2017-08

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世に憚るインチキ商法の2

 19日には『月刊日本』から山崎行太郎氏・佐高信氏の『曽野綾子大批判』という対談本が出版されるそうである。これまで出版された批判本には伊藤秀美氏著の「検証『ある神話の背景』」という緻密な検証本があるが、山崎・佐高氏の新本は「ある神話の背景」に細かい予備知識がない人にも、入り易い内容になると思われるので、期待している。当ブログも「曽野綾子・ある神話の背景批判」に焦点を絞って記事を書かなければならない、と思っている。今回で周辺部分に関する話題は最後にしたい。

 外国語をマスターしようと思えば、その言葉が日常的に話されている土地に移住して、その言葉を使って生活するのが最も有効な方法である事は、日本に滞在してある程度の年数を経ている外国人を見れば分ることである。十年以上も住んでいるアジア人の現場労働者の中に、沖縄人の小生よりも日本語が上手いのではないか、と思われる人も珍しくない。ゴルファー・石川遼は今英会話達者だろうが、彼はかなりの年数海外ツアーで、英語しか通じない環境で過ごしてきたから達者になったに違いない。海外に行く前に日本で「Sラーニング」を使ってマスターしたわけではあるまい。
 自国にいて他国の会話を会得するには如何すれば良いか?「Sラーニング」は1日に数分、英語音声の後に日本語訳の音声を聞き流す訓練をやれば、英会話をマスターできると謳う。

 韓国でベストセラーになり、日本でもベストセラーになっている『英語は絶対!勉強するな』の著者・鄭 讃容氏の方法は次のようなものである。
 まず、1時間程度の英語だけが録音されたCDかテープを、テキストを見ずに一日に朝夕2回10日~数週間聴いて、意味が解らなくとも音そのものが聞き取れるようになるまで続ける。音が聞き取れるようになったら、それを自分か持っている語彙力の範囲でよいから、一通り辞書を使わずに、紙に書き出してみる。書き出した文章の全ての意味は解らないだろうが、それを和英辞典絶対に使わず、徹底して英英辞典を使って意味を調べるのだそうである。それでも完全には意味が理解できない場合は英語のテキストを見なければならないが、最後まで和訳文を見る事は禁忌とする。十分に頭を英語漬けにするためである。

 次に、自分で書き出した英文を音読するのである。その場合、アクセントイントネーションの違いなども意識しながら音読の練習をする。つまり、カタカナ式発音や日本語なまりの発音では駄目だという事である。徹底してネイティブのしゃべり方を真似るという事である。そのように音読できるようになったら一通り終了となる。このような行程をあと2~3本のCDを使って行う。
 その次の段階として、字幕なしの英語ドラマを観て出演者が話すネイティブ英語を聞き取るようにする。話している意味が聞き取れる段階になれば、ネイティブとの現実の会話に円滑に進むだろうという。この段階に達するまで個人差はあるが、1年半から2年半程度ではないかという。

 海外に移住することなしに、3年足らずで英会話をマスターする事ができるとすれば、驚異的手法であるとえる。しかも費用は教材代などで数千円で済むことになる。
 だが、私も半年前からその真似ごとのような事をやってみたのだが、なかなかの苦業に思える。まず朝晩1時間のCDを継続して聞く事が大変である。次に聞き取った音声を紙書き出すという事はまだやってないが、もっと手間暇がかかって完了するのに骨が折れると思う。そして、それをネイティブのように流暢に音読できるまでには更に時間がかかるとおもう。なにか従来の勉強する方法のほうがずっと楽なように思える。しかし、「勉強」したのでは、とても日本に居て英語をマスターできないだろう。有効な方法だと思うが、日常的に十分時間がとれる環境が必要であろう。
 私は生業に追われているから、半年の「絶対!勉強しない」方法で、(易しい)CDの聞き取りの段階でしかないのだが、だらだらと時間を掛けながらでもトライしてみたいと思う。もちろん海外で生かそうと思うのでなく、英語ニュースを読んだり聞いたり、英語映画を自在に見たりしたい為である。 

 「Sラーニング」は『英語は絶対!勉強するな』の売り文句をパクっているような気がする。「赤ちゃんは勉強しないで、親の言う事を聞き流して日本語を覚えていったでしょう。それと同じように、大人もCDを聞き流して自然に英語を覚えていけば良いのですよ。…」と、いかにも素人受けしそうな宣伝文句である。20年前にはこんな宣伝文句を言ってなかったように思う。『英語は絶対!勉強するな』が日本でもベストセラーになったので、その売り文句を剽窃したと推測する。
 創業社長のO谷ノボル氏は、最近ではラジオのCMに自ら出るようになっている。やはり朴訥なしゃべり方である。
 生島ヒロシ相手に「日本人がお金ない時代だったので、私は留学できなかったんですよ、それでこの方法を考えたんです。日本人は英語を日本語に訳してから喋ろうとするからダメなんですよ。スピードラーニングというのは、それを克服するためにできたんですよ。私、この方法に自信を持っています。…」

「悪い事は堂々とやれ」の俗諺を地で行くペテン師である。こんな人物がメディアを使って堂々とインチキ商売ができるのは、多額の広告料メディアや広告業界に払っているからだろう。インタビューの生島はこんなもの役に立たないと思っても、自分の業務と思って合いずちを打っているにすぎないだろう。石川遼にも高額の宣伝料を払ってやっているだろう。石川はこんな如何わしい宣伝に出て、大金を稼いでいるから、本業のゴルフが低迷するのである。ずっと予選落ちを繰り返しているのはここに原因があると私は確信する。

 植草一秀氏がいみじくも言うように、この日本は「自分だけ、今だけ、金だけ」の世界に没入してしまっているように思える。「Sラーニング」というインチキ商品が世に憚っている事も、その象徴的現象に私には思える。国家権力の「御用人」・曽野綾子は昔から「自分だけ、今だけ、金だけ」の世界に身を置いていただろう。40数年も前に、自分の利益のために、沖縄を食い物にする『ある神話の背景』を書いたのである。 
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コメント

有難うございます

伊藤さん、貴重な情報有難うございます。
あの台座は重機をもちいないと裏返しに出来ないでしょうね。
しかし深い谷間なのでそう簡単にはいきません。
http://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1399165500.jpg.html
http://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1399165519.jpg.html
http://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1399165535.jpg.html

あの台座を突き落とすのに、恐らくブルドーザーを使ったのでしょう。

旧白玉之塔の現状

沖縄の知人から情報をもらいましたので共有します。

1.旧白玉の塔は片付け、保管している。
2.碑文は今回片付けた塔ではなく、台座に書き込まれている。碑文は裏側にあるため読めない状態。
3.碑文の内容に関しては、村の人にも鉄の暴風の抜粋のようなものではないかという程度の推測情報しかなく、自決の軍命があったかどうかはよくわからない。
4.今回の手すりや歩道の整備は一括交付金で行った。

阪神さんが碑文が記載されている文献を見つけ、自決の軍命があったことを確認したのはホームランです。

山崎・佐高氏の本

佐高・山崎両氏の「曽野綾子大批判」を、昨日入手して、半分ほどを読んでいます。
渡嘉敷の戦時中についての分析は、細かい点はむしろ我々のほうが詳しいと思いますが、その背景にある思想的な分析は両論客に教えられるものが多いと思います。
末尾に、山崎氏は我々の名称をあげて、謝意を表しているようです。律儀な方です。
読了してから、この本についての記事を書きたいと思います。

いちゃもんボケ老人ろーま人

和田さん、ろーま人は何日のブログでそのような言い掛かりをつけていたのでしょうか?

年金要件4類型靖国論理

赤松等は表向き、隊長命令が年金をもらうのに必要だったと主張する。しかし、年金類型にスパイ容疑の斬殺が含まれるので隊長命令は要件ではない。   

渡嘉敷住民を脅した論理は狼魔人など原告応援サイトの最近の論理で分かる。 迫撃砲その他病死・餓死などで死んだ住民の遺族まで年金が降りている。

これは、年金類型の要件にあてはまらず、遺族は年金を返さなければならないというものだ。 狼魔人等が本音で語ったことを赤松隊等は渡嘉敷住民に語って脅したことは間違いないだろう。  これは、本土で米軍爆撃で死亡した住民に年金が下りず、甘受せよという靖国の論理である。

隊長命令云々は、後付けの論理に過ぎない。
表向きの論理と本音の使い分けをよくよく見極めなければならない。

謹呈しました

昨日朝、「曽野綾子大批判」を投函したので、今頃、田園調布に配達されたでしょう。
「山崎先生との論争に是非是非御参加下さい」と書いておきました。
返答を求める様な書き方をしなかったので返事は来ない可能性大です。
曽野綾子大先生!! 論争に参加しないと煉獄をスルーして地獄へ直行ですよw

和田さん、大城良平の新たな映像があるのですが、これは後日UPします。

大城良平にとっての年金という実利

http://keybow.co/ryouhei/ryouhei.kensi.html
上記に大城良平の証言として「住民をいじめなければならない立場は、人間として矛盾があります。住民は戦争はしませんから、作戦に関係ない
と思っておりました。こちらには住民にやっていけない事が少なくありません。捕虜になられると、こちらの陣地や兵力が敵側にばれてしまう。軍隊にとっては、大変迷惑な話です。
敵につれ去られていって、四、五日してから帰って来る。こういう事は明らかにスパイ行為をやっていると断定します。私は土地のものですから、事情に詳しいので、上官は私を側において取調べを
やる。罰するのは下の私です。私がやらなければ、又私自身も変な目でみられる。これが大変つらかったです。」との記載があるので、赤松隊の住民斬殺に大城良平が加わっているのは間違いないでしょう。

次に
大阪高裁判決
http://chushingura.biz/p_nihonsi/episodo/251_300/k_hanketu/20.htm
上記244頁には「戦史研究家である大江志乃夫が執筆した「花綵の海辺から」には、第4・5(2)イ(イ)のとおり、「赤松嘉次隊長が『自決命令』をださなかったのはたぶ ん事実であろう。西村市五郎大尉が指揮する基地隊が手榴弾を村民にくばっ たのは、米軍の上陸まえである。挺進戦隊長として出撃して死ぬつもりであ った赤松隊長がくばることを命じたのかどうか、疑問がのこる。」との記載がある。  その「たぶん」赤松大尉が自決命令を出さなかったと考えた根拠は、甲B 第36号証として提出された「花綵の海辺から」の一部からは、「沖縄県史  10巻」(乙9・781頁)に赤松大尉が部下を指揮できなかったことを指 摘する体験談を記載された大城良平の証言をあげる以外明確にされていない。 「沖縄県史 10巻」(乙9・781頁)に記載された赤松大尉が部下を指揮できなかったことを指摘する大城良平の体験談の評価については、第4・5(4)カ(イ)のとおりであり、大城良平から聞かされたという遺族年金の支給とい う実益問題にも疑問があることは、第4・5(3)のとおりであって、大江志乃 夫の「たぶん」赤松大尉が自決命令を出さなかったという観測的な判断は、 本訴において資料価値は低いものというほかはない。」との記載があり、

大城良平が大江志乃夫に遺族年金の話を聞かせたという事実があったと思われる。

 米軍上陸前後阿波連に防衛隊として勤務した大城が阿波連出身者だとすると、阿波連村落の、先行して北山陣地に向かって全滅に近い死者を出した半数の阿波連村民の血縁的に薄い遺族として大城が年金をもらっていた可能性はある。

  大城良平は赤松等から年金不正受給などと騒がないかわりに味方につけと言い含められた可能性が高いと判断される。
大城良平にとっては年金問題という実利が重要だったのではないか。

軍に接収された

キー坊さん、北山は米軍に接収された為、移転したそうです。
http://www.vill.tokashiki.okinawa.jp/archives/866
ただ、何故、碑を持っていかなかったのか謎です。
単に、台座を運ぶのが重すぎて困難だっただけなのかもしれませんが、米軍に協力を要請すれば何とかなったはずです。

1950年頃の雰囲気

 阪神さん、伊藤さん、情報を有難うございます。私は旧白玉の塔の存在を、貴兄らが知らせてくれるまで知りませんでした。如何なる事情でそれが放棄されたのでしょうね?

 『鉄の暴風』の出版は1950(s25)年、取材はその前年で、執筆者の太田良博は、渡嘉敷の宮平栄治から赤松隊の暴状についての情報提供を受けたと言っています。旧白玉之塔が建立された頃は、赤松隊のせいで住民多数が犠牲になったという怨念が、渡嘉敷住民の間に充満していたと推測できます。

 だから、大城良平や古波蔵容子らも碑文の内容に異議を立てられなかったのだと思います。彼らが積極的に赤松隊擁護の発言をするようになったのは、70年の赤松渡沖、同時期の曽野綾子の、本格的赤松援護の為の沖縄取材の頃からだと思います。軍国復活勢力の動きに呼応したのではないでしょうか。

 

憶測ですが

伊藤さん、議員情報有難うございました。

私は、大城良平は住民虐殺に関わっていると思います。
防衛隊員とはいえ元軍人ですし、完全に日本軍側の人間です。
島民殺しに加担したという負い目が「これが日本軍だ」での日本軍擁護、住民虐殺正当化発言になったのではないかと思うのです。
本島での住民虐殺には住民による情報提供(スパイ)や護郷隊員による住民殺害がある事から、日本軍側に立つ思想の持主であれば、虐殺に関わっているのではないかと予想をしたくなります。

以上は憶測に過ぎない私の考えです。

はっきりしているのは「大城良平は日本軍側の人間」という事だけです。

旧白玉之塔の建立時の村会議員

阪神さん
いつもながらの卓抜した情報収集力に敬意を表します。

渡嘉敷村史(通史編)によれば次のことが分かります。

旧白玉之塔が建立されたのは1951年3月28日

建立時の役職者は
村長:吉田英治
助役:仲松栄三郎
村会議員:中野盛吉、小嶺源次、宮平栄一、屋比久孟祥、与那嶺勲、源哲夫

です。

大城良平氏は村会議員ではありませんが、上記の村会議員は1950年9月に選出されており、その前の期間では大城氏は村会議員でした。またこの後、1954年1月に再度村会議員になっており村の有力者だったことは間違いないようです。ただ、碑文の決定プロセスに大城氏がどの程度関与したかはなんともいえないところかと思います。

いずれにしても、1951年に村として「自決命令があった」と碑文に書いたわけですから、「1957,8年頃に年金欲しさに自決命令説をデッチあげた」という説は全く根拠がありません。

旧白玉之塔碑文

旧白玉之塔碑文が判明しました。
具志川市誌(1970.5.10発行)に出ていました。
船舶特攻隊長某氏となっていました。
ここで気をつけなければいけないのは、発行されたのが赤松騒ぎの1ヵ月後ということです。
印刷が4月初めだとすると、ぎりぎりに編集し直して、赤松を某に変更出来た可能性が極々僅かながらあります。
よってこれより古い書籍に白玉之塔の碑文が出ているかどうかを調べなくてはなりません。
これは今後の課題とします。
この碑文は村会議員らの合意で考えられたものと思われます。
この碑文が作られた当時、議員だけでなく、村人達も赤松の軍命で集団自決が行われたと思っていたからこそ、この内容なのです。
馬鹿どもが言うような、お金欲しさに隊長命令を捏造したのではありません。
集団自決の時から、軍命だと多くの村民が認識していたのです。
1970年当時、大城良平は村会議員でしたが、この碑が作られた当時も議員だったかどうかはわかりません。
しかしながら、第一中隊の防衛隊長だった事などから、村人達の中で中心的な存在であったと推察されます。
よってこの碑がつくられた当時も村の中で権力を持った存在だったのではないでしょうか。
もし議員であったのならば、この碑文の「案」も見ていた可能性があります。
その当時、この碑文に反対しなかったのでしょうか。
謎の男、大城良平は何故、赤松を擁護するようになったのでしょうね。
http://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1397820739.jpg.html

マルレ動画あり

NHKのHPでマルレを試験する米軍の動画がありました。
http://www.nhk.or.jp/okinawa/senseki/map/detail94.html
2年前には放送出来たでしょうが、今後は馬鹿会長に見られるように、朝鮮半島から強制連行された軍夫の証言は自粛してやらないでしょうね。

(訂正)↑エルが抜けていたのでlを最後に付けました。

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キー坊@ウチナー

Author:キー坊@ウチナー
沖縄本島中部、巨大な米軍基地を抱える町の生まれ。
齢を重ねるごとに、沖縄戦へのこだわりが強くなります。
曽野綾子・『ある神話の背景』は沖縄を究極的な軍事基地にする目的を持っています。「集団自決」は沖縄戦の集約された出来事だと思います。『ある神話の背景』は沖縄への抑圧・差別の集約文書です。

HP・「その『神話』の背景」(文献・資料集)
http://keybow.co

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