2017-10

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仲程昌徳氏の論考その2

仲程氏のこの論考は、1985.4月~5月の「太田・曽野タイムス紙上論争」を受けて、6.11~15、沖縄の研究者5名(石原昌家・大城将保・いれいたかし・仲程氏・宮城晴美)が、日替わりの論評をタイムスに載せた時のものである。

4番目に登場した仲程氏は、4年前の「ある神話の背景」への最大級評価の言辞は何処へやら、この論争への論評は、どっちつかずの訳の解らない文章に成っている。前の論文から4年も経って、自分の論文のそそっかしさに気づいてきたのだろう。そして、太田良博が伝聞説を明確に否定したことに打撃を受けたのではないか。
前の論文では、曽野が書いた「直接体験者でない二人の人物(山城安次郎・宮平栄治)」からの伝聞証言で持って、赤松隊長自決命令説は創作されたのだという『神話』」を、仲程は単純に信じ込み、それを前提に、自論を展開していたからである。
この論考では、「内的自己」と「外的自己」の「分裂」を問い直せ、とかの主張を持ってきているが、問題はぐらかしの弁に過ぎないだろう。過去の自分の軽薄さへの忸怩の思いが見て取れる。

仲程氏もこれでもって、「集団自決」への筆というか、政治的言論への筆を折ったようである。曽野綾子の影響力はすごいものだったと言えようか。

  資料 太田・曽野論争」と沖縄戦④ (1985.6.14 沖縄タイムス)
      (副題)沖縄近代史の凝縮
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コメント

キー坊@ウチナーさん

曽野綾子がマスコミの表に出てくれば、「神話の背景」批判の読み手がグッと増えるという、効果が出るでしょう(笑)。
http://ni0615.iza.ne.jp/blog/entry/1291783/

【コメント欄フィルターの実験】
shineba が投稿できないとすれば、「死んだら」と言い換えればいいのでしょうか?
これが投稿できたら、「死んだら」はフィルターに掛らないということです。

曽野綾子が日本郵政へ

ni0615さん、又コメントをどうも。

曽野綾子が初めて沖縄に来た時、太田良博は、当時始まって間もない沖縄のテレビ放送で(おそらく)生で見てたでしょう。中村光夫は沖縄戦の本質を言い当てていた訳ですね。
関係ない話ですが、山崎行太郎氏は中村光夫氏を文芸評論家として評価しないと、どこかで本に書いてました。私もよく理解はしてない事ですが、評論内容は薄っぺらなような事をいってた気がします。
その山崎氏が今日のブログで、曽野綾子が日本郵政の社外取締役に、亀井・斉藤の強い要望で就任したと、書いています。

「集団自決裁判」には、何らかの意味を持つのでしょうか。

またまた勘違い

勘違いしたようです、キー坊さんがアップした「戦争への反省」と。

http://keybow49okinawan.web.fc2.com/ootaryou/hansei.html
(キー坊さんの紹介文)
>太田はこの「戦争への反省」の中で、テレビ放送でこの講演会を見て、中村光夫の一言から、沖縄戦について重要なヒントを得たとしている。面白いもので、同じ番組で、後に天敵となる曽野綾子の講演も見たといっている。<

(太田氏の文)
>> 私は、家でテレビをみていた。
 文春講演会が放送されていたのである。
中村光夫氏が、あることを言いかけたとき、私は思わず、ハッとして椅子に坐ったまま、上体をのり出した。摩文仁の軍司令部跡を見たときの印象に話が及んだとき、中村氏の口から、こんな言葉が出てきた。

「軍司令部が、あんなところに あることに、自分は疑問を感ずる。あの戦場で、住民をたくさん死なせていて、司令官はshineba それで責任がすむのか。あきらかに、あれは、作戦の失敗である。作戦で「イロハ」ともいうべき失敗をしている……」

それは、私が聞く初めての言葉であった。これまで、誰からも、こういう言葉を聞いたことがなかった。また、書かれたのを読んだこともなかった。牛島司令官は、立派な軍人として偶像化され、住民は、尊敬こそすれ、非難する者はいなかった。批判の対象にしなかった。

「なんでも、疑ってみることが大切だ。権威を無批判に肯定してはいけない」という意味のことを、曽野綾子さんが講演したあとだった。<<

その時は太田に、

>>戦闘員だけでなく、多くの住民の生命や財産を失わせた戦争の最高責任者である司令官に対して、住民の中からひとつも批判の声が聞かれないのはどうしたことか。<<

と言わせた一人であった曽野の、講演記録を是非読んでみたいものです。

※shineba がfc2の禁止キーワード?

犠牲者の一人

ni0615さん、コメントをどうも。

太田良博「「渡嘉敷島の惨劇は果して神話か」 は、私はテキスト化してません。ni0615さんの庫に既に在るので利用させていただきます。
太田良博は「渡嘉敷島の惨劇は果して神話か」で、「ある神話…」が刊行された直後に、新報に反論を載せたのは良かったのですが、その中に、肝心の「伝聞説」を否定する言述が無かった。この事は内外に消極的「肯定」と受け取られたでしょう。太田良博はまだ55歳だったのに、何をボケてたのかという気がします。

仲程氏は短直にも、それを前提として「ある神話…」を全面的に評価したのでしょう。でも、文芸評論家としての仲程氏の技量はその程度だったのだと思います。関広延から、彼の山之口獏の詩への評論を、センス無きものとして批評されてます。
後で太田良博を恨んだかもしれませんが、仲程氏も曽野の毒気に当てられた一人でしょう。

太田良博の反論

キー坊さん
灯台下暗しだったけもしれませんね。
早速のお応え有難うございます。

で恐れ入りますがアドレスを、検索結果ページではなく、こちらにしていただけないでしょうか?
http://www16.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/90.html

なお、これは85年、その前にキー坊さんもアップなさった、73年「渡嘉敷島の惨劇は果して神話か」
http://www16.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/881.html
があるのですが、これに対して仲程がバッサリ切り捨てて曽野を持ち上げたのですね。

■追記
この73年「渡嘉敷島の惨劇は果して神話か」ですが、太田氏は曽野の「伝聞証拠説」(追記:「伝聞証言説」から訂正、「伝聞証拠で神話をつくった」という説のこと。)をキッパリ正面から否定せず皮肉をこめて挑戦的になっているところが、禍根を残したかもしれませんね(太田氏の頭から湯気が立っているのは感じます)。この時に85年の時(キー坊さんご教示の文章)のようにキッパリ否定していたら、仲程先生も軽~るく舞い上ることはできなかったかもしれませんね。

仲程昌徳の名は

ni0615さん。
>面と向っての仲程批判はどうなのでしょうか

面と向っての批判とは言えないと思いますが、仲程昌徳の「ある神話の背景」への、高評価に対しての批判論考は、為丸氏以外には、例のs60年4月の、タイムス紙上「太田・曽野論争」における、太田氏の最初の論考「沖縄戦に神話は無い」の冒頭の文章に私は見ただけです。

これは貴兄の資料庫にも収められていますね。
http://www16.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/90.html

まともに、それだけを的にした論考は見たことありません。

仲程批判は?

キー坊さん収録の
「沖縄の戦記」をもういちど読んでみました。

ところで、当時、面と向っての仲程批判はどうなのでしょうか?

石川為丸氏のものはありますけど、
http://www16.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/89.html
もっと目に触れやすいところで。

仲程氏

「原民喜ノート」の奥付によれば
43年テニアン生まれ
67年琉球大学国文学科卒業
74年法政大学日本文学修士過程終了
でした。

「文学」寄稿文72年を読むと、仲程氏は復帰運動を支えてきた『若きコアイデオローグ』だったという感じがします。

これと、阪神さんがあげた文章を読み比べると、どういう思想的変遷や転回があったのかなかったのか、分かるかもしれませんね。

仲程氏

ni0615 さんどうも、
仲程氏が「文学」・岩波書店に論考を載せたのは、氏が28.9歳のときですね。文章に小器用な感じがあるから、早くから起用されたかもしれませんね。

>法政大学大学院に入ったのはその後でしょうか?
朝日選書「沖縄の戦記」に、略歴が載ってましたが、忘れてしまいました。

キー坊さん
遅くなりました。

「青い海」1975.9No45、1975.10No46、
「現代を問う戦記文学」でした。

ただ、これには「ある神話の背景」論評は、批判も賛辞もありません。

おかしいな、と思ったら、
『文学』の再掲とありました。

(国会図書館検索)
論題 沖縄の戦記文学 (沖縄の文学・文化)
著者 仲程 昌徳

請求記号 Z13-95
雑誌名 文学
出版者・編者 岩波書店 / 岩波書店 〔編〕
巻号・年月日 40(4) [1972.04.00]
ページ 46~58
------

だったら、
曽野『諸君』に「ある神話の背景」連載中だったのですね。

仲程先生はまだ琉球大学講師でした。法政大学大学院に入ったのはその後でしょうか?

自問自答

こんな本があったのですね
編集人津野創一遺稿集「青い海の彼方へ」
http://8510.teacup.com/nirai/shop/01_01_05/BK030501/
国会図書館にはあるようです。
「青い海」は宮城晴美さんが参加してました。

(アブストラクト)
>これは何時ごろ発行のものでしょうか?
さがして確認して見ます。

>仲程氏の本

ni0615 さん。コメントをどうも。

阪神さんが紹介された、仲程氏が77年、新沖縄文学36号に掲載された「沖縄の戦記・方法と視点(曽野綾子の作品を中心にして)」を、国会図書館で読んでみました。言われたとおり、82年、朝日選書「沖縄の戦記」の下地と成った内容のものでした。
77~82年の間は、仲程氏は「ある神話の背景」その他、曽野綾子の沖縄関係著作を評価している時期にあったのでしょう。

>「青い海」にも氏は2回連載で「沖縄戦記」アブストラクト

これは何時ごろ発行のものでしょうか?

>「青い海」への沖縄文化人結集、というものの、モチベーションは何だったのでしょうか?

恥ずかしくもその頃、私はあまり読書をしてなくて、「青い海」や「新沖縄文学」を買った記憶もありません。
思うに70~80年代、復帰の前後で、沖縄人が自分を見つめたい眼、および大和人が沖縄を見つめたい眼が共に有った時代だったからではないでしょうか。
「青い海」発行間もない頃の号の奥付けを見てみれば、発行人・編集人とも大和苗字の氏名ですね。

仲程氏の本

数日前、古いダンボールから仲程氏の著作が見つかりました。. 原民喜ノート / 仲程昌徳. -- 勁草書房, 1983.8 だったと思います。そのころは少しお金があってヒロシマの本を集めていたのですが、 原民喜を読みたくて著者の名は忘れて、最近また登場したわけです(笑)。
たしか「青い海」にも氏は2回連載で「沖縄戦記」アブストラクトを書いていて、私もコピーをとったと思います。そこには、さほどの曽野絶賛は無かったように覚えます。

「青い海」への沖縄文化人結集、というものの、モチベーションは何だったのでしょうか?

>77年の仲程氏の論考

阪神 さん、ようこそ。
情報ありがとうございます。
新沖縄文学36号に掲載された「沖縄の戦記・方法と視点」探してみます。

仲程昌徳については、関広延が「沖縄びとの幻想・1990」で、山之口獏の詩についての仲程の評論を、まったくセンスないものと貶してます。
「ある神話の背景」へのべた褒めと通底するものがるのでしょう。

77年の仲程氏の論考

こんにちは。仲程氏が77年に発表した論考があります。新沖縄文学36号に掲載された「沖縄の戦記・方法と視点(曽野綾子の作品を中心にして)」です。この論考が後の「沖縄の戦記」に引き継がれている事がわかります。13ページに亘って掲載されています。

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キー坊@ウチナー

Author:キー坊@ウチナー
沖縄本島中部、巨大な米軍基地を抱える町の生まれ。
齢を重ねるごとに、沖縄戦へのこだわりが強くなります。
曽野綾子・『ある神話の背景』は沖縄を究極的な軍事基地にする目的を持っています。「集団自決」は沖縄戦の集約された出来事だと思います。『ある神話の背景』は沖縄への抑圧・差別の集約文書です。

HP・「その『神話』の背景」(文献・資料集)
http://keybow.co

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