2017-05

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

「さまよへる琉球人」

 ニセ沖縄人ジャーナリスト・惠隆之介が、雑誌・『正論』2008年3月号掲載の「日本軍は沖縄県民を敵として戦ったのか」という論考の最終部分で、作家・廣津和郎が1926年に発表した小説・『さまよへる琉球人』を持ち出し、
「廣津は、沖縄の県民性を批判し、『絶えず日本本土に被害者意識を持ち続けている』と指摘し、本土社会で信議を守らない沖縄出身ビジネスマンを痛烈に批判していた。」
と書いて、沖縄人をこき下ろす材料にしていた。
 以前、私は小ブログ記事で、惠の言ってることは、廣津和郎の言いたい事をはなはだしく歪曲したアホ論評だと非難しておいた。

 最近古書店で、仲程昌徳が1994(平6)年に書いた『広津和郎 さまよへる琉球人』という題の、小説全編沖縄青年同盟からの「抗議文」、廣津和郎からの「回答文」を収録した解説書を入手した。 

                samayoeru1994.jpg 
             仲程昌徳著「広津和郎 さまよへる琉球人」 

 拙HPに、「抗議文」「回答文」の2文を転載した。「抗議文」、「回答文」を読んだだけでも一目瞭然、「信議を守らない沖縄出身ビジネスマンを痛烈に批判していた。」という、惠の一文は愚にも付かないお粗末論評だとわかるだろう。

 『さまよへる琉球人』が発表された1926大正15・昭和元)年は、沖縄農村社会の疲弊が打ち続いた大正時代の終わりの年であった。ちなみに小生の両親はこの頃の生まれでり、その親達(私の祖父母ら)は明治生まれで、作家・廣津和郎や登場する琉球人のモデルになった男、或いは沖縄青年同盟メンバーらと同世代だろう。この世代の沖縄人は尋常小学校を卒業すればいいほうで、大抵の者は義務教育さえ満足に受けられなかったし、共通(日本)語も流暢には使えなかった。二人の「さまよえる琉球人」が東京に出奔し、広津和郎やその他の文士と付き合いができたという事は、インテリの部類だったと言うべきだろう。

 『さまよへる琉球人』という小説の意図するところは、「沖縄出身ビジネスマンを痛烈に批判する」ことではもち論なく、作家自身のケジメの付かない性格、だました相手への作家特有の「好意的関心」を持ち過ぎることへの自己批判、そのことがかえって相手の悪さを誘発してしまうことへの反省を自虐的に淡々と綴ることにあると私は思う。「琉球人」の信義を守らない性格を大きな関心事にしているのではない。

 小説のモデルになった二人の「琉球人」の人物の名は早くから知られていたらしい。主人公の作家を何度かだましたにも拘らず、憎めないものを感じて関係を断てなかった「見返民世(みかえるたみよ)」のモデルは、「嘉手苅信世」という久米島出身の物書きの端くれであり、という、作家の貴重な蔵書をしばらくの間と言って借り行き、後で記念に貰っておきますという葉書をよこしてトンズラする男は、「池宮城積宝」というこれまた物書きの端くれだったらしい。二人ともビジネスマンなどではなく、文士として一旗上げる為に上京した文学青年だったのだ。
 二人とも、広津和郎よりは少し年少で、上京前すでに、地元に新聞等に文章を発表している少し名の売れた文士ではあった。池宮城は上京後、総合雑誌の小説懸賞に応募して当選した事もあったそうである。

 沖縄青年同盟からの「抗議文」は決して作家への怒りを露わにした文章ではない。広津の小説を正確に読み取った上で、「琉球人差別」が厳然と存在する時代に、「さまよへる琉球人」「琉球人が内地人をだました」との言葉遣いが一般内地人へ与える影響を危惧したのである。これに対して、広津和郎は自らの迂闊さを謝罪し、以後出版社に作品集などに収録しないことを表明している。(続く)
スポンサーサイト

コメント

1937年

御茶道さん、やはりことわざとして使われていたのですね。
豊見城村史の戦争編では、1937年当時の慰問文にことわざとして登場している事がわかります。
http://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1325738750.jpg.html
ただ、なぜこの「命ど宝」という琉劇の一台詞がことわざとして抜き出されたのかが不明です。
今後の課題としておきましょう。
おまけ(モーターショーに展示されていたもの)
http://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1325739011.jpg.html

情報有難う

御茶道さん、ようこそ。

 私の祖父母たちも、明治生まれの「無学百姓」でした。いずれも長寿ではなく、私が幼い頃に死んでしまったので、あまり話したことはなく、私が中2まで生きていた父親の母親は物知りでしたが、「命どぅ宝」と言っていたという記憶はありませんね。よく言っていたのは、「為せばなる、為さぬは・・・」というヤマトの格言でした。
 1930年代に没落した貧農の家柄ゆえでしょうかね。また、あの戦争で一人の犠牲者も出さなかった事で、戦争に対する悲壮感が薄かった事にもよるかもしれません。

「命どぅ宝」の「命(ヌチ)は、新約聖書の「プシュケー=今生きている命」と同じ意味のものだと思いますね。沖縄だけの俚諺ではないようです。

命どぅ宝について

既にご存知かも知れませんが、『屋慶名大主敵討』での使用が確認されている他、尚寧説もあるようです。
http://shimamigui.ti-da.net/e2382154.html

明治生まれの祖母(無系百姓)は、あまり芝居を見ず政治にも無頓着でしたが、
極稀に発するのを聞いた覚えがあります。
気張るときは「いなぐや戦ぬさちばい」、人(主に子)を諭すときは「命どぅ宝」でした。
ただ、傍若無人で危険な子には、「命したー」と叱っており、こちらが常用であったようです。

命ど宝ということわざ

明けましておめでとうございます。今年も宜しく御願い致します。

私が気になっている事として、「命ど宝」のことわざが、戦前ではどのようにとらえられていたかということです。このことわざは1982年の教科書問題が沸騰した後に新聞紙上に登場し、その後、中高生の修学旅行者数が広島、長崎を追い越していこうとする過程で頻繁に平和学習本等で使われるようになったものです。しかし沖縄戦以前にことわざとして知られていたのだから多くの人が知っていたはずです。皇国史観の強制の最中、この命ど宝ということわざは、当時の沖縄の人達にどのようなものだったのか興味があります。
これを知るためには琉歌、琉劇、当時の沖縄文学、新聞など膨大な知見を要するでしょうから、何年か後に、時間が出来たら調べてみたいと考えています。

以下、仲程昌徳 「首里城明渡し 小論」
http://ir.lib.u-ryukyu.ac.jp/bitstream/123456789/5788/1/No14p001.pdf

私家版

キー坊さんこんばんは。
著者は森田清太郎さんです。宮古島の部隊にいた方です。本島の戦闘は経験していません。36年前に出された私家版の薄い冊子でした。
捕虜達はこの沖縄戦記と金城和信氏の2人の娘さん(ひめゆり学徒)の話(自決)を人から人へと手書きで書き伝えていたようです。
ではよいお年を。

来年も宜しく。

阪神さん。度々の資料情報有難うございました。
今回の戦記の原記述者は不明ということでしょうね。
これは何という書物に記載されているのでしょうか。

>nogaさん。
コメントをどうも。
ご指摘のように、 「我が国の政府は、アメリカ政府のポチである。」と思います。
沖縄に米軍基地を押し付けている限り、日本人は永遠に、この道を脱却出来ないでしょう。

最初の沖縄戦記

屋嘉の収容所で捕虜達が手書きで書き写した戦記があります。これは書き写しなので人によって微妙に差異があります。現在、3つほど確認しております。その一つを紹介して今年の投稿を締めくくります。6つ目以降はコピペ後に先頭にhを着けて下さい。
http://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1325310851.jpg.html
http://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1325310866.jpg.html
http://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1325310881.jpg.html
http://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1325310905.jpg.html
http://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1325310916.jpg.html
ttp://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1325310930.jpg.html
ttp://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1325310941.jpg.html
ttp://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1325310951.jpg.html
ttp://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1325310981.jpg.html
ttp://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1325310993.jpg.html
ttp://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1325311005.jpg.html
ttp://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1325311015.jpg.html

self-will

昔、「コーラは○○○、ボクシングはヤマトダマシィ」という宣伝文句があった。
闘争には、大和魂が有効であるということであろうか。大和魂とは、負けじ魂のことなのか。大和魂を発揮して頑張れば、その結果は沖縄戦のようになるというものであろうか。

悪くないものを悪いと言わせようとする恣意がある。これも、腹芸か、大和魂か。
その恣意が政治問題を何十年も膠着させている。
普天間基地の環境がどうしても我が国民に許しがたいものであるならば、政府は福島の第一原発のように「長期帰還困難区域」に指定すればよい。
この国の政治には、恣意の人でなく、意思の人が必要である。
さすれば、腹案ではなく、成案をもって問題は決着できる。

問題を解決する能力はないが、事態を台無しにする (ちゃぶ台をひっくり返す)力は持っている。
だから無能力の我々は、常に耐え難きを耐え、忍び難きを忍んで、もって万世のために太平を開かんと欲しなくてはならない。
和をもって尊しとなす。過ちは、繰り返しませぬから。
これは単なる感傷ではなく、我々自らの叡智をもって裏付ける行動に出なくてはならない。

日本人には意思 (will) がない。
意思は未来時制 (future tense) の内容である。
日本語には時制がない。
日本人には意思がない。

英米人の子供には意思がない。
この点で日本人のようなものである。
思春期を迎え、言語能力が発達すると、意思を表すことができるようになる。
英米流の高等教育 (大人の教育) が可能になる。これは、さらなる英語の教育である。
日本語脳の持ち主には、大人の教育の意味は理解できない。
日本人は英米流の大学教育を高く評価もしないし、効果も上がらない。

子どもには意思がない。
だから、子供には保護者 (chaperon) がついてきて、それを代行する。
日本政府にも、意思決定が難しい。
だから、アメリカ政府が意思決定を助けてくれる。
日本人の誰もが指摘する通り、我が国の政府は、アメリカ政府のポチである。
日本人は、自力でこの道を脱却できるか。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

http://keybowokinawan.blog54.fc2.com/tb.php/254-338ee85b
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

«  | ホーム |  »

プロフィール

キー坊@ウチナー

Author:キー坊@ウチナー
沖縄本島中部、巨大な米軍基地を抱える町の生まれ。
齢を重ねるごとに、沖縄戦へのこだわりが強くなります。
曽野綾子・『ある神話の背景』は沖縄を究極的な軍事基地にする目的を持っています。「集団自決」は沖縄戦の集約された出来事だと思います。『ある神話の背景』は沖縄への抑圧・差別の集約文書です。

HP・「その『神話』の背景」(文献・資料集)
http://keybow.co

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

未分類 (2)
関連著作の紹介 (73)
渡嘉敷島関連 (19)
座間味・阿嘉関連 (19)
奄美その他 (38)
曽野綾子論 (35)
基地 (55)
政局 (45)
自論 (40)
STAP問題 (17)
慶良間全般 (1)

FC2カウンター

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QRコード

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。