2017-10

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でっち上げの「言論封殺」

 篠原章氏は『沖縄の不都合な真実』の第八章で、「異論を封殺する沖縄のジャーナリズム」という題の論考を書いて、沖縄は言論封殺社会であると力説している。その例証の一つに挙げたのが、上原正稔『パンドラの箱』掲載に対する琉球新報社の拒否事件だと言う。

 琉球新報は、2007年5月26日から上原正稔のドキュメンタリー『パンドラの箱を開ける時(沖縄戦の記録)』の掲載を開始していたのだが、同年6月18日に掲載予定の「慶良間で何が起きたのか」という原稿が、新報側から突然の掲載拒否通告をされたというこの事件らしい。
 その理由は、「社の方針にそぐわない」、「本紙上で過去に発表した上原原稿(『沖縄線ショウダウン』1996年6月)と内容などが重複している」というものだったからという。上原氏は原稿を書き直して、4ヶ月後に連載を再開したが、それは慶良間に関するものではなかったらしい。2008年8月20日の最終回にあたり、再び慶良間の「集団自決」についての新原稿を提出したところ、またも掲載拒否されて、この原稿は日の目を見ないまま連載は終了になったとのことである。  この慶良間の集団自決についての原稿というのは、住民の集団自決についての「隊長命令」の存在を否定するものだったのである。この件については、上原は2009年5月の『うらそえ文藝』でも、その趣旨の事を書いている。

 琉球新報は連載を契約したに拘わらず、上原の提出した原稿の内容が上記の理由によって、掲載拒否した事は「言論弾圧」であり、「言論の自由」を侵害した憲法違反であるとして、2011年1月に上原正稔は裁判に打って出たわけである。原告代理人は、「大江岩波裁判」で主任弁護人であった徳永信一である。この裁判がどんな性質の訴訟事件であるか判るだろう。軍国主義復活勢力からの息の掛った裁判事件である。

「パンドラの箱を開ける時」という題のドキュメンタリーを開始する時点で、上原は慶良間の「集団自決」において隊長命令がなかったという事を、新報の編集者に告げてなかったに違いない。最初からそれを言えば、新報の側は掲載を拒否するだろうからである。
 隊長命令を否定する事は、琉球新報の方針にそぐわない事は言うまでもないだろう。上原は当然それを承知しているはずではないか?それを承知の上で、そんな内容の原稿を提出すれば拒否指される事は十二分に予測される事である。
 逆を考えてみればよい。「正論」「will」「世界日報」などに連載の常連執筆者が、ある日突然隊長命令があったという原稿を提出したら、出版社が掲載するだろうか?そんなわけないだろう。こう云う事は「言論の自由」云々の問題ではなかろう。

 地裁は原告・上原の申し立てを却下したが、高裁では逆転で原告が勝訴した。だが、これは単なる「契約違反」を理由としての賠償命令でしかない。新報としては最高裁まで持ち込むのは手間ひまが掛って、面倒臭さを避けようとしたのではないか。連載完結前に掲載を拒否した事は、契約違反にならない事もないからだ。しかし、 言論弾圧というのは「でっち上げ」に過ぎない。

ヒジャイ・マテーシ(又吉康隆)の件であるが、これまたでっち上げである。又吉は数社から「自費出版」を断られたというが、出版社が五十社ほどもある沖縄で、全ての出版社が又吉の原稿の内容が気に入らないという理由で、自費出版を断るという事があり得るか?
 私は昭和の終わりごろ、沖縄で二つの出版社と接触した事があるのだが、両方とも小規模零細で、自費出版大歓迎だった。例えば自叙伝、地域史などで需要が少しばかりはあったようだ。それらが又吉の本の内容程度のものを断りそうもない。
 実際、又吉は簡単に自分で出版社を立ち上げて、自著を出して沖縄の大手販売店でランキングトップを長く継続したと自慢していたではないか。どこに沖縄の「言論封殺」の情況があろうか?

 おそらく、又吉は沖縄では大手で知名度があり、内容によっては断る可能性がある出版社を選んで、原稿を持ち込んだのだと憶測している。「言論封殺」のネタ作りの為ではなかったのか。もし、全てに断られたのなら、『うらそえ文藝』主幹の星雅彦に頼めばよかったのだ。『うらそえ文藝』はもうその頃には、上原にも「軍命否定」の原稿を依頼して新報などとも対立していたはずだ。
 
 沖縄2紙が同じ論調の政治報道をしている事について、「全体主義」、「同調圧力の島」などと、かつて小林よしのりが避難していた事と同じ調子で、篠原氏は沖縄のジャーナリズムの「異論封殺」ぶりを非難している。まるで背後に巨大権力が存在してるかのように言う。
 沖縄2紙が同じに反政府的論調になるのは、内容が良識に叶うからである。一方が政府(権力)よりの政治報道に転換したら、たちまち部数を減らすだろう。「世界日報」や『サンケイ』は沖縄では絶対部数を伸ばせない。もっとも、本土でも部数は極めて少ないが。
 
 篠原章氏は、曽野綾子的、その他の狼魔人的勢力に乗って、身の立て直しを計るのであるか?あまりに侘しい人生ではあるまいか。
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コメント

何が「言論封殺」なのか?

 さんげつさんは作家であり、出版にも関わっておられて、その筋に詳しい方だと思います。小生の言いたい事を全面的に代弁してもらった感があります。有難うございます。

 タイムスや新報、ボーダーインクとて、私企業であり社の方針というものがあるはずです。八重山の南山社の方針は知りませんが、ヒジャイの本の内容が自社に不利益なるかもしれないと判断した場合は、出版を断っても良いのは言うまでもないでしょう。

 上原正稔が高裁で逆転勝訴した理由は、判決文を読めば、不掲載という契約違反による原稿料不払い分、および慰藉料(計1045万円余)を支払えという文言です。「社の方針」と違うからと理由で、契約を破棄する事は許されないという判断です。
 確かに新報は不用意だったのでしょう。ちょっと脇が甘かったというわけです。しかし、これの何が「言論封殺」というのでしょうか?
篠原氏は上原正稔を支持する事によって、物書きとしては致命的な事をやってしまったと思います。

 ヒジャイは3社の他に、2.3の本土の出版社、沖縄の他社にも当ってみたというのですが、自分で自費出版できる事を視野に入れていたのではないでしょうか?そして狼魔人や篠原氏の助言を受けて、容易く出版社を作って自費出版して、沖縄の名の売れた販売社に持ち込んでベストセラーにした、と豪語してました。「言論封殺」の社会で、在り得る事でしょうかね。

上原、又吉の両物書きは許されざるウチナー・タンメーです。

さんげつさんへ。補足させていただきます。

さんげつさん、コメントありがとうございます。
さんげつさんの鋭いご指摘にうまく答えられるかわかりませんが、お読みいただければ幸いです。

まず星雅彦氏の「浦添文藝」について。この雑誌はたしかに星氏が編集長ですが、掲載する内容は編集委員会議で決めることになっています。星氏が掲載したいと思っている記事を編集委員会が拒絶するということもしばしばあるようです。星氏はどちらかといえば孤立していると聞いています(まもなく退任)。
ヒジャイ氏が同誌への掲載を検討したかどうかは不明ですが、彼のブログを読むかぎりその形跡はありません。ヒジャイ氏の場合は単行本の企画ですので、持ち込まなかったと考えるのが自然かと思います。

次に「ランク落ち」の件。ヒジャイ氏は会社名を明示していませんが、2社に「沖縄で出版してくれる会社はあるのだろうか」というかたちで相談を持ちかけているようですが、その相談の結果についてブログには書いていません。「沖縄の出版社で自分の本を出すのが難しいことがわかった」という一般的表現が見いだされるのみです。
ヒジャイ氏は、最初の出版拒絶から一月程度経ったところで「それだったら自分で出してしまおう」という決意を表明しています。「沖縄の出版社に持ち込んでも拒絶され、時間を浪費するだけだ」という判断を下したのだと思います。
実は、ヒジャイ氏のこの話をブログで読んで、僕は、知人のいる沖縄の出版社2社(社名は残念ながら出せません)に問い合わせてみました。ヒジャイ氏のつくった目次を見せたところ、2社とも「自費出版であってもこの内容では出版は難しい。本土の出版社を推奨する」という返事でした。
「オール沖縄」という言葉が話題になり始めた時期でしたので、「ヒジャイ氏の本はやはり沖縄で出版するのは難しいのだろう」という判断に至りました。
さんげつさんは〈紆余曲折はあったにせよ最終的に沖縄最大手のひとつ沖縄教販の流通経路にのせることに成功した訳です。もし「言論封殺」があるのなら、これも拒否されるのではありませんか? 〉と指摘されました。たしかに沖縄教販の流通経路には載せることが出来ました。その点はヒジャイ氏の馬力によるものだと思っています。たとえば僕自身が沖縄在住であれば、出版社数社に断られた時点で、出版を諦めてしまいます。普通の人間なら3〜5社に当たって断られれば、「沖縄での出版は難しい」と判断してしまうのではないでしょうか。

上原正稔氏の件は、上原氏のホームページに経緯など詳しく出ています(主として判決文、陳述書などの裁判資料)。ご承知のように、上原氏は新報もタイムスも常連寄稿者でした。今回問題となった記事はシリーズものの企画ですが、事前に内容に関する打ち合わせをしたといっています。この点は小著を読んでいただけるとありがたいのですが、
〈上原氏は、問題の回で、慶良間諸島の集団自決に関して「軍命はなかった」ことを実証しようとした内容が問題視された、と考えています。現にその後、琉球新報の編集委員から「今は軍命による集団自決の存在を認める社の方針が固まっているので堪えてくれ。いずれ慶良間篇も掲載するから」という要請があった〉(小著より)
という経緯があったとされています。
が、裁判で、新報側は「社の方針と違う原稿だから掲載を拒否した」とはいわなかったのです。以前の上原氏が書いた本や記事に今回の連載記事が酷似しているという「二重投稿」を拒否の理由としたのです。以下小著より。
〈二〇一三年七月二九日に(控訴審の)判決言い渡しがあり、控訴審では逆転勝訴。今度は上原氏の主張がほぼ全面的に認められました。「二重掲載」を掲載拒否の根拠とする被告側の主張は認められず、「掲載拒否には正当な理由はない」を主たる理由として、被告(琉球新報)に一〇〇万円余りの損害賠償が命じられたのです。一審同様「二重掲載」を繰り返し主張した被告側ですが、具体的に「二重掲載」となる箇所を指摘できなかったこと、そして、掲載拒否の判断を下した前泊博盛編集委員(当時)が証人としての出廷を拒否したことが敗訴の主因でした〉
〈控訴審判決後、琉球新報側は最高裁に上告しませんでした。最高裁は基本的に憲法判断(違憲か合憲かという判断)を下すところですから、上告自体が憲法判断(この場合は表現の自由を定めた憲法第二一条)を仰ぐ行為になります。「掲載拒否が表現の自由に抵触するか否か」を争うことは、一審から一貫して琉球新報側が避けてきたことですから、上告の断念は当然かもしれません〉
ことの経緯をつぶさに見ると、琉球新報側には、上原氏の原稿を拒絶することが、言論の自由を犯す可能性があることを承知していたのだと推定できます。その意味では、やはり言論封殺につながる行動だったと判断せざるをえません。
新聞社が特定の問題について独自の方針を打ちだすこと自体に異議はありません。自分たちの立場に近い執筆者に多く原稿を依頼するといったことは、どこの会社でもやっていることでしょう。また、執筆内容が著しく事実と異なるとか、他人の名誉を傷つけることが明らかな場合には、掲載を拒否することもありえます。
しかし、会社として連載を依頼しておきながら、見解が異なるからといってその文筆家の連載を中断あるいは拒絶するのは、言論封殺といわれてもやむをえないと思います。「中立」や「公正」といった社是・綱領にも当然反しています。

琉球新報と沖縄タイムスの投書欄および識者コメントに関しては、言論空間の歪みを示す一般的な傾向を認めることができると、現段階では判断しておりますが、さんげつさんの仰る以外にもいくつか問題点があることは確かです。だからこそ、今回の著作ではまったく取り上げませんでした。いずれもう少しきちんとした統計資料を示しながらあらためて分析を加えてみたいと思います。

朝日新聞西部版の件ですが、新聞一般の姿勢として望ましいと判断して取り上げました。取り上げられているコメントは沖縄の人々のものです。本土に沖縄の声を伝えるという意味でのバランスはとれていると思います。「反対」の声が大きいという点については、見出しで補っているので、やはり朝日西部版の紙面は、現状を適切に伝えていると考えています。


「言論封殺」は妄言

さんげつさんも、関東の地方出版社に関わっておられるように、自費出版に関しては通じていらっしゃるですよね。ヒジャイが言論封殺を受けたというのは、妄言でしかないでしょう。
ヒジャイは、自分で出版社を立ち上げて、それを沖縄の大手販売会社に持ち込んで、ベストセラーになったと自慢してます。沖縄が「言論封殺社会」なら、そんな事あり得ないはずです。同窓の者として恥ずかしいです。

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篠原さん

早速のご回答ありがとうございました。
有意義な情報が含まれており参考になります。
回答はキー坊さん宛と私宛に分かれていますが、キー坊さんの分にもコミットしていますので併せてコメントします。

1)又吉氏が持ち込んだ出版社について

これについては、キー坊氏の予想通り大手出版社だったということですね。

出版拒否は言論封殺とお考えになった訳です。しかし、出版社は「言論の自由を保障する」ことを看板に掲げている訳でなく、出版に値するものを出版する営利事業をやっているに過ぎません。「過去の出版カタログおよび自費出版ラインナップを見るかぎり出版されるのは当然」とおっしゃいますが、これは又吉氏と篠原さんの主観的な判断でしかありません。出版社には出版社の判断があります。断るのに「くだらない内容だから」といったストレートな表現を(とくに営業の人が)することはないでしょう。「ちょっと弊社のカラーに合いませんので」などと相手を傷つけない様に言うはずです。出版社がどう言ったのか知りませんが、言葉尻を捉えて、「言論封殺」だと拳を振り上げるのは大人気ない気がします。

論文でも同様のことがあります。「書かれている内容は新しく、論理も間違っていない。しかし、価値がないので掲載は拒否する」という事態がごく普通に発生します、特に一流誌では。価値があると思って投稿したのですから面目丸つぶれです。しかし、どうしようもありません。どうしても出版したい時は、2流誌、3流誌にランクを下げて投稿します。これでも出版出来ない事態はまずないと思います。

キー坊さんも同じことを指摘しています。このランク落ちを又吉氏は実行したのかどうか? また、星雅彦氏の「浦添文藝」への出版も検討したのかどうか。もしこの手順を踏まなかったとしたら、「言論封殺」は言い過ぎではありませんか。

それから、主張に矛盾があるというキー坊さんの批判にはどう答えられますか? つまり、紆余曲折はあったにせよ最終的に沖縄最大手のひとつ沖縄教販の流通経路にのせることに成功した訳です。もし「言論封殺」があるのなら、これも拒否されるのではありませんか?

2)他の疑問点について
「小著のなかで示されている議論をあらためてご参照いただきたいと存じます。」とのことですが、「はいそうですか」と簡単に引き下がれないところがあります。キー坊さんのコメントにはいろいろ興味深い指摘があり、私としても知りたいことが多々あります。たとえば、「慶良間の「集団自決」において隊長命令がなかったことを書く」ことを上原氏が新報の編集者に事前に告げていたのかどうかということについてどの程度把握しておられますか。

重要なことを隠して契約したとしたら、裁判はともかく社会通念上、信義にもとる行為だと思います。この件について、たとえば、上原氏や琉球新報に確認されたのか、あるいは判決文に何か書かれているのかどうか。

3)琉球新報と沖縄タイムスの投書欄および識者コメントに関して。

辺野古移設に関する賛成意見が投書欄にほとんどなかったとのことです。どういう基準でカウントされたのか分かりませんが、事実とします。
その上で申し上げますが、数が少ないから言論封殺というのも短絡的すぎませんか。
文章を書くことを生業としている人以外は投書は億劫なものです。無くて済むものなら無い方がいいが、生活のためしようがないという消極的賛成の人や、積極的賛成でも基地の利権で潤っている人などは、社の方針が明確に反対である新聞にわざわざ投書しないのではないですか。これが市井人の処世術というものです。もちろんこれらの人も、投票直前や、投票では意思表示をして、結果は目に見える数として現れていると思います。
もし、篠原さんが、投書を根拠に「言論封殺」を主張したいのであるならば、採択率=(採択された賛成投書数/賛成全投書数)が異常に低いことを根拠にすべきです。(もちろん、このばあい賛成全投書数は、いわゆる投書マニア分をのぞきます。)
もうひとつ、質的な検討も必要です。どういう問題に関してかという分析です。

次に、識者コメントですが、琉大か沖縄大あたりでしかるべき推進論者がいれば登場するのではないですか。マイナーなステータスの人間では価値がありません。ただ識者コメントは飾りのようなもので実質的意味はあまりないように思います。素人でも言えるような内容で付加価値は大学の名前ということがよくあります。

最後に、朝日の西部本社版では、賛否両論がバランスよく取り上げられているとのことですが、これは比較対象として適当ではないと思います。西部本社版の販売域は九州、沖縄と山口県となっています。つまり大部分の読者は本土人です。このような状況下では沖縄の基地問題は、良い意味でも悪い意味でも他人事なので、いろんな意見が出やすいものです。もし、主張するのならば、「朝日新聞の沖縄支局が編集発行した新聞では賛否両論がバランスしているのに、琉球新報と沖縄タイムスは偏っている。これはけしからん。」であるべきです。

ご指摘ありがとうございます

さんげつさん、キー坊さん
コメントありがとうございます。

前後しますが、まずキー坊さんのコメントについて。
ヒジャイさん、糸数慶子さん、知花昌一さんとキー坊さんとのご関係については、初めて知りました。先輩後輩の関係とそれぞれの方の主張とは直接の関係はないでしょうが、そういうことを教えていただくと、なんとなく親しみが増しますね。
ヒジャイさんの出版問題については、ヒジャイさん自身が出版社名を挙げています。それによれば、拒絶したのはボーダーインク、沖縄タイムス社、南山舎の3社です。2012年5月に数回にわたってことの経緯を明らかにしています。このうちボーダーインクについては僕も直接確認しています。沖縄タイムスについてはこちらの問い合わせに答えてもらえませんでした(無視されたということです)。南山舎は、依頼を断る文書がヒジャイさんのブログに添付されていましたので確認していません。この他、ヒジャイさんは沖縄内の出版社2社に原稿を送り、「自分の原稿を自費出版できる出版社はないか」というかたちで相談したようですが、前向きの回答は得られなかったようです。また、本土の出版社2社(文芸舎・風詠社)からは「自費出版可」との回答があったようですが、金額などで折り合わなかったとヒジャイさんは述べています。

次にさんげつさんのコメントについて。
議論のあり方について、ご丁寧なご指摘を頂き、大変恐縮です。
出版拒否問題についてですが、すでに上で述べたようにヒジャイさんは3社に依頼しています。事実関係については沖縄タイムスを除いて確認できました。タイムス社は、ヒジャイさんの依頼に対して何のリアクションをとらなかったのですが、僕の確認についても同様にリアクションはありませんでした。
「ヒジャイ氏は出版を拒絶されそうな3社を選んだ」とキー坊さんは推定されましたが、2012年5月前後のヒジャイさんのブログを詳細に読むかぎり、その意思は感じられません。たんに「大手」を選んだのだと思われます。ヒジャイさんは「読みが甘かった」という責めを負うかもしれませんが、ボーダーインクも沖縄タイムスも、過去の出版カタログおよび自費出版ラインナップを見るかぎり、自社の方針とは内容が異なるから出版しないとは考えにくい出版社です。自費出版であるならなおさらです。ヒジャイさんが「自費出版なら引き受けてもらえる」と考えたとしても、異常なことではないと思います。
さんげつさんは、「どんな社会や組織にもある程度の同調圧力はあり、沖縄もそうかもしれないが、ことさら云々するほどではないというのが通説です」と仰られましたが、果たしてそうでしょうか。仰る通りたしかにどの社会にも同調圧力は存在するでしょう。が、現在の沖縄の活字メディアの世界については、やはり行き過ぎだと思わざるをえない点が多々あります。
たとえば、琉球新報・沖縄タイムスの投書欄を2012年と13年についてチェックしてみました。この中に「辺野古移設容認」あるいは「県内移設容認」を示唆する投書は、新報1回、タイムス2回しか掲載されていません。記事内の識者のコメントについてはすべてを調べきれませんでしたが、こちらの把握する限り「移設容認」を示唆するコメント両紙ともともまったくありませんでした。辺野古移設反対・県内移設反対が主潮流でも、さすがにこの数字には驚きます。
しばしば朝日新聞は、「移設反対派のコメントしか掲載しない」といわれますが、それは間違いで、西部本社版(福岡編集)を見ると、反対派・容認派のコメントがバランス良く配置されていることが多いのです(見出しは「反対派」の多数を強調するものが多いですが)。
沖縄の新聞社も「社是」「綱領」で「中立」を謳っているのですから、容認派の投書やコメントを封じるのは好ましくないと思います。もちろん、新聞社としての姿勢を社説などで明確にするのは構いません。その姿勢を反映して、見出しが一方に偏ることもあるでしょう。が、社の方針と違うからといって、反対の立場のコメントをほとんど載せないような編集はさすがに公平を欠くといっていいでしょう。
以上のようなことから、ヒジャイさんの一件も上原正稔さんの一件も、沖縄の大手メディアが一方に傾きすぎている現状を象徴していると判断して取り上げました。
他の疑問点については、小著のなかで示されている議論をあらためてご参照いただきたいと存じます。

封殺出版社とは?

さんげつさん、ご支援有難うございます。

篠原さん、とっくにご承知でしょうが、さんげつさんは貴書での参考文献のイの一番に挙げられている方です。本格的ノンフィクション作家の方です。

私は昭和の終わりごろ、「新星図書出版」「月刊沖縄社」という零細出版社(現在も存続しているかどうか分かりませんが)の販売に関わっていて、自費出版を依頼したのではないのですが、2社の経営者は「どんな著書でも自費出版を引き受けるよ」と言っていましたね。

だから、ヒジャイ(又吉)氏が、どの出版社に自費出版を依頼して断られたのかが関心あるところです。ヒジャイはそれを明確に示すべきではないですか?
ヒジャイは小生の同窓であり、あの知花昌一氏と同級、糸数慶子氏の一級下ですね。おそらくヒジャイはこの二人とは論争した事はないでしょう。

篠原さんがヒジャイと交流があるのであれば、どの出版社から「異論封殺」を受けたのか具体的に聞いてください。

議論の原則

篠原さん

お返事有難うございます。

釈迦に説法ですが、議論の原則を確認させていただきたいと思います。

どんな社会や組織にもある程度の同調圧力はあり、沖縄もそうかもしれないが、ことさら云々するほどではないというのが通説です。これに対し、篠原さんは「限度を越えており、沖縄では異論が封殺される」と主張されたわけです。主張するからには篠原さんはその立証責任を負います。出される疑問に対しては、基本的に回答の義務があります。

篠原さんは大学の先生をされていたそうですから、論文を書いた経験がおありだと思います。投稿すれば査読者から「この点はおかしい、論理が不完全だ、データが不十分だ、別の解釈が考えらえるのではないか」等厳しいコメントが来ます。これにはすべて応じなければなりません。なぜそんなことを聞くのか、文句をつける根拠は何かなどと問い返すことはありません。このやり取りの過程で論理を補強する、データを補充する、結論を修正する等が起こります。最悪の場合には論文の撤回もあります。この過程は論争の勝ち負けを決めることが目的ではなく、真実に近づくために必要なものです。

一般的な議論(時に論争と言ったりしますが、「争」の字は適当ではない)の原則も論文の査読者とのやりとりと同じです。この作業は事実に基づいて行われますから、議論はかみ合うはずです。

キー坊さんの疑問に根拠があるかどうかを、篠原さんは問う立場にはありません。キー坊さんの疑問は、私も含めて多くの人が持つところであり、篠原さんにはお答えいただければと思います。

たとえば、キー坊さんのコメントの冒頭部分に関しては、次のような回答が考えられます。

1)又吉氏が持ち込んだ出版社は**で、大手でもなく、また断るような出版社ではなかった。したがってキー坊氏の批判はあたらない。

2)又吉氏が持ち込んだ出版社については確認していない。確認後報告する。

など。

要は「沖縄では異論が封殺される」にどの程度の根拠があるか、篠原さんは示すことを求められるわけです。



反論しない理由

さんげつさんが「反論せよ」と促してくださるのはありがたいのですが、キー坊さんの批判は、基本的に推測や憶測から成り立っています。小著『沖縄の不都合な真実』で取り上げた事実以上のことは示されておりませんので、反論することにはあまり意味がないと判断したのです。
以下、キー坊さんの論拠の要となる部分を抜き書きします。
〈上原は慶良間の「集団自決」において隊長命令がなかったという事を、新報の編集者に告げてなかったに違いない〉
〈それを承知の上で、そんな内容の原稿を提出すれば拒否指される事は十二分に予測される事である〉
 〈おそらく、又吉は沖縄では大手で知名度があり、内容によっては断る可能性がある出版社を選んで、原稿を持ち込んだのだと憶測している。「言論封殺」のネタ作りの為ではなかったのか。もし、全てに断られたのなら、『うらそえ文藝』主幹の星雅彦に頼めばよかったのだ。『うらそえ文藝』はもうその頃には、上原にも「軍命否定」の原稿を依頼して新報などとも対立していたはずだ〉
また、昭和の終わり頃キー坊さんが自費出版を持ち込んだら、出版社に喜ばれたというようなエピソードも紹介されていますが、昭和の時代と平成の時代とでは、沖縄の言論界の同調圧力はまるで異なりますので、あまり参考にならないと思います。
以上の理由から、今回は反論を見合わせています。
ご理解下さい。

さんげつさん

自然と人間6月号 vol.228です。
株式会社自然と人間社で発行しています。
42ページに掲載されています。
http://www.n-and-h.co.jp/

決定的な証拠

旧白玉の塔の碑文は決定的な証拠ですから、阪神さんの発見を世に広めたいですね。(地元でも今は知る人がいなかったようです)

引用の際に必要なので
「自然と人間」2015年5月号、発行者? 頁?
を教えてください。


投稿

こんにちは。
沖縄県立図書館にもある自然と人間に投稿しました。
マイナーな雑誌ですが、曾野綾子大先生には定期購読していただきたいですね。
http://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1432960927.jpg.html

篠原氏は反論を書くべきです

外野からひとこと。
沖縄では異論が封殺されるとする篠原氏の主張に関して、上原正稔氏と又吉康隆氏が関わった事件はその根拠にならないとキー坊氏は主張しています。キー坊氏は論拠をきちんと述べており、説得力があると思います。篠原氏が著書の主張を変える必要がないとお考えなら、この2件に関して具体的に反論をすべきと思います。事実をもとに議論する限り噛み合うはずです。

了解しました

キー坊さん 
了解しました。反論してもちゃんとかみ合いそうなら、あらためてコメントを書きこませていただきます。

著述がヘイトスピーチ

私は、篠原さんの私的事件には関心ないです。それは沖縄とも基地とも関係無いからです。だから、最近まで知らなかったのです。

しかし、今回の本の内容はヘイトスピーチでしかないと思います。大久保潤氏の前著にも、私はこのブログで強い批判を加えています。
貴方は彼らの陣営に参加したとしか思えません。彼らと議論を交わす意義はあるとは思えません。同様に篠原さんとも、意義はなさそうです。

今後、数回は記述への批判を書くかもしれませんが、それへの反論がありましたら、お書きになって下さい。

「侘しい人生」には同意しますが…

「(篠原の人生が)あまりに侘しい人生ではあるまいか」という部分には反論も出来ませんが、沖縄や曾野氏と僕の人生とはまったく関係ありません。

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キー坊@ウチナー

Author:キー坊@ウチナー
沖縄本島中部、巨大な米軍基地を抱える町の生まれ。
齢を重ねるごとに、沖縄戦へのこだわりが強くなります。
曽野綾子・『ある神話の背景』は沖縄を究極的な軍事基地にする目的を持っています。「集団自決」は沖縄戦の集約された出来事だと思います。『ある神話の背景』は沖縄への抑圧・差別の集約文書です。

HP・「その『神話』の背景」(文献・資料集)
http://keybow.co

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