2017-10

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教頭は「参謀長」

 この『週刊サンケイ』記事で、
 「この光景当時同村の国民学校に訓導として奉職していた山城安次郎氏(現沖縄テレビ)は、次のように綴っているのだ。

 瞬間血肉が四散した。重傷を負い死に切れずうめく声。飛び出した腹腸を破れた胴に無意識に詰め込む手。教え子の顔が半分になって笑っている。左の目玉は頬の上に飛び出している。そうして軽症のものはお互いに棍棒で殴り合い、ある夫は、妻の頚部を剃刀で切り開いている。痛ましきは、重傷でうごめいて祖母の頭を泣き乍ら農鍬で叩きわる孫。恩納河原の谷川の水は赤く染まった。

 全くこの世の相とは思えない地獄絵図である。古波蔵村長も家族を引き連れて……」、
 との記述が7頁にある。

 記事では、山城安次郎を渡嘉敷村の国民学校訓導としての証言をさせているのだが、確か渡嘉敷国民学校の訓導(教頭)は赤松隊に処刑された大城徳安であって、山城は梅澤隊が駐留した隣の座間味の国民学校の教頭だったはずである。山城は『週刊サンケイ』に対して作り話を提供したのだろうか?
 この『週刊サンケイ』記事は全編に渡って『鉄の暴風』を剽窃した内容で書かれていると言ってよいが、この太字で記した山城の部分は、『鉄の暴風』には見られない表現である。だから、これは山城安次郎本人の体験した光景である可能性が強いと言える。彼は何時何処でそんな光景を見たかといえば、当然、s20年3月25日夜から26日の未明にかけての座間味部落のどこかの集団自決現場においての外は無い。

 山城安次郎は、戦時中「参謀長」と呼ばれ、軍服に身を固めて一般の日本兵以上に軍人的威厳を発揮していたらしい。(宮城恒彦『潮溜まりの魚たち』2004)
 山城が戦時関係出版物にその名が出たのは、曽野綾子『ある神話の背景』で、渡嘉敷島の集団自決の証言者として、『鉄の暴風』著者・太田良博から挙げられた人物だとされたのが最初だと思われていた。しかし、山城自身は戦時体験者としては何も証言は残してないと思われていた。「参謀長」と呼ばれ、住民や生徒を戦争協力に駆り立てる役割を果たした人物が、戦後は村の助役も勤め、沖縄マスコミ業界のトップに立ったのであるが、自らの戦争体験記を表すような事は一切しなかった。また、戦後長らく、生き残りの座間味住民の中から、山城安次郎に深く関連ある証言が為されたこともなかった。

 だが、2001年になって宮平秀幸は毎日新聞に対して、45年3月26日に自分の一家が山城安次郎に切られそうになったという事を証言している。それまで本田靖春などにも進んで証言したりして、語り部になっていた秀幸は、突然と云った感じで山城安次郎の事を語り始めたのである。秦郁彦編・「沖縄戦『集団自決』の謎と真実」の中に、ニセ沖縄人の江崎孝(狼魔人)が「『沖縄タイムス』と山城安次郎の「神話」を追う」という章を書いているのであるが、これも全面的に宮平秀幸からの聞き取りを基にしたものである。

 江崎孝と宮平秀幸の共同作業の物語であるから、どこまでが事実なのか全く信用できるものではないが、初めての座間味の生存者からの証言である事は、一応耳を傾けておくべきではないかと思われる。この中では、江崎は、山城が「集団自決」において、多数の住民を手にかけた事をほのめかすような書き方をしている。
 これを我々が安易に信じる事は慎むべきであるが、その可能性を全く否定する事もできない。江崎が指摘しているのごとく、山城安次郎のように座間味の戦時中に、住民を戦争協力に駆り立てた教育者が戦後生き残って、社会的成功を収めたに関わらず、自分の戦時経験について何の証言もしなかったという事は不可解な事である。あまり愉快な事ではないが、それに同感せざるを得ない。

 だが、今回発掘された「週刊サンケイ」s32・3・31号の特集記事は、連中にとっては歓迎したくない情報だろう。「産経新聞社」が日本軍告発の特集をやっているのだから。
また、この記事中で、山城安次郎が唯一の戦時体験証言をしていたとは、貴重な資料と言えるであろう。
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コメント

「サンデー毎日」調べたが

「サンデー毎日」の1958(s33)年、国会図書館のマイクロフィッシュで全号調べました。(1号欠)沖縄戦に関する記事はまったく在りません。沖縄に関する記事はわずか2件。(立法院選挙の件、日本復帰に関する事)
この時期、ヤマトの一般大衆は沖縄の事をほとんど知らなかったでしょうね。

宮平秀幸さん

私の[C997] での

「あのオジサン」とは、宮平秀幸さんのことです。

急いで投稿したので、固有名詞を失念しました。わざとボカシたわけではありません。

「朝日」「毎日」の記事は無し。

阪神さん、ご回答ありがとう。
「サンデー毎日」を確認する必要はありますが、サンケイ以外にその時期、梅澤が出てくる記事は無いことが確定的ですね。

梅澤は、「will」08'8月臨時号に書いた手記中、「家族が味わった戦後の苦悩」という見出しで、
http://keybow49okinawan.web.fc2.com/umezawa/umesyuki.html#kazokunokunou

「隊長が住民に自決命令を出したという記事は、昭和三十三年、『週刊朝日』と『サンデー毎日』が最初に書きました。びっくりしました。日本陸軍の将校としての私の生い立ちから考えてみてください。とんでもない内容です。…」
「週刊誌が書き立てた時、上の息子は中学生でした。息子は、新聞に「梅澤、梅澤」と出たら、うちのことだと思われないだろうかと心配して学校に行くのがイヤだと書い出した。…」
「家内は見る見るうちに神経衰弱みたいになった。…」

と、自分の被害者ぶりを言い立てています。我が身の不遇を「沖縄」のせいにしたいが為の嘘八百である事は間違いないですね。

記事は4頁からです

キー坊さん、記事は4頁から始まっています。3頁は目次となっており、下記のようになっています。
http://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1284541468.jpg.html
沖縄の住民被害についてはこの雑誌より7年前の「鉄の暴風」が取り上げているのですが、この「鉄の暴風」を一般の人が読む事は殆ど無かったと思われます。よっぽどの戦記好きか読書家のみでしょう。
つまり沖縄戦の住民被害について初めて世間に紹介したのが、この週刊サンケイと言っても過言ではありません。

サンケイ記事タイトルについて

阪神さん、梅澤記事についての検索ご苦労様です。
「太平洋戦争文献解題」や「総覧」にある見出しは、「戦闘協力者=沖縄戦の陰にうずもれた四万人」となっていますが、8.30に寄せてくれたコメントにリンクされた記事本文は、サンケイ当号の4ページ目から始まって、見出しは「陽の目を見る悲劇の英霊」となっています。
http://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1283135791.jpg.html

4ページより前からサンケイの記事は始まっていたのでしょうか?

やっぱり週刊朝日、サンデー毎日ではない

梅澤氏が昭和33年春ごろの週刊朝日、サンデー毎日の記事で職場や近所に、座間味で住民に自決命令を出したと知られてしまったという話は、間違いです。
週刊朝日、サンデー毎日では昭和33年前後にそのような記事を掲載していません。
まず国会図書館長だった方が出版した「太平洋戦争文献解題(井門寛) 」新人物往来社(1971)ではそれらしき記事は週刊サンケイのみです。
http://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1284470185.jpg.html
http://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1284470216.jpg.html
また「太平洋戦争文献総覧(井門寛)」総合出版社歴研(2001)でも週刊サンケイのみです。
http://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1284470242.jpg.html
また国会図書館の総合カウンターの後ろにあった索引辞典を見ても週刊サンケイのみです。
http://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1284470257.jpg.html
つまり、昭和33年前後に週刊朝日、サンデー毎日にて、梅澤隊長が住民に対して自決命令を出したという記事を掲載した事実はないのです。
週刊サンケイの「U少佐」では誰の事かばれるわけがないのに、職場や近所に知れ渡ってしまったわけですが、どうして知れ渡ってしまったのか梅澤氏は何と答えるでしょうかね。誰かが告げ口したとか言いそうですが、昭和32年当時、沖縄タイムス社の「沖縄戦記」を読んでいる人など、滅多にいないはずですから、苦しい言い訳になりそうです。
一つ疑問なんですが、沖縄タイムス社の「沖縄戦記」を梅澤氏が始めて読んだのはいつの時点だったのでしょうかね。
ともかく梅澤氏にこの週刊誌で間違いでないかどうか藤岡氏に確認してもらいたいものです。
もう、ろーま人を通して藤岡氏は知っているかもしれませんが、やばいと思って知らぬ振りを決め込む確立100%と予想しておこうw。

『鉄の暴風』ラジオ放送

 22時からNHKで、ジョン川平、川平慈英兄弟の家族についての番組をやっていた。兄弟の父親は川平清(本名・朝清)というのだが、その清の長兄である川平朝申が、s24年、米軍の援助により、沖縄初の放送局である「琉球放送」を設立し、同時に清はアナウンサーとして入社している。同年に放送されたのが、まだ本としては発刊されてなかった『鉄の暴風』の朗読であり、それを川平清が担当してたとの事である。

 その後、清はアメリカの大学に留学し、アメリカ人の妻を連れて帰って来た。それがジョン・慈英兄弟の母親である。親の川平兄弟はs34年にはテレビの放送も開始したが、これはTBS系列である。
 既にs32年には沖縄テレビ(フジ系)は開設されていたが、これに山城安次郎は専務として参加した。
 新聞と違って、放送局は時の権力に追随する人材が運営するものの様である。

実証不可能

 ni0615さん、コメントをどうも。テキスト化ごゆっくり。

>山城安次郎氏は、… 自己の体験ではなく戦後の「聞き取り手」として語ったのではないでしょうか?「同村」国民学校訓導は記者の不注意からくる誤りでしょう。
>あのオジサンのオリジナルな体験ではないでしょう。あのオジサンは藤岡信勝氏さえ、自分が読んだり聞いたりした他人の話を自分の体験として語ってしまうことができる不思議な能力の持ち主と…

 確かに上記のような推測も十分に可能だと思います。曽野「ある神話…」によれば、山城安次郎は『鉄の暴風』の著者・太田良博に、渡嘉敷島についての伝聞証言をした人物の一人だったされています。太田はタイムス論争でこれを否定し、山城は証言をしたのではなく、渡嘉敷の情報をもってきただけだと反論していました。いずれにしろ、山城は「サンケイ」への証言以前に、渡嘉敷についての事を『鉄の暴風』の著者に言っていたわけです。
 それでも、サンケイ記者たいして渡嘉敷について、聞き取りの証言をしたという証拠を我々が見つけることはできません。「座間味」において自ら経験した「集団自決」を記者に語った可能性もあり得ると思えます。
 宮平オジサンの言う事が全然信頼できないのは言うまでもない事です。45'3.25夜の目撃証言は嘘に決まっていますが、何から何まで嘘ばかりを言うとは決め付けられません。「参謀長刀振り事件」も嘘の可能性ありますが、だからといって、100%そうだと決め付けられる事でないと私は思います。

 山城安次郎が故人となっている今、彼を追及する作業は「推測」「憶測」の域内でしかやれません。出来る限り実証に近づけようとする作業は難しいです。事実は如何に、と現地へ行って詮索行為をする事は墓場を荒らす行為に成りかねません。山城安次郎については、座間味の人からの新たな証言出てくる事に僅かな期待を持つだけです。

都合で作業が遅れてます。おゆるしください。

山城安次郎氏は、渡嘉敷島のことについては、自己の体験ではなく戦後の「聞き取り手」として語ったのではないでしょうか?「同村」国民学校訓導は記者の不注意からくる誤りでしょう。(「同村」のほうが記者に取っては都合がいいからそう思い込んでしまう)

また「訓導」=「参謀長」が刀を振ったは、たしか県史か座間村史の別人の手記によく似た話がありました。たぶんその話の潤色で、あのオジサンのオリジナルな体験ではないでしょう。あのオジサンは藤岡信勝氏さえ、自分が読んだり聞いたりした他人の話を自分の体験として語ってしまうことができる不思議な能力の持ち主といっていました。

惠忠久

 Mの惠忠久は、数年前の少女暴行事件の時、沖縄で販売されている「産経新聞」、「世界日報」の二紙に、少女の実名と間違えられかねない名前を書いた折込チラシを配布しました。米兵を弁護して少女を批判した文書でした。

 また、惠はおよそ20年ほど前、無許可で尖閣・魚釣島に渡島して、そこに日の丸を立てる事もしました。奥茂治は彼と同士です。

彼らは、「沖縄 誰にも書かれたくなかった戦後史」を書いた佐野眞一に「沖縄の奄美差別」について、大袈裟・誇張した歪曲情報を提供しています。こんなイカガわしい人間たちからの証言をそのまま本に書いた佐野眞一もイカガわしいノンフィクション作家と言うしかありません。

キー坊さん、地道な調査・分析、ほんとにお疲れ様です。
テレビや映画でのオブラートに包まれたような表現は致し方ないとしても、こういうのを読むと地獄とはあの世では無くこの世にあるもの、そしてそれは人間が作り出したものであると実感します。
米兵による少女暴行事件で少女の名前を晒したあの産経でも昔はこんな記事を載せていたんですね。
被害者名記載のチラシを依頼したM氏ですが、何度も選挙に出るわりにあり得ない位の少数得票で毎回落選、ポスターを見れば昭和天皇さながらのいでたちでバックに日の丸(旭日旗だったかな?)。黒い宣伝カーで大音量を垂れ流す奇妙な人達と同種類であることは子供だった私にも判断できました。
(記憶違いもあるかもしれません、あのポスターどこかにありませんかね)
ところで本日放送の「太田総理・・・」ですが、テリー伊藤と太田光がいつになく反戦めいたことを声高に訴えていました。軍事オタクと揶揄される石破元防衛庁長官がスタジオ中から総攻撃にあっていましたが、それはないんじゃないか・と突っ込みたくなりました。
話があちこち飛んでしまってすみません。

text化しました。

「サンケイ」の"集団自殺命令"の真相の部分をテキスト化しました。
http://keybow49okinawan.web.fc2.com/sankei/syudanjisatsu.html

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キー坊@ウチナー

Author:キー坊@ウチナー
沖縄本島中部、巨大な米軍基地を抱える町の生まれ。
齢を重ねるごとに、沖縄戦へのこだわりが強くなります。
曽野綾子・『ある神話の背景』は沖縄を究極的な軍事基地にする目的を持っています。「集団自決」は沖縄戦の集約された出来事だと思います。『ある神話の背景』は沖縄への抑圧・差別の集約文書です。

HP・「その『神話』の背景」(文献・資料集)
http://keybow.co

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