2017-06

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3.25本部壕訪問の真偽

 ドキュメンタリー映画・『アリランのうた・沖縄からの証言』や、『ぬちがふう第一部・玉砕場からの証言』を発表して、それなりの評価を得ている朴壽南監督は、現在第二部を編集中であるという。
 第二部の主たるテーマであるが、2000年に刊行され2007年に改訂版が出された宮城晴美・『母の遺したもの』に収められた母・宮城初枝の手記は、座間味島「集団自決」を主導したのは当時の助役・宮里盛秀であると記述して隊長命令を否定し、梅澤元隊長を免責して宮里盛秀に責任を被せる為のものである。宮城母子と梅澤元隊長が意を通じて、宮里盛秀の弟に偽の詫び状を書かせるなど、「軍命」を否定する謀略活動を行ってきた。第二部はこの事を告発するという内容になるという。

 朴壽南監督はそのホームページに貼られたユーチューブ映像で、初枝・晴美への批判を強く言っている。この中で、核心になる事は1945年3月25日夜10頃、宮里盛秀以下5名が本部壕を訪れ「住民を玉砕させるからその為の弾薬をください」と申し入れたことにある、という。

                  hondayasuharu@zmami.jpg
                     『小説新潮』1988年1月号  宮城初枝は『母の遺したもの』収録の手記でそう書いているのだが、朴壽南氏はこの初枝の話は全くの捏造であると、強い調子で断定している。そして、その確かな証人として、3.25夕方以後に、米軍砲撃の中を軍隊に付き従い、行動を共にした5人の仲間の一人・小嶺つる子を画面に登場させて、「初枝さんはその日の夕方7~8時頃から捕まるまで、ずっと私らと一緒だった、その時間帯に本部壕には行けない」と、証言させている。
 また、盛秀の妹・春子「その時間帯(22時頃)は兄・盛秀は確かに自分たちの壕にいた、その時間帯に本部壕に行けるはずはない」。もう一人の妹トキ子にも、春子と同様の証言をさせている。
 私もこの座間味の戦時体験者の女性3人の証言に嘘はないと思っている。 小嶺つる子に嘘の証言をする動機はなく、春子・トキ子の姉妹にも兄を庇う動機があるとはいえ、まだ体験者が多く生存している今、3人が嘘を言えばすぐバレるだろう。3.25の22時頃には、盛秀ら5名は本部壕に居なかったに違いない。では、宮城初枝が嘘を言った事になるのだろうか?

 しかし、朴壽南氏が3.25の22時頃としているのは、梅澤裕元隊長の手記(戦闘記録)から引用して基にしているのであり、初枝の手記(「血塗られた座間味島」)には「夜になってから」とだけ記載されていて、時刻は明記されてない。また初枝にも本部壕での出来事を「捏造」する動機があるとは到底思えない。
 朴氏の告発文書には動機についての説明がない。何故に初枝が梅澤元隊長を庇い宮里盛秀元助役に罪を擦り付けたいのか、それを告発する側は説明しなければならない。

 沖縄から帰ってから、以前の資料を読み返してみた。本田靖春のルポ『第一戦隊長の証言』の中に、1987年10月に座間味島で初枝の証言として、以下のような記述がある。

『初枝さんの記憶によれば、昭和二十年三月二十五日の午後四時くらいのことであったという。農業会の壕のあるところから下った、現在、平和の塔が建っている場所のもうちょっと下あたりで、宮里盛秀さんに呼びとめられた。盛秀さんは、宮平正次郎収入役、玉城盛介座間味国民学校長、宮平恵達村役場書記の三人を伴っていて、初枝さんにこういった。「これから本部の壕に自決の挨拶に行く。あんたも一緒に来なさい」……』

 何と、初枝は本田靖春に、本部壕に行ったのは三月二十五日の午後四時くらいだったと、言っている。午後4時はまだ昼間であるから、これは『母の遺したもの』に収められた手記の「夜になってから」の記述とは矛盾するのだが、手記を晴美に託した年は1990年である。本田靖春に証言したのは1987年10月で、それより3年前である。こっちの方が事実の可能性もあるのではないか。朴氏が嘘の根拠としている3.25pm10時頃という時刻の前提が揺らぐ事になる。盛秀以下5名が本部壕訪問を訪ねた時間帯は、Pm4時~7.8時だった可能性も十分ある。

 更に、阪神さんが6月7日に紹介したくれた、「季刊女子教育もんだい1992年1月号」掲載の川田文子の宮城初枝へのインタビュー記事に、注目すべき証言が見られる。これは初枝の証言でなく、現場にいた防衛隊員の証言であるが、

『那覇にあった県立水産学校の生徒であったが二月に帰郷し、徴用されて本部付きの伝令となっていた宮平敏勝さんは、丁度その場に居合わせた。宮平さんによれば、梅沢戦隊長は、宮里助役らの申しでを、「銃弾は敵と戦うために使用するものであるから、住民には渡せない」と断ったのだという。』
との証言を記述している。

 これは注目すべき証言ではないか。まず初枝の証言が事実であることを裏付ける証人が、1990~91年頃に存在していたという事になる。そして、梅澤元隊長が戦闘記録に書いた『決して自決するでない、最後まで生き延びろ……』の言葉が作り話だったという証言でもある。宮平秀幸も伝令としてすぐ側で見ていたというが、それは当然、梅澤の嘘を弁護する為の嘘であった訳である。
 私は宮平敏勝という体験者について、存命なのかどうかの情報も持たない。健在ならば話を聞いてみたい。どなたか知らないだろうか。

 私は、宮里盛秀以下5名が1945年3月25日に本部壕を訪ねて、自決の為の弾薬授与の申し入れを行ったという宮城初枝の証言は事実であると思う(嘘とは思えない)。朴壽南監督は、私が上に述べたような資料を全て検証した上でないと、宮城母子を告発する内容のドキュメンタリー映画を公開すべきでないと思う。あらゆる資料を検討した結果のドキュメンタリーでなければ、それはフィクション映画となってしまう。
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Author:キー坊@ウチナー
沖縄本島中部、巨大な米軍基地を抱える町の生まれ。
齢を重ねるごとに、沖縄戦へのこだわりが強くなります。
曽野綾子・『ある神話の背景』は沖縄を究極的な軍事基地にする目的を持っています。「集団自決」は沖縄戦の集約された出来事だと思います。『ある神話の背景』は沖縄への抑圧・差別の集約文書です。

HP・「その『神話』の背景」(文献・資料集)
http://keybow.co

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