2017-10

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

「ある神話の背景」(集団自決の真実)を読もう

タイトルは、今日沖縄の新聞の投稿欄へ送った原稿の内容である。衆人(或いは知人)の目に留まるかもしれないとなると思うと、たった1千字の原稿に(1千字だからなお更かもしれないが)四苦八苦である。作文の訓練不足を痛感する。

昨年送った論壇への投稿は採用されなかった。
今回の分も、曽野綾子とその本を貶す内容なので採用されないかもしれない。一応気分的には一区切りついた。


投稿文

 「大江・岩波裁判」で、原告勢力が思想的・理論的に強く依拠している書が、七三年発刊の曽野綾子著・「ある神話の背景」である(〇六年に「集団自決の真実」として再版)。赤松嘉次渡嘉敷島守備隊長が発したとする「自決命令」には確たる証人も証拠も無いことを論証し、沖縄の戦史研究に大きな反省を迫る内容であった。事実の十分なる検証なしに、一軍人の「神話的悪人」イメ-ジを作り上げてしまったー。この点は当然に沖縄言論界は反省すべきことであった。
 が、直接的隊長命令がなければ、「集団自決」に軍の強制性はなく、指揮官たる赤松隊長に責任がないと言える事だろうか。隊長は捕虜にさせないために住民を一ヶ所に集結するよう命じた。ために米軍の砲撃に晒されて、集団で自死せざるを得ない状況に追い込まれたのである。曽野綾子氏は、村民処刑など赤松隊が行った他の所業も、あの状況では仕方なかったとして免罪論を展開するが、近年の検証で、「ある神話の背景」には多くの矛盾点・疑問点が見出されている。
 例えば、曽野氏が証拠・証人として重きを置いているのは、赤松側からの証言・文献がほとんどである。その一つ、元隊員の谷本小次郎氏が戦後まとめたという「赤松隊陣中日誌」は、戦時中に書かれた「公式陣中日誌」とは大幅な違いがある事が判っている。また、「鉄の暴風」渡嘉敷島の項は、体験者でない宮平栄治・山城安次郎の両氏からの伝聞(宮平氏の否定にもかかわらず)で書かれたと断定しているが、著者・太田良博氏からは、当事者の米田元村長らから取材したと完璧な反論がされている。驚いたことは、曽野氏は自分の本の中に名前が二度も出てくる兵事主任・新城(富山)真順氏を、八十八年の「家永裁判」の証人尋問でそんな人は知らないと証言している。
 伊江島の村民六人を処刑した理由を、解放すれば陣地の状況を敵に知らされるからやむを得なかったとする。だがその二日前に、曽根一等兵が朝鮮人軍夫ら二十人程を引き連れて逃亡、米軍に投降している。既に陣地の様子は知られているはずである。他の住民への見せしめであっただろう。
 数々の疑問にかかわらす、再版された「集団自決の真実」は書評で見る限り、本土の人々に好評のようである。「集団自決」は軍の「強制」と考える沖縄の人に、この本を(反面教師として)読むことをお勧めする。
スポンサーサイト

コメント

和田さん。
新たな潮位表の案内、有難うございます。

私はこのようなグラフを見ることは、得意でないですが、探ってみます。

那覇の潮位

那覇の潮汐表見つけました。
http://www.ten21.co.jp/4703.htm
上記の右側月単位表示にして1945年4月まで
戻り、日単位表示に切り替えることにより
1945/03/26日の満潮時間などにたどりつけます。

予想時間と変わりません。 那覇と渡嘉敷は数分程度の誤差でしょう。

潮位表返信

実はエクスプローラーのバージョンを8に上げようとしたら混雑していたせいか上がらずツールバーなどが消えてしまいました。

入力するにも苦労するのですが潮位表以下のリンク
http://www.twin.ne.jp/~sakamaki/
の中左3番目の潮位表ソフトを開いてください。
そしてダウンロード。サンプル版は地点が少ないのですが正式ソフトを購入すれば渡嘉敷も地点に含まれていることがわかります。

私は、そこまでやっていません。
是非ホームページに潮位グラフを掲載してください。

>和田さん。

1945/03/26渡嘉敷の潮位に着眼した事は良いですね。私には「潮位表」を読む技能がまだ無いのですが、事実だすれば曽野の欺瞞性を証明するのに、新たな大きな材料になりますね。
 「ある神話の背景」では、干潮になって舟艇を浜に下すことに時間が掛かり、夜が明けてしまい、泣く泣く艇を自沈させたというのが、特攻不出撃の大きな理由にしていますからね。
 曽野と赤松は、マルレが体当たりの人間魚雷でなかった事を隠しています。慶良間の挺進隊が「必死」の特攻隊でなく、「生存」への執着を残した軍隊であることを隠したかったと推測されます。

出来たら、「潮位表」入手方法をお教えください。

朝夕の嘘と島民の沈黙
気象庁の潮時表というシェアウェアソフトを利用して1945/03/26渡嘉敷の高潮位・低潮位を推定しました。サンプル上渡嘉敷に近いのは24.20N 124.1Eの石垣島と32.39N 129.44Eの長崎県高島であった。 一方渡嘉敷ピーチ付近の緯度を地図ソフトで調べると26.19N 127.35Eであった。
赤松隊泛水時1945/03/26午前の石垣島の低潮位時刻0時16分、高潮位時刻午前 6時38分。長崎県高島の低潮位時刻0時52分、高潮位時刻午前7時19分。
このことからマルレ泛水時渡嘉敷での高潮位時刻は午前7時近辺ということは宇宙物理学上否定できない事実である。当然、それ以後に潮が引き始める。

ところが、曽野綾子は「ある神話の背景」でこう記述した。読売版266ページを引用する。
「午前零時、出撃準備命令が発令されていた。・・・・普通の場合でもそれを三十人で下ろすという無謀を訓練で補っていたのである。それに加えて、潮が引き始めた。持ち運びの距離もそれにつれて長くなったのだ。」また読売版267ページでは「下ろすのに五時間かかったのだ」

事実は曽野の言に反し、潮位が高くなる中で「持ち運びの距離がそれにつれて短くなる中で」泛水作業が行われた。
赤松主導の嘘か、曽野綾子独断の嘘かは明らかでないものの、赤松等が泛水当日の朝夕状況を忘れることはありえないので意図的な嘘といって間違いない。

しかし、問題はそれに止まらない。軍・島民の資料では出撃命令時刻が前日午後11時になっていることはさておき「戦争の様相」それを引用したと思われる山岡莊八「太平洋戦争」では泛水作業に防衛隊・青年団多数が参加したことになっている。ついでにいうと皆本が登場する本「特攻 最後の証言」では勤務隊はゼネストなどやっていない。
地元、渡嘉敷島の島民が「ある神話の背景」を読み、また人づてにその内容を聞くということはあったはずである。 泛水作業に参加した島民の中には曽野の潮位の嘘を発見する可能性があった。 しかし、曽野はそのような脅威をまったく感じていないようだ。
このことに止まらず、曽野と赤松の大阪会合以降、渡嘉敷村での赤松批判は蒸発したように消えてしまう。 70年以前「戦争の様相」が1950年書かれたことを証言した者がいたはずであるがこれも語られなくなる。

このことを整合的に解釈するならば、島民は年金と叙勲で赤松と曽野に釘を刺されていたと考えるのが自然と思うのだが。

嘘の常習者

和田さん、コメントをどうも。
曽野の記述には、随所に嘘が見られますね。

同じ「will」2008年1月号・曽野論考・p57下段に、
「この沖縄渡嘉敷島の集団自決事件について初めて耳にしたのは、1968年に、私が『生贄の島』というノンフィクションの取材のため、沖縄本島に入っていた時です。・・・」
と書いてますが、これも嘘です。

「ある神話の背景」の冒頭の文章、
「その小さな島の事を、私は初め、何も知らなかったし、又、知る必要もなかった。その島は、私の住んでいるところから1600キロも離れていたのである。
その島の名を聞いたのは、今から、もう十数年にもなる。・・・」
と書き、その後に渡嘉敷島・「集団自決」についての話を聞かされたと、続いているのです。

「諸君!」連載の初稿は、1971年10月号でです。それから十数年前といえば、曽野が初訪沖した1961年以後ではないでしょう。

曽野が沖縄に関わり始めたのは、最初から「渡嘉敷の集団自決」を念頭に置いての事に違いありません。

曽野渡嘉敷取材の始期

キー坊さん
曽野綾子が1969年以前に、渡嘉敷島の取材をしていたらしい形跡をもう一つ見つけました。
「will」2008年1月号に曽野綾子が「強制された死か、個人の尊厳か」と題した論考を載せています。
引用すると
「私がこの事件を調べてみたいと思ったのは、こうした報道を読んでからであり、大江健三郎氏の『沖縄ノート』が出版された後でした。・・・・取材を初めてから、私は手に入る限りのすべての関係書類を読むことにしました。当然私は大江健三郎氏の『沖縄ノート』も読みました。私が調査を始めているうちに出たのだと思います。初版が1970年ですから。」

前半と後半は矛盾している。曽野はあるいは、「世界に連載中の(罪の巨塊)部分を読んで調べてみたいと思ったのであり、全編が出版され改めて全編を読むことにしたのだ。」と弁明するかもしれない。
しかし、(罪の巨塊)部分は沖縄ノートの最終盤部であり、赤松が渡嘉敷渡航を企てたことを踏まえて1970年4月に書かれた。また、沖縄ノート出版は1970年9月。

そうしてみると、「私が調査を始めているうちに出たのだと思います。初版が1970年ですから。」という記述は曽野が1969年以前に渡嘉敷島の取材を始めたことを意味しているといえないだろうか。

赤報隊事件の犯人だと名乗る振り込め詐欺犯は出所後、日本のCIA職員から2,3万円を借り写真まで撮って下準備をして新潮社から原稿料をせしめた。
照屋・藤岡は死んだ玉井・田中村長を利用して嘘をついた。
曽野綾子は推敲もせずに不用意な嘘をばらまき、後に続く者に恰好の手本を示したといえるだろう。

偽善者の巨魁

阪神 さん、コメント有難うございます。
引用された曽野の文言。私は昔、それをある本の中で読んで(栗原久明・「私の沖縄日記」1976)、曽野の「ある神話の背景」を読む気になったのです。沖縄へ移住し、沖縄女性と結婚したという栗原氏はこの文言を取り上げて、曽野に賛同し、沖縄人を批判してました。
>偽善者の巨魁
当時は、私も曽野の「生贄の島」から続く沖縄三部作にだまされました。

同じ沖縄移住者で、沖縄女と再婚した関広延は、 『「鬼」たちの擁護者』(1973)という書評で、この文言を取り上げて、「ある神話の背景」を厳しく非難しています。

曽野の

こんにちは。曽野が「沖縄の問題を取り上げる場合の根源的な不幸は、常に沖縄は正しく、本土は悪く、本土を少しでも良く言うものは、沖縄を裏切ったという単純な論理である。」と書いていますが、このような認識を持つようになったのは沖縄での取材を通してからなのでしょうか。
僕はこの1文を観た瞬間、「曽野は沖縄にかかわった数年で鬱病を癒し、最後には沖縄の人達を足蹴にしてあざ笑って逃げた」と思いました。
曽野は偽善者の巨魁ですね。

島袋哲

こんにちは。「戦争にこだわる(島袋哲)緑林堂書店」で曽野綾子証言考の章があります。島袋氏は曽野のとなえた説を否定しています。本土では知られていない方ですが参考までに。

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

http://keybowokinawan.blog54.fc2.com/tb.php/29-ac19bcaa
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

«  | ホーム |  »

プロフィール

キー坊@ウチナー

Author:キー坊@ウチナー
沖縄本島中部、巨大な米軍基地を抱える町の生まれ。
齢を重ねるごとに、沖縄戦へのこだわりが強くなります。
曽野綾子・『ある神話の背景』は沖縄を究極的な軍事基地にする目的を持っています。「集団自決」は沖縄戦の集約された出来事だと思います。『ある神話の背景』は沖縄への抑圧・差別の集約文書です。

HP・「その『神話』の背景」(文献・資料集)
http://keybow.co

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

未分類 (2)
関連著作の紹介 (73)
渡嘉敷島関連 (19)
座間味・阿嘉関連 (19)
奄美その他 (38)
曽野綾子論 (35)
基地 (55)
政局 (45)
自論 (40)
STAP問題 (17)
慶良間全般 (1)

FC2カウンター

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QRコード

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。