2017-06

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

「集団自決裁判」の確定

 ようやくという感じで、21日に「大江・岩波裁判」の上告に対する最高裁決定が下された。当然のごとくと言うべきか、原告側上告は棄却され、原告・梅澤裕元座間味島隊長と赤松嘉次元渡嘉敷島隊長の弟の敗訴が確定した。第一審判決が2008年3月に下り、約半年後の2008年10月に第二審判決が出されて、いずれも原告の全面的敗訴であった。その後の高裁判決から最高裁決定が出されるまでに約2年半が経過している。

 何故こんなにも時間が掛かるのだろうかと実はヤキモキしていた。最高裁内部で、下審支持・被告勝訴の勢力と下審破棄・原告支持の勢力とで暗闘があり、それがもつれているので決定が遅れているのだろうか?その場合には原告上訴が支持され、被告敗訴の可能性が高くなるのではないかと不安であった。或いは単に、最高裁においても審理件数が溜まっているので、順番で時間が掛かっているのかとも思った。でも今は、それはどうでも良いことになった。

以下決定文 ↓     決定
当事者の表示 別紙当事者目録記載のとおり

 上記当事者間の大阪高等裁判所平成20年(ネ)第1226号出版差止め等請求事件について,同裁判所あ平成20年10月31日に言い渡した判決に対し、上告人兼申立人らから上告及び上告受理申立てがあった。よって、当裁判所は,次のとおり決定する。

    主文
本件上告を棄却する。
本件を上告審として受理しない。
上告費用及び申し立て費用は上告人件申立人らの負担とする。
    理由

1 上告について
 民事事件について最高裁判所に上告をすることが許されるのは、民訴法312条1項又は2項所定の場合に限られるところ、本件上告理由は、意見及び理由の不備をいうが、その実質は事実誤認又は単なる法令違反を主張するものであって、明らかに上記各項に規定する事由に該当しない。
2 上告理由申し立てについて
 本件申立ての理由によれば、本件は、民訴法318条1項より受理すべきものとは認められない。
 よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

 平成23年4月21日
   最高裁判所第一小法廷
    裁判長裁判官  白木  勇
       裁判官  宮川 光治
       裁判官  櫻井 龍子
       裁判官  金築 誠志
       裁判官  横田 尤孝


 何故ヤキモキしていたかと言うと、やはり、下審破棄・原告の勝利という事になれば、日本のメディアは大々的に報道するだろうし、曽野綾子を始めとした劣化保守言論人・靖国応援団などは、沖縄と大江健三郎を同時にやっつけたとばかりに、欣喜雀躍するだろうからである。

 私は、この裁判で法律解釈を形式的、杓子定規的に適用するとしたら、原告の勝訴という事になると思う。何故かといえば、「沖縄ノート」には、「…慶良間列島の渡嘉敷島で沖縄住民に集団自決を強制したと記される男、……」と、赤松隊長を特定する記述があり、その後に元軍人としての彼を告発する内容の記述、その中には「罪の巨塊」という造語もあり、アイヒマンの例も取り上げていて、赤松隊長が冷酷な軍人であったというイメージを読者に与える描き方であるのは否めない。
 問題は、赤松隊長が住民に「自決命令」を出したという事が、事実であるかどうかである。誤解を恐れずに言わざるを得ないのだが、私はそれは事実ではないと思う。いくら絶対権限のある日本軍指揮官といえども、(たとえ住民に死んでもらいたいと思っても)日本人の気質としてそれを明確に意思表示するとは思えないのである。相手に残酷な事を強制する場合には、日本人(大和人)はもっと遠まわしに言葉以外の態度で持ってそれを表現するのが通常ではないだろうか?だから、私は赤松隊長は「住民は自決せよ」とのハッキリとした命令は出してないと思う。

 「隊長命令」の証言者は、元村長・古波蔵(米田)唯好氏(故人)であるが、古波蔵氏は安里(比嘉)喜順巡査を通して自決命令がもたらされたという。これを「鉄の暴風」の執筆者・太田良博に証言し、「鉄の暴風」に記載されたので、「隊長命令」は事実だとして流布していたのだが、1968年に赤松隊長は「週刊新潮」で「自決命令」を否定し、マスコミデビューした。その直後には古波蔵(米田)氏は、地元の新聞で赤松発言に反論し、命令は事実だと発言した。しかし、1971年『諸君』連載・曽野綾子「ある神話の背景」で、安里(比嘉)喜順元巡査からの証言を紹介し、「隊長命令」の無いことを証明したのである。古波蔵(米田)氏以外に隊長命令をの存在を証言する住民は一人も居ないから、事実関係としてはそれは無かったと言うしかない。

 上のように書いてくると、私は原告側勝訴の主張をしているのかと思われそうだが、もち論そうではない。激烈な戦闘状態の慶良間の島々の中で、軍指揮官が「お前ら自決せよ」との命令を出したかどうかという事は瑣末な事ではないにしても、重要な事でないと思うのである。出したとなればそれはそれで重要な事になるのだが、出さなかったとしても、住民集団死への「軍の強制性」は否定できないからだ。渡嘉敷の場合、「住民は全員陣地近くの盆地に集まれ」との命令を安里巡査および富山兵事主任を通して下されていた。
 何故に戦闘地の近くの危険地域に住民を集結させたのか?といえば、軍の秘密を知っている住民を捕虜にさせない為以外に理由は在りえない。そこで住民は砲撃にさらされ、集団で自殺・心中への道を急いだのである。赤松隊長の頭の中には、住民の命への尊重など露ほども無かったに違いない。その証拠に、赤松隊は投降まで陣地に立てこもっていた間に、伊江島の少女6人をはじめ判っているだけで、12人の住民を捕虜になったが故に、斬首等で処刑している。
 口先での自決命令は出さなかったからといって、住民三百数十名の集団自死、十数名の処刑に関して、赤松隊という「日本軍」に責任無い事とはいえない。

 日本軍の強制性(実質的命令の有無)の論議以外に、この裁判は、元軍人、及びそれを支援する(そそのかした)言論人・政治家・弁護士のいかがわしさが透けて見えるものではなかっただろうか。「沖縄ノート」には、座間味の梅澤隊に関する記述は見られないのに、何故原告の中心的存在になっている事とか、梅澤・赤松弟はろくに「沖縄ノート」を呼んだこと無いとかの法廷証言、1970年「沖縄ノート」が出版されてから、35年経った2005年に訴訟を起こした事の意味。
 「沖縄ノート」は、沖縄タイムス『鉄の暴風』(1950年)を資料にして書いたというのに、沖縄タイムスを訴訟の相手にせず、何ゆえに岩波と大江健三郎を訴えたのか?種々の疑問が浮かんでくるのが、原告側の特徴ではないのか。

 曽野綾子ら原告応援団は本当に勝てると思って、二人の元軍人をそそのかして訴訟を起こさせたのだろうか?多分わずかの勝算はあったのだと思う。裁判所といえども、国の機関であり、現在の権力体制を維持するためには、底辺の国民を抑圧する事も有りえる国家権力の行使機関であることに違いない。権力追従応援団は、その国家機関の持つ体質に期待を掛けていたのではないか?
 大江健三郎と反戦沖縄を同時に叩く訴訟、これほど原告の謀略性・欺瞞性が透けて見える訴えは無いと裁判官たちは思ったのだ。法律解釈には、単に条文の意味解釈、過去の判例意外に、「条理」という概念も在るのだ。判決文の趣旨説明は、それを適用するためのレトリックに過ぎない。
 最高裁判所も、国の至宝とも言えるノーベル賞作家・大江健三郎を、曽野綾子のような文学的には凡庸の、政治的には権力追従一辺倒の作家の前で、屈服させるわけにも行かなかったのである。
スポンサーサイト

コメント

梅澤裕の欺瞞的性格

阪神さん。
「沖縄俘虜記(宮永次雄)」、近所の図書館にありましたので読みました。
宮永氏はp・wで、梅澤隊ではなかった一捕虜からリンチの話を聞いたようですね。だが、梅澤が元部下その他の兵士から制裁を加えられた事は事実でしょう。住民から芋を盗んだ部下を処刑したのですね。
 梅澤は手記で、自分は部下を戦死させたくない思いやりある隊長だったなどと自慢してます。欺瞞と言うしかないです。
http://keybow49okinawan.web.fc2.com/umezawa/umesyuki.html

 S33年頃、「朝日」「毎日」に書かれて家庭崩壊したということも嘘である事が判っています。「宮村詫び状」も謀略に違いないと思います。

今探していたのですが・・・

キー坊さんこんにちは。
今、その本を探していたのですが、余りにも多くの戦記本なので2冊しか探しきれていません。
それは「沖縄俘虜記(宮永次雄)」国書刊行会と「風に立つ(玉井向一郎)」岩波ブックセンター信山社です。
今、ある調査をする為に県市町村刊行の住民証言集を読み始めました。
これが終われば、もう一度兵士の戦記を超速読する予定です。
仕事しながらですから進度が遅いので2年後位に判明するでしょう。申し訳ございません。
その時は、梅澤氏のリンチシーン一覧を作っておきます。

梅澤リンチの出典

阪神さんコメントをどうも。
私はまだ、梅澤が収容所でリンチを受けたと、明確に名前を出して記述された本を読んでません。貴兄が以前にそれを紹介していたと思うのですが、メモしてないので探せません。お分かりならば、もう一度その本を紹介して頂けないでしょうか。

また梅澤リンチが・・・

しつこいようですが、梅澤氏と思われるリンチシーンがまた見つかりました。
「沖縄の慟哭 市民の戦時・戦後体験記 戦後・海外編(那覇市企画部市史編集室)1981年6月23日二刷」のp.11に山田有昂氏の下記証言があります。

こんなこともあった。慶良間から来た日本兵が、自分達の将校をリンチした事件があった。何でも部下や住民にむごいことをしてきた人だと聞いた。

それにしても裁判が終わって梅澤氏は何を考えているのでしょうね。

偽信者曽野綾子

キー坊さんこんにちは。
>しかし、キリストなどは、それを特に戒めたのではないでしょうか?
その通りです。だから曽野はニセ信者です。
原発に言及しないのは、バッシングを浴びるのが怖いからでしょう。非難の声が自分に降りかからない状況になったと感じたら、原発反対と叫ぶ人達を、汚い言葉で罵ると思います。

原発については?

阪神さん、情報をどうも。
悲しいかな、人間は他者を食い物にして、自分が肥え太りたい性質を一般的に持っています。しかし、キリストなどは、それを特に戒めたのではないでしょうか?
曽野はそれを正当化するために、聖書等から片句を切り取り都合よく解釈したりします。
3.11後、メディアに頻繁に露出しても、原発には言及する事ないでしょうね。

大江健三郎の論考は私も読みましたので、近いうちアップしたいと思います。

新潮45

新潮45最新号に曽野綾子が「人間関係愚痴話」とのタイトルで新連載しています。
この中で曽野は他人を差別する事で自己を高める事を堂々と肯定しています。
正にキー坊さんが言われていたように、沖縄を差別する事でうつ病から這い上がったのでしょう。
曽野は3.11以降、月刊誌によく登場していますが、被災者を踏み付けて楽しくてしょうがないのではないかと勘ぐりたくなりますね。
なお、世界7月号では裁判を終えた大江健三郎が「近い将来への『証言』を求める」を書いています。

>報告集会

ni0615 さん。
報告集会の詳しいご報告有難うございます。
最高裁の審理というのは時間掛かるのですね。

>いま福島県民に押し付けている「1年当たり100ミリシーベルトまでは健康に影響ない」にも通じてますね。「命令もしくは強制・誘導」の伝統的表現、文化なのでしょうか。

日本的慣習において、直接の「命令・指示」が無いから、「強制」が無いとは言えないことだということですね。
スーパー言論人の副島隆彦氏が、福島の放射線量は人体にそれほど悪い段階ではない、大袈裟だと言い続けているのが気になりますが。

きのう報告集会に

みなさん ご無沙汰しております。
きのう文京区民センターで行われた報告集会に参加しました。
-----------------------------------------------------------------------------
★5・24「大江・岩波沖縄戦裁判」最高裁勝訴報告集会★
○報告:秋山淳さん(大江・岩波沖縄戦裁判弁護団)
    岡本厚さん(岩波書店)
    小牧薫さん(大江健三郎・岩波書店沖縄戦裁判支援連絡会)
○日 時:2011年5月24日(火)18:30開始 20:30終了予定
○場 所:文京区民センター 3A会議室 ○資料代:500円
○共 催:大江・岩波沖縄戦裁判を支援し沖縄の真実を広める首都圏の会
     大江健三郎・岩波書店沖縄戦裁判支援連絡会
     沖縄戦の歴史歪曲を許さず、沖縄から平和教育をすすめる会
-----------------------------------------------------------------------------
秋山淳弁護士(3人の弁護士のうち秋山さんが2人のお若い方)の見立てでは、最高裁(上告審)判決が遅れたのは、裁判官の死亡交替もありましたが、なんといっても法廷文書の多さが第一の理由ではないか、かということでした。調査官は全部読みこなすんだそうです。調査官がレポートを書いて裁判官に上げるまでに、相当な時間がかかる。レポートをもらった裁判官は全部読むとは限らないが・・・。もう一つは、出版後多くの年月がたった書籍の出版差し止め申し立ては初版の場合と要件が違うという高裁の判例を、そのまま最高裁が承認するかどうかの検討があったのではないか、ということです。本件の判断をしなおしたので時間が掛ったということではないだろう、というものでした。

2005年に裁判が始まった時、第1回公判に被告もその弁護士も法廷には誰一人おらず、原告側だけが仰山居たそうです(参加者である服部代議士)。どうなることかと心配していたが相手の弁護士にも救われた、とか。

ようやく秋になって大阪に支援連絡会ができ、更に遅れて沖縄と東京に支援の会ができたそうです(小牧氏)。
教科書検定問題で一挙に沖縄の世論が火を噴いたことによって、裁判の支援は広がったそうで、それまでは、右翼側の一方的な盛り上がりだったということです。

第2審での圧巻は、判決が宮平秀幸証言を「虚言」と言い切ったことで、決定的な要因は宮平春子さんの証言で、それを短時間の間に陳述書にまとめた裏には、大きな人間ドラマがあったそうです。

1審2審とも、明示的な「戦隊長の自決命令」は認定しませんでしたが、
2審の弁護側準備書面(4)は、「命令もしくは強制・誘導」をきちんと論証している歴史的文書なので、改めて読み直して欲しい(小牧氏)、とのことでした。

キー坊さんがおっしゃる
>相手に残酷な事を強制する場合には、日本人(大和人)はもっと遠まわしに、言葉以外の態度で持ってそれを表現するのが通常ではないだろうか?

これって、
いま福島県民に押し付けている「1年当たり100ミリシーベルトまでは健康に影響ない」にも通じてますね。「命令もしくは強制・誘導」の伝統的表現、文化なのでしょうか。

人間と個の間

野原さん
提訴間もない2005/8/20曽野綾子の罪の巨塊解釈について指摘されているのは立派です。
さて、星のかけらとやらが
http://tondemohappun.cocolog-nifty.com/blog/2011/04/post-bbe9.html
そこで「大江の沖縄ノートも読んだけど左翼の言い分はあっても「人間愛」がない、そんな印象でした。大江健三郎の作品全てに共通するところは、温かい人間愛がない点です。未来もなければ明るさもない。」と語られている。 星のかけらという歌があるらしく、歌詞を探すと住友電工のコマーシャルで「宇宙船サジタリウス」というアニメの主題歌を転用しているように思える。 アニメの歌詞は「星屑の 海の中 ただよう夢求め 時を超えて はるか 人の世で 見失い 今ではもう遠い 夢を探す人よ もしもどこかで 見つけたなら かけらだけでも 持って帰れよ ああ夢見るよろこび ふたたび ああ夢見るしあわせ ふたたび……夢光年」で話の筋は、個性の異なる数人が新会社を起こし、衝突しながらも助け合うという内容である。 「星のかけら」は、引用外の文を読むと極右的体質にまとわれていることがわかる。 彼のいう「人間愛」とはいったい何か。

http://shinkoku.exblog.jp/10012543/
上記テロリスト朝日平吾の遺書とされる「死の叫び声」に「吾人は人間たると共に真正の日本人たるを望む。」との表記がある。 政治思想史家「橋川文三」は「昭和ナショナリズムの諸相」において「前の文句は、正確にいえば、「吾人は日本人たると共に真性の人間たるを望む」といいかえてよいものであった。」と評した。 私は常々この評価に違和感を、感じていた。 右翼テロリストにとっては、人間であることよりも神話化・実体化された真性の日本人であることのほうが重要なはずである。橋川氏は日本右翼の本質たる血縁的差別を軽視していると。「星のかけら」のおかげでやっとそれ以上の分析が可能となった。 橋川氏の「日本浪漫派批判序説」は自身が戦前シンパシィを寄せた浪漫派回顧(浪漫派漂流記)であり、まとまった整理はない。 その中で大学生から浪漫派に引きつけられた契機を訪ねられるくだりがある。 氏はヤマトタケルの歌とされる「大和は国のまほろば」ではなく、「命のまたけむひとは」の歌が浪漫派への共鳴板になったと語る。 作品中、氏の故郷対馬の話が出ることから、私は当然、ゲマインシャフト(共同体)回帰が浪漫派接近の契機と考えていた。 共同体回帰に伴い意識される共同体的時間軸は、伝統的統治・レジティマシー(継承性を主たる正当性根拠とすること)を金科玉条とする右翼的心情にとって決定的に重要と考えているからである。 しかし、橋川氏の真性の人間指向(重視)と「命のまたけむひとは」とは、氏が特殊日本主義に惹かれたのではなくある種の普遍主義のみせかけを追っていた(そしてミイラになった)-追っている(そして、朝日の一面を発見したが本質を見失った)ことにおいて符合している

個人よりは、日本人のほうが普遍性・一般性を持つ。 人間は日本人よりさらに一般性・普遍性を持つ。 テロリスト朝日等は、特定の時代の日本人像を神話化・理想化しそれをさらに過去・現在・未来の日本人に一般化し、さらに絶対視する。 右翼が普遍性・一般性に関心を寄せるはずはないと考えていた。 しかし、そこから右翼思想に傾倒する輩もいることはちょっとした発見だった。

ところで大江氏の「沖縄ノート」について、私は、1970年当時においても、東アジアの諸民族を見下し、蔑視する数多くの日本人が存在するが、沖縄の場を借りてそのような血縁的差別に囚われた日本人の精神は改造されなければならないとのメッセージであったと受け取る。

そうすると、「星のかけら」の「大江には人間愛がない」との意味の実質は鮮明となる。
「星のかけら」はやはり、通常の右翼同様、日本人は太陽を祖先神とする優越的な民族であり、世界に君臨しなければならない。権益を守る以上に権益の拡大を目指す自作自演の満州事変は権益を守るためと言い張ればよい。正当に権益を拡張する日本軍に反抗するシナ人の捕虜や農民は鬼ヶ島の鬼とおなじだから「据えもの斬りをしても何とも感じない」(百人斬りネッソス向井・野田)。
「星のかけら」も、日本浪漫派にシンパシィーを感じた橋川文三も初めから血縁擬制序列・レジテイマシィー・伝統的統治に好感を抱いて接近したのではなかったのであろう。

整理する。「朝日平吾」と「星のかけら」また秋葉原事件、加藤某は砂のように流動化する現代社会にはない別の(オールタナティブな)人間のあり方-普遍的な「人間愛」-を求めたのであろう。 しかし、加藤はアジア的なみせかけに遭遇することはなかった。 「朝日平吾」と「星のかけら」は、血縁的差別を容認した場合のみ、構成員として扱われる前近代的心情の(一体性に)イカレ、耽溺する。 結盟団構成員が「私たちは本当に仲がいい」と語る場に居心地の良さを感じのだ。 
戦前の国体論の政府解釈や各種宣言・声明などには「一体性」が多用される。 親子一体・夫婦一体の擬制から官民一体・君臣一体・軍民一体・内鮮一体など。 この一体性論は金王朝のチェチェ思想、オウム真理教の教祖クローンになるという考えに酷似している。 いずれも個人の主体性を否定し、精神的に奴隷的隷従を強いる真の思考停止強要といってよい。だからこそ、三者は自作自演をして恥じない。

生きて虜囚の辱めを受ける事勿れ

阪神さん、コメントをどうも。
>「日本軍は住民が米軍に保護される事(=スパイになる事)を許さなかった」という事実が重要だと思います。

 おっしゃる様に、この事が「集団自決」の根本的原因だと思います。座間味の宮平秀幸がまだ転落しない時期に証言したビデオ(1990頃)では、「捕虜になった時、どんな感じでしたか?」との質問に、秀幸は「友軍が殺しに来ないかという事が一番心配だった」と答えています。
 戦時中は、住民も捕虜になれば、(日本軍によって)処刑されることが当然と考えていた事が分ります。

曽野綾子は無視するでしょうね

キー坊さんこんにちは。棄却が遅れたのは裁判長が2009年1月に亡くなった事もあるかもしれませんし、震災が無ければ先月末にも棄却されていたかもしれません。それにしても待たされましたね。
「日本軍は住民が米軍に保護される事(=スパイになる事)を許さなかった」という事実が重要だと思います。集団自決と住民虐殺は完全に表裏一体のものです。渡嘉敷島では米軍側に行ってしまわない様に一ヶ所に集めたから集団自決へと繋がりました。慶良間以外でも「米軍に保護されたから」という理由で多くの住民虐殺がありました。座間味、渡嘉敷では米軍に保護された住民がスパイとして日本軍に殺されています。よって集団自決は捕虜になる事を許さない日本軍が傍にいる以上、軍命(=スパイになってはいけない)によって発生したと解釈してもいいと思います。
今月の書店には曽野綾子が各書に「出番が来た!」とばかりに震災ネタでもって「私ってすごいでしょ」と庶民を馬鹿にしまくってますが、さすがに原告側の敗訴については無視するでしょうね。
曽野綾子だけは絶対に許しません。徹底的に追求し続けます。

意図的誤読

野原燐さん、小生の全体の論旨にご賛同いただいて有難うございます。野原とは沖縄にも在る苗字ですが、貴方は違うようですね。

 司法制度改革審議会という、「集団自決」とは関連性薄い場所で、大江健三郎の造語をわざとかどうかか知らないが、大江が赤松=「巨魁」と書いていると誤読し、赤松氏の名誉を毀損していると誹謗したわけですね。これは十分に大江健三郎に対する「名誉毀損」になると思います。
 これから貴兄のブログを読ませていただきます。

「罪の巨塊」という造語について

こんにちわ。全体の論旨に賛同します。
大江の「罪の巨塊」という造語についてなんですが、
「A大尉を、大江健三郎氏が「あまりにも巨きい罪の巨塊」と表現しています。」と曾野綾子氏は平成12年10月に国会で言っているのだが、この文章をそう読むことはできない。(参考:http://d.hatena.ne.jp/noharra/20050820#p1

http://homepage3.nifty.com/luna-sy/re54.html#54-1 の私の文章を良かったら読んでください。


コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

http://keybowokinawan.blog54.fc2.com/tb.php/225-277eaad9
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

«  | ホーム |  »

プロフィール

キー坊@ウチナー

Author:キー坊@ウチナー
沖縄本島中部、巨大な米軍基地を抱える町の生まれ。
齢を重ねるごとに、沖縄戦へのこだわりが強くなります。
曽野綾子・『ある神話の背景』は沖縄を究極的な軍事基地にする目的を持っています。「集団自決」は沖縄戦の集約された出来事だと思います。『ある神話の背景』は沖縄への抑圧・差別の集約文書です。

HP・「その『神話』の背景」(文献・資料集)
http://keybow.co

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

未分類 (2)
関連著作の紹介 (73)
渡嘉敷島関連 (19)
座間味・阿嘉関連 (19)
奄美その他 (38)
曽野綾子論 (35)
基地 (55)
政局 (45)
自論 (40)
STAP問題 (17)
慶良間全般 (1)

FC2カウンター

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QRコード

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。