2017-08

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同調圧力には克ったなかにし氏

昨年の2月頃、なかにし礼氏は喉の辺りに強い違和感を感じたので、内視鏡検査をしてもらったのだが、結果は初期ではない「食道ガン」と宣告された。氏は自分がガンになるとは夢にも思ってなかった。
 それ以前の、なかにし氏の生活ぶりは次のようなものだったという。
 26才と52才の時に心臓発作に襲われたなかにし氏は、長年主治医による懇切な管理と自己管理の下で、何とか順調に仕事をこなして来ていたので、医療に対する信頼感は持っていた。

 だが、自宅における夜毎の楽しみは、度数45~58度という舶来の高級ウイスキーをストレートで飲みながら、過去の名作や新作映画のDVDを大型テレビで鑑賞した後、深夜2時頃まで読書をして、終いは眠り薬を飲んで眠りに着くという、氏にとっては「至福の時間」を過ごしていた。こんな生活を長年続けてきたらしい。  強い酒を長年飲み続けてきた習慣が、なかにし氏の喉に違和感をもたらした主な原因に違いないと思える。私も時々25~35度程度の泡盛や焼酎等を水で割らずに、数日続けて飲むことがあるが、やはり喉の辺りに負担感をおぼえる事が多い。だから最近は泡盛や焼酎をあまり飲まなくなった。

 長年強いアルコールで喉を刺激し続ければ、喉(食道)に炎症を起こしたり、腫瘍ができても不思議はないと思える。問題はなかにし氏の食道にできた腫瘍が悪性のもの(ガン)であったかどうかである。医者がガンだと診断しても、それを直ちに信じるのはあまりにナイーブであろう。
 近藤誠医師は、本物のガンは早期であろうとなかろうと、抗がん剤を使ったり切り取ったりして一時消失したとしても、それは必ず再発するか或いは転移するものである。しかし、その腫瘍がガンではなく、(悪性でない)ガンもどきであった場合には、再発も転移もないだろう。 だが、それは治療の成功とはいうものでなく、最初から抗がん剤投与・切除手術の必要性はなかったものであって、抗がん剤・切除手術・放射線のお決まりの治療法が、かえって本物でないガンもどき患者の命を縮めてしまうと、昔から言い続けている。私も近藤医師の言うことに概ね賛成である。

 トーシローの傲慢と憶測で言わせてもらえば、「ガンの本質」というものは、ガンにかかったその人の人生の歪みが現れた現象であると思う。つまり、その人の「生命力」の衰えであると断言してよいと思う。その人の全人格・全人生に関わる事柄であるということである。だから「食道」にガン(腫瘍)が出来たからといって、その部分を切り捨てれば、ガンが消えるものではないということは言うまでもない。抗がん剤で叩いて、手術で切り捨てて、放射線で抑えても、全人格・全人生の衰退が抑えようもないものであれば、「ガン」は防げないということである。

 なかにし氏はそこまで行っている御仁であるのだろうか。小生としては、既成の日本社会の枠内で「成功者」となったなかにし氏であるが、既成の「同調圧力」には逆らって帰還した反骨人間の端くれのとしての同氏を称える意味で、氏が「本物のガン」ではなかったということを祈りたい。もし、なかにし氏に「再発」や「転移」が起こるとしたら、「陽子線治療」も既成の枠内の儲け主義医療方法でしかなかったという証拠になる。
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コメント

月末に報告します

こんにちは。
今、休みが取れないので、どてらい男の件については月末に報告します。

曽野の策略記述

 阪神さん、いつもコメントをありがとう。記事更新を停滞させていて申し訳ないです。

 曽野綾子が『ある神話の背景』を書いた目的は、赤松隊という日本軍の「暴状」を弁護して、沖縄を貶めることにあります。この伊江島の人たちの証言を利用して、赤松隊は清廉潔白で沖縄側の証言はデタラメであるとの印象を読者に与えたいのです。

 一般に、戦争で陣地を死守していた兵士たちは、一様にやせ衰えていたに違いない、というイメージがあります。だが戦地も状況は様々で、栄養状態が悪くなかった軍隊もあると想像できます。赤松隊に(当時の基準で)太っていた兵士が多かったことは、複数の証言からして間違いない事と思えます。
 他の兵士と見間違えた可能性もあるので、伊江島の人たちの「赤松隊長本人が太っていた」という証言が事実かどうかは判定しにくい事と言わざるを得ません。しかし、赤松隊に太った兵士が多かったという伊江島の人たちの証言には嘘・偽りははないでしょう。
 曽野は巧妙にも、現在の人々の感覚にはピンと来ない(兵士が太っていたという)証言を利用して、沖縄を誹謗しているのです

赤松はデップリしていた

こんにちは。
「伊江島の戦中・戦後体験記録(1999)」に渡嘉敷島での赤松の投降を目撃した証言があります。
新城晃氏の証言で、「赤松隊が下山したときのことも覚えていますが、赤松大尉は、山中で潜伏していたとは思えないほど太っていて堂々としていました。日本兵たちは、自力で歩けるものは戦友の迫骨の白木の箱を二つ、三つと胸に抱き、歩行困雄な兵は同僚の肩にもたれて下山。学校の広場で、武装解除(八月二四日)されるようすを遠巻きにして眺めました。」とあり、武装解除の時なので赤松に違いありません。
同様に、あの阿波根昌鴻氏の証言として、「赤松隊が降伏して山から降りて来ることになり、朝から米軍が学校の運動場でその準備をしていました。私たちは垣根越しに見ていたのですが、山からゾロゾロ降りて来るのがちょうどアリの行列のように小さく見えました。学校の運動場で白い布で覆った遺骨を抱えた日本兵が並んで降伏式が行われました。赤松隊長も兵隊たちも長い間山にいたにもかかわらず皆太っていました。米兵がラッパで合図して始まり、シーンと静まり返った中、日本刀をひとりづつ前に持って行って米軍に渡していました。降伏式が終わって兵隊たちは船で沖縄の収容所(屋嘉)に連れて行かれました。兵隊と一緒に降りて来た住民は、兵隊たちと別にされましたが、女の人はモンペ姿で私のように皆髪の毛を切られていて男のようでした。」とあります。
やっぱり赤松は太っていたのですね。
では、どの位太っていたかですが、1日あたり乾麺麭1食分とその他で500キロカロリーの余剰摂取があったと仮定すれば月に2キロは太ります。
4ヶ月半も太り続ければ9キロは太った可能性があります。
つまり、沖縄に行く前はこんな↓兵藤ゆき顔wだったのが、
http://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1368703822.jpg.html
こんな顔↓になってしまったのでしょうw。
http://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1368703842.jpg.html
因みに、沖縄開発でたらふく太ったメタボチニン↓は敗戦時はここまで肥えてはいないはずw。
http://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1368703866.jpg.html
それにしても曽野綾子よ、こっそり見ていないで出て来い!
ぐうの音も出ないだろうが。

今のところ不明

伊藤さんこんにちは。
アサヒ芸能に掲載された時期は不明なので、そのうち調べに行きます。
ウェブ上でわかった事は、講談社の現代(1971年7月号)に「どてらい奴痛快小説 / 花登筐(作家) / p402~417 (0211.jp2)」とあるので、71年あたりだろうと思われます。
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I001219771-00
判明したら、報告致します。

どてらい男の出撃

どてらい男のモデル山下猛夫氏が赤松隊の基地隊員だったとは知りませんでした。
特攻隊員が死んでしまったので基地隊員が代わって出撃することになったというのはもちろん史実ではありませんが、脚本家の花登筺氏の創作、山本氏のホラ以外にもう一つ可能性があるように思います。
1945年3月26日未明に赤松隊は沖縄本島への転進をはかりますが、失敗に終わります。この失敗の原因を「ある神話の背景」は、基地隊員がサボタージュしたためだとしています。私が調べたところこれは事実ではありません。仮に山本氏が「ある神話の背景」を読んでいれば、赤松氏サイドに陥れられたことに腹をたててやり返した可能性があります。
「どてらい男」の問題の箇所の初出はいつでしょうか。Wikipediaには、週刊アサヒ芸能に最初掲載されたとありますが、時期が分かりません。

兵隊服の西郷輝彦

私は「どてらい男」見てなかったので、それがどんなドラマなのかずっと分かりませんでした。
ただ当時、ある雑誌グラビアに、西郷輝彦が兵隊服姿で、ある女優と大物らしい男性との結婚式に出席しているのが載っているのを見て、ああ、西郷は今戦争ドラマを撮っているのだなと思いました。
それにしても、撮影を抜け出して、着替える暇もなく駆けつける程の人物とは如何なる者だろうかと不思議だったのですが、新郎は田岡一雄の息子だったようです。(新婦の女優は後に自殺)

「どてらい男」主人公モデルが第三戦隊の所属で、渡嘉敷に派兵されていた人物だとは、阪神さんのコメントで初めて知りました。脚本家の花登筺が書いたようですが、その時点では赤松渡島騒動は知れ渡っていたし、戦後対米追従体制の下で成功したモデル人物と通俗派物書きにとっては、集団自決の事は避けて通りたいことだったに違いないです。
特攻隊員が死んだので、代わりに基地隊員が出撃することになったとはフィクションもいい所です。

どてらいヤツは集団自決を見たか?

こんにちは。
もう40年前のドラマですが、どてらい男が好きで観ていました。
今となっては藤岡重慶ががなりたてているシーンと、捕虜収容所の出来事しか覚えていないので、復員後の話はつまらなくなったので観なくなったのでしょう。
で、早速、原作を読みました。
山下猛造は基地隊員だったのですが、特攻隊員が死んでしまったので出撃する事になり、それも失敗に終わってます。
(どてらい男 第4巻 激流編)http://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1366901604.jpg.html
原作は、山善の創業者山本猛夫をモデルにしたフィクションなので、ストーリーは史実に基づいていなくてもいいのですが、この本では北山方面に逃げているのに集団自決の話は一切出ていません。

山本猛夫氏は「島民2千人と島の北端へ向かって敗走するしかなかった。」証言しているので、北山へ行っているのでしょう。
しかし、集団自決の話は一切出ていない。
これは集団自決に気が付かなかったのではなく、1970年の赤松騒動により、話し辛くなったのかもしれません。
https://ja-jp.facebook.com/notes/%E5%B1%B1%E5%96%84%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%82%A2%E3%83%A0%E5%B1%B1%E5%96%84%E7%A4%BE%E5%8F%B2%E7%B7%A8%E7%BA%82%E5%AE%A4/%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%9E%E3%81%AA%E5%B1%B1%E5%96%84%E4%B8%83%E8%BB%A2%E3%81%B3%E5%85%AB%E8%B5%B7%E3%81%8D%E5%B1%B1%E6%9C%AC%E7%8C%9B%E5%A4%AB%E3%81%AE%E5%80%8B%E4%BA%BA%E5%8F%B24/342072545828612

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キー坊@ウチナー

Author:キー坊@ウチナー
沖縄本島中部、巨大な米軍基地を抱える町の生まれ。
齢を重ねるごとに、沖縄戦へのこだわりが強くなります。
曽野綾子・『ある神話の背景』は沖縄を究極的な軍事基地にする目的を持っています。「集団自決」は沖縄戦の集約された出来事だと思います。『ある神話の背景』は沖縄への抑圧・差別の集約文書です。

HP・「その『神話』の背景」(文献・資料集)
http://keybow.co

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