2017-08

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秦本の「曽野・秦対談」

 秦郁彦編著・「沖縄戦『集団自決』の謎と真実」の中の「曽野・秦対談」、「沖縄の悲劇を直視する」ー歴史と文学のはざまでーの抄録をHPに転載した。

なぜ、わざわざこれをHPに載せたかと言えば、対談だけに原稿を書き直すことを十分にしないのか、自分らの内情や本音を、曽野も秦郁彦もポロポロ露呈しているからである。対談は、08年6.25の控訴審第1回目の公判の直後(7.11)に行われているが、その公判のとき、原告側は秦氏の証人申請を裁判所から却下されている。
という事は、裁判官は事実審理をやり直す気が無いのだと、専門家から言われて、もはや勝ちはないと諦めの境地になっていたのである。
半ヤケの気分からだろうか、負けた原因はT弁護士のずぼらなやり方にあったと、憤懣をぶちまけている。「準備書面の提出が遅くて、裁判長が怒って叱責した」。「さらに法廷へ遅刻してきて裁判官を待たせたとか・・・」。
それで裁判官の心証を悪くして勝てる裁判を負けにしてしまったと、身内であるT(徳永)弁護士を非難しつつ、そんな理由で裁定した裁判官は次元が低いと非難している。

秦本の表紙
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テーマ:歴史 - ジャンル:政治・経済

コメント

大本営の沖縄と土民表現

山崎プログで話題となった「軍と土民表現」の検証は現地軍によるものでした。
中央の大本営ではどうだったか。 2件触れているものがあります。
http://sakura4987.exblog.jp/2920667/
引用すると、「原氏の研究によれば、軍が沖縄県民の疎開を考え始めたのは、米軍
がサイパン島に上陸し、「絶対国防圏」の一角が崩れ始めた昭和十九年六月下旬。
 真田少将日記や大塚大佐の備忘録によると、同月二十八日の陸軍省局長会報で富永恭次陸軍次官は
「小笠原ト硫黄島・沖縄・大東島・先島ノ石垣島土民ヲ引キアゲル様ニシテ居ル。問題ガアルカラ外ヘ漏レヌ様ニ」
と述べ、真田第一部長は、間もなく沖縄の第三十二軍参謀長に着任する長勇少将に「球ノ非戦闘員ノ引揚」の研究を指示している。」

もう一つは
http://www.asaho.com/jpn/bkno/2007/1224.html
引用すると「1944年6月25日から7月7日まで、大本営ではサイパン残留邦人24000人の「措置」をめぐって議論が続く。防衛研究所の担当者は、「ここに、本研究命題の『原型』を見る思いがする」と書いて、陸軍省医事課長・大塚文郎大佐の『備忘録』(昭和19年、防衛研究所図書館史料庫所蔵)を参考に、陸軍省局長会報〔会議〕の様子を記述している。以下、『備忘録』からの引用である。 「6月28日 局長会報〔会議〕 (以下、秘)
 軍務局長(佐藤賢了少将) サイパン島住民日本人2万人有り、どうする。その 他土民有り。研究中なり。
 次官(富永恭次中将)小笠原の硫黄島、沖縄、大東島、石垣島住民を引揚げる様 にして居る。問題があるから外へ漏れぬ様にせり」。」

後者で「その他土民」の表現は軍で通常「その他土人」と表現している-そのような表現は目白押し-ように思われます。

よって、土民と土人の区分も必ずしも正確ではなく、やはり軍は現地軍にとどまらず、大本営幹部に至るまで沖縄人を差別していたと考えざるを得ません。

>和田さん。
>あつかましくも2008年7月に曽野綾子はまだ・・・ と嘘を言い続けているのですね。

曽野の言動を見続けている沖縄の人は、曽野が嘘と欺瞞に満ちた物書きだと知っています。
だが、曽野は、沖縄で知られても痛くも痒くもありません。ヤマトのB層の人々に知られなければそれでいいのです。それでも、今回裁判に負けた事で、曽野のいかがわしさが知られてきた事は曽野には痛いでしょう。

ずうずうしいにもほどがある

あつかましくも2008年7月に曽野綾子はまだ、「曽野 ですから私は、赤松隊側だけでなく反対側の文献も目を通しました。また赤松隊の人たちにせよ村の人たちにせよまとめて一緒に会ったら口裏を合わせるかもしれないと用心して、一人ずつ会って聞く事にしたんです。
個別だと、こっそり隊長の悪口を言う人も出てくるだろうと思いました。それでも、富山さんという方から曽野は自分の証言はぐあいが悪いので採用しなかったと言われたらしいですね。」
と嘘を言い続けているのですね。

曽野綾子の嘘が一般に知られていないことが残念でなりません。

手榴弾二発

>ni0615さん。
>一発は敵に向かって投げ、一発は自決用にです。

この話、戦時中、内地でも流布していた話なのかどうか検証の余地はありますが、曽野がこの話を出したのは「切りとられた時間」以来でしょうか?他で語っていないとすれば、富山真順からのネタに違いないですね。秦・曽野、二人ともボロを出しています。

>昭和19年11月頃の県民大会
梅澤からネタだったのですね。「軍」の責任を「民」に転嫁しようという意図の材料でしかないです。

ご指摘有難うございました。直しておきました。
テンプレート変更しました。ご容赦を。

連投ですいません

連投すいません

梅澤が「国の護り」で言っいてた那覇の何とか神社の県民大会の件、http://www16.atwiki.jp/pipopipo555jp?cmd=upload&act=open&pageid=1405&file=%E5%9B%BD%E3%81%AE%E6%94%AF%E3%81%88%EF%BC%97.jpg
秦氏がこんなに乗り気だとは知りませんでした。狂信的軍国主義者は軍の中ではなく、むしろ外縁にいるのが常ですから、調べれば直ぐ分かるとでも思ったのでしょうか? 
~~~~~
(秦) 今、私が調べていて、正確な日付が昭和19年11月頃としかわかっていないんですが、大政翼賛会とか在郷軍人会とか一応は民間の有志による県民大会で、足手まといになる老幼婦女は自決しようと呼びかけた老人がいたそうです。あちこちから集まった町村のリーダーたちは、この呼びかけに影響されたといわれます。軍と官の大方針には反するんですが。
~~~~
秦はそもそも<軍ヲタ>少年なのでしょうね。帝国陸海軍の名誉を守りたいの1つの執念かも。

嘘漫才

「切り取られた時間」
http://www16.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/957.html
に書かれたのは、沖縄での聞き取りでしょう。それを覆い隠す嘘だと思います

~~~~~
(曽野)終戦の時、十三歳の私でも手榴弾は欲しいと思いました。それも二発もらいたかった。一発は敵に向かって投げ、一発は自決用にです。
 誰が教えたということではありませんが自己防衛の本能と、やっぱり敵とは戦わなければならないという気持ちと、両方を満足させるのは「二発の手梱弾」なんです。観念的な話ですけどね。
(秦) いやぁ、おっしゃるとおりだろうと思います。ただ、その場合に二個もらったという例が数多く語られてますが、軍としては二発とも敵に向かって使ってもらいたい、戦ってもらいたいと考えたにちがいありません。
~~~~~~~
(曽野ーー富山真順さんについて)
とにかく手榴弾の話が出ていて、それがそれまでにない内容の話だったら、私は必ず書いていたはずです。
~~~~~~~
おかしいですね。
自分の終戦時の思いと富山さんの話が一致していたら、それこそ、作家というものは書きたくなるのではありませんか?
富山さんとは会ってない、という断言を撤回しているだけに、余計にウソが露れましたね。

業務連絡」:弁護士がずぼら、(キー坊さん「ずはら」になっていますよ)。

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キー坊@ウチナー

Author:キー坊@ウチナー
沖縄本島中部、巨大な米軍基地を抱える町の生まれ。
齢を重ねるごとに、沖縄戦へのこだわりが強くなります。
曽野綾子・『ある神話の背景』は沖縄を究極的な軍事基地にする目的を持っています。「集団自決」は沖縄戦の集約された出来事だと思います。『ある神話の背景』は沖縄への抑圧・差別の集約文書です。

HP・「その『神話』の背景」(文献・資料集)
http://keybow.co

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