2017-06

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

敏勝氏、証言を否定

 前回の記事で、阪神さんが紹介した「季刊女子教育もんだい1992年1月号」掲載の川田文子の、座間味での宮城初枝へのインタビュー記事中に、本部付きの伝令として徴用されていた宮平敏勝(当時17)からの聞き取りとして、1945年3月25日、宮里盛秀以下5名が梅澤隊長の下を訪ね、玉砕のための爆薬や弾薬の授与を申し入れに来たが、隊長はこれを断ったという現場に、ちょうど居合わせていた自分は見た、という記述があり、私はこれは初枝の証言が嘘ではない事を証明する人物が居たことになるので、重要な証言だと書いた。

zamamihonbugou.jpg
発掘された本部壕 パパイヤ太郎のブログより

 近所の図書館に行って座間味村の電話帳を見てみたところ、あっさりその名前をみつけた。座間味村の電話帳にはずっと以前に故人となった人もまだ載っているので、恐る恐る掛けてみると、またあっさりと本人が出た。軽快で堂々としたしゃべり口で85才の老人とは思えない。川田文子のインタビュー記事の件を話すと、「川田文子?その人知っているが、そんな証言をした覚えはない、その記事は嘘だよ。」
と、これまたあっさりとした答えが帰ってきた。

「3月25日昼、自分は本部隊と離れていたので、空襲の中で本部隊を捜していた。夕刻になって、高又にある本部壕とされている壕を探し当て、中に入ってみたが、そこには誰もいなかった。椅子・机等の装備品もなく、本部と言える体裁でなかった。そこはまだ掘っている途中の本部用壕だったと思う。翌日(26日)の夜明けまで、ずっと一人で居たがそこには誰も来なかった。朝になって一人で山を登って行って、番所山の本部隊に合流した。宮城初枝の証言はありえない。また宮平秀幸は本部付きの伝令ではなかった、あれの言うことは全部嘘だ。

 それまで、どこを戦隊本部としていたかと言えば、戦隊長が定宿としていた海の傍の民家(屋号・メーウナガ〈前翁長〉家)が本部だった。宮城初枝と、梅澤元隊長の手記にある『3.25夜、盛秀以下5名が本部壕を訪ねて爆薬をください』という事実は絶対ない。だがもし、25日夕刻以前に、その民家に梅澤隊長らがまだいて、5名がそこを訪ねたという可能性はある。だが、自分には何とも言えない。」 

 今度朴壽南監督が、3.25夜の本部壕での出来事は宮城初枝・梅澤元隊長二人が協力しての「捏造」であり、また宮村幸延氏に無理に詫び状を書かせた件も二人が「謀議」しての事と断定して、二人を告発する映画を作るらしいですが、どう思いますかと訊くと
、「えっ、そうなのか?そしたらこれは大変な問題になると思うよ」
 私には、敏勝氏はそこまでは、初枝を批判的に見ているのではないと思った。

 ところろで、敏勝氏が「戦隊本部は海の傍の民家」だったという事は、「国の支え」32号平成19年10月1日という会報に掲載された梅澤元隊長のインタビュー記事と符合する。梅澤元隊長は次のように言っている。

 結局敵が上陸する前の晩に僕たちはもうボロボロに壊れた海岸近くの家におって、いよいよ明日来るぞ、と戦闘準備をしていた。
 そこへ村の助役、それから校長先生、役場の係員二人、の四人が来て、それに女子青年団というのがあったのよ。女子青年団長が来て、五人が来て、「ご挨拶に参りました」と云うからね、……
 

 だが、梅澤氏の『戦闘記録』によれば、5人が訪ねて来た場所は本部壕で時間帯は夜10時頃としている。この事は敏勝氏や、初枝と行動を共にした小嶺つる子、盛秀の妹などの証言によりあり得ないものとして否定されている。すると、梅澤氏が「国の支え」で言った「海岸近くの家に5にんがきた」が事実であることの信用性が増すことになる。元々そこが隊長の定宿であり、本部だったのだから。
 初枝のどの証言にも、場所が「海岸近くの家」は出てこないが、時刻が「午後4時頃」だったという証言は、本田靖春・「第一戦隊長の証言」に出ている。
 また、戦後の早い時期、援護法適用調査が始まった頃(s31~32)に、s20.3.25に初枝が盛秀らと5人で、玉砕のための爆薬を戦隊本部に所望しに行ったという話が座間味で知られていた。初枝が自ら言ったからかもしれないが、その時点で作り話をする動機があるだろうか。事実としてあったから初枝は周囲に話したのではないか。宮里米子は初枝から、梅澤隊長が爆薬授与を断った話を昔から聞いていたそうだ。

 敏勝氏の川田文子への証言が否定されて、少々落胆したが、初枝の1945年3月25日についての証言が「捏造」であるとの証明が為されたわけでもない。別々に出てきた証言からツギハギではあるが、全体状況的に初枝の証言が事実である可能性は充分残っている。
 実は、同じ日に小嶺つる子にも電話連絡が取れて話したのだが、やはり、初枝の証言を否定するものだった。

 3.25は夕方からずっと初枝さんと一緒だった。夕方住民達に逢った時、初枝さんは日本人らしく玉砕しましょうと訓示していた。自分は25日昼は、家で他所から頼まれていた裁縫をしていた。午後に空襲が来てその時母親が死んだ。思い出すと悲しい…。さっき朴監督から、明日沖縄に行くから貴方の家に行きますとの電話が来た。私は今体調が良くなくて、十分話できないから、来なくても良いですよいったが来るとおっしゃった。 

 私が、今度監督は初枝さんを悪い人として描く映画を作るそうですよと言ったら、
「そうなのですか?助役ら5人が3月25日の22時頃に本部壕に行ったという事はないですけど、初枝さんは信頼できる人でした。戦場の中を供に行動して、彼女に導かれて生き残ったという感謝の思いを持っている。初枝さんの事を悪く言わないで欲しい……」
と初枝に対する敬慕の情厚いものがあるようだ。

 3月25日の昼は、住民がまだ家に留まれる状況にあったようである。従って、梅澤隊長らも本部として使っていた「海岸近くの家」に残っていた可能性がある。そこへ午後4時ころに盛秀一行が訪ねて来たのではないか?初枝の手記とは、時間帯と場所が一致してないが、朴壽南監督側がこれらの検証を十分に行ってから、全ての可能性を否定した後でなければ第二部を公開すべきではないと思う。そうでなければ、また多くの人が傷つくことになろう。もちろん朴監督自身もその一人である。

スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

http://keybowokinawan.blog54.fc2.com/tb.php/306-35a1023d
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

«  | ホーム |  »

プロフィール

キー坊@ウチナー

Author:キー坊@ウチナー
沖縄本島中部、巨大な米軍基地を抱える町の生まれ。
齢を重ねるごとに、沖縄戦へのこだわりが強くなります。
曽野綾子・『ある神話の背景』は沖縄を究極的な軍事基地にする目的を持っています。「集団自決」は沖縄戦の集約された出来事だと思います。『ある神話の背景』は沖縄への抑圧・差別の集約文書です。

HP・「その『神話』の背景」(文献・資料集)
http://keybow.co

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

未分類 (2)
関連著作の紹介 (73)
渡嘉敷島関連 (19)
座間味・阿嘉関連 (19)
奄美その他 (38)
曽野綾子論 (35)
基地 (55)
政局 (45)
自論 (40)
STAP問題 (17)
慶良間全般 (1)

FC2カウンター

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QRコード

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。