2017-11

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徳田毅政務官辞任と沖縄との関係

 医療法人徳洲会の創始者及び元衆院議員・徳田虎雄の次男で、政治家として跡を継いだ徳田毅(たけし)政務官が、就任して間もない国交・復興政務次官を、女性スキャンダル発覚により2月4日に辞任した。数日後に発売される『週刊新潮』に、その顛末を書かれる事が明らかになったからである。

 『週刊新潮』には、「懲役5年の『内柴被告』と同じ穴の『国交省政務官』」・「徳田毅代議士が慰謝料1000万円の『未成年女性』泥酔姦淫」の大見出しがついている。
 記事には、2004(平成16)年2月10日に19才の未成年女性と赤坂の店で飲食し、無理やり女性に酒を飲ませ泥酔状態にし後、ホテルに連れ込んで嫌がる相手と強引に性交したとある。全く内柴事件と同様の事件である。
 3年後の2007年2月その女性に、「無理やり性的関係を結ばされた」として損害賠償の訴えを起こされ、徳田毅氏は1000万円の和解金を払っていたということである。

     sintyou2 14 週刊新潮記事


 この件について、経済評論家の植草一秀氏が2月6日付けのブログ記事で、2006年に行われた沖縄県知事選と徳田毅氏の政治家としての行動を関連付ける論評を述べている。
 (注:植草一秀氏は2005年と2006年に、駅構内と電車内で痴漢行為を働いたとして、2度現行犯逮捕され、裁判で有罪・実刑判決が確定し、収監され数ヶ月服役した。しかし、これは当時の小泉・竹中改革を批判し続けたための、公安・司法によるでっち上げ事件であったと、著書の中で弁明している。)

 徳田毅は衆議院議員の父・徳田虎雄の秘書官をやっていたが、虎男がALSという難病に侵されたため、跡を継いで2005年郵政解散選挙に無所属、民主党推薦で、衆院選に立候補し初当選を果たしている。その後父親に代わって自由連合代表に就任していた。だが、2006年11月の沖縄県知事選挙直前に代表を辞任した。それまで自由連合は革新側の糸数慶子候補を支援していたのであったが、代表を辞任し無所属になった毅は一転自民党が推薦する仲井真弘多現職知事の支持に回った。糸数優勢が言われいたのだが、選挙の結果は仲井真の完勝であった。

 2006年9月に首相に就いた安倍晋三の首班指名選挙に、徳田毅は無所属ながら安倍に票を入れている。その年の12月に毅は自民党に入党している。要するに、何らかの要因があって、毅は沖縄県知事選に関して第1次安倍政権に協力する必要があったということである。それは何であったのか?

 この沖縄県知事選の結果について、植草氏は収監中に書いた著書『知られざる真実』2007年発行)の冒頭で、毅の行動に言及している。2006年頃、宇和島徳洲会病院臓器売買事件が大事件になるのを恐れた徳洲会側が、追求の手を緩めてもらう代わりに沖縄県知事選に関して、沖縄の徳州会組織を動員して自民党が応援する仲井真知事を支援する活動を行ったというのが、植草氏の推測であった。

 しかし、今回の女性準強姦事件が露見した今、臓器売買事件よりもっと破廉恥な毅個人のスキャンダルが関係していたという事が判明したと言って良い。初当選してから、2006年9月の首班指名で安倍晋三(自由民主党総裁)に投票、短期間で自由連合離党、沖縄県知事選での仲井真支持転回、仲井真が当選して直ぐの自民党入党2009年の政権交代後の鳩山政権下の普天間移設模索の状況で、徳之島移設の案が持ち上がった時の徳之島移設絶対反対辺野古移設の主張は、全部整合性の付くことではないか。
2010年4月移設反対徳之島集会に、野に下っていた自民党小池百合子元防衛相を参加させて、辺野古への移転を主張させている)

 自分の保身のために、沖縄を食い物にした大病院組織創始者の御曹司は、これ以上政治家を続けていくには相応しくない人格ではないか?早々に国会議員も辞職すべきである。
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コメント

ありがとうございます

やはり訳し方の問題でしたか。御教示有難うございます。

迫撃砲による攻撃

臼砲も迫撃砲も英語ではmortarというようで、米軍に記録にある臼砲とは迫撃砲のことではないかと思います。日本軍の迫撃砲としては、軽迫撃砲に分類される擲弾筒があります。赤松大尉が1946年1月の復員時に提出した資料には、赤松隊が八九式擲弾筒を7筒所持していたことが記載されています。最大射程が700m位なので米軍のLSTを攻撃したことは十分あり得ます。

赤松隊の迫撃砲が住民を攻撃した可能性を「ある神話の背景」は否定していますが、その論拠は、1)赤松隊は迫撃砲を所持していなかった 2)日本軍陣地の上空は樹木に覆われていて迫撃砲を撃つことはできなかった、です。擲弾筒は名称が異なりますが迫撃砲に分類されるので1)は棄却されます。2)についてはなんとも言えないというところかと思います。

なお、阿嘉島に砲身のない砲台があったという話を聞きました。大町大佐は1945年1月4日に第32軍司令官から慶良間諸島の防衛を命ぜられていますが、米軍の侵攻直前に座間味島に海軍砲を運び込もうとするなど、まじめに島嶼防衛をやろうとしたようです。

梅澤隊長は謝罪すべきである

梅澤隊長が神山中尉をスパイだと決め付けていましたが、中村仁勇氏の新刊本によると、米軍は特攻艇の存在を知らなかったとの事です。
つまり梅澤隊長は神山氏の名誉を毀損したままなのです。
汚名を着せたままにする事は許されません。
また、フロッグマンが阿真の海岸で村民と話していた事を、あたかも村民がスパイであるかのように言っていますが、これも村民をスパイ視した許し難い暴言です。
フログマンが村民と話をしたり、村民を保護するという行為は本島では行われています。
スパイ視を撤回する様に要求しても、梅澤隊長のような度量の狭い根性を持った人殺しは無視するでしょうが。
私が気になるのは62頁にLST771が「渡嘉敷島から臼砲で攻撃されたこともあるが」と書かれていることです。渡嘉敷島の日本軍は臼砲など持っていないので擲弾筒の事ではないかと思われます。
しかし、もし迫撃砲を日本軍が持っていたというなら住民殺害にこれを用いた可能性があります。
というのは最近読んだ住民証言(書名失念)に、迫撃砲で怪我をした住民が破片を取ってもらったらその破片に日本軍の印が入っていたという噂があったというのです。
噂なので話半分未満で受け止めないといけないのですが、住民が騒いでいる所に迫を打ち込むという事は充分に考えられます。
なお、74頁でも阿嘉島の日本軍が臼砲を持っていたと米軍の記録に書かれています。
他にも大町大佐一行15人のうち大町大佐ら6人とは別に9人が渡嘉志久に渡った証言もありました。

渡嘉志久のマルレ
http://www.ibiblio.org/hyperwar/USA/USA-P-Okinawa/img/USA-P-Okinawa-p61a.jpg
http://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1364193452.jpg.html

マチガー姓なし

こんにちは。
和田さんが気にしていた松川ですが、農林学校卒業者に松川姓は複数いますが、渡嘉敷に本籍のある人はいませんでした。
よって、松川は屋号でしょう。
渡嘉敷島に本籍のある卒業生&在学生は複数いました。
そのうち、白玉の塔に名前のある方は2名です。
もっとも、同姓同名の可能性もある事は考慮しておいた方がいいでしょう。
一人は軍人軍属として亡くなられ、卒業して4年を経ています。
もう一人は防衛隊として亡くなられ、在学中でした。
卒業者のうち、卒業年次が一番古いのは昭和5年3月です。

もう一点。
沖縄県立埋蔵文化財センターの資料によると、渡嘉志久の特攻艇壕は、レールが海に向かって伸びていたとの住民証言がありました。
また、本部陣地壕の周辺には他にも複数の壕があったそうです。
これは本部壕では全員入りきらないからなのでしょう。

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キー坊@ウチナー

Author:キー坊@ウチナー
沖縄本島中部、巨大な米軍基地を抱える町の生まれ。
齢を重ねるごとに、沖縄戦へのこだわりが強くなります。
曽野綾子・『ある神話の背景』は沖縄を究極的な軍事基地にする目的を持っています。「集団自決」は沖縄戦の集約された出来事だと思います。『ある神話の背景』は沖縄への抑圧・差別の集約文書です。

HP・「その『神話』の背景」(文献・資料集)
http://keybow.co

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