2017-07

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

宮城母娘への告発か

 先月明治大学の校舎であった、朴寿南監督作品「アリランのうた」上映会に行った事を前回の記事にしたが、これには続編と言うべき製作中の作品があって、その予告編を最後のほうで15分ほど見せていた。この作品は『ぬちがふう(命の果報)―玉砕場からの証言―』という題名である。

                     朴寿南監督 朴寿南監督

 その予告編に、宮平春子(84)、宮里米子(80)という慶良間・座間味村の戦時体験者の証言模様が映し出されていた。宮平春子は、当時の村助役で兵事主任を兼ねていた宮里盛秀の妹であるが、「兄さんが『軍から玉砕命令が来ている』と言うのを確かに聞いた」と、厳しい表情で言っていた。

 宮里米子は、宮城晴美の『母の遺したもの』や彼女が書いた座間味村史の戦時体験談には、宮里盛秀と思われる人物が集団自決の直前に、屋敷内で銃でもって両親などの家族を撃ち殺そうとしているが、それをためらっている内に、結局老母の「ナーシムサ(もういいよ)」という言葉によって、盛秀は銃を下してやめたという場面を目撃した、と証言したと書かれている。だが、宮里米子は予告偏では
 「そんな場面は見たことないし、そんな証言をした覚えは無い。(晴美は)嘘を書いている」
と言っていた。
 共に、著書『母の遺したもの』や座間味村史などを記述した沖縄戦史の研究家・宮城晴美を非難する言葉のようだった。上映終了後、朴寿南監督は10分ほど講演をしたのだが、やはり、宮城晴美とその母親を批判する言葉を述べていた。私は少々訝しい気分になったのだが、帰宅後、配布されいたチラシの中の「制作報告とご支援のお願い」文を読んでみたら、少なからず驚かされた。
 
 この報告文の中で、
 朴氏は「援護法を盾にした宮城晴美氏らによる歴史の改ざんを、この 『母の遺したもの』によって知ることとなります。」と書いており、宮城親子は「歴史を改ざんした」と、朴寿南氏は言うのである。
 朴氏の調査によると、1945年3月25日夜10時ごろの出来事、つまり、村の助役・収入役・校長・役場吏員・宮城初枝の5人が、本部壕の梅澤隊長のところに出向き、玉砕の為の爆薬・銃弾を所望したが梅澤隊長はこれを断ったとする宮城初枝の告白は、全くのでっち上げであったという事が判ったと言う。

 宮平春子の証言によると、兄・盛秀は夜9時頃、家族のいる壕に来て、11時頃まで一緒にいたという。だから、この時間帯に盛秀は本部壕には居なかったという事である。その時、盛秀は父親に「軍から玉砕の命令が出ているのですよ」と、言っていたという。
 また、「宮城初枝さん自身がこの日のタ方、晴れ着を着て集まった人たちのところへやって来て『老人、女子供は忠魂碑前で玉砕するから集まるよう』と軍命を伝達しにきたのを直接聞いたという証言がある」と、朴氏は書いている。
 ここまで書いているのだから、朴寿南氏は、宮城初枝が告白した3.25夜の本部壕での出来事は「でっち上げ」であると確信しているのであろう。

 3月25日夜の件に関しては、その真偽に関わる証言が他にもある事は否定できない。座間味在住・宮里芳和氏が、氏のブログで小生に当てたコメントでは
 、「梅澤戦隊長本部壕にいて助役ほか4名が行って玉砕の許可を得にいったとされていますが。 その時間帯には梅澤戦隊長は本部壕にいないのです。その時は島の伝令人が一人いて誰も来ていなかったと私には証言しているのです。 25日の日中は日本軍の防空壕は徹底して米軍の集中攻撃を受け島の中央の山頂に避難していたのです」と、述べている。

 「国の支え」という関西の元軍人会の機関紙には、梅澤隊長はインタビュー記事(平成19年10月1日)で次のような事を言っている。
 「結局敵が上陸する前の晩に僕たちはもうボロボロに壊れた海岸近くの家におって、いよいよ明日来るぞ、と戦闘準備をしていた。」と、自分が本部壕に居なかった事を証言している。
 『母の遺したもの』の中にも、次のような場面がある。1980年、宮城親子の要望を受けて、梅澤元隊長が那覇市内で、戦後初めて初枝に再開した時、初枝が梅澤氏に35年前の本部壕での出来ごとを告白する場面で
 、「『夜、艦砲射撃の中を役場職員ら5人で隊長の下へ伺いましたが、私はその中の一人です』と言うと、そのこと自体忘れていたようで、すぐには理解できない様子だった。…」という記述がある。(p262、新版p163)そういう事実がなかったから梅澤氏は思い出せなかった可能性もある。 

 朴寿南監督は、1945年3月25日夜10時ごろに、宮城初枝が告白したような出来事は無かったと確信し、報告文にも
 「沖縄戦の戦争賈任を封印しようとする歴史の歪曲と改ざんを解明するために一日も早い完成が待たれています。この春には皆さまに完成した映画をお届けしたく存じます。…」と末尾に書いている。

 だが、果たして宮城初枝は意図的に、1945年3月25日夜10時ごろの本部壕での出来事を捏造したのだろうか?記憶違いという事も考えられないか。10時ごろでなく8時ごろだったとか、3月25日でなく3月24日ではなかったかとか、また場所についても本部壕ではなく、別の壕ではなかったかとかの可能性も探るべきではないか。
 宮城親子の「捏造」だと、朴寿南監督が確信するのであれば、その根拠を「1945年3月25日夜10時ごろにはその事実が無かった」という事を証明するだけでは足りない。何故に宮城親子が梅澤戦隊長の無実を「でっち上げ」なければならないのかの根拠も示さなければなるまい。戦時中の混乱情況ゆえの初枝の記憶違いの可能性があるからだ。

 『母の遺したもの』の旧版を読んだ限りでも、この本が梅澤隊長の戦争責任を晴らす為のものであるとは、私は感じなかった。 むしろ、自らの戦争責任を自覚しない元隊長への告発の書であると思ったくらいだ。晴美にこの本を書かかせた動機はむしろそれではなかろうか。援護法申請における自分の偽証と、懸賞論文でも同様なことを記述した事によって元隊長に汚名を着せてしまった…。この宮城初枝の素朴な良心の呵責が梅澤氏への事実告白になった。だが、梅澤元隊長はそんな宮城親子の素朴な心遣いを純心に受止める玉ではなかった。低劣な意味での軍人魂の持ち主でしかなかった。
 その2年後には、宮里盛秀の弟で村の援護担当の職に当たった宮村幸延を騙して「詫び状」を書かせて新聞社に売り込むというあくどい行動を取って、初枝や宮村氏を精神的に追い詰め、あまつさえ『母の遺したもの』の発刊5年後には、この本を証拠として「大江・岩波」を訴えるという慶良間の戦争犠牲者への冒涜ともいうべき行為を行っている。

 宮城親子は、あまりに素朴に人間を信じ過ぎたという嫌いはあったろう。しかし、二人には、自分の人間としての責任を遂行したいという欲求があったと思われる。それは梅澤隊長について事実に反する証言をしてしまったという良心の呵責を晴らしたい欲求であった。だが、相手が悪く、それはやはり危険な行為であったのである。

 朴寿南監督の今度の映画:「ぬちがふう」の内容が、報告文に書かれているようなものであるとすれば、宮城親子の人間としての名誉に関わることであり、晴美の研究者としての生命に関わる事である。だが、他者を告発する事は自分が告発される半面性を持つ事であり、それはまた、朴寿南氏の映像作家としての生命に関わってくる事に他ならない。
スポンサーサイト

コメント

承知しました

キー坊さん、掲載の件、承知しました。

阪神さん

貴兄が探し出してくれた「週刊サンケイ」1957.3.31の慶良間に関する部分を、拙HPに転載させていただきたいと思います。ご了解の程を願います。

山城安次郎

キー坊さん、山城安次郎についてはもう少し調べてみます。

山城安次郎

 阪神さん、リンク事情も分らず失礼しました。
後半最初のページに、渡嘉敷の戦時経験者として、沖縄テレビ・山城安次郎の証言が出ています。
http://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1283135842.jpg.html

沖縄テレビはその頃設立された沖縄最初のテレビ局です。(s32年はまだ放送は開始されてなかったとおもいますが。)この局はフジテレビの系列だから、「サンケイ」は山城から情報を得たのでしょう。しかし、彼は渡嘉敷の戦時体験者ではなく、座間味の体験者です。

 山城安次郎の名が関係書物で知られるようになったのは、「ある神話の背景」で、曽野綾子が太田良博が言ったという情報提供者としての人物として、書いた以後の事だと思います。こんなに早くマスコミ証言してたとは意外です。しかも、これ一件だけが唯一、山城の戦時体験証言ではないかと思われます。

 山城は「サンケイ」に、全てデタラメを語ったのでしょうか?或いは座間味での自分の体験を、雑誌記事のために提供したのでしょうか?
 山城は座間味において重要な戦争指導者の地位にあったそうですが、沖縄では集団自決に関して、山城安次郎の事を語るのはタブーになっている感じがあります。宮城晴美の書いたものにその名を見たことがありません。
 ただ狼魔人が秦本の中で、宮平秀幸に意味深な人物であるかのように語らせています。

可能性はありますが・・・

キー坊さんこんにちは。
>どの程度の範囲(期間・誌種数)で、それを行ったのでしょうか。
週刊朝日は昭和33年版を調べましたが沖縄戦の記事はありませんでした。
週刊毎日は調べていません。
よって十分な調査はしておりません。
>まだ、「週刊サンケイ」のその号以外にも、当時(s30年代)の梅澤関連記事は在る可能性はあると予想しますか?
サンケイに限らず他誌を含めて可能性はごく僅かならがあると思います。というのはこの手の週刊誌が沖縄戦の住民被害を聞きに行く為に費用を掛けて当時の沖縄にわざわざ取材に行く可能性が低いからです。ロス疑惑の時の様な売れる記事ならともかく、沖縄戦の住民被害では売り上げに繋がらないのでコストと時間を掛けられないと思うのです。つまりサンケイのように「鉄の暴風」から引用して記事にするのが手っ取り早いゆえ、引用する限り、集団自決の件を掲載するだろうと思うからです。

コメントの投稿ではhttpは5行までしか受け付けないので頭のhを抜きました。下記はh付きにしました。
http://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1283135842.jpg.html
http://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1283135861.jpg.html
http://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1283135876.jpg.html
http://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1283135887.jpg.html
http://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1283135902.jpg.html

梅澤追及

阪神 さん、大変なご足労ありがたく思います。私もs33年に出たという「週刊朝日、週刊毎日」の全記事を、国会図書館で探してみるつもりだったのですが、猛暑と生業で思うに任せませんでした。貴兄の探索では、そこには梅澤元隊長の記事は無かったという事ですね。だが粘り強い努力の末に、ついに昭和32年3月31日号の「週刊サンケイ」に、それを発見した。
 どの程度の範囲(期間・誌種数)で、それを行ったのでしょうか。まだ、「週刊サンケイ」のその号以外にも、当時(s30年代)の梅澤関連記事は在る可能性はあると予想しますか?

梅澤や藤岡らが具体的にその記事を明らかにしなかった訳は、朝日や毎日ではなく、「サンケイ」にそれがあるのであり、しかも、小さい扱いしかされてないので世に公表しなかったに違いありません。

それだけで職場や隣近所、息子の学校に知れ渡ったという事は、梅澤が記事出現以前に、自分が慶良間で戦隊長をやっていた事を誇らしげに吹聴していたからだと思います。平生から、部下や同僚から人格的な評価が芳しくなかったので、居づらいものに成ったと想像できます。また、彼は記事のおかげで家庭崩壊したと宮城初枝などに罪を着せていますが、ユー・チューブで妻と一緒に仲睦まじくしている映像も流されていました。息子も地裁判決日に、北海道から孫を連れて駆けつけて判決の知らせが来るのを待っていた、と手記に書いてました。家庭崩壊とは、為にする誇張した言い方でしょう。

リンク貼って下さったURLのうち、下五行がリンク不可になっているようです。もし、可能であれば、そのリンクをお願いしたいです。

ついに発見!梅澤氏の家庭を崩壊させた週刊誌はこれだ!!

梅澤氏によると昭和33年の春頃に週刊朝日、週刊毎日の記事が原因で同氏の家庭が崩壊したと梅澤氏本人が言っていましたが、私は2つの週刊誌が同時に記事にするという点に合点がいきませんでした。何か重大な事件が座間味に発生していたのならばともかく、沖縄戦の記事を同時期に掲載するというのは確率的に低い事だからです。しかも朝日、毎日という点にも疑わしさを感じました。元航空幕僚長の田母神の稚拙な作文に惚れ込むような思考程度の低い梅澤氏の事だから「日本軍を悪く言うのは朝日、毎日だ」と同氏が勝手に決め付けていたに違いないと考えました。そこでまず、週刊サンケイを調べました。すぐに見つかりましたw。昭和32年3月31日号です。現在のサンケイの論調ではありえない記事の見出しが連発していますw。「非情な軍人の裏切り」「住民を斬った日本兵」「壮烈!降伏勧告で斬首に」「見せしめの処刑」「米軍のヒューマニズム」などネットウヨが馬鹿騒ぎしそうですねw。肝心の座間味に関する記事はごく僅かです。この記事は「鉄の暴風」を元に書かれているふしがあると私は思うのですが、この週刊誌には「鉄の暴風」にある「玉砕を命じた」とは書かれておらず「座間味村でも渡嘉敷と同じようなことが繰り返された」としか書かれていません。読み様によっては座間味でも渡嘉敷のように自決命令が出されたと解釈出来るのですが・・・
しかもこの記事では梅澤とは書かれておらずU少佐になっています。
この記事を読んだ会社の同僚は、U少佐が梅澤氏であると気が付いたのはなぜでしょうか。梅澤氏が戦時中の自分の立場を会社で黙っていれば誰も気付きはしないはずです。梅澤氏は会社で「自分は沖縄の座間味で特攻艇の隊長をしていた少佐である」と事ある毎に同僚達(下士官にさえなれなかった下々の者達)の前で威張るようにしていたのではないかと邪推したくなります。屋嘉捕虜収容所で元部下の兵士らに殴られ蹴られ、立派な軍人から惨めな元隊長に成り下がった梅澤氏は、復員後に就職してからは戦時中の行状はひた隠しにして、「沖縄の特攻艇隊長で少佐」という単語を用いて、何も知らない同僚達の中、余りにも惨めだった自分を解消し再浮上させようとしていたのではないでしょうか。そこへきて「U少佐のごときは、朝鮮人の慰安婦と不明死を遂げたことが後になって判明した」というまことにみっともない一文が同僚達の失笑を買ってしまったのではないでしょうか。同僚達は自決命令を出した鬼の隊長として梅澤氏を非難した可能性は、記事の書き方からして低いと思います。むしろ「ろくに戦闘もせず朝鮮Pと不明死したなんて言われてるのかよ」なんて馬鹿にされたのではないでしょうか。人格者で人望を集めていたのならこき下ろされる事はなかったでしょうが、軍隊時代の序列を職場に持ち込んで空威張りしていたからこそ、ここぞとばかりに叩かれたのでしょう。あの屋嘉で土下座しながら部下にボコられていた惨めな立場を再現されてしまった梅澤氏は職場を離れていった。復員船で沖縄を離れていったように。そして又もや再浮上を狙って宮城初江さんとの再開後に活動を始めたと。しかし、その狙いは叶えられる事はないでしょう。
......................................................................................
(狼魔人に連絡)
藤岡氏に「週間サンケイに謝罪文を掲載する様、要求しないの?」と伝えておいてねw。
もし裁判にこの記事を添付資料として提出するなら、原本は確保してあるから無償提供wするよ。
......................................................................................
http://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1283135726.jpg.html
http://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1283135749.jpg.html
http://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1283135791.jpg.html
http://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1283135814.jpg.html
http://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1283135830.jpg.html
ttp://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1283135842.jpg.html
ttp://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1283135861.jpg.html
ttp://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1283135876.jpg.html
ttp://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1283135887.jpg.html
ttp://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1283135902.jpg.html

和田さんへ

和田さん。スパムについての非公開の貴投稿を一部公開します。
> もしかして、星雅彦の引用の中に私も最も嫌いな天皇○○の表現があるからでしょうか。

私も全く不案内です。星雅彦のどの部分の引用か知りたいので、最小限の範囲でそれを非公開投稿してみてくれませんか。

失礼しました

和田さん、はやとちりして失礼しました。柴田さんについて書かれた本が見つかりました。
http://www.hanmoto.com/bd/isbn978-4-86069-128-8.html
この本をサーチしたら東京だと国会図書館にしかありませんでした。
下記の岡山県内図書館横断検索にて「全ての図書館を選択」をクリックして「おかやま雑学」でサーチしたところ、ほぼ全ての市町にあるようですが、2006年発行の「続々おかやま雑学ノート」が柴田さんが掲載されている本です。
http://oudan.libnet.pref.okayama.jp/

柴田平和祈念館

「948」で阪神さんは、成羽町であることがわかったように書かれています。
しかしながら、
http://www.chugoku-np.co.jp/kikaku/sanchi/ten/atetu/atetu.html
上記の中再下段に近い部分に
「 民宿の主人、柴田収二さん(79)の消息を小川さんに聞いた。「今は倉敷ですよ。民宿のそばの蔵を建て替えて資料館をやってるが、冬場は閉館です」
 訪ねると「柴田平和祈念館」と「喫茶珈琲館」「四月中旬まで閉館」の看板。」とあります。

この表現からは、以前には成羽町にあったが現在は倉敷に移り、冬場は閉館しているように読み取れます。

倉敷美観地区に居住している知り合いに尋ねたところるとわからないが長年居住している人に尋ねてみるとのことです。
かすかな記憶でその方が地元の新聞に1年ほど前に、無線機を壊した記事があったように思います。

大城澄江証言

 大城澄江さんの証言は、3.25の夜、秀幸が忠魂碑前に家族と供にいるのを見た、というものであり、野村村長が自決取りやめ、解散を宣言したのを見た、というものでないですね。

 ましてや、梅澤隊長が本部壕で、あの5人に「けっして自決するでない」と言ったという秀幸の証言を証明するものではないです。

もはやないのかも

柴田平和祈念館でサーチしたらすぐに場所がわかりましたが番地までは出ていませんでした。
719-2341 川上郡成羽町吹屋 0866-29-2727

上記に電話したら、現在使われていませんとのことでした。104に問い合わせてもありませんでした。
吹屋ふるさと村↓の案内にも出ていないので、廃止された可能性大ですね。大変残念であります。
http://www.fukiya.info/top2midokoro/midokoro-1.htm

阿嘉島の通信隊長

話は変わりますが、阿嘉島の少年義勇隊の件について「新聞記者が語りつぐ戦争4(読売新聞大阪社会部篇)1977年発行」に義勇隊員だった方の証言が出ていました。結局、1人として斬り込みに参加せず、病死したのが1人いたとの事でした。また、この本に通信隊長の柴田氏が米軍上陸直後にナマ文で本島に送信し、通信機を破壊したと出ていました。柴田氏についてネットで調べたら、柴田収二さん(丸紅の岡山支店長だった)の平和祈念館が2002年時点であったようです。今はあるのかどうかも不明ですし、場所も倉敷という事しかわかりません。もう少し調査してみます。
和田さんなら土地勘があるからわかるでしょうかね?
http://www.chugoku-np.co.jp/kikaku/sanchi/ten/atetu/atetu.html

またまた秀幸証言

こんにちは。ろーま人のブログを見たら集団自決の件が出ていました。
5月15日にチャンネル桜で宮平秀幸証言が新たに放送されていた事がわかりました。
秀幸氏が忠魂碑前にいたと証言する大城澄江さんが登場していたり、座間味村史の貞子証言は宮城晴美さんが関わっていたから捏造されたかのような印象操作もされています。
そもそも秀幸氏は過去の同氏のビデオ証言によって、証言者としての信用性がないというのが明らかであるのに、それに関しては一切スルーされています。
最高裁から高裁への差し戻しを期待しての、やけくその秀幸証言の追加のようです。
いつまで秀幸氏に頼ってんだよと言いたくなりますね。

また、ろーま人の別の記事では、小池隊長が自決をするなと諭した件について書いていますが、こんな有名な話をやっと見つけ出したようですね。
しかも小池隊長の最後については知らないのですね。
ろーま人は沖縄戦の事をろくに知らないのがばればれです。

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

http://keybowokinawan.blog54.fc2.com/tb.php/177-da5a89ca
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

«  | ホーム |  »

プロフィール

キー坊@ウチナー

Author:キー坊@ウチナー
沖縄本島中部、巨大な米軍基地を抱える町の生まれ。
齢を重ねるごとに、沖縄戦へのこだわりが強くなります。
曽野綾子・『ある神話の背景』は沖縄を究極的な軍事基地にする目的を持っています。「集団自決」は沖縄戦の集約された出来事だと思います。『ある神話の背景』は沖縄への抑圧・差別の集約文書です。

HP・「その『神話』の背景」(文献・資料集)
http://keybow.co

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

未分類 (2)
関連著作の紹介 (73)
渡嘉敷島関連 (19)
座間味・阿嘉関連 (19)
奄美その他 (38)
曽野綾子論 (35)
基地 (55)
政局 (45)
自論 (40)
STAP問題 (17)
慶良間全般 (1)

FC2カウンター

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QRコード

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。