2017-04

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STAP問題の構図2

8月27日に、理研で行われているSTAP細胞の再現実験に付いての中間報告を、ネイチャー論文の共著者ある丹羽仁史氏らが会見発表した。
 やはり、STAP細胞は再現できなかったという報告である。それでも現時点では、それが無いという結論も下せないという事である。それは妥当なことだろう。唯一STAP細胞を作ったと言っている小保方晴子博士が実験に参加してない段階で、無いという結論を下せるものではない。物事の筋から言って、小保方が実験しその結果として、STAP細胞が再現できなかった事になれば、誰もがSTAP細胞は「幻」だったと納得する事になる。

                論文共著者の分担
 それが小保方の「捏造」だったのか、或いは「錯覚」だったのかは、それ以後に審議すべきではないか?
 だが、日本の既得権益業界の、小保方に再現をさせまいとするSTAP潰しの策動は目に余るものがある。丹羽氏はその勢力の一員ではないと思うが、理研内部にもSTAPを潰したがっている研究者は少なくないだろう。3月にブログで、「STAP細胞の非実在」という怪しげな論考を発表した遠藤高帆は、その一派の鉄砲玉だろう。

 日本科学界の既得権勢力は、小保方晴子という新参の小娘にとてつもない大業績を上げられては、自分らの居場所がなくなるという恐怖に駆られているのだと想像する。また実際の製薬業界、医療業界にも、STAP細胞が存在するとなると不利益を蒙る分野が少ないと思える。その勢力が、日本では圧倒的な勢力になっていると思われる。だから、NHKをも動かして、小保方・笹井の理研・CDBを潰しに掛かったのだと思う。笹井はこの分野の研究者として、トップの位置に居ただけに、その圧力を直接的に感じる身の上だったのではないか。自死に追い込まれる程の凄まじいものがあったのだろう。

 科学的大発見の歴史には、「捏造」「錯誤」の歴史も付属していると言われる。日本・世界の先端に居る科学者達が再現実験を行っても、未だそれに成功してないのは存在しない可能性のほうが高い、と伊藤秀美さんがコメント欄で言っておられるように、私もそんな風に思わざるを得ないのだが、このSTAP潰しの狂騒がかえって、逆に考えたくなる心情にさせる。世紀の大発見というものは、常人の感覚の及ばぬところで為されるのが「常」ではなかったのか。小保方晴子という能力の足りない女研究者が、大発見をしたと錯覚しただけの事かもしれないが。

 だが、彼女は、悪意ある「捏造」(例えば意図的にES細胞を混ぜるようなこと)だけはしてないと思う。そんなことしても、直ぐにバレることは幼稚園生でも分かるはずだ。だからNHKスペシャルでやっていたES細胞盗用説は、NHKの謀略でしかない。
 だが、もし、STAPが無いのに小保方が在ると錯覚したとすれば、どこかでES細胞が間違って混入(コンタミ)した可能性が大きい。試料管理に甘い日本の研究所では、そんな可能性が大きいという研究者も居る。

 若山照彦は最初は、STAP細胞の存在を信じていたに違いないが、後で考えを変えて論文取り下げの意思を発表している。それは自分が熟考した結果ではなく、既得権益勢力の圧力に恐れをなして転向したからだと思える。くるくる変わる取り下げ理由の言い方がそれを証明している。純粋に学問的考察を経ての論文取り下げではなく、大きな謀略的圧力の前に屈服したのだと思う。小保方と共に再現実験に努力する道をとらずに、既得権勢力に服従して保身の道を選んだのだと思う。

 小保方晴子は、11月を期限に再現実験理研内で行うと発表されたが、実際に過去に200回成功しているとしても、万全ではない環境でそれが成功するとは限らないのではないか。丹羽氏ら少数の人員は小保方を応援するだろうが、今やCDBは解体・縮小の方向に進んでいて、既得権益勢力の支配下になっていると思われる。そんな環境での再現実験は、不成功に終わる可能性がとても高い気がするのだが。
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コメント

今村昌平監督

今村昌平の「神々の深き欲望」を見た時、この人は沖縄に深い愛着を寄せている人だな、と思いました。息子の大介も琉球大学に進学して卒業した後、ペンネームを天願大介として同じ監督業に就業したようです。

17日のタイムスには、『沖縄人ルーツ「日本由来」』という記事があります。私も沖縄人は南方から北上して来た民族集団ではなく、日本から南下してきた民族だと思ってました。
沖縄人と日本(大和)人との関係性は、スコットランド人とイングランド人との関係性とは違うという事になるかと思いますが、日本(大和)人はまた、日本列島の先住民ではない種族が、つまり大陸・半島から来た人種が主流を占めていることになるのではないかと思うのです。

沖縄兵

こんにちは。
4分49秒あたりで「沖縄兵に警戒した」とありますが、恐らくこれは、沖縄が負けたのは沖縄人がスパイしたからだという軍上層部からの通達があったからだと思います。
実際、台湾でも同じ様に沖縄兵に警戒せよとの通達がありましたし、台湾で受信した日本のラジオ放送は「沖縄県民の全てが、利敵関係にはしった為、我が皇軍は、苦戦を強いられ、全滅状態に置かれている。」といったような内容だったそうです。
九州、台湾では沖縄人がスパイして負けたという言い掛かりがまかり通っていました。
本土人の悪い所は何かあると周縁の人々のせいにしたがることでしょう。
何か事件があると、すぐに韓国、中国人のせいにし、基地は沖縄に押しやる。
昔からどうしようもないまま、今に至るのですね。
https://www.youtube.com/watch?v=mG2PMRFLElc

参考までに、からゆきさんのドキュメンタリー
最晩期のからゆきさんは、強制連行された朝鮮人慰安婦らの姐御的存在だったりする事があったようです。
しかしこの映画は山崎朋子「サンダカン八番娼館」と同時代のからゆきさんなので中期です。
40分頃の住友商事支店長の奥さんみたいな女性は今はいなくなったような気がします。
この女性を見てると懐かしいようなほっとする気がします。
稲田、高市、片山らのような汚らしい女が跋扈して顔を売っていますが、サムライだかなでしこだか知りませんが、もう日本史上最悪の社会状況になってますね。絶望。
https://www.youtube.com/watch?v=F-IwOEeEvoo

島田知事の最期

阪神さん、いつも資料をありがとう。
この番組を見た記憶があります。戦時中県庁職員で身近に島田叡知事を見ていた女性職員が「官長殿」と呼んで、追慕の情を語っていたのを覚えています。島田氏を直接知る人たちの証言からは、島田氏の人格について言うところないと言えましょう。

気を付けなければならない事は、対照的に前任の泉守紀知事は卑怯な人物だったと決め付けることでしょうね。評価が、十分な事実の検証の基づいてのものかどうか、見極める必要が有ります。

島田知事の最期については、『潮』1971年11月号特集に元日本兵・山本初男氏の「私は島田知事の最期を見た」という証言が載ってます。1945.7月に足への銃撃負傷のため身動きできない状態で、自然壕内で拳銃で自決されたようです。山本氏の証言文は近いうち、拙HPにアップしましょう。

島田知事は認識されていない

こんにちは。

「10万人を超す命を救った沖縄県知事・島田叡(TBSテレビ報道局『生きろ』取材班、ポプラ新書2014/8/1)」は島田知事の人物像を第三者の証言からつくりあげています。
この手の本は、主人公の一面を賞賛するきらいがありますが、実際その通りでしたw
特に島田知事の評判が「全島に響いていた」という持ち上げ方には、新聞記者特有のやり過ぎ感があります。
http://s3.gazo.cc/up/34649.jpg
当時、新聞を読んでいる住民は全体の何割いたでしょうか。
恐らく、都市部の一部の家だけでしょう。
またラジオを持っている家はエーキンチュだけですし、郵便局とかにあったりもしますが、当時はラジオ聴取が禁止されていたはずです。

何よりも雄弁に物語っているのは住民証言です。
島田知事赴任の話や、島田知事の戦時中の動向について語っているものが今の所「皆無」です。
これから出てくる可能性もありますが、無いとみていいでしょう。
当時の住民からすれば、島田知事の存在自体、頭の片隅にさえ無かったはずです。
島田知事を知っていたのは周辺の人間と、新聞を読んでいた一部の住民だけです。

一番知りたいのは島田知事の最後です。
これだけはわかりません。

トラウマ

伊藤さん

>それにしても、妻のしず子さんがシマに帰らなかったのはどうしてでしょうか。

理由はわかりませんが、私の個人的な考えとしては、親の承認を得られなかったからとか、親類単位で行動していた最中に勝手にアメリカーの元へ行ってしまったからだと思います。
日本軍から見れば非国民、スパイであり問答無用で斬首されます。
住民から見ても裏切り行為です。
シマの輪を切ってしまったので、戦後になって社会状況が変わっても、その輪はつなぎようがなかったのではないでしょうか。
許婚がいた可能性も高いですね。

那覇市民の半数は本土での就学、就職経験があります。
逆に言えば、それ程、沖縄の人は親元へ帰るという思いが深いのではないでしょうか。
また、砲弾雨の中を彷徨った住民の最後の希望は「どうせ死ぬなら生まれた家(またはシマ、墓)へ」でした。
それ故、シマに帰れないというのは、とても辛い事だと思います。

新刊本とても期待しています。
「沖縄戦と心の傷: トラウマ診療の現場から(蟻塚亮二)」という本が6月に出され読んだのですが、晩発性PTSDに苦しむ方が沢山おられるようですね。
PTSDとはあまり関係ありませんが、蟻塚先生には戦時に多発した精神障害の証言の一部をまとめてお知らせしました。

今年2月に、那覇の三越前で80歳を過ぎたお年寄りが、何か叫んでいるのを見ました。
何でも戦争と結びつけてはいけませんが、トラウマも苦しいですが、戦後、ずっと快復せず情緒不安定の方もいまだにいます。
佐藤優氏の公演で社会復帰出来ない方の話を聞きました。
戦争が何を残すのか、学術的にしっかりしたものを残す事は大変意義のある事ですね。

木村中尉の結婚式

阪神さん

木村中尉の結婚式の件は、全く気づきませんでした。ひととおり目を通したはずなんですが… 情報が多すぎて消化不良を起こしていたんでしょう。

他にも興味深い話があると思います。お気づきのことがあれば是非教えてください。

それにしても、妻のしず子さんがシマに帰らなかったのはどうしてでしょうか。痛ましいことです。土地にいられない事情があったのか、それともトラウマのようなものがあったのか。

なお、トラウマに関しては、
保坂廣志「沖縄戦のトラウマ-心に突き刺す棘」
を近々に刊行する予定です。乞うご期待。

知事選

 創価学会は、私は仏教会の異端児に過ぎないと思ってます。最初から公明党は信用してません。知事選には自主投票となっていますが、中央本部は仲井真への投票を指示するでしょう。沖縄の会員がそれに従わず、沖縄のナショナリズムを発揮してもらいたいと、期待せざるを得ません。

>翁長氏
彼は埋め立て中止を明言してません。だが、それは究極的に新基地建設阻止の戦略だろうと期待してます。大田昌秀元知事は翁長氏への支持を拒否してるようですが、今となっては、翁長氏のナショナリズム(愛郷心)へ期待する以外に、辺野古移設阻止の方策は残されていません。

こんにちは。

伊藤さん
伝書鳩については新たな証言が出て来たら報告致します。

沖縄戦下の日米インテリジェンスに出ている戦場の結婚式は有名な木村中尉ですね。
妻の新川しず子さんは戦後、一度もシマに帰らなかったというのが辛い話です。
木村中尉は一時期、沖縄文教学校の英語の教師をしていた可能性があります。
ひめゆりの方の証言で、そんな話があった記憶があるのですが、人違いかもしれません。
http://www.archives.pref.okinawa.jp/hpdata/DPA/HTML/USA/U06/12-51-1.html

キー坊さん

創価は今度の知事選でどうするのでしょうね。
創価の体たらくぶりは情けない限りです。

今は権力の一部

安座間さんが創価学会の本「沖縄戦 痛恨日々」.1975に掲載された証言は、1971年の「潮」の特別企画からコピーされたものようですね。
鎌田氏の記事も、1986年の「潮」に掲載されたものらしいから、今と違って創価学会・公明党は平和教育に熱心だったわけです。
政権に加わった今は、沖縄県知事選などに関しては、国の米軍基地押し付け政策の為に暗躍する組織になっています。

衛星放送の自然紀行を見てたら、ヨーロッパ戦線でドイツ軍は、隼(はやぶさ)の絶滅に力を入れていたとの説明がありました。何故かといえば、隼は伝書鳩を襲ったからだという事です。

伝書鳩を使った理由

阪神さん

伝書鳩に関する貴重な情報を有難うございます。
保坂先生に伝えておきます。引き続きの調査をお願いできればと思います。


沖縄戦で伝書鳩という原始的な通信手段を使わざるをえなかった理由は次のようなものではないかと思っています。

1.通信ノイズが大きかった。
通信部隊の記録を見ると、通信ノイズに手を焼いている様子が書かれています。中国大陸と気象条件(雷、多雨、多湿など)が異なるためでしょう。

2.通信距離が大きかった。
沖縄本島中部に米軍が上陸したため、部隊は南北に分断されてしまいました。両者の通信は困難だったと思います。出力の大きい3号無線機は馬でないと運べない代物だし、携帯型の5号無線機は短距離用です(安定した通信が保障された距離は10km)。

伝書鳩

こんにちは。

伊藤さん

「沖縄戦下の日米インテリジェンス(保坂廣志)」には伝書鳩の話が出ています。
私が住民証言と戦記の中で見つけた伝書鳩の件は以下の通りです。
これが全てではありません。まだまだ出てくるでしょう。

名護市史叢書・1 語りつぐ戦争-市民の戦時・戦後体験記録-第1集 P.118
情報は、電話もあるし、無線などもあるので、どことでも通信ができました。通信用の伝書バトも飼っていました。 証言者は山川敏子(当時16歳)

南風原町沖縄戦戦災調査9 照屋が語る沖縄戦 P.8
南星中学入口あたりに、鳩小屋があって伝書鳩が飼われていた。・・・略・・・照屋から与那原に向けて伝書鳩を飛ばしていたという。

糸満市史 資料編7 戦時資料 下巻 戦災記録・体験談 P.509
真栄里のカッチン山には、連絡用の伝書鳩と思われる鳩が飼育されていたという。

糸満市史 資料編7 戦時資料 下巻 戦災記録・体験談 P.532
(首里・宮城にて)犬も使った。100斤(60キロ)もある大きい犬をアメリカーにかみつかせた。また、ハトを放して敵のいる場所を確認していた。ハトは敵の上空を飛ぶように訓練されていたらしい。 証言者は賀数亀(当時21歳)

具志川市史 第五巻 戦争編 戦時記録Ⅰ P.501
(名護にて)私は小隊長のところにいたが、当時、伝書鳩のことを勉強していた。鳩の足に筒をくくりつけ、薄い紙に小隊長のいう言葉を書いて、きれいに折ってその筒の中に入れて鳩を飛ばす。伝書鳩を飛ばして戻ってこなかったら、鳩を受け取りに本部に行っていた。 証言者は島袋松太郎(当時27歳)

竹富町史 第十二巻 資料編 戦争体験記録 P.315
(登野城国民学校の兵舎にて)そこには軍用犬や伝書鳩なども訓練されていた。 証言者は入川廣雄(当時20歳)

あゝ運玉 沖縄戦記(川崎敬ニ)P.93
(45年6月上旬頃、八重瀬岳中腹にて)伝書鳩が羽を傷めて岩影にひそみ、クックッと鳴いていた。

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キー坊@ウチナー

Author:キー坊@ウチナー
沖縄本島中部、巨大な米軍基地を抱える町の生まれ。
齢を重ねるごとに、沖縄戦へのこだわりが強くなります。
曽野綾子・『ある神話の背景』は沖縄を究極的な軍事基地にする目的を持っています。「集団自決」は沖縄戦の集約された出来事だと思います。『ある神話の背景』は沖縄への抑圧・差別の集約文書です。

HP・「その『神話』の背景」(文献・資料集)
http://keybow.co

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