2017-08

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s32年3月31日「週刊サンケイ」記事

 当コメント欄で阪神(HN)さんが、s32(1957)年3月31日号の「週刊サンケイ」に、慶良間の渡嘉敷・座間味両島の「集団自決」について、両島守備隊長の軍命により起こされたものという内容の記事を見つけたという報告があり、そのページ映像をリンクして下さった。

 大江岩波裁判の原告であり、座間味島の第一戦隊長だった梅澤裕は、手記等で、s33年ごろ、「週刊朝日」「サンデー毎日」に、自分が島民への自決を命じたとの記事を書き立てられて、職場や隣近所の冷たい目に晒されることになり、職場に居られなくなり仕事を転々とした。息子は学校に行くのがイヤだと言い出し、家庭は崩壊してしまったと言い、その責任は「島民の自決は隊長の命令による」と書いた沖縄タイムス『鉄の暴風』や座間味村の「公式戦記」に在るとしている。
 そうであれば、裁判は沖縄タイムス座間味村、或いは「隊長が自決命令を下した」と戦時手記に書いた宮城初枝を相手に起すべきである筈であるが、現実には岩波と大江健三郎を相手に起している。

                u少佐のごとき
                 「週刊サンケイ」 昭和32年3月31日号  ところが、梅澤は自分の人生を狂わせる発端となった「週刊朝日」・「サンデー毎日」の当該記事を公表する事をしていない。50年以上前の事だから記憶が無いのは仕方ないにしても、彼には「新しい教科書を作る会」、訴訟代理人の「靖国応援団」の弁護士ら、多くの支援者が居るのだから、彼らの助力で、その記事を探し出す事は難しくないはずである。在れば裁判の証拠資料として有効であるのに何故公表しないのだろうか?そのような記事は無いのではないか、という疑惑を我々に抱かせていた。

 阪神さんは「週刊朝日」s33年の全号に当たったというが、梅澤隊長に関する記事は見つける事はできなかったという。しかし、何と、その頃の「週刊サンケイ」に慶良間の両隊長についての告発記事があることを発見して、当コメント欄にその記事の画像をリンクして下さった。
 それはs33年の前年、s32年3月31日号の記事であるが、内容はあろう事か、あの『鉄の暴風』を引用、要約したものである。沖縄戦全般における日本軍の暴状を報告する記事内容であるが、慶良間の部隊については渡嘉敷の隊長は隊長、座間味のそれについては隊長と頭文字を使っているが、分る人には分る書き方だ。
 記事の分量は『鉄の暴風』同様、渡嘉敷に関するものが座間味に関するものより大きい割合を占めていて、座間味の部隊に関する記事は数行に過ぎないが、「なお燐島座間味村でも渡嘉敷と同じようなことが繰り返された」と梅澤隊長の自決命令を示唆し、「U少佐のごときは、朝鮮人の慰安婦と不明死を遂げたことが後になって判明した」というあの有名になった誤記部分をそのまま転載している。しかし、なんと言っても、現在保守・右派の牙城となっている産経新聞社が刊行した週刊誌が、沖縄戦の日本軍の暴状特集をしているのは驚きである。

 「サンデー毎日」についても、当たってみる必要はあるが、梅澤が言うs33年頃の暴露記事というのは、この「週刊サンケイ」s32.3.31号の記事である可能性が高いのではないか。梅澤と彼の支援者たちが非難の的としている沖縄タイムス・『鉄の暴風』(s25年)の記述を、彼らが言論の本拠地としている「産経新聞」が刊行した週刊誌が梅澤元隊長を告発する記事に流用した事が、その公表を躊躇わせる理由ではないのか?それは彼らにとってあまりに格好が付かないものである。
 また梅澤は、さも派手に週刊誌に書きたてられて世間に知れ渡ったような言い方をしているが、実際には数行程度の記述に過ぎないから、あまり公表したくないのではないか。もし、実際に「朝日」や「毎日」が派手に書いていたのなら、これぞとばかりに公表したに違いない。
 梅澤は週刊誌記事のせいで家庭崩壊したなどと言っているが、ユーチューブの映像では老夫婦揃って画面に出て、睦まじいところを見せていた。息子は地裁判決日に、気に掛けて、北海道から実家に孫を連れて駆けつけてくれたと手記の中で書いている。家庭崩壊・職場転々というのも大袈裟に話を作っている疑いもある。

 この「週刊サンケイ」s32年3月31日号には、もう一つ興味深い記述がある。当時国民学校訓導・山城安次郎(現沖縄テレビ)の証言というものである。沖縄テレビの山城安次郎と言えば、曽野綾子『ある神話の背景』で、『鉄の暴風』著者の太田良博の所へ渡嘉敷島の赤松隊の暴状を訴えに来た二人のうちの一人であるとされる人物である。(続く)
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コメント

Textチェック(6)(7)(8)

書き込めませんので、こちらにアップしました
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文字化けしましたら、
表示>エンコード>自動選択
で調節してみてください。(windows)

よろしくチェック御願いします。

Textチェック(6)

キー坊さん
誤記御指摘ありがとうございました。
さっそく手元をなおしました。

続きはどうしても「スパムコメント」と認定されて送れません。
何か禁忌のワードでもあるのでしょうか?

TEXTチェック

ni0615さん。TEXT化ホントにご苦労様です。
手打ちでのそれは手間ひま掛かりますね。

自分は自分の文章を読み返してみては、あまりの誤記の多さに落胆を繰り返している状況ですが、一応貴文章を読んでみて、私が気がついた範囲内での誤記と思われる所を挙げさせてください。

[980] 陽の目をみる悲劇の英霊の項 11行目 「その皮相な最後が」→「悲愴な最後が」

[981] 秘められた島民の戦いの項 6~7行目 「教師引導のもと」→「引率のもと」

[982] 相つぐ軍人、役人の脱出 末尾から7行目 「何時に似合わず。顔を…」 → 「似合わず、顔を」

[1015] 住民を斬った日本兵の項 10行目 「軍の陣地に入れるわけにはいかなう」→「いかない」

Textチェック(5)

============ 
御真影を胸に
============

 隊長は間もなく首から白い布を吊した怪しい男を発見した。例の男は後から迫る隊長達の足音にも気がつかないらしくトボトボと歩を運んでいた。
「スパイ奴!」隊長の怒号と同時につかれた男は驚いてふりかえったが同時にその胸に隊長の拳銃は火をふいた。
 彼は一たん倒れたがすぐ立上った。そうして彼を見舞っている瞬間の運命が判るとりつ然とした。
「それは誤解だ、誤解だ、スパイではない」
 くるしい息をふり絞って叫んだが、その時には隊長の第二弾が男の腹部にブチ込まれていた。男は赤土に伏してもう動こうともしなかった。隊長はスパイが首から吊している白い布が怪しいとにらんで部下に手伝わせ、男の首から外して白布を開いてみた。出て来たものをながめて三名は顔を見合せた。それは天皇陛下の御真影だったのである。
 この男は、本部町国民学校町照屋忠英氏だった。
 山中を敵に追い回されている内に、迫撃砲で妻が死に、単身御真影を奉じて途方にくれていたのであった。
 日本軍の陣地に行けば、助けてもらえるかも知れない、よし自分一人は死んでも良いがこの御真影だけは敵に渡すわけにはいかない、そうしてようやく求め得た陣地であったが……。しかし校長は砲撃で聾になっていた。

Textチェック(4)

===================
住民を斬った日本兵
===================

 北部本部町伊豆味(イヅミ)の日本陣地に疲れた足を引ずるようにして巻脚絆戦闘帽の一人の中年の男が現れた。
 首から白布に包んだ薄い箱のようなものをぶら下げそれを骨ばかりの両手で、さも大切そうに抱えている。
 壕の入口で立哨している兵隊の姿を発見すると彼はほっとした安堵の表情を浮べ、うれしそうに近付いて行った。歩哨に近付くと彼は、
「しばらく休ませてくれませんか」と力弱く歩哨に頼み込んだ。
「君は何処から来たか?」と歩哨は兵隊調で訊いた、男はこの問いに対し、ただ訴えるような表情で押しだまっていた。
「地方人は、軍の陣地に入れるわけにはいかなう、用もないんなら外の処で休んだらいいだろう」歩哨はこの押しだまっている男の弱く光る目をみつみ乍ら、半ば警戒する面持で答えた、だがその男は余程疲れきっているのだろう、歩哨の答えも聞えぬ様子でなおも「休ませて下さい」と連発しながら立ちつくしていた。
 歩哨はこの物いわぬ男、立去れといっても立ち尽している男に、余程神経を苛立てたのだろう、銃をつきつけて「立去れ」と怒号した。
 男はなおもしばらく立ち尽していたが希望がいれられないことを悟ると淋しそうに目をしばたたいて力なく立ち去っていった。胸に抱いた白布を大事そうに抱えながら。
 それから五分もしたろうか?
 この陣地のすぐ付近に、アメリカ軍の迫撃砲団が炸裂した、陣地は突然色めきたった。壕内から飛び出して来た隊長に歩哨は、
「いまここに来た男が怪しい」と報告した。
 直ちに隊長は兵二名を連れて歩哨が指差す方角に走り出した。
 

和田さんへ

岡山県立図書館 、岡山市立図書館、倉敷市立図書館に阿嘉島の通信隊長だった柴田収二さんの著書、沖縄「阿嘉島・慶留間島」戦(西日本法規出版)があります。大町大佐は3月24日6時30分に阿嘉島にやってきて柴田隊長らと会っています。3月25日22時に第2中隊舟艇壕から渡嘉敷島に向かっています。防衛隊員12名がサバニ3隻、兵士(人数不明)が2隻の舟艇(マルレと思われる)に乗船しています。
この本には柴田さんの平和記念館の件は1995年当時は開館していなかった為か、出ていません。
ただし、当時の住所は出ています。

船舶工兵第26連隊

ni0615さん
>船舶工兵26連隊?
そうです、船舶工兵第26連隊全般の戦闘について10年掛けて調べて書いたそうです。

題名:船工26の沖縄戦
著者名: 野村 正起/ 著
出版者:亜細亜書房
出版年:1998.6 (原本ないので何日か不明です)

次々と重要資料

キー坊 さん
おそらくOCRは難しいでしょうね。
私は終末、P8の「住民を斬った日本兵」から続行することにしましょう。

阪神さん
次々と重要資料がでてきますね。
ありがとうございます。
船舶工兵26連隊?
書名、編者、出版社、出版年月日など
出版データを教えてくださると幸です。

慶良間の戦闘の記述

「船工26の沖縄戦(野村正起)」に慶良間に関する記述があります。
野村氏の「沖縄戦敗兵日記」に対して船工26の戦闘全般を記述したこの書籍ですが、慶良間に関する記述では通信記録などについて更に詳しく記述されています。
この掲示板の規則上、URLは6行目以降は頭のhを抜いてありますので、コピー&ペーストしてhを頭に付加しないと見れませんのであしからず。
http://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1283772506.jpg.html
http://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1283772527.jpg.html
http://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1283772544.jpg.html
http://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1283772557.jpg.html
http://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1283772572.jpg.html
ttp://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1283772587.jpg.html
ttp://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1283772601.jpg.html
ttp://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1283772617.jpg.html
ttp://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1283772631.jpg.html
ttp://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1283772648.jpg.html
ttp://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1283772659.jpg.html

テキスト化ありがとう

ni0615さん。
当記事の手打ちでのTEXT化、ご尽力ありがとうございます。
小生も"集団自決の真相"の項と、"非情な軍人"の項をテキスト化しようと試みましたが、プリントアウトしたものからはOCR変換がやりにくいようです。
生業と猛暑とで進みませんが、とりあえず、自分はこの部分のみのテキスト化を急ごうと思います。

山川泰那は山川泰邦が正しいですが、編集の誤りでしょう。

間違い指摘(自己レス)

× 週刊サンケイ 1958(昭和33)年3月31日号 定価30円

○ 週刊サンケイ 1957(昭和32)年3月31日号 定価30円

※「沖縄戦闘協力状況」とは?
裁判の書証で関連有ると思われるもの。

乙36  「沖縄作戦における沖縄島民の行動に関する史実資料」「住民処理の状況」 馬淵新治 昭和32年
乙37  「沖縄戦講話録」 自衛隊幹部学校 昭和36年1月
乙38  「援護のあゆみ」 琉球政府社会局作成
乙39-5  「戦斗参加者概況表」 琉球政府 昭和32年5月
(乙は大江・岩波側提出証拠)

「琉球政府の調査」という言葉を繰り返している週刊サンケイの文面からすると、乙39-5「戦斗参加者概況表」 琉球政府との関連。事前の概要発表か記者のキャッチか。

~~~~~~~~~~~
なおつたないTEXT起しは全てキーボード打ちなので、続きは終末になります。ご容赦願います。どなたか分担なさって下さるのは勿論歓迎です。

Textチェック(3)

(3)

===================
知事の果断

 性能の低い「一〇一式電波探知機」が多数編隊機の来襲を感知した。
「大編隊、東南海上、数十㌔を沖縄に向って‥‥」あわてふためいた注進が司令室に飛込むころには、黒潮の海を渡った「グラマン」の大群がウンカ、トンボのように守礼の邦に襲いかかっていた。
 昭和十九年十月十日午前六時三十分。
 こうして真珠湾さながらの不意打ちで沖縄戦の序幕は幕明けとなった。
 一波から五波まで、午後六時には那覇全市は焼野原と化し、焼土に市民七百余の人柱が横たわって何時もは蒼く遠く晴れている南の空を仰ぎ、朱盆のように曇った日輪をながめた市民は、この日の出来事を10・10空襲と名づけた。
 この日、島の最高行政官の一人、某は空襲と同時に敵上陸と勘違いして、市民の北部山地帯への避難を命令した、そして自分は四里離れた中頸郡普天間の権現様に避地してしまった。このため那覇市は一層の混乱を来たし必要以上の犠牲者を出したといわれる、昭和二十年一月三三十日、前任者に代わって沖縄最後の知事に大阪府内政部長から島田氏が悲壮な決意で乗り込んで来た。
   ※(一月三三十日はママ)
 沖縄戦終えんの地、摩文仁(マブニ)の洞窟で。荒井警察部長と共に、岩盤の下敷となって最後をとげたこの知事は、沖縄住民と生死を共にして県民の敬慕を一身に集めた。戦後は「島守の塔」の神と祭られ、今でも、島民の奉供する香華の絶間がない。
 島田知事は、就任と同時に「先ず食糧を」と考え、当時の呉我食糧課長を伴って、危険な海峡を渡り、長躯、物資豊かな台湾まで、食糧の確保にとび、目的を果すと「犠牲は最小限に」と住民の島外疎開と取組み、三月二十日、米機動部隊に最後の疎開船を撃沈されるまで、約六万人の沖縄県民を戦火から救った。この功績は平和を希求する今こそ大きく評価されるべきだ。
 
相つぐ軍人、役人の脱出

 しかしこの前後になって、役人、軍人など戦場化必至におびえ、この運命の島からあの手、この手をつかって、抜け出す者が続出した。
 当時の副知事ともいうべき、或役人は住民に、配給すべき乳幼児用の粉ミルクを多量に持って島を抜け出したまま再び沖縄には帰って来なかった。
 これを見習ったわけか?、別の一人は疎開船で無断脱出を企て、戦争になれば一線でさぞかし暴れ回るだろうと噂されていた沖縄連隊区司令官吉田大佐は「沖縄に敵が来るものか」とうそぶいて飛行機で内地へ逃げ込んだ。
   (※ 沖縄県は郷土連隊のない唯一の県。沖縄連隊区は兵隊召集の元締め)
 内地に帰った伊場内政部長はその後、島田知事に「ビョウキデイケヌ」という電文をおくり「海軍司令部を始め、沖縄出身の親泊大佐(大本営参謀終戦時自決)と渡名喜大佐も沖縄に敵上陸の企図なしという見解」という意見だった。島田知事はこの電報をにぎりつぶして疎開に拍車をかけた。それでも職員七〇〇の内過半数の四百名は戦争の犠牲者とも沖縄・赤土の下に眠っている。
 右に上げた外にも、裏切り者の汚名を着て、戦場離脱した人も少なくない、資料から二話を引いてみよう。
 糸満(南部漁港)近くの壕に、同町出身の玉城老人外三名がかくれていた、或日一人の見習士官に発見され、その場で壕外に引き出され「お前達はS参謀殿が脱出するから協力せよ」と命ぜられ、刳船、(クリブネ)にS参謀と二名の見習士官を乗せ、命ぜられるままに、摩文仁の小渡浜まで漕ぎだした、S参謀はここで飛行機での脱出を試みたが失敗したので老人達に、徳之島(鹿児島大島郡の離島関脇朝汐の出身地)まで漕いでゆく様再命した。老人達は
「徳之島まで(約一五〇海里)は老人ではとても漕げない、伊江島までも無理だから、若い者と代ってくれ」といい張って応じなかった。
 S参謀も老人では危険だと思ったか、この老人達を帰し、東風平村(クチンダ)冨盛の防衛隊員(沖縄の壮年で組織されたもの)の壕を探し「海に経験のある者」を三人を選んだ。一行はクリ舟を摩文仁岬から島の東海岸に向け、一路北上、沖縄の最北端辺土岬を経て、大島の与論、徳之島へと黒潮を乗り切り、夜の海上では順風に帆をあげ、三人を命限り力漕させて、遂に日本本土脱出に成功した。
 野田沖縄師範学校長は全校の信頼を一身にあつめていた。何時も微笑を浮べた温厚な人格者で一般からも敬愛されていた。敵上陸後も鉄血勤皇隊の男生徒と従軍看護隊の女子生徒を引つれて終始、軍のために一線に身を晒していた、ある日戦場で会った沖縄新報記者に何時に似合わず。顔を怒りで引きしめて語った。
「自分の教え子を捨てて逃げて行った者がいる、この可愛いい教え子の死地におもむく心情を思って私は彼等を人非人
と、こきおろしてやりたい。私は戦死を覚悟しているがこのことを、貴君に遺言として残しておきたい」
 この温厚な校長は姫百合の教え子百数十名と共に玉砕しているが、彼の遺言にあげられた人たちはすでに、内地に引揚げていた。
  
===================

次が「"集団自殺命令"の真相」です

TEXTチェック(2)

(1)の山川泰那氏はママです。正しくは、山川泰邦氏だったかと。

(2)
==================
秘められた島民の戦い

 琉球政府が日本政府に提出しようと準備している「沖縄戦闘協力状況」は次のようにまとめられている。
 南北三十里、東西二里余の狭小な島に約九万の兵員が配備されたため各市町村(特に中南部地区)は兵隊で充満するという形相を呈した。
 市町村に於ては村長、区長を中心に協力隊を組織し、最寄りの部隊からの要請で、年齢、男女の別なく可働者の殆んど全員が、部隊のあらゆる作業に従事し、学童は卒業を待たず、教師引導のもと、早朝から夕刻に到る迄、軍の指示による作業に懸命になり、女子青年隊は看護婦補助員として傷病兵の看護に尽力し、老人は老躯を鞭打って突貫作業に全精力を奉げた。
 部隊の要請または、指示による作業は陣地の構築、坑木運搬、伝令、飛行場設営、救護補助、食料補給、その他であるが、連日の空襲、砲爆撃で死亡した者も相当数にのぼり、米軍上陸以後に於て
は、海、空から間断ない砲火のため、昼間の作業は全く不可能となり、夜間を利用して突貫作業を続ける状態であった。
 戦況が漸次苛烈になり、死亡者続出の状態となって、一般住民は防空壕住いを余儀なくされたため、作業人員の差出しは困難をきわめたが、状況止むを得ずその時その場で、下士官が各壕回りをして可働者のいるだけ強制的に連れ去り作業に当らせた。
 このほか住民の入っている壕から強制的に退避中の住民を追い出し、これがため多くの住民が砲火により散華、その数も相当数にのぼっている、また渡嘉敷、座間味村の離島においては軍命により玉砕と称して多数の住民が集団自決をした事実などが当時の目撃者や生存者から、集まりつつある。
 
日本不敗を信じ‥‥

 美里村―兵器の手入れをやらせられていた美里国民学校の十二名の小学生が砲撃により全員爆死した。
 本部町―十二、三歳の学童が多数退避している壕に、宇土部隊(部隊長宇土大佐)の兵が退避してきたため、全員は追い出されて壕口に出た途端に敵の射撃で戦死した‥‥など。
 このようにして四万人以上といわれる住民が日本不敗を信じて死んでいった訳であるが、沖縄戦では一家は勿論のこと一集団全部が死亡などという事例もあって調査は困難をきわめている。先に送られた見舞金の受領者一、一五五名のうち一年半の調査で判明した受領者は、僅かに四八名で残りの一一○○名以上が住所不明で当局もその払渡しに頭を悩ませている‥‥これは一家離散などの住民の被害状況が如何に苛烈であったかを物語るものと言えよう。
 昨年のプライス勧告旋風もいまだおさまらず、首都那覇市長に左翼系瀬長亀次郎氏が当選するなど、現地の民情は揺れに揺れまくっている折から数万の生霊の新たな呼びかけに住民の表情は、一層複雑になっている。
==================

※「沖縄戦闘協力状況」の背景
http://www16.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/1733.html
※最後の生霊はママ

TEXTチェック(1)

すこしづつ協力させていただきます。
書き写しの間違い御指摘ください。

(1)

週刊サンケイ
1958(昭和33)年3月31日号 定価30円
P4~11
「陽の目をみる悲劇の英霊」
==================

 傷病兵看護、陣地構築、兵器手入れなどに尽力した民間人――しかも全員爆死、集団自決によってその実態を知るよしもなかった太平洋戦争悲劇の島 沖縄の戦闘協力者の個々の在りし日の姿が、琉球政府の調査によって初めて世に出ようとしている。ここに紹介するのはその資料にみる埋もれた戦史の一端である。
 
陽の目をみる悲劇の英霊 

 今国会には、全国各地から不幸な戦争犠牲者を救え、と請願や陳情が殺到している。
 社会党政策審議会では従来弔慰金一本で片付けられている公務死の動員学徒、船員、徴用工、看護婦などの遺族に対し法律の改正により、すべての年金を支給しようと調査、検討を開始した。
 太平洋戦争で、牛島司令官以下十万の将兵と、島田知事以下十数万の住民戦死者を出し、文字通り屍山血河、廃墟化するまで、叩きのめされた沖縄でも、戦後十二年を経て、ようやく現地琉球政府社会局(局長山川泰那氏)の手によって、旧日本軍の要請指示を受けて戦闘に参加協力、死亡した一般住民の処理、調査が始められつつある。同局ではこの該当者数を約四万人と推定しているが、これは沖縄戦記や現在までに収集した資料に基いて推定されたもので、調査の進むにしたがって、実数はこれを遥かに上回るものとみられている。
 姫百合の塔や、鉄血勤皇隊などのように、その皮相な最後が、映画や雑誌によって一般にも詳く知らされていない数多いエピソードがいたるところの村や山に残されている。
 今回の政府調査によってはその全容も明かにされ沖縄戦のかくれた悲劇も公けにされることだろう。
==========================

部下を殺した梅澤隊長

こんにちは。梅澤氏の手記の中で「とにかく私が虎の子のように可愛がっていた、若い弟のような兵隊を、何とか死なせないように・・・」というのは嘘です。斬り込みに出ず隠れていた東京帝大出の2人を銃殺しチシの浜に埋めさせています。部下を死なせないようにどころか、朝鮮人慰安婦に介護されながら自分だけ安全圏にいて、多数の特幹隊員を斬り込みという無駄死に追いやっています。こんな卑怯な隊長だから、屋嘉で部下らに殴る蹴るの暴行を受けているんです。沖縄戦記に出てくる「ボコられる上官」としては最も頻繁に名前が出てくる駄目軍人なのが梅澤氏です。
戦後初めて座間味を訪れた時、このチシの浜で梅澤氏は泣いて詫びたのでしょうか。
彼の事だからスルーしていそうですね。
一緒にいた朝鮮人慰安婦と結婚していれば戦後の人生も変わったであろうに・・・・・
また、殺した東京帝大出の隊員の家族の面倒を一生見ると血判状に母音を押した梅澤氏ですが、復員後にその家族の面倒を見たのでしょうかね。

よくぞ

阪神さん
キー坊さん

良くぞ見つけてくださいましたね。
私などは、週刊朝日のマイクロフィルムを1回滑らせただけで諦めていました。

内容をゆっくり読ませていただきます。

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キー坊@ウチナー

Author:キー坊@ウチナー
沖縄本島中部、巨大な米軍基地を抱える町の生まれ。
齢を重ねるごとに、沖縄戦へのこだわりが強くなります。
曽野綾子・『ある神話の背景』は沖縄を究極的な軍事基地にする目的を持っています。「集団自決」は沖縄戦の集約された出来事だと思います。『ある神話の背景』は沖縄への抑圧・差別の集約文書です。

HP・「その『神話』の背景」(文献・資料集)
http://keybow.co

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