2017-09

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「ノンフィクションの虚人」佐野眞一

 「ノンフィクションの巨人」という称号で呼ばれてきた佐野眞一が、同業他者からの盗用(パクリ)を長年行ってきたという事を私が知ったのは、去年(2013年)の秋頃、佐野眞一の先輩格に当たる溝口敦氏が「日刊ゲンダイ」に持っているコラムで、以下のように書いていたのを見たからである。
 1985年、溝口氏の著作中の文章が、雑誌掲載の佐野の文章に盗用されたのを知り、その出版元に抗議したところ、出版社は溝口氏に深く謝罪し、佐野本人も氏の元へ謝罪文を送ってきた、というものである。だがなんと、佐野はその1件にとどまらず、それ以後28年間も同業者からの盗作を繰り返しているという、驚くべき内容のものだった。

            巨人から虚人
             『佐野眞一が殺したジャーナリズム』溝口氏論考
            佐野眞一から溝口氏への詫び状
             佐野眞一から溝口氏への詫び状 1985年

 その事が広く知られる事になったきっかけは、『週刊朝日』2012年10月26日号(17日発売)に佐野が書いた、橋下徹大阪市長への誹謗中傷・部落差別問題となった「ハシシタ 奴の本性」というルポだったのである。周知のように、このルポ記事は部落解放同盟などからの抗議を受け、第1回だけで連載中止、出版社社長の辞任、佐野眞一の謝罪文発表に追い込まれている。
    橋下徹氏は直ぐに週刊誌発売の翌日から、記事への反論をテレビ・記者会見・ツイッター上で開始したという。橋下氏だけでなく、当時東京都の副知事だった同業者・猪瀬直樹も・ツイッター上で、発売の翌日から佐野眞一の過去の盗作の事実を事細かく暴露し始めたという。なぜ、猪瀬がそんな事をやり始めたのかと推測すれば、猪瀬は当時の都知事の石原慎太郎の後釜としての知事候補に決まっていたものと思われる。その石原は橋下徹と野合して、「日本維新の会」の共同代表に収まったばかりだった。石原の配下と言っていい猪瀬は、「維新の会」にとって目障りとなった佐野眞一を追い落とすために、佐野の過去の多数の盗用データを、ツイッターという媒体で世に知らせたのだ。石原が衆議院に転身した後、直後の2012年12月の都知事選で、猪瀬は圧倒的得票で当選している。 
 
 溝口氏のコラムでは、既に13年の5月には、同業のノンフィクション作家・荒井香織(かおる・男性)氏と溝口氏らの編著による『佐野眞一が殺したジャーナリズム』(宝島社)という佐野眞一の盗用ぐせへの告発本も発刊されていると書かれていたので、早速ネットで注文して取り寄せた。読んでみると、佐野眞一が長年にわたって、多数の同業者の文章をパクってきた詳細な記述が満載されている。被害作家はよく知られている名前では、溝口敦、山根一眞、赤瀬川原平、深田祐介、石牟礼道子、竹中労、その他私が知らない作家が6名もある。溝口氏の一稿・『巨人から虚人へ・佐野眞一の正体』だけでも、佐野眞一のデタラメ作家ぶりが判る程である。

 なぜこれほどに、悪質なパクリを繰り返す佐野眞一が作家生命を失うことはなく、かえって大宅壮一ノンフィクション賞(97年)を与えられ、「ノンフィクションの巨人」などという、資質に相応しくない称号を与えられたのだろうか?(その受賞作・『旅する巨人』にも盗用疑惑の部分があるという) 私は佐野眞一の著作を数冊しか読んでないのでエラそうなことは言えないが、一言でいえば、佐野の書いたものはよく売れたからだろう。なぜ売れるのかと言えば、内容が面白可笑しいものだからではないのか。面白可笑しいという事は、読者の通俗・低俗な興味を煽ることが上手いという事である。

 私が初めて読んだ『沖縄ー誰にも書かれたくなかった戦後史』も、読んで面白い読み物である。しかし、沖縄の本質的な事に迫ってないという事では、読後の手応えを感じさせられず、再読したいという気持ちになれないものだった。
 この本を読んで佐野を許しがたい人間だ思ったのは、沖縄における奄美出身者に対する差別を大げさに描いているからだ。しかも、それは沖縄で蠢(うごめ)いている奄美の怪人、惠忠久・奥茂治の二人だけから取材したものだった。その事を私は以前の記事(2009年10月)で、佐野眞一への抗議の意を込めて記述した。佐野眞一は売れっ子ノンフィクション作家らしいが、いかがわしいモノカキでしかないと思った。

 要するに、よく売れる本を書いて出版業界を儲からせるモノカキだから、盗用・剽窃(パクリ)を繰り返しても、ジャーナリズムからたたかれる事なかったのである。パクられた同業者も裁判などに訴えても、佐野ほどに売れてる作家でなければ、逆に出版社から干される恐怖もあっただろう。佐野はその辺を計算に入れてパクリを繰り返したのだろう。
 例の『週刊朝日』の「ハシシタ・奴の本性」も、パクリではないが、同業他作家の「部落」・「橋下」の件を扱った先行の著作を後追いした企画でしかなく、パクリと同根であると溝口氏は言う。

 佐野は同業他者が先に「部落」・「ハシシタ」のタブーをクリアしてくれたので、自分が同じ事をなぞっても大丈夫だと踏んだのだと溝口氏は言う。部落問題・差別問題に素人の『週刊朝日』の編集部と佐野眞一は、状況を見誤ったのである。その上、反権力のポーズを取っていても、橋下徹は権力側の政治家である。同じく反権力に見えても権力側の人間である石原慎太郎と野合し、「日本維新の会」という政党を立ち上げて、国政の場に進出しようとしていた。そんな状況を読めずに『週刊朝日』の連載を始めたものだから、たちまち橋下本人、猪瀬直樹から叩かれることになった。「部落・ハシシタ」の差別・人権問題でたたかれる事のみでなく、盗用・剽窃という巨大な旧悪を暴かれる事になった。

 しかしそれでも、私は猪瀬らが佐野のパクリをバラしてから1年経ってからしか、その事を知ることにならなかった。これは今だに、売れる作家としての佐野眞一の威光が残っているという事だろうか?『佐野眞一が殺したジャーナリズム』(宝島社)は、完璧に佐野の作家生命を奪う内容の本だと思うのだが、佐野眞一がそんないかがわしい作家だという噂はそれ程広まっているとは思えない。今佐野は休眠状態にあるのだが、ジャーナリズム界は自分らを儲からせてくれるモノカキとしての、佐野眞一の復活を願う気分がまだ残っているのだろうか。もしそうなら、この日本社会を覆っている「閉塞感」と無縁ではない気がするが。  
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コメント

週刊ポスト2014/03/21号

集団自決から逃げて自分には甘い曽野綾子がまたやらかした。
本文↓
http://ameblo.jp/heiwabokenosanbutsu/entry-11793016016.html

来月また贈ります

キー坊さん、住所書きました。本は返送されてません。
伊藤さん、来月、山崎先生の本が出たら、礼状と合わせて謹呈するつもりです。
いずれにしろ、逃げられてしまいましたが予想通りです。
曽野大先生には是非とも従軍慰安婦について発言して頂きたいと願っていますw

返事が来てよかったです

阪神さん
秘書の方がきちんと取次いでいることが分かったのは成果です。秘書の方に礼状を出して、キー坊さんのブログをよろしくと挨拶しておいてはいかがですか。

住所を。

秘書から返事が来ただけでも一矢報いたといえますね。伊藤さんの本は返送されてないのですね。
sの住所のメモ紛失したので、阪神さん、もう一度教えてくれますか。管理人のみ閲覧ででも。

返事がキタ - .∵・(゚∀゚)・∵. - ッ!!

こんにちは。
目軍医大尉の件のコピーを送ったら、秘書の方から返事をいただきました。
http://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1394260207.jpg.html
急ぎではないのだから、本人からの返事が欲しかったです。
秘書の方はフェイスブック等をされているので、情弱ではありません。
ここのブログもROMっているかな?
お返事下さい、Sさん!!

米軍による日本兵捕虜写真集

伊藤さん

「米軍による日本兵捕虜写真集(山本武利)」青史出版.2001.8.24第1刷です。

九段下の昭和館では座間味の慰安婦数名の集合写真が画像で見れました。
沖縄戦の写真はまだまだごく一部しか見れないようです。
アメリカの公文書館で買うしかないようです。

出典は?

阪神さん
1559と1562の出典は何でしょう?

おかげさまで長田氏の連絡先はわかりましたので、これから準備をしようと思っています。

座間味の朝鮮人慰安婦

座間味に強制連行された朝鮮人慰安婦の一人です。
これが誰なのかを、血判状の約束を反故にした人殺し梅澤裕に聞いてみたいものです。
http://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1393908994.jpg.html

碑文は裏側のはず

和田さん
「谷底には碑文を刻んだ石碑も埋まっているそだ。」となっていますが、谷底にあるのは台座であり碑文は確認できませんでした。
ただ、台座の裏側に書かれている可能性もありますが、一般的には石碑の裏側に刻むものだと思います。台座の裏側ならひっくり返す事は不可能です。

Re[1552]

軍命令が書かれた碑のことは、私にも記憶があります。現在白玉の塔がある地点ではなく、フィジガーに下る碑に元の白玉の塔があったようです。
http://www.heiwatour.com/xo/modules/wordpress/index.php?p=61
上記の〈集団自決の碑〉に[皆さん驚いておられますが、最初の碑文はここにあります。それには、赤松隊長の命令と書いてあります。案内されたのは、碑の後方でした。破壊されて草木の影で朽ち果てそうになっている固まりは、自決した谷間に捨てられていたのです。]

https://epf.hosei.ac.jp/mahara/view/view.php?id=9241
上記の左11:00の説明はもっとわかりやすい。

http://himawari823.no-blog.jp/unchiku/2009/05/post_6254.html
上記の説明によると、現在の白玉の塔の碑文は[かねて指示されていたとおりに、集団を組んで自決しました。]と指示の主体が不明となっている。

軍命令を記載した1951年の石碑を破壊したのは誰だろう。 いずれにしても、赤松命令説が時間的に年金支給問題と無関係なことはわかる。

この2人か?

こんにちは。
染谷氏、岩橋氏はこの2人のどちらか、あるいは両人かもしれません。
http://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1393907446.jpg.html
この中にもいるかも。
http://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1393907552.jpg.html
これは水勤隊か?
だとしたら、「骨皮筋エ門じゃないから誇り高い日本軍人は朝鮮人軍夫を大切に扱っていた証拠だ」などと馬鹿がほざきそうですねw
http://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1393907490.jpg.html
これは年配が多いから基地隊でしょうかね。
海軍の震洋の場合、17,8歳の特攻隊員はこのような40歳近い基地隊員を何かにつけ因縁をつけ、ビンタを食らわせていたとの目撃証言が金武村史に出ていました。
慶良間でも当然、やられていたのでしょうね。
http://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1393907577.jpg.html
http://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1393907522.jpg.html

あと、住所でポン!で長田氏の連絡先がわかります。

自分の命を死守した赤松隊

 私は2007年の夏に渡嘉敷に行きました。集団自決の碑までは行っても、藪の中を下りるのは単独では怖くて出来なかったです。私が数十年の沖縄生活でハブに遭遇したのは4~5回です(ヒメハブも同じくらい)。沖縄県のハブ咬症による死者は、この十数年ないようです。だから夏場でも、あの藪を歩いて咬まれる可能性は大きくないとは思います。しかし、万一咬まれた時の危険性を考えれば、立て札の忠告に従わざるを得なかったです。
 米軍の砲弾で野山が焼かれたせいで、戦後数年はハブの姿が消えていたそうですね。

 赤松隊は米軍上陸の前から、戦闘の意思を失っていたと思いますね。それを実証することは出来ませんが、状況的にその可能性は強いと思います。左翼の運動員だった曽根一等兵は、渡嘉敷に着いた当時からこの戦争に勝ち目はないと感じていたし、米軍上陸後は何とか同僚の命を救いたいと願っていました。だが、ままならずに朝鮮人軍夫・慰安婦を連れて脱走・投降しました。
 野田隊の染谷少尉は、戦闘の始まる前から住民に「阿嘉島の人はこの戦争に勝てると思っているのかな」とあからさまに言っていたそうです。梅澤隊の帝大出の岩橋通信一等兵は米軍上陸後、直ぐに英語を駆使して自ら投降してます。彼らは米軍が捕虜を殺さないことを熟知していたから、直ぐに捕虜になったのでしょう。
 それは赤松隊の幹部連中も、戦闘前から知っていたと推測するのは容易ではないでしょうか。特攻不出撃の本当の理由はそこに在ると思います。

伊藤さん

距離はあくまで目安ですがご参照下さい。
白玉の塔は集団自決の碑のほぼ真後ろにありましたが、林の中に入って道の左側にあったので、殆どの人が気が付かなかったでしょう。
歩道からは2メートルほど入った所にころがっていました。
http://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1393808427.jpg.html

遊兵化した赤松隊

阪神さん、地図上に表示していただき有難うございました。
見覚えのある景色のようでしたので、もしやと思い確認させていただきました。
私の場合土地の人に案内してもらったのですが、ハブのことがあるのでおっかなびっくりでしたが、土地の人は無造作に先へ進んでいったように見えました。

再度お手数かけて恐縮ですが、曽野氏が行った滝つぼ、旧白玉の塔の石碑の位置なども地図上にお願いできますでしょうか。これは以前ni06156氏とやりとりがあったように記憶しますが、まだちょっとよく理解できていませんので。

--------------------------

阪神さんは赤松隊が戦闘を放棄していたのではと推測されていますが、それを裏付ける記事が赤松隊の陣中日誌にあります。

赤松隊は3月27日の米軍上陸で玉砕電報を打ち、その後音無しになります。沖縄本島の第32軍としては、本土から飛来する特攻機に慶良間諸島付近の米艦艇の状況を教えたいがそれができません。稲垣少尉にこの任務が与えられ、同少尉は無線機1台を携えて12名の部下とともに慶良間諸島に向かいます。稲垣少尉がやっとの思いで渡嘉敷島に着くと、なんと玉砕したはずの部隊の隊長はピンピンしているではありませんか。

稲垣隊は与えられた任務を開始しますが、発信電波を捕捉され、米軍の猛攻撃をうけることになります。この時、赤松隊長は稲垣隊を守るのではなく、逆に陣地の外に出し(=島の南部の阿波連への転進を命じ)、自隊の安全を図ります。

この策が功を奏したのかどうか、米軍は引き上げ、この後戦闘らしい戦闘はありません。そんな中で、いわゆる米兵の遊泳事件が起きています。第3中隊陣中日誌には、米兵が日がな一日水遊びに興じるのを黙って見ていただけの記事がいくつも見つかります。

以上の話は拙著「検証『ある神話の背景』」に書いてあります。

失礼しました

伊藤さん、失礼しました。
川はこんな↓感じです。黒い動作ののろいイモリが沢山いました。
http://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1393720396.jpg.html
壕の位置を赤い×印で示しました。
http://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1393769806.png.html

渡嘉敷の写真

阪神さん

いつもながら貴重な情報有難うございます。

1.川の写真がアップロードされていないようです。
2.おおよその位置でよいのですが地図の上に落としていただけないでしょうか。
3.白玉の塔の件については私のルートで確認を取ってみます。

持ち去られた白玉の塔

こんにちは。
今回は、蜘蛛の糸だらけになりながら北山の陣地に行きました。
戦争遺跡整備が行われたようで、壕が綺麗に作り直されていました。
壕はすぐに埋まってしまうし崩落もするのでこんな造りになってしまうのでしょう。
http://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1393720337.jpg.html
http://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1393720323.jpg.html
こんな整備された壕が200m以内に10箇所ほど接近して川沿いにありました。
ハブ公の住処に最適ですねw
しかし、昔のままの壕もいくつか残されていました。
http://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1393720354.jpg.html
新旧の対比です。
http://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1393720375.jpg.html
川はこんな感じ。(訂正済)
http://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1393720396.jpg.html
集団自決の地は曽野が見た滝壺に辿り着けない様に柵が設置されてしまいました。
ttp://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1393720411.jpg.html
今回、最も残念だったのは白玉の塔が持ち去られてしまった事です。
ttp://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1393720425.jpg.html
ない、ない、どうしたのだろうと、除草作業に来たおじさんに聞いたら「わからない」との返事。
以前は、これが横たわっていたのに。
ttp://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1393720436.jpg.html
今回、渡嘉敷に行った目的は、この石をひっくり返すためでした。
何かで読んだのですが、碑の裏には、赤松の命令で集団自決が云々・・・と刻まれていたようなのです。
援護金目的で軍命が捏造されたなどといった馬鹿ウヨのインチキ言説が流布されていますが、白玉の塔が作られる前には既に「鉄の暴風」で軍命が言われていますし、集団自決直後にも住民の多くは軍命だと思っていたのだからこそ、碑文に赤松の軍命だと刻んだのでしょう。
間に合わなかった残念無念、どこに置いてあるんだ!!
渡嘉敷村では北山の壕とマルレの壕を整備したようなので、次はマルレの壕がどうなったか見に行きます。
渡嘉敷村ではこれら壕を平和教育に生かすと言ってますが、ハブ被害を考えると怖いですね。
奄美でハブ被害の写真を見たら、筋肉組織が強烈に壊死して、障害が一生残る事にもなるようです。
それに、昨今の世情では「兵隊さん達はこの壕で5ヶ月も戦ったんですよ、怪我をした住民も手当してあげました、みなさん、兵隊さんに感謝をしましょう」なんて言い出すウルトラ馬鹿教師が今年あたりから出てきそうですねw
こんな接近した距離に壕をつくって5ヶ月も移動しないという事は、戦闘を放棄していた証拠ですし、川が水洗便所にもなるのだから川下に避難していた住民はシブイワターしてwww
伊江島住民6人はこの壕近くで虐殺されたのでしょうが、遺骨はどこに埋まっているのでしょう。
遺族は赤松やデブ知念に問い質さなかったのでしょうか。
魂だけひろって島に帰ったのでしょうか。

今回、青年の家に高校2年生らしき70人位がバス3台でやってきました。
北山の壕の脇の施設に来たのですが、集団自決の場にいたら、彼らのワイワイ騒ぐ声が聞こえました。
北山の壕にいた赤松らは「バンザァイ」の声と手榴弾爆発の音が聞こえないわけがない!!!
平和教育をやるなら、北山の壕と集団自決の碑に生徒をおいて、大声で確めてみるといいでしょう。
赤松が嘘をついているのがわかるはず。

埋蔵文化センター調査

沖縄県立埋蔵文化財センターが2004.3.26に発行した沖縄県戦争遺跡詳細分布調査(IV)がありましたので参考までに。

座間味と阿嘉の壕の位置
http://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1393572324.jpg.html
http://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1393572341.jpg.html
渡嘉志久のマルレ壕
http://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1393572355.jpg.html
http://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1393572372.jpg.html
レールはやはりサトウキビ運搬用のものみたく鉄製じゃないかと思うのですがどうでしょうか。
皆本は、しくじった事を弁明するために木製で油をひいたなどと言っている様な気がするのです。

北山の陣地壕
http://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1393572388.jpg.html

陣地壕に行ったので後日UPします。

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キー坊@ウチナー

Author:キー坊@ウチナー
沖縄本島中部、巨大な米軍基地を抱える町の生まれ。
齢を重ねるごとに、沖縄戦へのこだわりが強くなります。
曽野綾子・『ある神話の背景』は沖縄を究極的な軍事基地にする目的を持っています。「集団自決」は沖縄戦の集約された出来事だと思います。『ある神話の背景』は沖縄への抑圧・差別の集約文書です。

HP・「その『神話』の背景」(文献・資料集)
http://keybow.co

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