2017-08

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なかにし氏も体制の範囲内

 アメリカの利益追求主義の医療体制は、とどまる処がないようだ。それに追従するしか能のない日本医療業界もまた、金儲けのチャンス到来とばかり、直ちに新手の切り取り治療に呼応する姿勢を示している。
 アンジェリーナ・ジョリー(37)という女優が遺伝子検査の結果、自分が乳がんに罹る可能性が大きいと判り、予防としてまだガンにもなっていない乳房を切り取る手術を受けたという。自分の母親も50代で、乳ガンで死んだから自分もいつかガンになると確信したらしい。ガンになる前に乳房を切り取ってしまえば、ガンを未然に防げるという考え方だろう。

 人々は、一般人の感覚としておかしいと思わないのだろうか?
 アンジェリーナ・ジョリーは、あのジョン・ボイト(74)の娘らしい。どこの国でも人気商売で食っている人間には、それ相応の報いが来るということか。アンジェリーナに自らの意思があるのかどうか分からないが、アメリカの新しい金儲け医療技術の広告塔として名乗りを上げたということになる。ますます業を重ねることになろう。
 何の議論も尽くさず、利益追求主義のアメリカ医療体制に追従する日本の医療業界は、政治の世界と全く相似の世界である。また、この問題に大した疑問も呈せず、好意的に報道するメディアは金儲け医療の片棒を担いでいると言うしかない。

 さて、なかにし礼氏の件であるが、去年の12月に陽子線治療という新しいガン治療の方法で、ガンから生還したという記事は前回までに紹介した。その後のなかにし氏の経過は公表されてないのだが、不謹慎ながらも、なかにし氏の今後の経過は追っていくべきだと思う。ガンが別の臓器に転移したとなれば、彼の人生経過の結果として、逃れがたいものであったと言うしかないだろう。陽子線治療も延命治療に過ぎなかったということである。

     又もやトーシローの傲慢で言わせてもらうのだが、小生が現代ガン治療において、根本的に間違っていると思うことは、ガンになった細胞を外部から侵入した異物・毒物のごとく扱うことである。この侵入者=敵をやっつける為に、抗ガン剤という別の毒物を投与し、放射線という危険エネルギーを当て、挙句はガン患部を切り取って捨てる、いわゆる「叩く・当てる・切り取る」の三点セットが日本のガン治療の主流となっている。

 毒蛇に咬まれた場合や破傷風菌に侵された場合は、外部から異物・毒物=敵が侵入したことに間違いないから、初期にはワクチン・抗血清などの投与、事態が進んでいる場合は切り取り手術も必要だろう。これに対し、ガンになった細胞は外部から入った物ではないのだ。自分の身体が自ら作り出した身体の一部である。言ってみれば、掛け替えのない身内の存在に他ならない。ガンを叩き、放射し、切り捨てることは、自分の身体=味方をやっつける事でしかない。

 ガン検査で見つかったガン細胞が本モノのガンである場合は、やっつける治療方法を施されてもあきらめは付くかもしれない。しかし、本人に自覚症状がなくて、転移可能性もない良性腫瘍(本モノでないガン)を早期発見のガンだと診断されて、三点セットのやっつける治療をされた場合、これは合法的な傷害、あるいは殺人と言ってよい。

 間寛平は早期前立腺ガンと診断された。王貞治は胃がんと診断された。いずれも早期発見の手術可能なものとされ、寛平は一部摘出手術を受け、王は胃の全摘出手術を受けている。彼らがその後再発も転移もなく、一応元気に仕事をしている。私は早期発見・切除手術が功を奏したのではなく、二人とも本モノのガンではなかった可能性が高いと思う。
 最初からガンではないのだから、当然再発・移転もないのだと思う。それでも、彼らが治療に掛けた多額の費用、手間ひま、及び健康保険からの拠出を考えれば、三点セットのガン治療は医者を儲からせる為のものでしかない。何よりも、身体の一部を切り取られた事による人生の損失は、患者にとってとても大きいものだ。

 死去した忌野清志郎筑紫哲也発見が遅れ、症状が進んでしまって、手術が出来なかったとされている。二人には転移があったのだから本モノのガンであった事に間違いないはだろう。だが、抗ガン剤投与や放射線治療は受けたはずだから、無駄な毒物・危険物治療を施され命を縮めた可能性がある。

            近藤誠医師
                    「アサヒ芸能」5.30号より 

 慶大病院の近藤誠医師が書いた『医者に殺されない47の心得』が、60万部を越えるベストセラーになっている。その近藤医師のインタビュー記事が週刊誌に乗っているが、手短かに氏の考え方のエッセンスを述べていると思ったので、拙HPに転載した。
 冒頭部分で、以下のように、がんに対する基本的考え方を言っている。

 皆さんはガンが1種類しかなく、最初は転移のないガンが、放っておくと大きくなり転移して死んでしまう、と思っているでしょう。正確にいえば、そう思わされてきたのであって、それはウソなのです。
 実は、同じ「ガン」と診断されたものでも性質の違うものが2種類あります。1つは最初から転移があり、早期発見とか初期ガンという時にすでに転移が潜んでいるタイプのガンです。それは見つけて、いくら治療しても治りません。 もう1つは見つけた時点で転移がないタイプのガンです。初期のガンといっても1㌢ぐらいの大きさでしか見つからず、その中にはガン細胞が約10億個は詰まっています。そのサイズまで転移しなかったものは、その後も転移をしません。
 もう少し理論的に説明し ましょう。京大の山中教授がノーベル賞を取ったiPS細胞は、人工多能性幹細胞といいます。実はこれを作る時にもガン細胞が生まれるのです。結局、ガンにも幹細胞があり、その性質いかんで、その後のガン病巣ができた時の性質が決まります。ガン幹細胞に転移する能力があれば、転移をするし、転移能力がなければ、その後も転移しないということになるのです。


 つまり、ガンには悪性の腫瘍(本モノのガン)と、良性の腫瘍(ガンもどき)の2種類があり、本モノは必ず転移があり、治療しても無駄である。ガンもどきは転移の可能性はなく治療の必要性も無い、ということを言っているのである。
 小生が近藤医師の言うことを信じたきっかけは、宇和島徳洲会病院の病気腎移植の事件を知ったことにある。ガンに侵されて切り取った腎臓を、他の腎不全患者に移植して患者が健康な身体になったという事件である。腎臓がガンに侵されて使い物にならないから、患者から切り取ったはずであるのに、それを他者に移植して正常に機能するという事は、ガンになった腎臓そのものが異物・毒物ではなかったということである。この事はこれまでの切り取る治療法が正しいものでなかったという、日本の利益追求主義治療法を否定するものであったのだが、あの事件に関する報道は急速に消えていった。

 宇和島徳洲会の当該医師は、その後も同じ病気腎移植を続けているそうだから、有効な治療法であるに違いない。この事は腎臓のガン化は腎臓だけの現象ではないという証明である。この事件の時期は第一次安倍内閣の時であり、私は以前の記事(2.12)で、安倍内閣が徳洲会に圧力をかけて、沖縄県知事選に協力させたのは、徳田毅の女性準強姦事件をバラされたくなかったからだと書いたが、宇和島徳洲会の病気腎移植事件も、日本医療業界の利益を大きく損ねる事として大きい圧力が掛かっていたに違いない。

 人間の生活方法=人生の歪みが、ある特定の部位に現れるのがガンだということだと、私は確信している。だから、その部位を切り取ったり、放射線を当てたりしてガン細胞を殺しても、患者のガンが根治する事はありえないと思う。
 なかにし礼氏の食道ガンが本モノであるかどうかは小生には知る由もない事であるが、どっちにしても「叩く・当てる・切る」の殺人治療を自らの努力で拒否し、つまり日本医療業界の圧力に反抗して、格段に身体的負担の少ない「陽子線治療法」を発見し受けたことは賢明であり、評価に値することであったと思う。

 だが、近藤医師の言う本モノのガンもガンもどきも治療する必要はない」という考え方からすれば、この陽子線治療さえも無駄なものだという事である。なかにし氏のガンが本モノであれば、何時か必ず再発・転移があるし、本モノでなければ、陽子線治療をしなくても、ガンとしての再発・転移は無かっただろうからだ。その意味で、なかにし氏の今後の経過には興味を持つ必要がある。陽子線治療は三点セットに比べたら、随分ましな療法といえるが、巨額の費用がかかるという点で新手の金儲け治療方法と言えるからで、なかにし氏はその広告塔的存在になる。これに健康保険が適用されると財政の逼迫に拍車が掛かることになろう。

 と切れと切れで、しかもブログのテーマとはかけ離れているような医療記事を書いてきた。私がこんな記事を書いた理由を言わせてもらえば、病院と職場の血圧降下剤強要という不快な目にあわされているという被害者意識も大きいが、理不尽・不条理な事柄がこの日本社会には充満しているという事を言いたいが為である。
 今、株価が上がり、円安が進行して景気回復ムードだけが高まっているが、これは仕組まれたものであって、末端に居る我々にはその実感がまるでない。権力迎合の全マスメディアが煽っているだけだ。
 実態以上に好景気感を盛り上げ、7月の参院選に与党を圧勝させて消費税引き上げ実施、憲法改悪への筋書きを現実化させようという権力の謀略にには嘔吐をもよおす。
 
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コメント

新証言者

阪神さん、いつもありがとう。
川田ファイル3番目前段に宮平敏勝の本部壕での目撃証言があります。

ショウダウンも

伊藤さん、ショウダウン記述への細かな検証、ありがとうございます。あの正稔の取り上げる戦記だから、これも信頼に足る資料ではない、と考えるのが適当ですね。フィジガーとは別に、阿波連川で50~100人規模の集団自決があったというのは事実ではないと断定して良いでしょう。

ところで、故本田靖春のルポに、宮城初枝の証言として、s20年3月25日、5名で戦隊本部壕に弾薬授与の申し入れに行った時刻は、午後4時くらいだったという記述に気がつきました。
http://keybow.co/honda/sentaityou2.html

『母の遺したもの』中の、時刻は3.25の夜と書かれた手記とは矛盾するのですが、本田靖春への証言はs62年(1987)です。晴美が母から手記を託されたのは1990年です。本田への方が事実である可能性を否定できません。そうだとすると、朴壽南監督が初枝告発の根拠としてる3.25pm10時頃の本部壕訪問はあり得ない、という主張が根拠としては薄弱になります。また、私が宮里米子から聞いたように、戦後まもなくその話(5名での本部壕訪問)が広まっていたという事は、近年になってからの作り話ではないという傍証になります。そんな早い時期に、初枝がそんな作り話をする必要性があるとは思えないからです。

 それで昨夜、朴麻衣氏にメールで「宮城母娘告発映像」への疑義を再度呈したところ、今度は直ぐに返信が来ました。私信ですが、特に秘密にすべき内容は含んでないと思うので、そのまま転載します。

キー坊様
メールを拝見しました。
キー坊さんの電話番号をお知らせください。
監督にメールを見せますが、私としてはキー坊さんがどういうお立場の方か存じあげないので、直接監督に話して下さい。         朴麻衣 

娘であり助監督で、第2部の編集を担っている麻衣氏が、私からの質問に回答を避けているように思えるのは、公開に踏み切れない何らかの躊躇いがあるのだろうかと、推測してしまいます。

沖縄ショーダウン

「沖縄ショーダウン」はホラ話ではないかという印象を持ちます。

例えば、作者とされるグレン・シアレス氏は、上陸した3月27日の戦闘で50人ほどの日本兵の死者を見たと書いています。しかし、日本軍側の戦死戦病者名簿(第三戦隊の副官だった辻政弘中尉が所持していたもので、戦死・戦病死した部隊員の死亡時の状況が記載されている)によれば、阿波連にいた部隊のこの日の死者は佐藤少尉だけです。

また、上原氏は谷本版陣中日誌の27日の記事「第一中隊は阿波連より撤収するも渡嘉志久峠の敵に阻止され、突破するすこと得ず東方山中に潜伏」をもって、シアレス氏の主張の傍証としていますが、これは正しくありません。

谷本版陣中日誌には時刻が書かれていませんが、上記の戦死戦病者名簿にある佐藤少尉の死亡記事によれば、この戦闘が起きた時刻は21時30分頃、場所は渡嘉志久基地の山頂付近です。したがって、戦闘の相手は、早朝に渡嘉敷島南部から上陸して北上してきたシアレス氏の部隊ではなく、9時~10時頃に渡嘉志久から上陸してきた米軍主力と考えるのが自然です。
つまり、日本軍側の資料には、沖縄ショーダウンを裏付けるものはないことになります。

米軍は軍事的に赤松隊を圧倒しているわけですから、シアレス氏の部隊を派遣して、赤松隊を窮鼠猫を噛むような状況に追い込むのは愚策だと思います。実際、渡嘉敷島での戦闘全般を見ると、赤松隊を殲滅する必要はなく追い払えば十分という方針を米軍は採ったように見えます。

初枝さんへのインタビュー

こんにちは。
季刊女子教育もんだい1992年1月号に川田文子さんが宮城初枝さんにインタビューした記事があります。
http://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1370611780.jpg.html
http://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1370611804.jpg.html
http://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1370611824.jpg.html
http://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1370611843.jpg.html

同じく7月号には渡嘉敷島で女子青年団長だった、くふぁんぐゎさんは母親を北山へ行かせなかったとの記事があります。
http://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1370611667.jpg.html
ttp://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1370611694.jpg.html
ttp://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1370611729.jpg.html

以前、晴れ着はどんなものかと話題に上げましたが、やはり、花柄の着物が晴れ着のようですね。
ただ、晴れ着は子供が着た写真しか見た事がないので、大人は不明です。

追記
婦人クラブ1972年2月号に曾野が富山の自衛隊で集団自決の取材をしている写真が出ていました。
相手は皆本と思われます。

4人と対話

 伊藤さん、コメントありがとうございます。
 つまりは、山本猛夫氏の証言は戦時記録として、全く信頼が置けるものでないという事ですね。
 阿波連の集団自決については、私の知っている限りでは三つの資料があります。1は「谷本版」中のもの、2は上原正稔訳著の「沖縄戦ショウダウン」のグレン・シアレス元二等兵の記述、そして今回の山本氏の証言なのですが、1と3は記録として全然価値が無いわけです。しかし、上原正稔の翻訳ではありますが、グレン・シアレス氏の記述は作り話とは思えない生々しさがあります。
 http://keybow.co/masatosi/showdown1.html

この阿波連の自決に関しては、現地での証言も形跡もなく、研究者による報告もされていません。上原正稔はこの事件について、自分で調査したと言っていません。シアレス氏が語っているから「谷本版」は信頼できるものとしているのだから、それが事実かどうか自分で調べるべきです。ドキュメンタリー作家として横着と言うしかないですね。認知症の始まりだったのでしょうか。

 ところで、今回の帰沖の主目的ですが、去年公開された「ぬちがふう」に続く第二部を、朴監督が宮城母子を告発する内容にすると言っていました。
 http://keybow.co/ariran/nutigafu.html
だが、私は、二部をそんな内容にしたら、宮城母子よりも朴母子のほうが命取りになりかねないと思って、朴麻衣氏にメールで疑問を呈しましたが返事はありません。第二部は1年たっても公開されてないですが、躊躇っているのでしょうか。
 s20年3月25日夜についての初枝証言を否定している老婦人に会って、真偽を探ってみたいと思って座間味に行ったのですが、その人は本島に移住していて、住所、電話番号探せませんでした。晴美および盛秀の妹・娘とは電話で話できましたが、宮村側二人とは数十分話すも高齢のため、話は思うように進まなかったですが、自分達に興味を持って電話してくれたという事には悪い気はしてないようでした。晴美の書いた物に対して怒ってはいますが、芯から恨みの感情を持っているのではない気がしますね。
 晴美は「自分は研究者としての誇りにかけて、歪曲記述はしてない、母はうそを言う人間ではなかった」と言ってました。1945.3.25夜の本部壕での出来事が事実であるかどうかが決め手ですが、3.25以後に、初枝と行動を供にした人に話を聞いてから記事にしたいと思います。

阿波連の集団自決

阪神さん、非常に詳しく調べてくださって有難うございます。

山本猛夫氏がマルレで出撃した話は同氏のホラということですね。
この手の武勇伝は眉に唾をよくつけて聞くべきなんでしょう。

・阿波連の斥候に出たときに集団自決の現場を目撃したと書いているのに、島北部のフィジガーでの集団自決について全く触れていない件について

山本氏は第1中隊とともに阿波連に駐屯していたのではないでしょうか。

そう推測するのは「週刊ポスト」には、本部、第2,3中隊が駐屯した渡嘉志久のことが全く書かれていないからです。たとえば、渡嘉志久では、3月26日未明に沖縄本島への転進に伴う泛水作業がありましたが、この記述がありません。これは、阿波連の部隊には転進命令が伝えられず、この作業がなかったことと辻褄が合います。

阿波連の部隊が島北部の複廓陣地に到着したのは30日10時頃で、集団自決のあった28日は本部と連絡が取れない状況でした(公刊戦史による)。したがって、島北部のフィジガーでの集団自決に関してはリアルタイム的には知りえない状況だったことになります。

・ 阿波連の斥候に出たときに集団自決の現場を目撃したという件について

集団自決に関する谷本版陣中日誌の記事は1970年時点で新たに加筆したものですから、全く根拠にはなりません。ただ、赤松隊の中で阿波連での集団自決に関する噂があったことは考えられます。山本氏は自己顕示欲が大きい人のようですから、重大事件の目撃者を衒った可能性もあるように思います。

星明り

キー坊さんこんにちは。
座間味に行かれたんですね。
私は阿佐の浜にいる10匹余りの謎の野良猫を思い出しますw
夜の暗かった昔は、星明りで外の景色が見えたと戦時証言によく出てきます。
石垣島では道が白く浮いて見えたそうです。
座間味なら街灯が少ないので綺麗だったでしょうね。
標高が高ければ天の川も見えるでしょう。

ところで佐野眞一が「僕の島は戦場だった」という本を今月出したのですが、その中で、渡嘉敷島の旧白玉の塔の碑が倒れているのは、曽野綾子の「ある神話の背景」に過剰反応した役場職員がひっくり返したからなのだそうです。
なんでも、碑文に「赤松隊長の命令により」と書いてあったからなんだそうです。
これで倒れている理由がわかりました。
曽野綾子が倒したようなものですね。

座間味の空は満天の星

 阪神さん、資料探索のご足労、何時もありがとうございます。山本猛夫氏の「財界」での証言はほとんどがデタラメですね。財界でのし上がり途上の若き経営者は自分を格好よく見せたかったのでしょう。
 70年の赤松渡沖騒動、71年の『ある神話の背景』の出版によって渡嘉敷の「集団自決」が知れ渡り、あからさまな作り話を書くことができなくなったから、『週刊ポスト』には事実に近いことを書いたと思います。

 問題は阿波連での「集団自決」の目撃証言です。上原正稔老人は、「谷本版陣中日誌」と「沖縄戦ショウダウン」両方に、この記述があったから「谷本版」は正しいのだと言うのですが、彼は自分で調査をしていません。
 山本猛夫は、赤松隊が山中に立て篭もるようになってから、斥候に出た際、自決現場を見たというのですが、これは俄かには信用できるものではないですが……。

 今里帰り中です。27日から28日にかけて、座間味に渡り泊まりました。夜街灯の少ない夜道を歩いていてふと空を見上げると、きらきら星が満天に満ちていました。星が随分近くにある感じです。60数年生きてきて恥ずかしながら初めての経験です。嘉手納基地の傍で生まれた自分は、自然から遠い環境で育ったのだと実感しました。
 座間味では「集団自決」の関係者に1名だけ会えました。その人の伝で、M・H女史とは電話で対談しました。他の戦時体験者で那覇在住の老婦人二人と電話で話しました。
 準備不足で来たので、十分な証言を得る余裕はありませんが、宮城初枝証言に関するゴタゴタの輪郭が見えてきたような気はするのですが…。

モーやんは見た!? 阿波連の集団自決

こんにちは。
「どてらい男」という小説では、日本兵は渡嘉敷島についてから特攻隊と基地隊に分けられ、山下猛造
は基地隊員に振り分けられました。
なお、テレビ放送では渡嘉敷島には行っていないし、マルレに関する話はなかったと記憶しています。
小説では特攻隊員が全滅したので山下猛造はマルレで出撃しています。
この小説が週刊アサヒ芸能に掲載されたのは71年9月30日号からです。
ただし、小説が戦乱編にはるのは72年10月26日号からです。
73年3月8日号で暁第6140部隊第三海上挺進基地隊に配属。
73年3月15日号で第三小隊第二分隊の隊員であるとわかります。
73年4月26日号で渡嘉敷島到着。
73年6月21日号で赤間山の壕へ移動(3月25日)しています。
この小説では集団自決の話は出てきません。
小説ですから、事実に反する話が多々あるのは当然です。

なお、「ある神話の背景」は71年10月から始まっていますから、この小説はほぼ同時に掲載が始まっています。

では、この小説のモデルとなった山善社長の山本猛夫は沖縄戦の経験をどのように話してきたのでしょうか。
「財界」1965年8月15日号では下記の様に証言しています。
http://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1369844415.jpg.html

これはおかしな点が沢山あります。

19年1月に沖縄に送られた。
しかもそれ以前にマルレの訓練を受けている。
沖縄では陣地構築に専念し、マルレの訓練がない。
マルレがまっしぐらに体当りすると言っている。
万に一つも生きてかえることは望めないなどとしている。
どこで出撃したか記述がない。
船舶兵900名のうち3人しか生き残っていないというのは少な過ぎる。

日本軍による住民の殺害の話のうち、戦車で轢き倒した話はまだ確認していませんが、トラックで虫けらのように引き倒されたり、銃の乱射を受けた住民証言はあります。

ところが、週刊ポスト71年12月号では詳細な証言となっています。
http://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1369844435.jpg.html
http://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1369844446.jpg.html
http://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1369844459.jpg.html
http://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1369844475.jpg.html
ttp://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1369844492.jpg.html

これは前年の赤松事件の影響もあるでしょう。また、連載の始まったある神話の背景の影響もあるのかもしれません。
それは「集団自決が軍の命令で行われた、という話まで残ったほどである」とわざわざ書いていることから伺えます。
なお、山本猛夫は渡嘉敷島に米軍が上陸するであろうことは、兵士達が「よく知っていた」と言い、集団自決は回避できた可能性を指摘しています。
しかし、当時の軍の考えは、米軍が上陸したら住民は玉砕してもらうというのが大勢ですから、あの赤松では、どのみち住民を集団自決へと追い込んだでしょう。
そして、この証言の中のトピックは山本猛夫が阿波連での集団自決を目撃している事です。
この目撃が谷本版陣中日誌に反映されたのでしょうか。
喜べ!!上原正稔w
しかし、ここで疑問が湧いてきます。
山本猛夫は北山の陣地にいたのに、なぜフィジガーでの集団自決に触れないのでしょうか。
住民が雪崩れ込んできて「殺してくれ」と大騒ぎしたのを知らなかったのでしょうか。
また、「財界」での証言と「週刊ポスト」の証言は大きく違っています。
つまり、山本猛夫証言は全面的に信用するわけにはいきません。
残念だな、上原正稔w

ちなみに「潮」72年9月号では、19年6月1日に敦賀の中部第三十六部隊へ召集され、同年9月1日に宇品から沖縄へ出発したと証言しています。

渡嘉敷島では集団自決された方の遺骨はどのように拾われたのでしょうか。
戦後、本島では、亡くなった家族の骨であると確信出来ない場合は、骨を持ち帰っていません。
座間味では各所で骨が拾われたようですが、渡嘉敷島は不明です。
この骨の拾われ方がどうなったのかがわかれば、阿波連で集団自決があったかどうか判明するでしょう。
調べて来い!!上原正稔w

追記

戦記とは著者の社会的地位や記述時の社会情勢が文脈ににじみ出るものです。
「財界」では特攻出撃した事にしていますが、これは仕事一筋のモーやんが戦友会に出ていない事を匂わせています。
「週刊ポスト」では事実に近づいているように思えますが、これは前年の赤松事件の影響でしょう。
曽野綾子と接触していたかどうかによっても記述が変わってくるはずです。
特幹隊からすれば「財界」の内容は噴飯ものでしょう。
特幹隊と基地隊の戦友会は別々のはずですが、やはり「戦友の目」は怖いものです。
もし今、モーやんが生きていたら、どのような記述に変容するだろうかと空想してます。

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キー坊@ウチナー

Author:キー坊@ウチナー
沖縄本島中部、巨大な米軍基地を抱える町の生まれ。
齢を重ねるごとに、沖縄戦へのこだわりが強くなります。
曽野綾子・『ある神話の背景』は沖縄を究極的な軍事基地にする目的を持っています。「集団自決」は沖縄戦の集約された出来事だと思います。『ある神話の背景』は沖縄への抑圧・差別の集約文書です。

HP・「その『神話』の背景」(文献・資料集)
http://keybow.co

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