2017-09

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作家・上原正稔の資質

 上原正稔は自分の肩書を「ドキュメンタリー作家」としている。英語で「document(ary)」とは、文書(の)とか記録とか公文書とかである。しかし、我々が普通に持つ「ドキュメンタリー」という用語のイメージは、例えば「、NHKスペシャル」、或いは朴壽南氏の「アリランの唄」などの記録映画にあると思う。

 上原正稔は80年代前半から米公文書館に保存されていた沖縄戦の記録フィルムを見つけ出し、それの購入資金を一般から募る「一フィート運動」を起案して、そのフィルムを編集して一般に公開するという運動を成功させている。よって、「記録映像作家」という意味で、「ドキュメンタリー作家」という肩書に相応しいだろう。

                  syounen umezawa
                        正稔と梅澤

 だが、彼は「一フィート」以外にも、著書としてのドキュメンタリー作品という著作を刊行している。資料はほとんどが、「米公文書館」等から、探し出した沖縄戦に関する戦時資料である。主に、米軍が公式に発表した公文書、沖縄に従軍した兵士の手記や証言資料(これらは総じてドキュメントと言える)を基に、それに自分の見解や解説、を注釈を加えたものであり、ドキュメンタリー作品と言ってよいだろう。
 主な著書、論稿を上げてみれば、以下の通り。
 
 『青い目が見た「大琉球」』 1987年(大型本)

 「沖縄戦トップシークレット」 1995年 沖縄タイムス社発刊

 「沖縄戦ショウダウン」 1996・6月1日 琉球新報連載

 「パンドラの箱を開ける時」2007/5/26~沖縄戦の記録 琉球新報連載

 「人間の尊厳を取り戻す時」(論考)2009.5月『うらそえ文藝』14号

 最初と最後を除いた三作は、アメリカの軍事記録、従軍兵士の手記から材料を得たものである。上原正稔はそれらの材料の全てが事実でるとの前提で、解説や注釈を付けているのではないかと思える。
 彼が慶良間の「集団自決」における隊長の自決命令、いわゆる『軍命』を否定する切っ掛けとなったのは、「沖縄戦ショウダウン」の手記を書いた元兵士のグレン・シアレス氏の渡嘉敷島での戦闘場面である。

 米陸軍二等兵だったシアレス氏は、慶良間上陸作戦の先頭に立ち、慶留間島で沖縄への初上陸を為した。その慶留間島で、米軍の出現に恐怖した住民の「集団自決」を目の当たりにした。兵士らは「やめろ、やめろ、子供を殺すな」と叫んだが、効果はなく住民のほとんどが死んだという。 この慶留間の住民の自決は知られていることで、シアレス氏の証言に誤りはないと思える。

 不思議なのは、その翌日渡嘉敷島へ上陸したときの証言である。シアレス氏らは島の最南端の浜から上陸し、攻撃してきた日本軍に応戦して、敵50名以上を殺したという。赤松隊の陣中日誌(原本・谷本版とも)には軍夫含めて手10数名の戦死者とある。戦果をオーバーに書いてあるにしても、このシアレスの記述は事実であろう。
 解せない事は、その戦闘の後、阿波連の部落へ下りる途中、干上がった小川の中で大勢の住民が群がっており、自分たちを見るや手榴弾を爆発させ、大人とこども百人以上が殺しあい、自殺したという。ここでも米兵は「「やめろ、やめろ、子供を殺すな」と叫んだが、何の効果もなく、ほとんどが絶命したと言っている。

 私は、渡嘉敷島で北山(ニシヤマ)以外では、「集団自決」があったという事を見たり聞いたりした事がない。上原正稔はそれが事実であるかどうか調べただろうか?
 本の発刊前に、彼は下調べのため渡嘉敷島に渡って、大城良平氏に会って話を聞いてみたが、赤松隊長の自決命令を否定された。金城武則(徳?)氏にあったら、「赤松隊陣中日誌」を入手できたという。

 それには、「三月二十九日-悪夢のごとき様相が白日眼前に晒(さら)された。昨夜より自決したるもの約二百名(阿波連方面においても百数十名自決、後判明)」と記されていて、見事にシアレス氏の記述と符合しているのが判って、「渡嘉敷では「恩納ガーラ」と阿波連の川の上流で二つ「集団自決」があったことになる」と、上原は言うのである。だが、本当にそれ事実であるか自分でそれを確かめた、とは書いてない。

 赤松隊はしばらくしてから、住民の「集団自決」を知り、だいぶ後になってから渡嘉敷部落の住民で二百人ほど、阿波連のそれが百数十人ほど(合わせて3百数十名)、と言うつもりで書いたのではないか?赤松隊の元隊員が別々の場所で「集団自決」あった、と証言したのを私は読んだ事はない。
「後判明」と付記しているように、上原が入手した谷本版改変日誌では、その当日にそれを見たのではなく後で知って、1970年になってから記載しているに違いないのだ。そもそもこれは1970(s45)年に作成されたのである。田島直樹さんや伊藤秀美さんが指摘するように、上原が入手したものは偽物なのだ。それは既に、太田良博氏などが指摘していた事である。上原はそんな事も知らなかったのだろうか?

 「ドキュメンタリー作家」は「ノンフィクション作家」とは違うものなのだろうか。文書だけを探し出して、自分の見解や解説を加えて発表すればよいのか。ノンフィクションのように、それが真実を記載しているのかどうかについて、厳密な検証を行わないのだろうか?そんなことなく、刊行前に下調べに行ったように、上原もその必要性を知ってはいただろう。だが、いい加減な段階でそれを止めて発刊したものと思える。

 「沖縄戦ショウダウン」の連載は好評だったと櫻井相手に自慢げに言っている。だが、私が読んだ限りではハードボイルド風に通俗的な書き方をしているので、読者大衆に受けたのだと思う。
 元米軍兵士の証言として、事実を検証したいと思う読者にとっては、どこか物足りない感じがするであろう。要するに、あの佐野眞一と同じで通俗的であり、面白く読ませるための書き方が優先していて、本質に迫る作品ではないのではないか。その程度の資質だから、簡単に「軍命なし」に転換したのである。
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コメント

対談の内容

和田さん。
星と松永の対談は、集団自決に関する事が大半です。初めの部分で、15年戦争、満州建国について6ページほど触れています。
松永は、「満州建国には大きな夢と希望があったと思う。石原完爾の夢です」と建国を賛美してます。

ましこひでのり氏は、池田信夫、大久保潤、篠原章、樋口耕太郎らの名を上げて批判してます。ましこ氏の論考は近い内アップしましょう。

徳永とましこ氏の要旨

キー坊さん
20号、他にも星-徳永対談とましこ氏の論考がありますね。
徳永は満州事変は人口比率12%の満州族を助けたものと語っているのでしょうか。 徳永と星で認識のズレは大きいですか、あまりない ?

ましこ氏の論旨はどのようなものでしょうか。

失礼しました。

さんげつさん、私も、先ほど私も勘違いに気付き、前コメントに編集・訂正をしました。手間を掛けさせてスミマセン。

1971年と思います

キー坊さん コメント有難うございます。

1971年4月と判断する根拠は以下の通りです。

・『青い海』の写真は1971年6月号に掲載されているが、その説明には「つい先ごろ」とある。
・『ある神話の背景』には1971年4月10日との記載がある。
・週刊朝日の中西記者の証言から、1970年9月17日大阪での赤松隊戦友会より前に曽野氏が赤松氏に接触した可能性は非常に低いと見られる。

1970年では…、いえ失礼しました。

さんげつさん、4月17日の赤松の手紙にある「10日」とは、1970年の4月10日の事ではないか、と読めるような感じもありますが如何でしょうか?

編集付記です。
失礼しました。正稔の記述が「その後間もなく四月二日と十七日に赤松さんから安里喜順さんへ出された手紙…」とあったので、連続していると勘違いしました。

手紙には「文藝春秋(諸君のこと)に八月より一年連載の由」と書かれているので、手紙は1971年4月17日のことに違いなく、戦友会写真も1971年4月10日ですね。

『青い海』の写真

キー坊さん お疲れ様です。

赤松氏の手紙でかなり判明しましたね。

写真の会合は、1971年4月10日於名古屋
出席者は、赤松嘉次、連下政市、木村幸雄+赤松隊員3名
     大城良平、曽野綾子

写真の大柄の人物は、大城氏(和田さんの推測どおり)
会が設定されたいきさつは、大城氏子息の中京大学への入学

この会合場所は、『ある神話の背景』では、豊田市に変更されている。

戦友会ではなく、もっと私的な、しかも名古屋での会合に曽野氏は出席していたわけですから、ズブズブだったんじゃないかといわれてもしようが無いでしょうね。

アップしました。

上原正稔の「うらそえ文藝」20号の論文を転載しました。ミスらしき所があれば、ご指摘を。http://keybow.co/urasoe/tomoyokike.html

おじいちゃんの物語

孫に向けたおじいちゃんの物語を史実と思った訳ですね。
あまりにもナイーブでちょっと言葉を失います。

『うらそえ文藝』20号

>さんげつさん。
>出自に関して上原氏・・・

「沖縄戦ショウダウン」のあとがきに記しているのが、そうではないかと思います。第三者の米人からシアレス氏の手記を入手したようです。
拙資料集
http://keybow.co/masatosi/showdown4.html

ところで『うらそえ文藝』本年度号を入手しました。上原正稔ももちろん論考を書いてますが、あの靖国応援団の徳永真一と星雅彦との、41ページにおよぶ対談もあります。公費で出版されている公刊誌で、堂々と「軍命」否定論を展開してます。どこに沖縄の「言論封殺」があるのでしょうか?

正稔の論考は面白い内容を含んでいます。彼にはその意図はなかったでしょうが、曽野の嘘つきぶりを具体的に暴露しています。今日中にアップしたいと思います。

上原は勘違い野郎

さんげつさん

>出自に関して上原氏は何か述べているのでしょうか?

していないでしょうね。
上原は訳しただけですよ。
何か凄いものを発見したかのような錯覚をしていたんでしょう。
論文の書き方を知っている人間とは思えません。
単なる低次元発狂爺さんですw

ノンフィクションとドキュメンタリー

Wikipediaの解説を読むと、ノンフィクションは文章または映像、ドキュメンタリーは映像が最終成果物のようです。文章を扱う分ノンフィクションのほうが文献資料の扱いに厳格なように見えますが、実際には著者/作者の個人差が大きいように思います。

谷本氏編集の赤松隊陣中日誌は、陣中日誌の体をなしていないことが一瞥して分かりますし、内容も公刊戦史と矛盾することが多々書かれています。こんな怪しげな資料を易々と信じたことから、上原氏の資料批判能力に疑問を持ちます。以前も書いたことですが、「沖縄戦ショウダウン」も、米軍の公式戦史や日本軍側の一次資料(赤松隊の「戦(病)死概況調査簿」等)と矛盾することが書かれていることから、かなり疑わしいと思います。

日本軍と違って米軍兵士は日記をつけることはほとんど無いので、「沖縄戦ショウダウン」は戦後に新たに書き起こしたものではないかと想像するのですか、出自に関して上原氏は何か述べているのでしょうか?

適当に材料があれば面白おかしく物語を作れる人は沢山います。「どてらい男」こと山本猛夫氏の沖縄戦記が一例です。

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キー坊@ウチナー

Author:キー坊@ウチナー
沖縄本島中部、巨大な米軍基地を抱える町の生まれ。
齢を重ねるごとに、沖縄戦へのこだわりが強くなります。
曽野綾子・『ある神話の背景』は沖縄を究極的な軍事基地にする目的を持っています。「集団自決」は沖縄戦の集約された出来事だと思います。『ある神話の背景』は沖縄への抑圧・差別の集約文書です。

HP・「その『神話』の背景」(文献・資料集)
http://keybow.co

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