2017-10

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直接命令はなかったと考える

 前回の記事から1ヶ月以上が経ってしまったが、申し訳なくも今その続きを書いている。

 和田氏が延々と、渡嘉敷島の住民自決について「隊長命令」があったとの推測を語っているのだが、いくら論理的・合理的に組み立ててみてもそれは憶測の域を出ず、明確な証拠資料を提示できなければ、曽野綾子らの言う赤松隊長の「自決命令」つまり「軍命」の存在を証明できたとは言えない。無理にそれが在ったと主張する事は、
「私は新らしい資料が何もない以上、感情論をたたかわす気はなかった。(中略) 赤松隊長が命令を出したという歴然たる証拠がない以上、そのように断定することは歴史をねじ曲げるものである。」(「新沖縄文学」42号〈1979〉)
という曽野の傲慢を許す余地を与える。


 しかし、この問題は刑事裁判とは次元が違うものだ。明示的な「自決命令」の存在を立証できなければ、自決について赤松隊長には責任は無く、冤罪であるというものではない。戦時中絶対権力者として島に君臨し、特攻隊である事を誇示しながら特攻出撃を実行せず、住民を「集団自決」に追い込み、更に十数名の沖縄人住民や朝鮮人軍夫を処刑しながら自分らは生き長らえた。こんな軍隊の指揮官に責任が無いはずはない。あまつさえ戦後二十数年経ってから、御用女作家と供に名誉回復に乗り出した旧軍人らの所業は、神をも恐れぬ行為と言ってよい。

 やはり、『鉄の暴風』に、「こと、ここに至っては、全島民、皇国の万歳と、日本の必勝を祈って、自決せよ。軍は最後の一兵まで戦い、米軍に出血を強いてから、全員玉砕する」との赤松隊長からの「自決命令」がもたらされた、と書いたのが沖縄タイムスと太田良博の最初のエラーだった。この記述が沖縄言論界にとげ針のように刺さっていると思う。
 戦後4年ほど経った時期に、全沖縄戦をカバーした『鉄の暴風』という戦記を、三ヶ月の強行日程で地元新聞社が製作したのだが、個々の事実の綿密な検証を行う余裕がなかったのは致し方なかろう。太田良博は1970年頃、曽野が自分に取材に来た時には、何の警戒心も持たずに応対したのだろう。この女作家の意図を探る必要があったのではないか。あまりに無防備であったと言える。

 沖縄の軍命在り派の言論人たちは、明確な隊長命令はなかったという事を了解していると思える。ただ、それを言えば軍国主義復権言論人=御用学者・作家らに付け込まれるに違いないから言わないのだ。だがもちろん、明確な自決命令だけが「軍命」であるとは誰も思っていない。
 それでも、慶良間の戦記があまりに現実との齟齬がある記述である事が分った以降は、太田良博は沖縄の言論界・出版界で冷遇されたと思える。生前の単行本の刊行は数冊しかなく、大田昌秀などに比べて雲泥の差である。逝去後に夫人の手で著作集が自費出版されている。読んでみて随筆・評論についての筆力は確かなものに思えるが。

『鉄の暴風』・渡嘉敷島の記述は、曽野が『ある神話の背景』に書いてるような、太田良博の伝聞による記述ではなく、村長や元防衛隊員ら村の幹部から直接取材して書いたのであり、いい加減な戦記ではなかった。だが、村長らが全てに「事実」を語ったと言い切れるものでもなかった。1968年に「週刊新潮」で赤松嘉次元隊長が「命令」を否定するマスコミデビューを果して以来、米田(古波蔵)元村長は安里(比嘉)元巡査が命令を伝えてきたと言ったが、当の元巡査は一貫して否定し赤松元隊長を擁護していた。平成元年に元村長は死去しているが、他に隊長命令を証明する証言はなかった。
 ルポライター石田郁夫が既に1969年に書いたように
「共同体が戦場化し、その修羅場の上で、同じ人々が、戦後をおくらざるを得なかったからだ。極小の単位で、生活をつづけるためには、共同体の和をたもつ作業が、最有先されなければならなかった。そのためには、赤松にすべてを背負わせねばならなかった。」
(集団自決の「記録」と「真実」の間)
のだろうか。

 近年になってから吉川勇助氏の証言が出てきたが、やはりこれも「集団自決裁判」の岩波・大江への沖縄側の援護射撃であろう。伝令の防衛隊員が「松川の兄さん」という人物である事が特定できても、当事者のその人も村長も故人となっている今、それは証明できない。また、座間味の宮城晴美は『母の遺したもの』で、梅澤隊長の自決命令を否定する記述をしたのだが、改訂版ではそれを書き改めて命令があったとの記述をした。だが、これも裁判に向けての已むにやまれぬ作業だろう。

 私は日本(大和)人の気性からして、たとえ絶対権力者であっても配下の者に「自決せよ」と、露骨な命令を下すようには思えない。本当に死んでもらいたい時には、言葉以外の手段でもってジワジワ追い詰めるのが常套手段ではなかろうか。
 直接命令はなかったと考えるほうが、曽野綾子ら権力御用言論人からの攻撃を交わすことへの、基本的に有効な見方だという考えを、私は取らざるを得ない。
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コメント

ni0615様

伊藤さんの本、広く読まれてほしいですね。「ある神話の背景」の欺瞞性、謀略性を証明していると思います。唯一知り合いの新報記者に訊いてみたところ、この本の出版を知りませんでした。
豊田市在住沖縄二世の渡久地政司氏がサイトで紹介、賞賛してます。http://www4.ocn.ne.jp/~toguchi/

キー坊さま

そのとおりです。

代執行者

>本当の加害者が、戦争×天皇制だという証です。

 戦時中の赤松隊長が、戦争×天皇制の代執行者であった限り、住民を死に追いやった責任を免れるものではないという事ですね。
 曽野が『ある神話ー』で、兵士は「一匹の虫」でしかなかった、虫に判断力はなく犯した行為に責任はないと言ってますが、詭弁に過ぎません。

自決命令

自決命令とは、受け取る側が「命令」と受け取れば「命令」なのです。それが日本人的な阿吽だと思います。

赤松という人物は、とてもナチス的で明示的な命令を下せた人物とは思えません。私たちあるいはそれ以上の小心者です。そうした人物のよわよわしい「命令」が、受ける人々には「絶対命令」となりえたのです。

そんな小心者が、島では天皇となり得て巨大な悲劇をもたらすことができたということは、本当の加害者が、戦争×天皇制だという証です。

山3480の位置

山3480の位置

阪神さんご教示ありがとうございます。

公刊戦史の付図に4月1日時点での日本軍の配置を示したものがあります。
それによると山3480(野砲兵第42連隊)第2大隊が布陣したのは、糸満の
東約5kmくらいのところです。
赤松隊の転進先が糸満というのはほぼ確かなようですね。

山3480

伊藤さん、御教示下さり有難うございます。

>月居氏はどこの部隊に所属していたのでしょうか?

野砲兵第四十二連隊、第二大隊、第五中隊の指揮小隊、通信分隊です。
戦場で所属を訪ねられたら「山3480部隊、軍直轄の野砲大隊、桑原隊です」と答えています。
月居一等兵は、砲弾雨の中、切断された通信線を修復し続けました。
25日夜の監視を続けて26日の夜明けを迎え、「友軍は脱出不可能の状態となり、全滅したものと思われる」との情報伝達があったそうです。

甲号戦備について

・甲号戦備の下令は軍司令官が原則ですが、各兵団長も可能です。

 戦備の体系を決めた1944年9月22日付球作命第49号には

 但し軍隊区分に基く各兵団長は状況に依り独断之を下令(解除)することを得

 とあります。

 実際どのレベルまでだしたかということですが、次の例があります。
 沖大東島(ラサ島)の守備隊長だった森田芳雄氏の「ラサ島守備隊記」に(台湾
 沖航空戦が始まった)1944年10月12日に《独断で甲号戦備の命令を下した》とあ
 ります。森田氏は階級は中尉で、歩兵第4中隊長です。

・軍司令部としての甲号戦備の下令は3月25日8時です。前日の3時半には予告をして
 指揮下部隊に準備をさせています。船舶団司令部や基地隊本部はこの準備期間中に
 首里に移動したのではないかと思われます。


・甲号戦備の下令の時期のリストに挙がっているものは、1)下級部隊で実際に発せ
 られた、2)軍司令部の24日の準備指令を本番と誤解した、3)著者の記憶違い、
 が混ざっているように思います。

・3月14日に大規模な米機動部隊が根拠地ウルシーを出発してから、17日深夜に日本近
 海で捕捉されるまで、全く状況がつかめませんでした。目的地が沖縄の可能性は十分
 あって、その情報が軍司令部から出されています。挙げられている戦記を見ると末端
 部隊での緊張感がよく分かります。この時期に渡嘉敷島で兵器軍曹が自決用の手榴弾
 を分配したという富山証言がありますが、状況的には十分考えられることです。


・拙著「船舶団長の那覇帰還行」では、摩文仁を守備していた歩兵第89連隊第1大隊
 第2中隊の陣中日誌を根拠に、赤松隊の転進先は糸満だったのではないかと推測しました。
 「一兵士の記録」(月居義勝)がはっきりと糸満港と言っていることは知りませんでした。
 月居氏はどこの部隊に所属していたのでしょうか?

甲号戦備はいつ下令されたのか

先月末に甲号戦備下達について書きましたが、改めて複数の戦記をめくってみました。
3月18、19、23、24どれが正しいのでしょうか。
連隊毎に下令されるものなのであれば納得出来るのですが・・・

●3月18日
「紅焔(西野弘)」
三月十八日、突如として全島に戦備が下命された。

●3月19日
「沖縄戦敗兵日記(野村正起)」
三月十九日、ついに「敵大機動部隊、沖縄本島二迫ル」との公式発表があり、甲号戦備が下令せられた。

「沖縄戦記(飯田邦光)」
昭和二十年三月十九日。「ウルシー、レイテ方面より敵輸送船団、沖縄に迫る」の情報が公表され、ついに甲号戦備が下達された。

「悲涙戦記(大橋正一)」
我が海軍よりの情報は、空母を伴う敵艦隊が沖縄本島に進路を向けたことを報じた。「飛電一閃」警報は全島に飛び「甲号戦備」が下令された。

「沖縄の最後(古川成美)」
「米大艦隊、沖縄本島に迫る。」の公式発表があり、甲号戦備が下令された。

●3月23日
「私の沖縄戦記(外間守善)」
三月二十三日にはとうとう甲号戦備が下令された。

「霞城連隊の最後(高島勇之助)」
驚いた連隊本部は急ぎ甲号戦備を下令すると共に・・・

●3月24日
「証言 沖縄戦秘録(駒木根康)」
全西南諸島に対し甲号戦備下令され、一国の運命を賭けた天一号作戦が厳然と降下された。

「あ丶沖縄(小木曽郁男)」
二十四日、敵上陸に備える、所謂甲号戦備が発令された。

「珊瑚礁を朱に染めて(仁位顕)」←3月31日の書き込みは間違いでした。
引続いて十二時頃には予想した通り、全軍に甲号戦備の下令があり・・・


その他米軍情報として

「八重山戦日記(吉田久一)」
三月十七日 敵機動部隊の一群が沖縄本島をさる五〇キロ、一群が金華山沖二〇〇キロ、他の四群が大東島付近にありと、すぐ近くだから兵営内はみんな緊張する。

「戦火の中の受刑者たち(渡嘉敷唯正)」
三月十八日、人々は硫黄島の日本軍は玉砕し、敵機動部隊が移動を開始しているというニュースを耳にした。

「沖縄玉砕戦(石井耕一)」
それ(3月17日)から数日後、「硫黄島進攻部隊よりはるかに強大な部隊が、新たな進攻準備を開始している。進攻開始は三月下旬。予想地点は沖縄か」という情報が入る。

「一兵士の記録(月居義勝)」
三月十九日、「レイテ方面より敵機動艦隊、沖縄に迫る」の情報が、初めて公式に発表されたのだった。

「あ丶沖縄(小木曽郁男)」
三月十九日、米大侵攻軍沖縄に向う、という海軍情報が発表されている。

「珊瑚礁を朱に染めて(仁位顕)」
二十日頃の軍情報では、敵機動部隊がウルシーを出港したので・・・

「風に立つ 沖縄海軍航空隊の最期(玉井向一郎)」
追跡哨戒しようにも、雨のため飛行できず、二十日から二十二日まで、敵機動部隊の所在は全く捕捉されていなかった。

「惨・沖縄戦(小林良男)」
3月21日と思われる記述
「敵は数日中に沖縄本島に来寇するならん」中隊長から大本営よりの情報伝達である。

「南の巌の果まで(渡久山朝章)」
敵大機動部隊が北進中との警報が発せられたのが三月二十一日

「鉄田義司日記(武富町)」
3月22日「石垣島東方三百八十粁を南下中の敵機動部隊の為、夜中警戒警報発令さる。」
3月23日「敵機動部隊沖縄本島一五〇度八〇粁地点を西進中」

なお、「一兵士の記録(月居義勝)」では3月25日に「本日夜半に至って、慶良間列島の友軍諸隊が、脱出を計って、糸満港に揚陸する場合が考えられる。我が五中隊は、敵の追尾攻撃に対して、友軍の到達する事を容易ならしめるべく、援護射撃を行う事になると判断される、指揮小隊は全員戦闘配備という事になった。私達は緊張して観測監視体制を固めた。」とありました。これはマルレ転進の連絡があった為と考えられます。
また、「惨・沖縄戦(小林良男)」では五号無線機で内地の電波にダイヤルを合わせてラジオ放送の「誰か故郷を思わざる」を密かに聴いていたそうです。

赤松と一緒にいた女

「証言 帝国軍隊(新日本図書)1982」に赤松隊に殺された今村ヨネさんの妹のキヨさんの証言があります。
赤松とずっと一緒にいた女は、果たしていたのでしょうか。
当時の常識では、必勝の信念に燃える若い女性が、特攻隊員や隊長クラスの将校に身を捧げるのは当然だといった風潮がありましたから、いたと考えるのが妥当でしょう。
しかし今の所、他に証言が無いので真相はヤミの中・・・
http://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1334293558.jpg.html
http://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1334293573.jpg.html

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Author:キー坊@ウチナー
沖縄本島中部、巨大な米軍基地を抱える町の生まれ。
齢を重ねるごとに、沖縄戦へのこだわりが強くなります。
曽野綾子・『ある神話の背景』は沖縄を究極的な軍事基地にする目的を持っています。「集団自決」は沖縄戦の集約された出来事だと思います。『ある神話の背景』は沖縄への抑圧・差別の集約文書です。

HP・「その『神話』の背景」(文献・資料集)
http://keybow.co

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