2017-04

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米軍上陸日の誤記

『鉄の暴風』の記述で、渡嘉敷島の米軍上陸日を3月26日としたのは明らかに誤りであるのだが、これを『週刊サンケイ』s32.3.31の記事でも、そのまま引用(盗用)して、3月26日だとしている。

 曽野綾子は「ある神話の背景」で、沖縄の戦記、『鉄の暴風』・『概要』・『様相』の中の同じ誤記をあざ笑うかのように、或いは勝ち誇ったかのように、以下のように書いている。これはこの三つの戦記が信用できない物であるという印象を与える事をねらってのものだろう。

 それを証拠づけるもう一つの明確なポイントがある。
 それは問題の渡嘉敷島に対する米軍上惟の日をこれら三つの資料は一致して、三月二十六日、とまちがって記録していることである。
 米軍上陸は琉球政府発行の『沖縄県史』の年表においても、赤松隊側の「陣中日誌」においても、防衡庁防衛研修所戦史室による『沖縄方面陸軍作戦』においても、Chas.S.Nichols.Jr. と Henry I.Show Jr. 共著による 『 OKINAWA。Victory in the Pacific 』 においても、三月二十七日の、正確には午前九時八分から九時四十三分の間となっている。
 米軍上陸というかなり重大な記録的事実が、まちがったままこのように記載されているということは、この三つの資料が引き写しによって伝えられて行ったことを示すものであろう。
もっとはっきり言えば、最初に書かれた「鉄の暴風」にまちがいがあったのを、他の二つが、そのまま、うっかり書き写したものと思われる。
(『集団自決の真実』p61~62)

 しかしである、現在彼女が言論の本拠地にしていると言ってよい「産経新聞」の出版物がs32年の時点で、『鉄の暴風』から盗用して同じ誤りを犯している事はお笑い草ではないか。終戦から12年経った時点で、天下のサンケイが米軍上陸日を間違ったままで、『鉄の暴風』から引用(盗用)しているのである。中央メディアでさえ、この間違いに気づかなかったという事である。サンケイがその程度の能力しかない低程度の新聞社であったというのではないだろう。
 政府の公式記録でも、その当時は米軍上陸日は慶良間の渡嘉敷・座間味・阿嘉の三島とも上陸日は3月26日だとされていたのである。

 この詳しい分析は、ni0615氏が自身のブログ記事で完璧にされているで、御参照あれ。
 s24年時点で、復員局編纂―『第32軍沖縄作戦記録(改訂版)』の記録で、慶良間三島ともに同じ日の「3月26日」となっているとの事である。s25年に出版された『鉄の暴風』で、渡嘉敷の上陸日が「3月26日」となっている事について、その時点では『鉄の暴風』・執筆者に何の落ち度も無いと言えよう。
『 OKINAWA。Victory in the Pacific 』が刊行されたのは1955年(s30年)である。
 赤松隊側の谷本版「陣中日誌」は1970年(s45年)に公表されたのである。この陣中日誌は改変・書き加えの後が明白な部分が多数あることが分っている。正式の辻版「陣中日誌」には、3月27日04:00に「各敵が渡嘉敷、留利加波付近に進出」と記載されているだけである。3月27日04:00とは、28日の未明だと思われるが、赤松隊本部はこの時点で敵を認識したという事であり、どの時点で米軍が上陸したかは不明であったのである。

 ところで、隣の座間味島では米軍の上陸日時は、兵士や住民の証言で「3月26日の朝」だという事が分っていた。住民や兵士は避難した山上から、海岸を上陸してくる無数のLSTや米兵を見ることが出来たのである。だが、渡嘉敷島の人間はそれを見ることできなかった。どの島も26日から27日にかけて米軍の砲撃凄まじかったのであるが、一方は目撃できたのに、他方は出来なかったわけは、両島の地形の違いによるのである。座間味は島幅は狭いが地形は海岸から急に上昇していて、高い土地に上れば波打ち際が目に入る地形である。これに比べて、渡嘉敷は島幅があり、兵士・住民とも26日から27日にかけてはニシヤマに移動をしていた。(住民は赤松隊に集合させられたのであるが)

青年の家
赤松隊陣地跡・現在国立青年の家

ニシヤマ陣地後
高い土地だが、平地が広がっていて、グランドや体育館等
多くの施設が造られている。

 ニシヤマ(北山)は高地であっても上は平らな土地で、その上樹木が鬱蒼としていたので、波打ち際を見渡せる地形ではなかった。だから、渡嘉敷においては誰も米軍が上陸した明確な日時を知らなかったのである。

 『週刊サンケイ』の『鉄の暴風』を盗用した事実を見れば、少なくとも昭和32年までは、渡嘉敷島の米軍上陸日を「3月26日」とする事に別段疑問を呈する雰囲気でなかったという事である。
 それなのに、曽野綾子が「ある神話の背景」で後知恵でもって米軍上陸日の誤記を突いて、勝ち誇ったように、沖縄の三戦記を貶めているのは、「素人騙しの文章テクニック」、或いはni0615さんが言うように「(文章の)ペテン師」というのが相応しい。
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コメント

赤松も、上陸日を3.26と発言していた。

トラックバックを頂いたましこ・ひでのりのブログから辿ってみれば、あの週刊『新潮』19684.6号でデビューした赤松元隊長の、「3月26日、米軍が上陸したとき、……」という証言があります。s43年当時でさえ、渡嘉敷島駐留軍の元司令官もが3.26が上陸日と思っていたのです。
http://www16.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/990.html#id_7bb41f8c(ni0615氏サイト)

曽野綾子は頭隠して尻隠さず、だったのです。(笑)

>やっぱり

匿名希望 さん、Y氏とは山崎行太郎氏の事でしょうか?だったらイニシャルにする必要ないと思いますが。

やっぱり

本日、リンク先のY氏のブログを読んで愕然と致しました。いや、彼の出身地を確認したあたりでもう既に、ある疑惑は湧いておりましたが…。
彼が批判している人物も本当は彼のお仲間ではないですか?「本音」を言い過ぎてイメージの悪くなったお仲間をこきおろして着地点がこれですか?意味がわかりません。

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・「米軍上陸日の誤記」(曽野綾子「神話」をめぐる話題)

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キー坊@ウチナー

Author:キー坊@ウチナー
沖縄本島中部、巨大な米軍基地を抱える町の生まれ。
齢を重ねるごとに、沖縄戦へのこだわりが強くなります。
曽野綾子・『ある神話の背景』は沖縄を究極的な軍事基地にする目的を持っています。「集団自決」は沖縄戦の集約された出来事だと思います。『ある神話の背景』は沖縄への抑圧・差別の集約文書です。

HP・「その『神話』の背景」(文献・資料集)
http://keybow.co

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