2017-11

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木嶋被告に貶された佐野眞一

 
 下の写真は、首都圏連続不審死事件を扱った佐野眞一著の『別海から来た女』の表紙である。被告である木嶋佳苗の顔写真が使われている。昨日12日、被告控訴が棄却され1審の死刑判決を支持した高裁判決が下された。
 なぜ、拙ブログの主旨にそぐわないこの事件を取り上げるのかといえば、木嶋被告が今年初めに拘置所内で開設したブログ記事に、著者・佐野眞一を貶している「ノンフィクション作家」という記事があるからである。 私は前々から、『誰にも書かれたくなかった沖縄戦後史』を書いた佐野眞一について、ノンフィクション作家としての低劣性・欺瞞性を糾弾していた。かれの盗用・剽窃癖が発覚した以後も、今年になって2回批判記事を書いた。

木嶋佳苗
 木嶋被告は、自分のことを追求した佐野眞一の『別海から来た女』について、2月23日付のブログ記事で、
「彼は、過剰な人の心の闇や血脈だのに拘泥し過ぎるあまり、大切なことを見失っている。取材対象をいかに口汚く罵ることができるかに全精力を注ぐ下品な芸風は、私の好みではない。」
 木嶋被告のこの指摘は、彼の失脚の契機になった週刊朝日『ハシシタ 奴の本性 橋下一族の真相』を読んだ時の私の感想に相通じるものがある。

「それはともかく、この本で彼が、私について『おそらく』『だろうか』『思われる』『ではないか』『していたのだろう』『だろうと思った』と推測して書いた文章の全てが事実と異なっていることだけは、断言しておきます。」
 とも書いている。
 これは『誰にも書かれたくなかった沖縄戦後史』の中の「空白の戦後史」を読んだ後の私の感想とほぼ同じである。事実を針小棒大、誇張して記述することはノンフィクションとして価値のあることではない。木嶋としては、自分について書かれた部分が、事実と異なる事があまりに多いということである。 木嶋佳苗は殺人事件の被告であるが、物書き・ライターの資質を見抜く観察眼はあるのではなかろうかと思ったのが、このブログで取り上げる理由である。
 
 1月5日のブログ最初の記事で、木嶋は「私がブログを始めた理由」と題して、もうメディアでも周知のことになっているが、ジャーナリストでノンフィクション作家の青木理氏が鳥取の連続不審死事件と裁判を追ったルポ・「誘蛾灯(ゆうがとう)」を読んで、被告の上田美由紀に猛烈にな嫉妬感を覚えたそうである。(青木理といえば、阪神さんの情報で、2008年春頃、中野ゼロホールで催された「週刊金曜日」と「月刊日本」合同シンポジウム(出演、雨宮かりん・佐高信・佐藤優・山崎行太郎)を見に行った時、司会進行役を務めていた40がらみの好青年が青木氏だったと覚えている。当時は今のようにマスメディアで顔と名前は売れてなかったと思う。) 

木嶋被告は次のように書いている。
「嫌疑をかけられ、地裁で罪を認定され、極刑に処された人間に判断を留保し、被告人(上田被告)の話に耳を傾けようとしてくれる有能なジャーナリストが、どれ程ありがたい存在なのか、彼女はわかっていない。私は彼女を大馬鹿だと思った。腹立たしくもあった。彼女は、自分が青木さんに選ばれた僥倖をわかっていないのだ。私の事件や裁判を報道したのが、無能なフリーライターばかりだった無念も、彼女にはわからないだろう。そう思ったら、泣けてきた。」
「本とは関係ないけれど、私は個人的に青木さんの髪が好き。ほんの少し白髪混じりで長めのサラサラした真っすぐな髪が、とても似合ってる。長身痩軀のあのルックスで取材に来られたら、ドキドキしちゃうだろうなぁ…」

 後半の部分がマスメデイァでは面白おかしく紹介されているが、佐野眞一のように、被告に一度も面会にしないで、事実とかけ離れたことを書いて犯人と決め付けるライターがほとんどである対し、青木氏は鳥取に出かけ、獄中の上田被告に2度面会して、彼女について有罪と決めつける書き方を避けているようだ。その点に木嶋佳苗は感動し青木氏にあこがれたようである。
 私はまだ青木理氏の本を一冊『トラオ』)しか読んでないのだが、主にラジオでの発言を聴いてる限り、決して過激ではないが権力には媚びない姿勢が常に感じられる。本質には迫らず反権力を装っている佐野眞一とは雲泥の差があろう。

 昨日の判決公判を傍聴したという青木氏は夜のニュース番組で、彼女に惚れられた事については照れて触れることはせず、「自分はこの事件をほとんど取材をしてなく、今日の判決審が初めての傍聴だから、多くを語る資格はない。だがこの事件も鳥取の事件と同様、直接証拠は一つもなく、間接証拠の積み上げによって有罪・死刑の判決を下している。自分は取材をしてないので有罪・無罪についてコメントすることできない。情況(間接)証拠で以て死刑という回復不能な量刑を科すことには疑問を感じる。」と感想を述べていた。
 放送局の要請で判決審を傍聴したのだろう。死刑再宣告された木嶋佳苗被告はに同情的だと思われた。

 私個人は、木嶋被告は有罪に違いないと思っている。情況(間接)証拠といえども、例えば使われた練炭や睡眠薬の同一性、入手経路の特定など、それはかなり濃厚な情況性があるものと思える。何よりも、青木氏が真摯に取材を行って本にした鳥取事件の上田美由紀被告に、強い嫉妬心を感じたという事は自分が有罪であるからではないだろうか。3名(もしくは4名)の悦命を奪った事を考えれば死刑もやむない気がする。

 今回の拙記事は首都圏連続不審死事件をめぐって、佐野眞一のノンフィクション作家としての欺瞞性・低劣性を言いたいが為である。数々のベストセラーを書いてきた佐野の欺瞞性・低劣性が木嶋佳苗という「毒婦」によっても、明らかにされたと思う。おそらく、木嶋佳苗は男の本質を見抜く感性が旺盛なのだと思う。だから、あれだけ多くの男達を手玉に取れたのではないか。また、自分の死刑確定を自分で確信していると思われる。究極の情況に居る自分を「正当」に描いてくれる書き手を探していたのではないか。

 佐野眞一は、歪曲・誇張の表現方法の他に、猪瀬直樹によって「盗用・剽窃」の常習も暴露された。事の大きさの割には、マスコミで批判されてないが、私は、これは大手出版社が彼を復活させて、再びベストセラーを書いてもらいたいからかと勘繰っていたが、そうではなさそうである。今までは儲からせてもらって見て見ぬふりをしていたマスコミは、佐野を叩けないからであり、静かにお引き取り願いたいための沈黙に違いない。佐野は木嶋被告からも、ブログで次のように同情されている。
「彼は、12年に橋本徹大阪市長の人物論を書き、血脈思想、差別主義、人権問題で批判を浴び、その直後に、長年にわたって他人の著作からの盗用をしてきた剽窃問題のダブルパンチで休筆に追い込まれ、生ける屍となった。
彼がまともな神経の持ち主であれば、体調を崩したであろうし、眠れぬ夜もあったと思う。晩節を汚した猪瀬直樹さんと同世代、同類の彼は、今後どうなるのでしょうね。」
と。
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プログ開設について

伊藤さん、キー坊さんからプログ開設を要請されたわけですが、すぐには開設出来ないこと、曽野綾子が主題とはならないことを説明します。  「最強のオーディオ」で検索すると、結構上位で楽天プログ文学中年のホームページが出ます。 そこのWとは私のことです。 中1頃からベートーベンオンリーに近く死ぬ前に、フルトヴェングラーの1943年「第5」LPを一番いい状態で聴くのが夢です。  数百万のプリアンプを購入するため、友人と喫茶店に行くことも年一回程度にしています。 これまで、金を掛けすぎたので会計専門家の妻に遠慮しています。

 プログを開設できたとして、書き込むことは「ある神話の背景」よりは、東アジアでの祭祀的政治について、つまり神道や儒教批判を書くことが主体となると思います。 
神道・儒教・記紀・国学・民俗学・シャーマニズム・農本主義・皇道派・祭祀・呪術そんなものが嫌いで独自の視点を開発しています。

一端は「和田」名のアマゾン書評の「国体の本義」、中島岳志「血盟団事件」、長谷川三千子「神死にたまわず」を見てくださればなるほど、右翼に徹底的に嫌われる論説だと納得されることと思います。

「ある神話の背景」の資料は幅10数㎝のファイルで6冊程度になっているので他の人の資料と照合してみたい気持ちはあります。

1975年地図

↓の39年前の地図で集団自決の地を見ると北山に米軍基地の跡がまだ残っていたようです。
http://user.numazu-ct.ac.jp/~tsato/webmap/map/gmap.html?data=djws

貴重な発掘

和田さんが発掘した資料には、貴重なものが二つあると思います。一つは『青い海』 (1971.4~1985.9)の1971年6月号に載った、名古屋での赤松隊戦友会に曽野綾子が同席している写真です。これを私は山崎氏のブログで知ったのですが、和田さんがネタ元だったのですね。これは『ある神話の背景』の欺瞞性・謀略性を証明する重要証拠です。昔に廃刊されているだけに貴重な発掘でした。
http://keybow.co/akamatutai/sinjite-aoi.html
もう一つは、1945年3.26早朝の潮位は満潮に向かっていたのが事実であり、曽野が書いてるように干潮に向かったので、はん水作業が困難になったというのは嘘であったという事を明らかにしてくれた事です。
その他にも、和田さんは重要資料をお持ちのことと思います。これらの資料をまとめて論評を加えた資料集を、ブログ或いはHPとして開設してみては如何でしょうか?
 

削除されたコメント

あまりにひどいのを見かねてアマゾンがSORA氏のコメントを削除したのだとばかり思っていました。和田さんによれば、SORA氏が都合の悪くなった自分のコメントをこっそり消したということですね。書いている内容のレベルからさもありなんと思いました。

そういう卑怯なことを許さないためには、和田さん自身がサイトを立ち上げて、そこに魚拓をしっかり残しておくとよいのではと思います。キー坊さんも和田さんのサイト立ち上げを勧めていたように記憶しますが…

一水会、狼魔人、ROCK

私が誇らしく思っていることがある。 私は過去、一水会・狼魔人・ROCKらに閲覧禁止・投稿削除予告・削除などを受けている。 それほど右翼が嫌う論理を語っていると思う。 忠告どおりsoraへのこだわりはほどほどにする。 彼らは、私のコメントに反対者を多数引き込んで勝った気分になるのだが、彼らを怒らせたことを喜びとする。  しかし、きちんと論理的な対応はすべきなので、以下のコメントを最後とした。

「Soraの仕掛けた「論争」について纏める。結論 精査すると、これはおよそ「論争」などといえるものではない。Soraの自作自演・謀略と断言できる。 理由の要約 一般的にいえば、名誉毀損という言葉には、名誉毀損性(誰かを悪く書いた)という意味と名誉毀損に伴う賠償責任があるとのどちらの異議かはっきりしない。  しかし、地裁・高裁判決とも前者を名誉毀損性、後者を名誉毀損と使い分けており、しかも目次や判決の趣旨により、名誉毀損性は認めたが、名誉毀損による損害賠償を棄却したことが明らかである。 このような地裁・高裁の判決書についてsoraが「判決は名誉毀損を認めた」と断定したのは、判決の内容を無視した自作自演の謀略であり、そのような断定を前提とする論議は論議といえず、謀略と謀略を証明する次元の問題でしかない。

謀略の方法と手順
いわゆる歴史認識を巡り、広義と狭義の概念が異なることが争われることがある。  しかし、名誉毀損性Aと名誉毀損による損害賠償権成立Bは、そのような幅のある広義・狭義概念の対立とは関係ない。
確かにABを共に「名誉毀損」という語句で括った文章の場合には、広義狭義の区別を文脈上でしなければならないことになる。  しかし、地裁・高裁判決ともAを名誉毀損性、Bを名誉毀損と区別して表記した上、論理の手順・文脈上も両者が混同されているわけではない。
私は、数年前に地裁・高裁判決とも全文数回読んでいるので、判決の趣旨は理解していた。そこで、語句の区別を判決書から確認することなく、(AをBと混同させる判決書の表現だったのかもしれないが)判決書の目次・論理・文脈から判決書でAとBはきちんと区別され、Aは認めているが、Bは認めていないと正しく指摘した。 しかし、soraがしつこくいうものだから、念のため判決書を数年ぶりに読み返したところ、両判決書は語句上もAとBを区別した記載であった。 このことから、地裁・高裁の判決書ではABの区別を文脈で広義・狭義という概念の幅で区別しなければならない必要はない。
のみならず、判決書ではAは単語概念、BはAに異なる損害賠償請求権設立という異なる概念を加えた熟語であることが簡単に拠る取れる。  つまり、判決書の趣旨は形式的な記述だけでは内容を判断できないというものではなく、形式的な記載だけでAは認めるが、Bは認めないとわかる内容である。
以上のことから、soraが判決書が(単に悪口を記載したという)「名誉毀損性」があると判示したに過ぎない記載を「判決は損害賠償件成立を認めた」(soraは判決が「名誉毀損性」と語っている箇所を「名誉毀損」と記載したのである)と語るsoraの言い分は自作自演の謀略以外の何物でもない。
なお、soraは自ら書き込んだコメントを削除している。  これは、自らの謀略性を隠蔽するための
ファクト・ロンダリング(事実隠し)といえる。 私はこれまでのコメントの連続性を検証できるようにするため、自分のコメントはsoraに騙された部分・五階部分を含め削除しない。

今後soraとの会話はsoraの接点外しにより、将棋の千日手のように意義がないものとなろう。
従って、今後新しい事態がなければ、私から付け加えることはない。」

無視すべきでは

soraという人は、ネトウヨと言っていい人でしょう。常に権力の側に立ち、ああ言えばこう言う人でしかないと思います。相手にする事は、労力の無駄になると思います。
私は前から言っているように、赤松からの「直接命令」が在ったとは思いません。日本人(大和人)の性質からいって、物事の伝達は言葉以外の手段でもって行うのが常だと思っています。
要するに、言葉より強い伝達手段(無言の強制)でもって、日本軍は住民を死に追いやった事は疑いのない事だと思います。

 和田さん、この相手にムキならず、老いつつある曽野綾子に(直接)矛先を向けて行ってはいかがでしょうか。

SORA氏の論法について

アマゾンの曽野綾子「ある神話の背景」(ワック版)での、和田-SORA論争を読みました。SORA氏と思しき人の発言がアマゾン側で削除されていることから分かる様に、生産的とは言えない論争になっているように見受けました。

SORA氏の主張は根拠がはっきりしないことが多いのですが、和田さんが書かれている名誉毀損に関する部分以外に1ヶ所、根拠らしきものがありました。高裁の判決で《本件証拠上具体的な各「直接命令」を証するに足る的確な証拠はないとするのが素直である。》とあることから、「自決命令」はなかったと裁判所は判断しているとsora氏は見ているようです。

しかし、これはおかしい。というのは判決文は上記文章の直後に「しかし」と続け、論理を逆転させているからです。《しかし、原判決もその説示で縷々検討するとおり、反対に本件証拠上各「直接命令」は無かったと断定できるかといえば、それもできないのである。敵が上陸した場合は玉砕する、捕虜になることは許さないということが日本軍の大きな方針であったとすれば、それに従って部隊長として自決の指示をするのはむしろ避けられないのであって、軍隊組織であればそれは命令を意味するといえる。》

もう少し先まで読むと
《それ[直接命令のこと]を否定するに足る的確な証拠はない。》と同じ表現で「「直接命令」が無かった」という主張を退けています。したがって、裁判所の判断としては《その[直接命令]の有無を断定するには至らないというほかない》が結論になります。

なお、裁判所は「ことここに至っては、全島民、皇国の万歳と、日本の必勝を祈って自決せよ」といった無慈悲な隊長命令を「直接命令」、日本軍が集団自決に深く関わり集団自決に追い込んだこと総体を「評価たる軍命令」と呼び、両者を区別しています。そして「評価たる軍命令」については存在を肯定しています:《集団自決に日本軍が深く関与しそれによって住民が集団自決に追い込まれたという要素は否定しがたいところである。》

SORA氏の議論の仕方は次のようです。
・相手が何を言おうと「それは推測だ。妄説だ。根拠を示せ。」と言う。
・相手の主張に対して断片的事実で反論する(上記例でいうと高裁判決の一文だけ切り取る)。
・自らの主張を論理立てて説明することはしない。

このような人とは、レフェリー役、議長役のような人を立てないと、まともな議論にならないように思います。



続報sora

地裁判決を読み返せば良かった。 地裁判決では名誉毀損性をそのまま名誉毀損性と記載しています。その上で判決書209頁で名誉毀損にかかる損害賠償の意味を単に「名誉毀損」と記載しています。

従って、soraが判決が「名誉毀損を認めた」というのは完全無欠なデマであり、コメントで私が記載した名誉毀損の意味も間違いとはいえない。   soraらが意図的に名誉毀損性を名誉毀損にすり替えた謀略事件というのが結論です。

soraへの反論

私の「集団自決の真実」その他へのアマゾン書評について、soraが判決も名誉毀損を認めていると日本語の曖昧性を利用して批判している。 今後も論争は続くと思われ、soraの論理に騙されている者も結構いると思われる。  長くなりますが反論2本を纏めて引用します。
「Soraの主張はsoraの発明ではなく、判決直後から原告応援サイトで盛んに「裁判所の判決は大江の名誉毀損を認めている。従って原告の軍命令や軍関与がないとの主張が認められたのであり、(形式的には敗訴だが)実質勝訴である」との主張を鵜呑みにしたものだ。 特に悪質なのは徳永弁護士で、彼は法律用語を知り、判決内容を熟知していながら日本語の曖昧性を利用し、法律論理を解体し悪質な屁理屈に再編・再構築してきた。  この際、この種の主張の屁理屈たる由縁を明らかにしておこう。 そうなると、中学生程度でも理解できるように、法律の構成要件とか、違法性阻却事由などの法律論を避けたほうが良い。 曽野綾子が罪の巨塊を悪の巨魁類似の表現と推定したのは、誤解に属するが原告サイトの上記主張は謀略としかいいようのない悪質なものであることを論証する。
さて、小中学生が「豊臣秀吉が大阪城を建てたのではない。大工が建てたのだ。」と言葉の遊戯をすることがある。 実際には、建てるという意味には発注者が発注(注文)するという意味と、受注者・施行者が建築するとの両義が含まれ、会話又は文章の文脈でそれぞれの意味を使い分けている。 だから秀吉が建てたことも、大工が建てたということも誤りではない。
名誉毀損の話に戻る。 ヒットラーに子孫がいたと仮定して、ヒットラーを「殺人鬼」などと記載又は口にすることは名誉毀損に当たるのかどうか。 一般人の会話では、「ヒットラーほどの極悪人をののしったところで名誉毀損には当たらない」という言い方が通用している。口げんかで相手をののしる場合も、事実だから名誉毀損には当たらないなどの言い回しがよく語られる。 実は、この言い方は法律的つまり、論理的には誤り、又は不充分な言い回しといわざるをえない。論理的に正しく補正整理すると「このような罵詈雑言(悪口)は名誉毀損に当たる。しかしながら、ヒットラーのような人物に罵詈雑言をしても問題はない。ヒットラーは悪口をいわれて当然の人物であり、悪口を言われてもしかたがない。悪口を言う側に非難されるべき筋合いはなく、従って責任はない。」という意味であり、ヒットラーに対する悪口では名誉毀損性が消える(消失)するというものではない。ヒットラーに対する名誉毀損は存在する。 実際、口げんかで悪口を言い合う場合には、相手を人格下劣な人物としておとしめることを目的としている。 ヒットラーのような悪名高い人物に対しては怒りや憎悪の感情なしに自然に「殺人鬼」又はそれに類似した最大級の悪口を語ることがある。しかし、通常の会話での悪口は、相手に対する怒りと憎悪から相手を卑しめようとする目的で発せられる。

判決でいえば、被告の言動に名誉毀損性がないとするならば、被告に損害賠償を求め、あるいは罪を宣告することはできない。従って、名誉毀損裁判では原告に名誉毀損を争う立場(本人や遺族)にあるかどうかということと、被告の言動に名誉毀損性があるかどうかをまず確認する。それが定型パターンである。それら二つの事項が確実に否定的であれば(名誉毀損の関係者でない、名誉毀損性がない)その他の争点は省略して直ちに原告敗訴の結論を出す場合もある。その場合の判決書には「以上のとおりであるからその他の争点は検討するまでもなく云々」の定型語句が記載され、その他の争点については、裁判所とし判断しない。 つまり門前払い(却下)ではないが、門前払いに近い判決となる。
大江・岩波裁判ではそこまで原告をむげには扱わなかった。 被告の表現に名誉毀損性はあるが、真実相当性は否定されないので、原告の損害賠償請求は認めないという原告完全敗訴の判決なのである。

原告サイトは日本語が曖昧なことを利用して、名誉毀損性があることが直ちに真実相当性を否定することに繋がるという、まことに非論理的な思考回路を用いて素人を騙そうと謀略を展開したにすぎない。
何度も同じことをいうが、名誉毀損性と真実相当性は別次元の問題であり、裁判所として独立して判断することが当然なのである。  原告サイトは、このことを混同して子供だましの屁理屈を編みだし流布しようとしただけである。

やはりsoraは大手(玄関)からではなく、搦め手(裏口)で議論をそらすのですね。   わずかな誤り(soraにとって不利なものだが)があったので訂正の意味を含め、名誉毀損と名誉毀損の損害賠償又は贖罪の違いを纏めよう。  まず一般的な場合Ⅰのⅰ口げんかで名誉毀損を問題にする場合、3割ほどは次のような否定の定型句がある。 「悪口を言おうが、それは真実だから名誉毀損には当たらない」
Ⅰのⅱ 7割ほどの定型句。 興奮した場合などやや品のない定型句ではある。 「真実を言って何が悪い。」    特殊なⅡのケースは後で扱う。
一般的な場合のⅰの定型句は厳密に論理的・法律に引き直すと舌足らずな表現となる。   正しく言えば「確かに悪口を言った。しかしそれは真実だからたとえ、名誉毀損の効果があるにしても、言った方に責任も違法性もない。」     一方ⅱの定型句は法廷で争われる殆どのケースにおいて、損害賠償を否定する判決の主要な判決理由となる。  新聞社や週刊誌発行者に対する名誉毀損損害賠償訴訟のほとんどは、記事の真実性を争い、真実性が否定されれば損害賠償せよとの判決が出る。  損害賠償をする原因は、名誉毀損効果を前提として、真実性が否定される記事を掲載したことにある。
従って裁判においても、記事内容などに名誉毀損性があり、名誉毀損の効果があるかどうかは、記事内容の真実性とは独立して検証されるのである。  名誉毀損性のある記事を掲載した新聞社や出版社であっても、真実性が否定されないことを理由に違法性・責任制を否定され、従って損害賠償を免れる判決を得た事例はごまんとある。  名誉毀損性と真実性を混同させるのが原告応援サイトの謀略だが、論理的には通用しない。次に事実を語っても損害賠償を課される事例Ⅱを検討する。  出自・人体の障害などについて、事実の指摘を差別的な用語を伴って語り、あるいは記載することは損害賠償の対象となる。 最近の事例では、在特会によるヘイトスピーチがそうである。 自分の意思ではどうにもならない出身民族や不自由な人体性について口を極めてののしることは、極めて悪逆非道であり名誉毀損の「違法性」があり、「責任を取らせる必要」がある。
ヒットラーや赤松については、名誉毀損性のある記載をされても仕方がないということなのだ。  曽野綾子についてもしかりだから、私は曽野綾子への名誉毀損の目的を持つ記載をすることについて何の罪悪感も躊躇も持たない。 また、曽野綾子が訴えてくれれば、曽野綾子の嘘の真実性について、議論が出来るので望むところである。」

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キー坊@ウチナー

Author:キー坊@ウチナー
沖縄本島中部、巨大な米軍基地を抱える町の生まれ。
齢を重ねるごとに、沖縄戦へのこだわりが強くなります。
曽野綾子・『ある神話の背景』は沖縄を究極的な軍事基地にする目的を持っています。「集団自決」は沖縄戦の集約された出来事だと思います。『ある神話の背景』は沖縄への抑圧・差別の集約文書です。

HP・「その『神話』の背景」(文献・資料集)
http://keybow.co

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