2017-07

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「生贄の島」について ①

>一九六七年の十二月、私は偶然、琉球大学教授仲宗根政善先生のお宅で、往年の三人の師範生にお会いした。佐久川ツル、真玉橋藤子、喜舎場敏子さんのお三人であった。

、「生贄の島」の後書きで、曽野綾子が書いたように、自分の沖縄への関わりは、三人の「姫百合部隊」の生き残り元女学生との出会いが契機となったと述べている。曽野が沖縄へ最初に行ったのは1961年初めのことである。この時が2回目の訪沖であったかどうかはよく分からないが、その間、沖縄戦のことについて調べ続けていた事は想像できることである。

仲宗根政善とその教え子三人の話を聞き、まだ、女学生の犠牲の状況の全体が十分に分っていない事を知って、物書きである自分が解明したい気持ちが湧き起こり、重なる幸運にもめぐまれ、その役割を担うことになったと書いている。

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そして、講談社から資金と人材を提供してもらうことに成り、1968年11月下旬から2週間の間、集中的に沖縄での取材を決行したと、当時の「週刊現代」敏腕記者の鈴木富夫氏が、文春文庫版の「生贄の島」解説文で書いている。曽野はこの時に、沖縄で「慶良間の集団自決」の事を聞き及び、関心を抱いたとしている。
そして、その後に1971年に、小説「切りとられた時間」を書き下ろし、同時進行的に「ある神話の背景」を、雑誌「諸君!」に連載を始めている。

私は、曽野は68年11月の沖縄取材で、初めて渡嘉敷島『集団自決』に興味を起こしたのでなく、それ以前に既に、渡嘉敷島のことは視野に入れていたと思う。「生贄の島」集中取材と同時進行で、渡嘉敷の事もひそかに取材していたであろう。翌年も沖縄を取材したらしく、富山真順の証言では、1969年に渡嘉敷島に来た曽野と面会し、戦時中の手榴弾配布の話をしたとしている。この事はもちろんん、「ある神話の背景」には書いてなく、後の「家永裁判」でも知らぬ存ぜぬを押し通した。
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キー坊@ウチナー

Author:キー坊@ウチナー
沖縄本島中部、巨大な米軍基地を抱える町の生まれ。
齢を重ねるごとに、沖縄戦へのこだわりが強くなります。
曽野綾子・『ある神話の背景』は沖縄を究極的な軍事基地にする目的を持っています。「集団自決」は沖縄戦の集約された出来事だと思います。『ある神話の背景』は沖縄への抑圧・差別の集約文書です。

HP・「その『神話』の背景」(文献・資料集)
http://keybow.co

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