかったことは、櫻井氏と惠氏がそれぞれ出身地を明記しているのに、星氏だけが出身地を明記してないという意味です。申し訳ありません。

おはようございます。サウスポーです。
キー坊さん、阪神さん、素人質問に答えて下さりありがとうございます。

  さて、星雅彦氏についてですが、私がキー坊さんに、星氏は以前は星姓ではなかったのですか?改姓したとご本人がおっしゃっていたのでしょうか?としつこくきいたのは、もし、星氏が改姓したと発言したのなら、県外の方かもしれないという仮説が立てられると思います。しかしキー坊さんは、私もそれを知りたくて、気になっているとおっしゃっているので、現段階で私の考えを述べたいと思います。

 星姓はすでに明治には沖縄に存在しています。現在、那覇に住んでいる星姓の方はわかりませんが、石垣島にはいました。昭和九年に『新安里屋ユンタ』という民謡が誕生しました。作詞を担当したのが石垣島出身の星克という人物で、この方が明治生まれです。このことから、キー坊さんの戦後改正派でしょうという推論は、明治に石垣島で星克さんが存在していた以上、今のところ臆測の域を出ないと思われます。

また、私の手元にある、閣分社発行の『沖縄世論 特集 これでいいのか沖縄の新聞』2013年冬季号には、櫻井よしこ氏、星雅彦氏、惠隆之介氏など他何人かの方が寄稿をしていますが、上にあげた三方のなかで、星氏だけが、「那覇市  一九三二年生まれ」と記述されており、「那覇市生まれ」とは書いておりません。
現段階では、

戦後改姓派ともいいきれない。又、沖繩出身ではないともいいきれない。

ということになると思います。今いえるのはそのことくらいでしょうか。
なんとも味気ない答えで申し訳ありません。

星の戦前志向

http://star.ap.teacup.com/minaki/
上記南木ホームページより、星が梅沢と赤松の敗戦後の生き様に感謝しているという内容の手紙を梅沢遺族 ?に出していることがわかりました。
政治的に文部科学省が教科書書き換えを強要したことを裁判勝利と関連づける被論理性から戦前の心情・信念を絶対視するカルトの姿を垣間伺うことが出来ます。

サウスポーさん

私は東京都に住んでいます。出身は所沢です。米軍の通信基地がある所です。辺野古へ基地を移設するなら所沢に持ってきてもらいたいものです。
その後、アメ公を叩き出しますw

>台湾から本土に移り住んで改姓することと、沖縄から本土に移り住んで改姓するのとでは何か条件の違いがあったのでしょうか?

条件の違いは戦時証言しか読んでいないのでわかりません。
ただ、台湾では本土人が一番、沖縄人が二番、台湾人が三番という序列があったようなので、沖縄の人は本土人と同じになりたいという思いがあったのではないでしょうか。
この序列は8月15日に突然、逆転しました。
台湾の人は琉球人と日本人を区別し、琉球人なら親近感を持って接してくれたという証言が多々見られます。
日本人だと憲兵とかは殺されたり、学校では教師がぶん殴られたりしています。
台湾で改姓していた人が戦後どうなったかはわかりません。
沖縄に帰ったかもしれないし、本土人として生きていったのかもしれません。
台湾にそのまま残ったという話はありませんね。
台湾に疎開していた人達は主に宮古、八重山出身なので直接船で帰っています。

>証言集では沖縄から本土に移り住んで改姓した人の証言などはありますか?
それは戦時証言ではないですね。
戦時証言は県史、市町村史、字誌が中心です。

沖縄の苗字(姓)について

 サウスポーさん、コメント有難う。
 貴方もウチナーンチュなのですね。

 拙ブログによくコメントを寄せる方は、さんげつ(伊藤秀美)さんはじめ、阪神さん、和田さん、それにかつてはni0615(田島)さんという研究家もいました。限られたメンバーですが、かれこれ8年くらい意見、情報を交換し合っています。
最初は、山崎行太郎サイトのコメント欄で交わしていたのですが、2009年に拙サイトを開設してからは主にこのコメント欄で、交換していると思います。決まりは無いですが、お互いに知り得たプライベートな事は、コメント欄では公表しないという事が最低限の事でしょうね。
 上の方達は山崎氏の本、或いは最近の篠原章の「不都合な真実」というヘイト本でも巻末に挙げらています。それだけ「ある神話の背景」への市井の研究家として知識豊富という事でしょうね。

>本土風に改姓した、一番の理由はわかりますか? これは慶良間の人達だけの現象なのでしょうか?

 いえ、慶良間だけでなく本島でも改姓した一家は多々あります。慶良間は戦前皇民化教育に熱心な気風が強かったし、戦後もヤマトへの憧れが残ったから、改姓した人が多かったのでしょう。私も団塊ですが、この年代までは大和で生活する際に、自分が沖縄である事はなるべく知られたくないというのが、その時代の感覚だったですね。

>星氏は以前は星姓ではなかったのですか?改姓したとご本人がおっしゃっていたのでしょうか?

 私もそれを知りたくて、気になっていると言ったのです。私は、星氏が自分の生い立ちとか、戦争経験について語っているのを読んだり聞いたりした事ありません。注文した時、ついでに『うらそえ文藝』事務局の女子職員に聞いてみたら、「先生は元々那覇の方だと聞いてます」と言ってました。


 私なりに沖縄人の姓(苗字)を分類してみれば、以下の3通りがあると思います。

1.沖縄に多く、しかも特有の苗字
 例、金城、大城、新垣、比嘉、玉城、知念、喜納、宮里、島袋、・・・
2.沖縄にも大和に多い苗字
 例、上原、山内、山口、石川、松田…
3.戦後大和風に改姓した苗字(私が知っている限りのもの)
 仲(中)村、米田、富山、宮村、源、宮本、坂口、天野、島田、町田 ……

 人口的には、1と2が大部分でしょう。だが、改姓したのではないが元々大和風に見える姓、例えば野村、富山、中山、松本などの少数派の姓もあります。

 惠隆之介、江崎孝は他県人の親から沖縄で生まれたニセ沖縄人ですが、星雅彦はよく分りません。多分3の戦後改姓派でしょう。

星姓について

はい、沖繩在住です。
他の方々はどちらにお住まいなのでしょうか?これはあまり聞かないほうがよろしいのですか? こちらのブログでの最低限の決まりなどがありましたら教示ください。

阪神さん 
>台湾にいた沖縄出身者は本土人からの差別を回避する為に改姓した人がいた  と、戦時証言に出ていました

たしかに、本土に移り住んだ沖縄出身者のなかには、改姓した人がいたことは事実です。私の親戚の中にも改姓した人たちがいます。彼らはかたくなに沖縄出身であることを隠しています。東京で校長をやってた人もいます…。 差別を回避するためだったのかもしれません、しかし同時に改姓しなかった親戚もまた存在しました。
 阪神さんに質問ですが、台湾から本土に移り住んで改姓することと、沖縄から本土に移り住んで改姓するのとでは何か条件の違いがあったのでしょうか? 
証言集では沖縄から本土に移り住んで改姓した人の証言などはありますか? よろしければその証言集などは文献としてありますか? 

キー坊さん 
>戦後戸籍を再編する際、慶良間の人によく見られるように、本土風の姓に変え  た人が多いからです。

本土風に改姓した、一番の理由はわかりますか? これは慶良間の人達だけの現象なのでしょうか?

キー坊さん
>星雅彦が、何故に星姓に成ったのか、気になる所です。

についてですが、星氏は以前は星姓ではなかったのですか?改姓したとご本人がおっしゃっていたのでしょうか?

両親が台湾にいた?

こんにちは。
キー坊さんとサウスポーさんも保留ですね。
台湾にいた沖縄出身者は本土人からの差別を回避する為に改姓した人がいたと、戦時証言に出ていました。
星の両親が台湾にいて本土人の苗字と同じにしたという可能性もありますね。
星のエッセイで両親の話などがあればいいのですがね。

星姓の所以

サウスポーさん。コメント有難うございます。
沖縄在住の方でしょうか。

星雅彦が、何故に星姓に成ったのか、気になる所です。沖縄在住でしたら、その辺りを探って頂けらと思います。

阪神さんへ

はじめまして。

初めて投稿いたします。

阪神さんの星姓についての考察ですが、
キー坊さんと同様、私も星氏を県外の方だと断定するのは留保いたします。
沖縄で二件、八重山で三、四件存在するのなら、可能性はあると思います。

新聞コピーからです

和田さん、
私は国会図書館でタイムスをコピーしました。星のコラムは70年に間違いないです。『ある神話の背景』でも、曽野は70年と書いているようですが?(wac56P~)

ですが、今回徳永信一相手に、69年に曽野綾子が訪ねて来たと言っているので、69年に曽野が星に会った事は確かでしょう。

伊敷氏の論考

 伊敷清太郎氏が唯一、マスコミに掲載したと思われる1985(s60)年8月の沖縄タイムス論考をアップしました。
http://keybow.co/ishiki/ishikinoginen.html
生真面目に、紳士的に、『ある神話の背景』を批評しています。私などは山姥相手に、伊敷氏のような紳士的態度はとれないですね。
氏は「軍命」の存否については、全ての論考において判断を避けているようです。

阪神さん、星雅彦を「ニセ沖縄人」と断定するのは、今のところ難しいです。戦後戸籍を再編する際、慶良間の人によく見られるように、本土風の姓に変えた人が多いからです。適当に探ってみましょう。

和田さん、曽野は秦郁彦との対談本で、富山真順との面会を認めています。家永裁判で偽証した事を認めたわけです。1969年以前から、慶良間関係の資料を集めていたことは間違いないです。
http://keybow.co/sono/sono.hata2.html
この対談では、「赤松隊の人たちに…口裏を合わせるかもしれないと用心して、一人ずつ会って聞く事にしたんです」と、また嘘を言ってます。それに、金城牧師を小馬鹿にする事を秦相手に言ってます。


1969/4/3 星エッセイ

http://d.hatena.ne.jp/yama31517/200810
私は、山崎氏の別巻のところへにある神話の背景に星のエッセイのことを書いていました。ある神話の背景にも記載していることです。8ヶ月ほど経て曽野は星を訪問し星のさまざまな思い込みを伝授され、さらに尾びれを付けたようです。

星は本土人

こんにちは。
昨日、徳島駅前の図書館で何げなく奄美の電話帳を見たのですが、ほし或はせい、の苗字は1件もありませんでした。
沖縄本島では2件、宮古無し、八重山では3、4件ありました。
東京の電話帳をみたら、あちこちで多数見られました。
私の職場にも星姓いましたし。
よって星は本土人でしょう。
このニセ沖縄人はいつから、どういう理由で本島に住み着いたのでしょうね。

白玉の塔建立

こんにちは。
曽野が渡嘉敷島に目を付けたコラムがどんなものか楽しみです。
曽野も自宅のパソコンでここを見ながら冷や汗かいているでしょうw
「いそとせ(沖縄県遺族会)1995」に玉井喜八氏による白玉の塔建立当時の話が出ています。
http://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1439985594.jpg.html
http://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1439985606.jpg.html
http://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1439985615.jpg.html
おい、曽野、45年前に渡嘉敷島に写真機持ち込んだだろう。
その時の写真を見せてくれよ。

曽野の嘘ハッタリ

さすが、和田さんは目敏いです。
『うらそえ文藝』今年度号を入手されたのですね。私はこの部分を読み過ごしていました。
これで、70年の「沖縄ノート」を読んだこと及び、赤松訪沖騒動を見て初めて、「渡嘉敷島の集団自決」に興味を持ったという曽野の嘘八百が確実になりました。

69年、『生贄の島』取材中に、曽野は富山真順、星雅彦らに面会していた事が確定したと言ってよいでしょう。この時から、赤松らと手を組んで、沖縄攻撃を企んでいたのです。

星のタイムスコラム・「45年前の事は昨日の出来事」より前に書いたというコラムを調べてみます。

星と徳永の対談Ⅱ

うらそえ文藝での星雅彦と徳永信一の対談には、おもしろい記事がある。
まず、24頁に星が「あれは69年の暮れのころ曽野綾子さんが尋ねて来ていろいろ集団自決のことを私に聞いていた。」とある。その前に星は「鉄の暴風の疑問点をタイムスのコラムに書いた」と語り、そのコラムを読んで曽野が尋ねてきたと語っている。引用すれば、「鉄の暴風を(戦争記録の聞き取り)並行して読んで最初はおもしろいと思った。展開がうまく書いてあるし、最初は疑問を持っていなかった。調べていくうちにつぎつぎと疑問が出てきた。そのことを私はタイムスのコラムにその読後感として書いた。」
引用文に従えば、コラムの内容は、つぎつぎの疑問つまり多数の疑問点を戦争記録の聞き取りと比較して指摘したということになるだろう。
http://keybow.co/hosi/hosidekigoto.html
しかし、1970年の上記の星コラムは鉄の暴風の疑問点を列挙したというよりは、戦争の様相、戦闘概要と似た表現があるというにすぎない。星が年を誤って引用したというより、やはり70年コラムとは別に69年コラムを書いているのではないか。

1969年に曽野が富山元兵事主任に会ったとされること、切りとられた時間で描かれた米軍基地が閉鎖(1969年6月)以前の生きた基地のように描かれている『ヘリコプターが来るんでしょう。このすぐ後に小さな岡があるんだけど、その岡の後っ側に、米軍のレーダー基地があるんですよ。そこへ着くことになってるけどね』ことからすれば、70年ではなく、69年に曽野は星と会っているのではないか。曽野は、兵事主任取材を否定する目的で70年と言っている可能性がある。
ましてや、70年の赤松沖縄入りや沖縄ノートが曽野綾子の「ある神話の背景」執筆動機だということはありえない。

次に徳永は高裁裁判官が和解提案をしたという。内容は「沖縄ノートの冒頭にまえがきを設け、そこに断り書きを入れることを提案してきたわけです。1970年に発行された当時は、真実と信じる相当性はあった。しかし、それが揺らいで、今は真実だと言うことはできない。その二つの事実を前提にしたうえで、・・・・新書として沖縄ノートを出版し続ける意義も否定できない、」というもの。しかし、両方とも和解を蹴ったという。 徳永の「真実だと言うことはできない」は願望であり裁判官が語ったものではないだろう。そうでなければ、原告敗訴とならない。せいぜい、真実だと断定は出来ない程度のニュアンスだったはずである。 そうでなければ、原告が和解提案を蹴ることはないはずだ。

星と徳永は富山兵事主任と金城牧師及び鉄の暴風に記載する軍の手榴弾配布が嘘と証明されたと力説するがとんでもない。
http://www.amazon.co.jp/%E6%B2%96%E7%B8%84%E6%88%A6%E3%80%8C%E9%9B%86%E5%9B%A3%E8%87%AA%E6%B1%BA%E3%80%8D%E3%81%AE%E8%AC%8E%E3%81%A8%E7%9C%9F%E5%AE%9F-%E7%A7%A6-%E9%83%81%E5%BD%A6/dp/4569706401
私は、上記秦郁彦の「沖縄戦「集団自決」の謎と真実」への書評で数日前に渡嘉敷部落のみに手榴弾が配布され、自決当日に新たに手榴弾が配布されたことを証明した。眼目は、阿波連部落人口は渡嘉敷の半分、阿波連住民は二分され、そのまた半分の阿波連住民が自決場フィジガー付近に集結した。自決前日が大雨であったことは山ほど証言がある。正午前後の渡嘉敷部落中心の自決ではほとんど手榴弾は不発だった。わずかに当日配布された2,3が爆発したらしい。数日前に配布された手榴弾がびしょ濡れになったことが原因だ。ところが、当日阿波連住民は本部壕から第二自決場へ移動することなく、フィジガーに止まり午後6時前後自決が始まった。他ならぬ上原正嶺が発掘した米軍従軍記者記事
http://dj19.blog86.fc2.com/blog-entry-146.html
上記に引用。記者は6-8発の手榴弾が爆発したのを聞いている。集められた住民の約1/5が阿波連部落にしては結構爆発しているといえる。 事実を基に冷静に解釈すれば、数日前に渡嘉敷部落にのみ手榴弾が配布され、自決当日阿波連部落と渡嘉敷部落に新たな手榴弾が配布されたとみない限り事実を説明できないことは明らかだ。

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キー坊@ウチナー

Author:キー坊@ウチナー
沖縄本島中部、巨大な米軍基地を抱える町の生まれ。
齢を重ねるごとに、沖縄戦へのこだわりが強くなります。
曽野綾子・『ある神話の背景』は沖縄を究極的な軍事基地にする目的を持っています。「集団自決」は沖縄戦の集約された出来事だと思います。『ある神話の背景』は沖縄への抑圧・差別の集約文書です。

HP・「その『神話』の背景」(文献・資料集)
http://keybow.co

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