2017-10

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防衛局長更迭の要なし

 2月ほど前、前任の田中沖縄防衛局長がレイプ発言騒動で更迭された後、その前任だった真部朗氏がその代わりに防衛局長に再任されたのだが、その真部局長が宜野湾市長選挙に関係する局職員を集めて「講話」を行ったと、共産党の赤嶺衆院議員に国会で追及されて大騒ぎとなり、又もや局長は更迭される見通しとなっている。
               真部沖縄防衛局長
                      真部局長

 だが、このような選挙・住民投票の際の防衛局の策動が、従来から行われていた事は誰でも知っていることであった。。(沖縄タイムス記事) 1997年の「辺野古移設」是か非かの、名護市民投票の際には職員の住民への賛成依頼の戸別訪問、飲み食い供応の凄まじさは大いに問題となった。(陣頭指揮にあたったのは皮肉にも、後に政権中枢の座を追われた、当時沖縄開発庁長官であった鈴木宗男氏であった)  私は先の記事でも、田中前局長も更迭する必要はない、彼は本音を暴露したに過ぎないからだ、と書いた。田中前局長も真部現局長も、その最大の任務は沖縄に米軍基地を押し付けることであった。ここ十数年は「普天間」を「辺野古」に移転する事に血道を上げてきた。その遂行業務の一つとして、選挙の度毎の「講話」をやってきたのだ。そんな事は防衛省内部では承知の「通常業務」であったはずではないか?

 ここ数ヶ月、前・現防衛大臣の「失言」が相次いで問題とされ、「防衛省」がらみの事件が政府与党追及の効果的な材料となると踏んで、共産党衆院議員は国会でこの問題を取り上げたのだろう。公職選挙法に抵触するか否かは知らないが、部下相手の「講話」なるものは、米軍基地容認をする可能性のある候補予定者に投票するように、「指示」することに違いないから、常識から言えば、「不法」な行為である。そもそも「沖縄防衛局」の存在そのものが沖縄に対しての「不法存在」なのではないか?
 『国策のまちおこし 嘉手納からの報告』渡辺 豪 2009.10)という、沖縄タイムス記者(大和人)が、嘉手納基地を恒久化するための国の取った政策を、事細かにレポートした著書がある。これは沖縄の基地永久化が揺らぐことを危惧した元外交官僚の岡本行夫氏が、政府と地元自治体の強欲町長Mに働き掛けて、250億円を国庫から引き出して町の再開発を行って、地元を潤し、嘉手納基地を恒久化を目論んだものである。それは見事に成功したのだが、その上に、那覇に在った那覇防衛施設局を再開発ビルに誘致して店子とし、「沖縄防衛局」と名称変更して、極東最大の米軍基地の存在する嘉手納町で発足したのである。

 渡辺記者は決して嘉手納町の人間、それを押し進めた岡本行夫氏を非難調で書いているのではない。だが、この本の後書きで、沖縄へ米軍基地を押し付ける本土の人間全体に疑問を呈している。この本の内容は、国の米軍基地押し付け政策、アメとムチ政策への告発の書であるといえる。 
 歴代の防衛(施設)局長は皆、押し付け政策(アメとムチ政策)を心血を注いできただろう。そうでなければ官僚としての出世は望めまい。真部局長は防衛局の慣例に従って、何時もの業務をやって来たに過ぎない。彼が更迭されても、後釜の局長は「講話」はやめるだろうが、別の形で沖縄に米軍基地を押し付ける業務を、現地派遣官僚として職務を忠実に遂行していくだけの話ではないか。

 管理責任者としての田中直紀防衛大臣の責任が追及されているが、素人大臣の彼は政争の具として政治家たちに弄ばれているだけである。管理責任を追及するというのなら、前々任の北澤俊美をするべきである。彼は2年に亘って新政権の下で沖縄に米軍基地を押し付けることに熱心であったのだ。
 私はこの記事で、真部局長を庇っているのではもち論ない。沖縄防衛局(長)というのはそういうものであり、頭を取り替えても沖縄に基地を押し付ける業務を止めることはないと言いたいのである。
         強欲の面々
           沖縄防衛局を誘致して甘い汁を吸った町幹部たち                

 今回の騒動(及び前局長の暴言問題)が起こった事で、私が歓迎することは「沖縄防衛局」という国家の出先機関が、こういうえげつない組織であることが世に露呈しつつあることである。そして、それが極東最大の米軍基地が居座っている「嘉手納町」という腐敗した沖縄地方自治体に存在しているという事である。
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コメント

花形は一瞬

さすが阪神さん。普通のウチナーンチュも知らないことをよく知ってらっしゃいます。
戦後初期のドライバーが花形だったといっても、それは2~3年くらいの期間だったのではないでしょうか。まもなく日本からの輸入車が入ってトラックは普及したと思います。小生が物心付いた時には、日本製の中古車を使っていて、もうその時代にはろくな稼ぎはなくなっていたと記憶しています。
 戦時に関する事として私事の開示を許していただければ、小生の父親は終戦時満16歳、小学校は中退、軍国主義教育身に染みてない為防衛隊に志願せず、二十年三月下旬家族と供に北部山中に避難。
匹夫の勇あり、砲弾飛び交う中を逃げてる馬、豚などの家畜を捕まえてきては解体、一族郎党を餓死から救った(という自慢話をよくしたが、周囲もそれを肯定)。
無教育無教養で劣等感強く、それだけに自慢話をしたがった。後にテレビに出て有名になった芝居女優と、花形時代仲良くなって、嫁にするつもりで実家に連れてきたことがあると、周囲に臆面もなく言っていた。
昭和大恐慌時代の直前に生まれ、青少年時代は戦争に見舞われるという、時代の波に翻弄された人生だったでしょう。

花形

>沖縄最初のトラックドライバーとして活躍したなどと自慢話をしてました。

!!花形のトラックドライバーだったんですね。
嫁にやるならトラックドライバーに、と多くの人が言っていたようです。
トラックを直して字民から羨望の眼差しを受けた話は子供向けの本で読みました。
トラックの普及で輸送を担ったバシャムッチーが徐々に減っていったんでしょうね。

緊迫した状況

>3月23日の空襲は、10.10空襲の時のような不意打ちを食らったわけではないことになります。
 おっしゃるように、少なくとも32軍は22日頃には、直に米軍の攻撃が始まるとの予測に満ちていたわけです。その最中に大町大佐は渡嘉敷に行ったのです。こういう状況のときに、「企図が露呈したら成らん」と言って、艇の破壊を命じるでしょうか?

>この日本軍トラックは戦後も活躍していたようです。
 小生の父親も、戦後この日本軍用車のスクラップを拾い集めて組み立てて、沖縄最初のトラックドライバーとして活躍したなどと自慢話をしてました。

神里でも直前の緊迫した状況が

「沖縄戦 一防衛隊員の手記(翁長朝義)私家版」に「3月20日朝、・・・略・・・直ちに中隊長から戦争突入宣言と訓示があった。『いよいよ敵は沖縄に向かって作戦を開始した。これから戦争に突入する。如何なることがあっても指揮の下に集れ』」と書かれています。

上記の20日という日付は間違いかもしれません。というのは、この記述の後の出来事として、22日に艦砲射撃の音を聞いた、と書かれているからです。実際は23日なのですから、1日違っています。と言うことは21日か22日の可能性があります。この本は米軍に保護されている時に書かれた手記を元に書かれていますが、日付の記憶違いがあったのでしょう。

「北谷村民の戦時体験記録集(第一集)1985」では北谷村の兵事副主任だった渡慶次盛明氏の証言として、石部隊の織田大尉から「現在敵機動部隊五ヶ師団位の兵力が沖縄近海を北上して九州に向かっている。これは作戦的なみせかけであって必ず引き返してくる。そして沖縄に上陸する。」と言われたそうです。その日付は「3月15日だったと記憶している」と書かれています。しかし、これは3月17日の記憶違いだと思われます。というのは、連合艦隊は3月17日に米機動部隊が九州方面に向かいつつあるとの情報をとらえたからです。

前回の小禄での出来事と併せて考えると、32軍は、3月17日に米機動部隊が九州に接近中との情報を受け、「近いうちに沖縄に向かってくる」と判断し、3月22日には「今日か明日にも沖縄が空襲されるだろう」という緊迫した状況だったのでしょう。
3月23日の空襲は、10.10空襲の時のような不意打ちを食らったわけではないことになります。

なお、小規模であれば、他地域でもトラックで疎開させてもらった話が各種戦時体験記に散見されます。
字の区長が軍と交渉してトラックで疎開させてもらったり、軍人を世話している家庭がトラックに乗せて貰ったりしています。
これは疎開者のうちのごく一部でしかない事は言うまでもありません。

この日本軍トラックは戦後も活躍していたようです。
1950年にトヨタなどのトラックが入ってくるまでは民間で使われていたのでしょう。
なお、10.10空襲で輸送手段が壊滅していたとナイチャー氏が主張していましたが、壊滅なんてしていません。その後も輸送は続けられていますよw。

小禄

 阪神さん、ご回答をどうも。
 苗字から見て、小禄ではないかと予想してました。
 太田良博著作集「戦争への反省」の『豊見城海軍壕』によると、小禄には飛行場など海軍の陣地があり、小禄村は沖縄で唯一、軍のトラックで住民を北部に疎開させてもらった村だそうです。
 司令官・大田實中将の深い思し召しでしたが、22日の卒業式解散指令もその一環かもしれません。
 http://keybow.co/ootaryou/kaigungou.html『豊見城海軍壕』

 WILL系論者が揶揄的に書いていたと覚えてますが、朝鮮人慰安婦の碑は管理が悪くて荒れ放題だとの事ですが、本当か見て来ててください。また、できるなら嘉手納の町の雰囲気も見てください。

小禄

>体験記の高良益人氏の学校は何処に在ったのでしょうか?

小禄第一国民学校です。高良氏は午後の高等科卒業生として出席していました。

マルレのレールの件ですが、米軍の攻撃でレールが破壊されたケースもあります。
「ヌチドタカラ(新垣秀雄)冬花社」によると、中城湾(第27戦隊のはず)ではレールが破壊されたので、青年達を集めて海まで担いで浮かべたそうです。
渡嘉敷でも攻撃により破壊されていた可能性もありますね。

来週、渡嘉敷に行きますが、強制連行された朝鮮人慰安婦の碑にも行ってみます。
沖縄では韓国チームのキャンプをみるのと艦砲穴や大きな壕もみてきます。

3月22日

体験記の高良益人氏の学校は何処に在ったのでしょうか?
3月22日に特定の学校だけに指示があったとしても、軍の高級佐官が知らない筈は無いと思えます。
大町大佐の自沈命令が事実であっても、沖縄の陸軍マルレ特攻隊は生還に執着した部隊だった事に変わりないです。元々「必死」の特攻艇でないから、防衛隊員にも出撃させたのでしょう。
とにかく赤松隊の特攻不出撃の理由は疑惑に満ちてます。

3月22日に米軍接近情報で緊迫

「少年の沖縄戦体験記(高良益人)私家版」によると3月22日の午後、卒業式の最中に、急に先生方の動きがあわただしくなり、卒業式の雰囲気が変わったそうです。上級機関から米軍が攻撃圏内に入ったから児童を解散させるように、との命令が届いたらしいのです。先生に「情報が悪いからこれで式を終わります。みんな寄り道をしないで真直ぐ家に帰るように、では解散」となり、卒業の干渉に浸るどころではなくなり、先を争って家路へ走り出したそうです。
3月22日の午後の式中という事は13時から始まったとすると14時になる前でしょうか。とするとこの情報は当然、軍人にも知らされていたと思われます。大町大佐は知らされていたのでしょうか。このあたり、時間があったら調べてみます。

防衛隊員がマルレで出撃

楚辺誌「戦争編」184頁に大木出身の防衛隊員がマルレで出撃した証言があります。
その人は運良く無事に戻ることができて、それ以来有名になってしまったそうです。
防衛隊でも志願すれば船に乗ることができたとの証言です。これは第29戦隊と思われます。
本島でのマルレ出撃は戻ってくるケースが多々見られるので、戻って来てはいけないという雰囲気ではなかったのでしょうね。例えれば、タコツボに隠れて戦車に爆雷攻撃して戻ってくるようなものだったのでしょう。

嘉手納にも行きます

こんにちは。

>ハン水方法などについて訊いてみたらどうでしょうか。
以前、渡嘉敷に行った時にはお年寄りを見かけなかったのですが、チャンスを見つけて聞いてみます。
また、嘉手納ロータリー周辺も見てこようと思います。
嘉手納町のHPをみていたら人口は殆ど変わらないのに、世帯数は増え続けています。
核家族化が進んでいるんでしょうね。

基地隊の任務

阪神さん。
基地隊に徴用されていた住民の生き残りの人に逢って、マルレのハン水方法などについて訊いてみたらどうでしょうか。元防衛隊員はもう居ないかもしれませんが、座間味の宮平秀幸のように、当時少年で軍の仕事に従事した者はまだ居るかもしれません。
いつか自分が訪ねる時は、「ある神話の背景」についてどう思うかと聞いてみたいですが。

渡嘉敷村史通史編

こんにちは。
渡嘉敷村史通史編の阿波連の字史に「基地隊の任務は・・・略・・・、壕から海面までのレールを敷いた誘導路の敷設である。」とありました。渡嘉志久も同様であった可能性が高そうです。
なお、20日から24日まで沖縄に行く予定です。

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キー坊@ウチナー

Author:キー坊@ウチナー
沖縄本島中部、巨大な米軍基地を抱える町の生まれ。
齢を重ねるごとに、沖縄戦へのこだわりが強くなります。
曽野綾子・『ある神話の背景』は沖縄を究極的な軍事基地にする目的を持っています。「集団自決」は沖縄戦の集約された出来事だと思います。『ある神話の背景』は沖縄への抑圧・差別の集約文書です。

HP・「その『神話』の背景」(文献・資料集)
http://keybow.co

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