2017-07

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5.15雑感

「光陰矢のごとし」とは陳腐な言い方だが、まことに年月の過ぎ行くのはあっと言う間であり、沖縄が日本に復帰してから40年がたってしまっている。「主感的」には20年くらいの感じである。復帰実現まで戦後27年が経っていたのだが、私は戦後4年してから生まれたのでそれまでの23年間が復帰後の40年よりも長いように感じられる。
                                                    国際通り19721.8
                    国際通り 1972.1.8              

 復帰当日はあちこちで集会や式典が行われたようだが、沖縄の町は浮き立つような雰囲気はまったく無かったように覚えている。というより、悲願であった祖国復帰が72.5.15に決定した頃から、なぜだか沖縄全体が喜びに包まれるムードがなくなって行って、白けたままに当日を迎えたと言ってよいだろう。

 沖縄人全体の意識せざる心が、日本という国が自分たちの祖国であるかどうかに確信を持てなかったという事ではないか。復帰が決定するまでのあの熱い盛り上がりは、自分たちの「親元」に帰りたいという切望よりも、横暴な米軍という異民族支配から逃れたいという願望からではなかったかと、今ごろ思うようになっている。日本という国が自分たちの祖国ではないのではないかという意識下の思いが、悲願の祖国復帰が実現したにも拘わらず、沖縄全体に歓喜の情が湧いてこなかった理由だろうと思うようになっている。

 しかし、この考え方も40年経った今になって分析的にしている事であって、私は当時は「やれやれ、これで米軍の支配から解放される。徐々にでもアミリカーたちは出て行ってくれるだろう。それよりも早く職を見つけなきゃ食っていけない…」と、世代わりよりも我が身の行く末に気を煩わせられていた。
 だが、米軍の現状は40年経っても、実質の居座り状況は変わるものではない。当時のあの白けた雰囲気は40年後の状況を予見していたのではないかとも思えてくる。
                             1972.5.14嘉手納
                          1972.5.14 嘉手納基地  
  
 復帰の頃は、日本全体がインフレに覆われていた時代であったが、沖縄は円・ドル切り替えの混乱の最中、事業者などが価格換算を高めに設定した事や行政指導の拙さにより、狂乱物価と呼ばれる物価高騰に陥っていた。また、官庁や企業も世代わりの混乱に備えて新規採用を控えていた事があって、超就職難の時期にあった。新卒者であった自分は「琉球政府」の職員試験に落ちて精神的に低迷の時期にあったので、「復帰が沖縄にとっていい事か、これから米軍が本当に出て行くように日本政府は配慮してくれるか…」など高尚な意識を持てない低レベルの情況であった。琉政の一般事務職員試験は7~8名の採用で、全てが情実採用であったと噂された。
 だが、この一過的な超混乱期は秋頃には収まったので、民間企業や法人が中途採用をするようになり、就職難が緩和されたので、小生はある金融機関に入る事が出来たのだが、ここでの官僚的雰囲気が肌に合わず、2年足らずで辞めた。

 さて、復帰当時の私は、自分の身の持って行き方に気持ちを支配されていたので、日本復帰した事が沖縄にとってどんな意味を持つかという事を真剣に考える余裕が無かった。こんな事を考えるようになったのは、1995年の少女暴行事件の後、普天間基地の返還が現実の問題となってからである。――普天間は解放されるかもしれないが、嘉手納はその可能性無いのだろうか。読谷は既に行政者や村民の意欲により徐々にではあるが、米軍基地からの解放が現実化されている。重要度から言って普天間のほうが嘉手納より解放される可能性は高いかもしれない。だが、嘉手納は永遠に米軍基地を抱えて行かなければならないのだろうか。――
 そんな事を考え始めるようになったのだが、嘉手納町は強欲町長の下で、嘉手納基地を永遠に受け入れる事の代償として、多額の行政補助金と有力者個人の私腹を肥やすような政策を実現してしまった。250億円は町政への補助金としては高額だが、日米両政府にとって嘉手納基地を恒久化するための資金としてはかなりの安上がりだっただろう。

 この事で思う事は、米軍基地が存在する事による地域の人間に及ぼす最大の弊害は、その地域の人間を精神的に蝕む事だという事である。米兵による殺人・暴行・死亡事故、及び米軍飛行機による重大事故ももちろん許し難いことであるが、これらを真っ先に取り上げる過ぎると、例えば、普天間基地は他の民間空港ほどの危険性は無いというケビン・メアなどの詭弁的弁解の余地を与える事になる。
 
 日本(大和)人は、異国の軍隊という米軍基地のもたらす最大の弊害は、事件でも事故でも騒音でもなく、地域に住む人間をスポイルするという根源的なものだという事を直感的に分っていると思える。だから、絶対に沖縄から米軍基地を本土に移動させようとしない。この半世紀で「原発」は50基以上が日本の僻地に造られたのに、米軍(専用)基地を設置された地方は皆無である事がその証左ではないか。もし、国家が原発並みに沖縄の米軍基地を、日本本土に分散移転しようとすると、国家の支配構造は根本からひっくり返されると想像できる。
 だから政府官僚は、米軍基地を沖縄へ押し止めようとする為にはあらゆる手段を使ってくる。その主なものは行政への補助金、地域政治家の買収、軍用地主への厚遇、逆に反戦地主への冷遇・嫌がらせという経済的な絡めてである。復帰後40年で沖縄人の精神的スポイルは相当に進んでいると私は思っている。

 そんな中かで、鳩山由紀夫民主党首が「最低でも県外」といって政権交代を果たしたのは一筋の光明にも思えた。もちろん対米隷従の官僚が簡単に許すだろうかと実現性を危なっかしく見ていたが、案の定、官僚・マスコミ猛攻撃、同僚政治家の裏切りなどに陥落されて、普天間の辺野古回帰を許してしまった。これには落胆させられ怒りも感じたが、今では致し方なかっただろうという気持ちが強い。恐らく、方針を転換しなければ決定的なダメージを与えるぞという脅迫があったと想像される。

 「勉強すればするほど沖縄の基地の抑止力という事が分ってきた」と弁解したが、首相辞任後にあれは方便だったと真意を暴露している。今回40周年式典に出席した事について、あらゆる方面から恥知らずと揶揄されているが、私はよくぞ行ってくれたと思っている。県外移設は挫折してしまったが、その挫折が辺野古移設を事実上不可能にしてくれたと思う。
 今回沖縄でのインタビューでは、「官僚を飛び越え議論する環境をつくれなかった。私の力量の問題だった」と述べ、辺野古移設は困難との認識を示している。(新報記事)
 今回の出席について、たくさんの政治家が「普天間返還をメチャメチャにした張本人が出席するとは万死に値する」(江田憲司・みんなの党幹事長)などと言って貶しているが、笑止千万と言うしかない。このように言って、鳩山氏を非難するのは対米隷従政治家であるかないかのリトマス試験紙といえる。

 とりとめない雑感で失礼しました。
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コメント

アリランのうた

阪神さん、情報有難う。
私としては、上映前に監督のお考えを聞いてみたかったのですが…。

私も都合悪いのですが、万難を排して行きたいです。

ぬちがふぅ(命果報)-玉砕場からの証言

映画「ぬちがふぅ(命果報)-玉砕場からの証言」が今月末に中野ゼロにて上映されます。
今さっき、気が付きました。
しまった!行けない、残念!!
http://www.geocities.jp/k_nabeya/m_park/leaflet-01.html

Japanese

無哲学・能天気である。天下泰平である。
他力本願・神頼みでいる。
‘平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、、、、’ ということである。

意思があれば責任もある。殺意があれば、殺人罪となる。
意思がなければ、死刑執行人のように罪に問われることはない。
意思がなければ、責任もない。この国がひっくり返った時も、責任者は出なかった。

意思は、未来時制の内容である。
日本語には時制がなく、日本人には意思がない。

意思があれば、未来の行動は定まる。なければ、定まらない。場当たり・迷走を繰り返す。
規則があれば、自分の意思とは関係なく行動を定めることができる。規則・礼儀作法がその役割である。アメリカを匂わすのもよい。
万事を決められていては、人は窮屈である。肩が張る。
伸び伸びしたいと、羽目を外す。



http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://3379tera.blog.ocn.ne.jp/blog/

渡嘉敷マルレ泛水証言なし

キー坊さん
>どこかに在りますか?

今の所、渡嘉敷島でのマルレ泛水の具体的なものはありません。
現在でも泛水に関わった方はいるはずですが、渡嘉敷島での戦争の話となると、平和学習となる為、どうしても集団自決の話だけになってしまうから、証言が出てこないのでしょうね。

渡嘉敷のハン水法

阪神さん、こんにちわ。
s35年生まれの佐藤優氏は沖縄復帰時12歳だからよく認識してなかったのでしょう。
佐藤氏への評価は、反権力の側からもマチマチのようですね。佐藤氏は野田政権幹部の前原、枝野などを褒めたりしてます。
同じ追放外交官の天木直人氏は、佐藤氏はモサドのエージェントであると断定していますが。

マルレの運搬方法には色々あったようですね。各基地の地形・人員状況などは違うだろうから当然なようにも思われます。渡嘉敷は如何だったのか私は具体的証言を目にした事ありませんが、どこかに在りますか?

5.15

こんにちは。佐藤優氏の講演があり復帰の頃の話があるのかなと期待していましたが、同氏は沖縄にはいなかったからでしょうか、その頃の話はありませんでした。母親の戦時中の話と普天間基地の県外移設もあるのではないか等の話でした。

西原町史第三巻にマルレの運搬について複数の証言がありました。
背の低い少年がぶら下がっていた話からして、阿波連では金城重明氏はマルレを担ぐ事はなかったのでしょうね。
http://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1337249565.jpg.html
http://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1337249578.jpg.html
http://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1337249591.jpg.html
http://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1337249605.jpg.html
http://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1337249619.jpg.html
ttp://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1337256954.jpg.html
ttp://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1337256973.jpg.html

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キー坊@ウチナー

Author:キー坊@ウチナー
沖縄本島中部、巨大な米軍基地を抱える町の生まれ。
齢を重ねるごとに、沖縄戦へのこだわりが強くなります。
曽野綾子・『ある神話の背景』は沖縄を究極的な軍事基地にする目的を持っています。「集団自決」は沖縄戦の集約された出来事だと思います。『ある神話の背景』は沖縄への抑圧・差別の集約文書です。

HP・「その『神話』の背景」(文献・資料集)
http://keybow.co

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