2017-07

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普天間は嘉手納に統合せよ3

 嘉手納町議会の田崎博美議長らは20日、防衛省、外務省、首相官邸を訪ね、米軍普天間飛行場の嘉手納基地への統合反対を訴えるとともに、12日の住民集会で採択した抗議決議を手渡した、という。(タイムス記事)

福山哲郎官房副長官は「嘉手納統合案は米議会から出た話で日本側から出たわけではない。あくまで米議会の有志の話だ」と述べ、日本政府内では検討していないことを説明した。」

防衛省の広田一政務官は嘉手納統合案について「現時点では政府として統合案を議論したことはない」と指摘、日米で合意した名護市辺野古への移設実現に向け継続して取り組んでいることを説明した。」

外務省の徳永久志政務官日米合意案堅持の方針を示し、要請内容を松本剛明外相に伝えるとした。」


 彼らが訪ねた政府の3公署ともこの嘉手納陳情団からの要請を快く受け入れ、嘉手納への統合案を検討する事はせず、辺野古への移設を推進すると応答したという内容である。議長のはこの応答に満足したのだろうか。記事はつぎのように書いている。

「要請後、田崎議長は「嘉手納統合案はこれまでも出ては消えた案。いかなる事があっても認められず、なんとしても消滅させたい」と強調。同議会基地特委の田仲康榮委員長は「爆音や事件・事故がある中で普天間の機能は受け入れられない。日米安全保障協議委員会(2プラス2)の合意でも統合案は盛り込まず、息の根を止めてほしい」と述べた。

 議長のは町議になる前は選挙ゴロみたいな事をやっていたらしい。は親の代から再開発区域内に土地建物を所有していた町の資産家の息子である。「島懇町再開発事業」でかなりの金を手にしたクチだろう。
 
 田仲康榮委員長というのは、共産党系の古参町議である。共産党系の地方政治家でも、「嘉手納基地恒久化事業」でしかない「島懇町再開発事業」に反対する事は出来なかったのだろう。反対運動をすれば、自分が落選する恐れがあったのだ。それほど嘉手納町の民度というものは低水準に在るということである。隣の読谷村と比べれば、雲泥の差があると言うしかない。

 と田中議員は、政府3公署のいう「『統合案』は検討せず、辺野古移設の『現行案』を推進する」という回答に満足したのだろうか?物欲議員のはともかく、共産党・田仲議員は、その場で「辺野古もダメだ」と抗議しなかったのだろうか?多分しなかっただろう。この辺に、同町生まれの自分には我が町の劣化振り、腐敗振りが見て取れるのである。

            強欲の面々
 町に大金を持ってきてくれた恩人のレリーフを作り、その前で記念撮影の嘉手納町「強欲幹部」達、右より、議長T・町長M・商工会長老・土建業の親玉 

 元町長や議長、土建業者その他、「島懇町再開発事業」を推進した町の幹部連中にとっては、「米軍嘉手納基地」は「金の成る木」であろう。被害者面して困った態度を取っていれば、お国が猫撫で声で「これでどうか」と金を差し出してくれるのだ。実際に金を持ってきてくれるのは、嘉手納に「店子」として入って来てくれた「沖縄防衛局」である。彼らにとっては逆らえない「親方様」に他ならない。「沖縄防衛局」は当然、普天間の嘉手納統合など望むものでなく、あくまで「辺野古移設」の「日米合意」やっつけようとしている「基地押し付け機関」である。
 がいう「嘉手納はこれ以上の基地重圧に耐えられない」という拒否理由は嘘である。「沖縄防衛局」が「嘉手納統合」を望んでないという事が明白だから、嘉手納の幹部連中はそれに絶対反対を叫ぶのだ。

               tokujitu.jpg
               最近勇退した元町長、金も名誉も手にした俗悪地方
             政治家の高笑い。
      

ところで、星雅彦主幹の「うらそえ文藝」が今年も発刊されたようだ。HPによれば、今年は「尖閣諸島問題」を特集しているが、目次の中にあのニセ沖縄人・「狼魔人」こと江崎孝の名も見える。もしかしたら、顔写真も載せてるかもしれない。やはり、星雅彦と江崎孝は親密な関係だということである。


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コメント

消されたツタンカーメン

阪神さん
松川の兄さんについての私の推定の一部は阪神さんの見解と重なります。屋号も兼ねた地名と考え、該当地区の地図を見ると小川が見えます。

 さて、40歳過ぎの松川の兄さんが谷本版陣中日誌の小峯上等兵ではないかと推定するのは、一度兵役を受けた者でないと上等兵にはなれず、40歳過ぎの松川の兄さんは上等兵の資格があると考えたこと、最近の死体遺棄事件のように数年前に捜索願を出した者が住居の近くに死体を遺棄した犯人だったことと、曽野綾子・赤松等の大胆な情報露出と似通っているのではないかという連想からです。  

余り根拠のない推定をする理由は、渡嘉敷の集団死については、一旦皇道派独裁政権などにより、情報を削除される可能性があり、百年後・二百年後の後世、真相を明らかにする芽を残しておきたいという考えからです。

谷本版陣中日誌の同日その他7名の防衛隊戦死者と、当時40歳前後の農林学校卒業生を照合できれば伝令の氏名がわかるはずです。 赤松派の金城武徳が名前を隠したい人物ですので、こんなことも考えています。 阪神さんが見られた死亡者 ?の碑文ですが、数人削られています。削られた理由としてとりあえず思いつくのは、Ⅰ.遺族が援護金をもらう理由として、軍協力者とされるくらいならもらわないほうがましと辞退(軍忌避) Ⅱ.何者かが、軍命令に関連する氏名その他真相解明に繋がる氏名を削除した。

周知の通り、ツタンカーメン及びその父イクナートンの名前は後に続く神官及び軍人出身のファラオにより碑文などから削除された。  渡嘉敷ではそのような状況があってもおかしくないと思います。

富村順一は自分では文章を書けないでしょう。宮城初枝証言は主として娘が口述を再構成したもので、富村順一の口述を誰が再構成したのか。 「母の遺したもの」によると1977年以前に宮城初枝は第1戦隊の誰かと接触(関根清 ?)しており、その後3/26に大筋を話したとされる。

当時生存していた郵便局長(家族はすべて自決しているという)を梅沢との会見者の一人とすることが出来るのは、郵便局長・関根・富村順一・宮城初枝・梅沢以外には考えにくい。  この見解の出所は誰でそれは、いつ頃なのかは無視できない事項ではないか。

富村は信用できない

和田さん、富村が出版した本のうち、「皇軍とアイヌ兵―沖縄戦に消えたアイヌ兵の生涯」と「沖縄戦に散った愛―天皇の押し花になった子供たち」は富村の創作小説です。
本では実際にあった話としていますが、両本とも文体が全く同じなので、すぐに嘘だとばれてしまいます。
こんな事をする富村は信用できません。
よって全部が嘘というわけではないけれども、信用できる人物ではありません。
それから、松川というのは屋号かもしれません。
また苗字なら首里の士族(サムレー)の家系でしょう。
「座間味村史」下巻に松川小のおじいさんとありますので、屋号が存在しています。
http://www16.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/1007.html

体験と聞き取りを混同する富村順一

阪神さん
私は富村順一の記憶に振り回されていたようです。

http://wwwi.netwave.or.jp/~tn-mgm/okinawa.htm
上記の最後近くに富村順一について「50年座間味島集団自決の真相究明活動開始。
52年関根清氏に会い、梅澤裕氏の無実と健在を聞き、梅澤氏と会って確認。座間味に渡り、宮城初枝氏に真相を伝える」との記事があるのですが、時期が実際より随分早すぎる記載です。

http://plaza.rakuten.co.jp/seimeisugita/diary/20110508/
上記は、富村順一よりの聞き取りとされるものと考えますが、これらの二つの記事を重ねると、富村順一が1977/3/26に宮城初枝に関根氏の話を伝えたことになります。

しかし、阪神さん紹介の関根清著作の時間推移からすれば、以前毎日新聞の記事として紹介したように当日、座間味で島民と第1戦隊員との交流があった。よって当日宮城初枝は富村順一からではなく、関根清から梅沢が生存した話を聞いたと推測されます。

後のプラウザに関根清の談話として「実は自決に関係しているのはこの私なんだ。村の村長や校長先生、郵便局長、女を交じえた四、五人で梅沢隊長に自決する手榴弾を下さいとお願いに行ったのだが、梅沢隊長に断られ、」と語られている。

この話では、「母の遺したもの」に記載された助役兼兵事主任と伝令に替えて村長と郵便局長が梅沢と会合したことになる。

ところで、当時の郵便局長石川重徳は戦後結構長命で、原告・被告からそれぞれ有利な証言があったと主張されている。 神戸新聞記事にも石川重徳の話が出てくる。
とすると、どう考えても1945/3/25郵便局長石川が梅沢に会ったというのは事実では有り得ない。原告はそのような主張をしていない。

  島民と梅沢の会合を最初に言い出したのは宮城初枝というのは間違いないのか。関根清の可能性があるのかもしれない。

神戸新聞に掲載後ではないかと

和田さんこんにちは。富村順一の本には、梅澤氏が街宣活動した件については何も書かれていません。
恐らく神戸新聞に掲載後に街宣活動を行ったのだと思います。
富村順一が梅澤氏に初めて会ったのは「血塗られた珊瑚礁(関根清)」によると1980年2月です。
これは1979年4月に富村順一が座間味を訪れて調査するうちに梅澤氏が自決命令を出していないと元部下から聞かされたため、これをきっかけに梅澤氏と会う事になったようです。
梅澤氏は富村順一と会うまでは街宣はしていないと思います。
赤松の時のように非難を浴びるのを恐れていたのではないでしょうか。

1977/3/26

阪神さん
県の図書館でも富村順一の著作の過半は収蔵されておらず、第一戦隊隊長の梅沢が自分の隊長命令は出されていないと街頭で主張しだした時期がわかりません。  おそらく1970/3/27より後だろうと考えていますが、1977/3/26より後でしょうか、それ以前に街頭で主張していたのでしょうか。

また、富村順一が梅沢の演説を聴いたというのはいつ頃のことでしょうか。

その2つがわかるとあらゆる可能性のいくらかは消去できるかもしれません。

4チャンネルで放映

7月17日(日)24:50~つまり18日(月)0:50からNNNドキュメント’11で「鉄条網とアメとムチ 苦悩する基地のまち」を放映するそうです。
http://www.ntv.co.jp/document/

キー坊さんこんにちは。引用先は「沖縄戦と核基地 平和教育実践選書4」(田港朝昭編)桐書房です。
探せば昭和10年代の地図もあるのかもしれませんね。
あと、森口豁氏の学習会があるそうです。http://www.labornetjp.org/EventItem/1309849251828kawazoe

戦前は北谷町

なぜかHPが、管理人さえログインできなくなり、その影響でブログの更新も停滞してます。

阪神さん、戦前の嘉手納区域の地図、これはどの資料からのものでしょうか。
T11年だから、その時点では中飛行場の計画は無いはずなので、後で図を書き加えたのでしょうね。現在の嘉手納町の範囲は沖縄本島では珍しく、広範囲に平坦地が広がった農耕地帯だったのです。
図1の滑走路の下端の集落が自分の母親の生まれた所です。右斜め下の集落が父親の生まれた所。私は戦後生まれなので、そこに足を踏み入れた事ありません。

 嘉手納は現在、チマチマとした利権まみれの地域です。70年近く軍隊が居座り続けている事による汚染というしかないです。

いつかは嘉手納も移転させる

キー坊さん、こんにちは。
嘉手納基地がなくなった後の未来の街は利権まみれの街づくりにはしたくないですね。
http://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1310379984.jpg.html
http://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1310380025.jpg.html

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キー坊@ウチナー

Author:キー坊@ウチナー
沖縄本島中部、巨大な米軍基地を抱える町の生まれ。
齢を重ねるごとに、沖縄戦へのこだわりが強くなります。
曽野綾子・『ある神話の背景』は沖縄を究極的な軍事基地にする目的を持っています。「集団自決」は沖縄戦の集約された出来事だと思います。『ある神話の背景』は沖縄への抑圧・差別の集約文書です。

HP・「その『神話』の背景」(文献・資料集)
http://keybow.co

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