2017-08

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パクリの虚人だった佐野眞一

 常に権力の味方となり国家権力に追従する事が、生き残りの道であるかのような、日本の主要メディアの報道体勢である。
                       佐野眞一が殺したジャーナリズム
                         2.13.5月発行 宝島社  


 そのテレビを中心とした御用メディアに持ち上げられて大阪府知事、大阪市長という大規模自治体の首長に祭り上げられ、更に石原慎太郎とつるんで「日本維新の会」という、日本政界の動向を左右しかねない程の有力政党の長にまでなったのが、現大阪市長の橋下徹である。メディアによる宣伝で大物政治家にしてもらったのが橋下徹の本質であって、従って、その反逆的ポーズとは裏腹に国家権力の意に沿う事が、政治家としての橋下徹の本質である。
 昨日、大阪都構想に絡んで公明党などの他党の府会・市会議員が、行政区の区割りに関して自分の案に同調しない事に不満を感じて、市長を辞職して再選挙、再出馬して、市民に信を問うなどという世迷いの挙にでている。再選挙の理由はもっと深いものがあるかも知れない。
 だが所詮、橋下はテレビタレントでしかないという事である。テレビ画面で威勢がよくカッコ良いという理由で、テレビ局を始めとしたメディアによって大物政治家に仕立てられた橋下徹であるが、現実の政治家としては何の能力もなかったという事ではないか。或はもう政治の世界から足を洗いたいという投げ出しの意思表示か?

                   ハシシタ
                   2012.10月『週刊朝日』

 小ブログで、2012-11-20に記事にしたのだが、佐野眞一が10月の『週刊朝日』「ハシシタ・奴の本性」というルポ連載の第一回目が、世間の批判を浴び、連載中止に追い込まれ、出版社社長の辞任にまで発展する名誉毀損事件になっていた。当時私は記事本文を読む機会がなかったので、ネットで読める部分的な記述や見出しなどを見て、佐野眞一に批判的で橋下徹に同情的な記事にしていた。
 佐野眞一もまた、反権力のポーズでもって実は、体制には逆らわない商業主義の作家でしかないと思っていたし、被差別部落が出自のという事を、「ハシシタ・奴の本性」という口汚く見える見出しで表紙を飾る事に卑しさを感じていたからだ。

『週刊朝日』の記事本文を今はネットで読むことができる(他のサイトからの転載・パクリを拙HPにアップ)ので、それを検証してみると、それ程の名誉毀損であるとは思えない気がする。佐野はそれ以後休筆状態にあるようだが、その理由はハシシタ記事にあるのではなく、佐野自身のいかがわしさにあったようである。既に2013.5月に発刊された「佐野眞一が殺したジャーナリズム」(宝島社)によると、佐野眞一は「パクリの常習犯」だったのである。それには、徳州会からの裏金問題で辞職し、今都知事選で、首都東京を賑わせている原因になった猪瀬直樹前知事のタレコミが大きく作用しているとの事である。(続く)

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コメント

「沖縄戦下の日米インテリジェンス」の印刷本

保坂廣志「沖縄戦下の日米インテリジェンス」の印刷本が欲しいという要望がありましたので、プリント・オン・デマンド方式で出しました。

販売サイトは
http://www.dlmarket.jp/products/detail/245234
です。

近いうちにアマゾンでも対応する予定です。

印刷実費を上積みしただけですが、高くなりますね。

発見の経緯

発見の経緯は次のようです。

米哨戒艇が3月29日に沖合で浮かんでいる死体を発見。死体から記録類を収容したが、判断できないので上層部に連絡した。大町大佐と判断した根拠は
1) 死体に陸軍大佐の徽章が着いていて「大町」の名が記されていた。
2) 電話カードが3つあり、その内の一つに大町茂の記名があった。
3) 阿嘉島で捕虜になった将校(染谷少尉と思われる)の尋問調書から、役職が第11船舶団長だと判明した。

第10軍の情報部長が直々に哨戒艇に乗り込んで来ていますから米軍にとってもかなりの事件だったということでしょう。

大町大佐の確認

伊東さん、 保坂廣志「沖縄戦下の日米インテリジェンス」ですが、米軍が沖合で遺体の検死をしたということであれば、艦船内で死の直後ということでしょうか。 大町大佐という認識が遺品からの推定か、日本側無線傍受による情報による推測なのか、確認出来ますか。 過去指摘したことがありますが、日本側は大町大佐の死を早い段階で断定し、無電連絡を取っています。

大町大佐の乗船したマルレに無線が携帯されたかどうか確定的な証拠はありません。 詳しいことは分からないということで、あまり期待はできないようですが ?

伊藤さん

大町大佐の遺体が収容されていたとは知りませんでした。
保坂さんの書籍を購入予定ですが、紙媒体が無いのが残念。

おまけ
44年11月の南風原陸軍病院三角兵舎です。
クガニムイの西側の兵舎です。
東側の兵舎もこんな造りだと思われます。
兵舎の写真はこれしか見つかってません。
ひめゆり学徒の方々にも見てもらいました。
http://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1392350239.jpg.html

キー坊さん

沖縄戦の資料で一番欲しいのは、米軍が鹵獲した日本軍兵士の手帳です。
兵士は日記をよく書いていました。
e-bay等のオークションで出品されていたら速攻で入札しますw
明後日から那覇に5日間います。
渡嘉敷にも行くかもしれません。ちょいと気になっている事があるので。

戦時の貴重写真

 阪神さんの資料探索力には、いつも感心させらています。大町大佐の鮮明写真は言うまでもなく、芸妓・上原栄子らと同行避難している馬淵新治大本営参謀・戦後の厚生省審議官(左から2番目の禿げ上がった将校)の姿も貴重だと思います。
 今まで、阪神さんの資料発見で私が一番感心したのは、ちょっと前に、梅澤裕元少佐の発言・「s33年頃、『週刊朝日』・『サンデー毎日』に、集団自決の命令者と書かれて家庭崩壊した」というのが嘘である事を明らかにしてくれたことです。私も国会図書館で、s33年頃の『週刊朝日』・『サンデー毎日』を全号調べましたが、そんな記事なかったです。これからも、資料の探索を期待します。

大町大佐の写真

阪神さん

貴重な写真をありがとうございます。
大町大佐に関しては石田四郎氏の手記にあるぼんやりした写真と、謹厳実直という描写から、ずんぐりむっくり型の気難しい人を想像していました。写真は長身でなかなかの好男子に見えます。

大町大佐の最後に関して、拙著「船舶団長の那覇帰還行」の執筆後に判明した事実をひとつ。

米軍側の資料によれば、大町大佐の遺体は米軍に収容されたようです。米第10軍情報部長のエリー大佐が検死に立ち会っています。遺体の収容場所は沖縄の沖合としか書かれていないので、詳しいことは分かりません。
この件は、保坂廣志「沖縄戦下の日米インテリジェンス」(紫峰出版2013) p.220に書かれています。

大町大佐

こんにちは。
沖縄作戦写真史より大町大佐の写真です。
イメージ通りの顔でしたでしょうか。
http://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1391850951.jpg.html
ジュリグヮの上原栄子です。
従軍慰安婦と言ったら本人は怒るかもしれませんが、将校には身の回りの世話をする女が必ずいます。
http://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1391850971.jpg.html

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キー坊@ウチナー

Author:キー坊@ウチナー
沖縄本島中部、巨大な米軍基地を抱える町の生まれ。
齢を重ねるごとに、沖縄戦へのこだわりが強くなります。
曽野綾子・『ある神話の背景』は沖縄を究極的な軍事基地にする目的を持っています。「集団自決」は沖縄戦の集約された出来事だと思います。『ある神話の背景』は沖縄への抑圧・差別の集約文書です。

HP・「その『神話』の背景」(文献・資料集)
http://keybow.co

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