2017-08

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「沖縄の奄美差別」という神話の背景2

  ……検証も無く疑問も持たず告発する理由は何なのだろうか?
 私は、元々奄美の人々は沖縄への反感と侮蔑感を遺伝子的に持っているからだと思う。遺伝子的というのはもちろん比喩であるが、長い年月を掛けてその情念が培われてきたのではないかと思う。
 それは何時からかと言えば、4百年前の薩摩の琉球侵略、奄美分割・直轄支配の時からではなかろうか。大島や徳之島では、土地の有力者や百姓が鎌、鍬やナタ、包丁を手にして、薩摩軍に立ち向かって多くの死者を出したというのに、武器無しの太平楽の中にあった琉球王府は抵抗らしい抵抗も無しに、薩摩軍の前に降伏したのであった。沖縄人の私もこれは嘆かわしく、奄美の人に申し訳ないという感情が湧いてくる。
 しかし、これも400年も前の事である。琉球王府がだらしなかったという事であり、400年後の現在まで怒りを持続する要因としては弱いように思える。
 薩摩の侵略以前には、琉球が奄美を征服して収奪を行っていたという事だが、私はそれは同じく沖縄に征服・収奪された宮古・八重山と同次元の事ではないかと思う。琉球の奄美征服・収奪と、薩摩の侵略・苛斂誅求を同列に並べて同罪とする事は、沖縄にとってはあまりに過剰な罪責糾弾である。琉球と薩摩とでは、搾取・収奪に質量とも比べ物にならない程の違いがあろう。

 奄美人が沖縄人対して抱く反感と侮蔑感の最も大きい要因として、私が確信する事は、1609以後、奄美が薩摩の直轄支配地となった事によって、「黒糖地獄」と呼ばれるようなきびしい苛斂誅求を長年に渡って受けてきた歴史的事実があったという事、そして、近代になっても物心両面における鹿児島の搾取・収奪が続いて来た事があり、それへの怨念を、薩摩・鹿児島よりも沖縄に向けているのではないかという事である。もちろん内心では、薩摩・鹿児島に大きな怨念を持っているのだろうが、支配者である鹿児島に向けては本心は露にする事できない。が、自分らと同じ植民地である沖縄に対しては反撃を受ける心配はないから、復帰後の差別的権利制限への怒りを、躊躇いなく沖縄にぶつける事ができたのだと思う。いわば弱者に向けた鬱憤晴らしではないだろうか。そこには、沖縄を見捨ててお先に鹿児島へ帰った自分らの行為を後ろめたく思う内省は無い。これは「遺伝子」の為せる業だと思う。

 直接支配でなくとも、沖縄の民衆も薩摩から、王府を通じての酷い搾取収奪を受けてきたのである。明治以後は、言葉を奪われるなどの文化の破壊も受けてきた。「ウチナーグチ」は今や風前の灯である。芸能文化華やかに見えても、民衆レベルの在来文化衰退は深く静かに進行している。私は沖縄のほうが、奄美より搾取・収奪を多く受けたと思っている。
 何よりも酷い搾取収奪は、沖縄戦で本土防衛の楯とされて15万の命が奪われた事だ。本土の中には地上戦を免れた奄美も含まれる。戦後は、沖縄・奄美共に日本から切り離されて米軍政下に置かれて、それは両者一体となる機会でもあったのに、奄美はさっさと鹿児島県に復帰して行ったのではないか。

 沖縄はその後19年も米軍支配下で屈辱の歴史をたどり、今や、米軍基地の島から脱却する事は不可能な状況にされている。日本国は自分たちが得する為に、沖縄に米軍基地を押し付け続ける事を止める事はない。鹿児島県である奄美には一坪の米軍基地もない。米軍基地をめぐっては、奄美も沖縄を搾取・収奪する側に居る。今奄美人のどの程度の割合が、普天間基地移転を我が事のように気に掛けてくれる人が居るのだろうか。おそらく、ほとんどの人が自分らとは関係ないことだと当たり前の如く思っているだろう。

 奄美もアイデンティティを奪われて来て、現在も抑圧を受け続けている事に違いない。自分らは常に被害者であるという感覚を持っており、沖縄を収奪していると言われると逆切れしてくるだろう。だが、満たされないものを沖縄を貶す事で晴らそうとする事は、所詮、事大主義の表れでしかなく、鹿児島に反抗できない欲求不満を、何を言っても反撃しない沖縄へぶつけるという安易なやり方である。
 沖縄は、大和人から「癒しだ」「失われた日本が在る」と褒め殺されても、米軍基地の集中という搾取・収奪によって、追い詰められているのである。精神的荒廃は進み、沖縄人としてのアイデンティティも、沖縄社会から日々薄れていくように、旧世代の私は感じている。
 奄美の人が、沖縄を貶して憂さ晴らしをするというやり方をしていては、その収奪に手を貸す事になるのであり、奄美自身は自立の道から遠ざかる事になると思うのである。
 
 惠忠久・奥茂治の特殊奄美人、惠隆之介・江崎孝のニセ沖縄人、そして佐野眞一「だれにも書かれたくなかった…」との絡みで、ここの処、奄美についての繰言のような事を書いてきたが、書きすぎた感があるのでもう終わりにしたい。別の形で沖縄を収奪してきた曽野綾子の追求に戻らなければならない。
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コメント

互いに関心を

 ガンズさん、コメント有難うございます。
 拙ブログへ現れた奄美人は、ブログ「凍てつく南島」を運営されている徳之島二世・syomu氏と、沖縄で(米軍・自衛隊の)基地押し付け活動を行っている特殊奄美人の奥茂治氏に続いて3人目です。両人とはコメント欄で批判の応酬をやりあった記憶があります。奥氏はともかく、syomu氏とは都内ある場所で邂逅した時、面と向かっては批判する気にはならず、南島人同士の僅かばかりの共感を交した一時を持ちました。

>「私が子供のころ(現在41歳)子供同士が方言で会話していると、先生方は何を、どんな会話をしてるかわからないので(管理する側としては困るため)、方言は使わないように言われてました。」

 私が小・中・高生だった沖縄の日本復帰前は、沖縄では沖縄人の教師たちによって方言撲滅運動が行われました。その効果によって、今や沖縄言葉は風前の灯となっています。復帰後は様相が違って、何とか沖縄言葉(ウチナーグチ)を復活させようとジタバタしているようですが、もう手遅れの観があります。
 奄美ではつい最近まで、というより今も、支配者側からの直接的な奄美言葉への抑圧があるのですね。 自分らの言葉を消滅させられるという事は、民族の大きな財産を奪われたことで、由々しき事といってよいと思います。

>「『沖縄では、あまり鹿児島出身ということは言いすぎないほうがいい。』ということです。」

 小生は当然、奄美は鹿児島(薩摩)ではないと思っているから、『鹿児島出身』とは言わずに『奄美出身』と言ったほうが自然だと思います。(もちろん、琉球でもないのでその点も強調してよいと思います。)
 しかし、現在の沖縄では、奄美への無関心甚だしいものがあるでしょう。幼少の頃「オーシマンチュ」と接触あった小生でも、この10年沖縄の「自立」ということを考え始めてから、「奄美」の存在が気になり始めたのです。それまでは、奄美島々の地理的配置も全くと言ってよいほど認識してませんでした。今年沖縄に初めて住んでみた現在41歳の貴兄が、沖縄人の奄美への関心度の薄さに侘しさを覚えることが想像できます。

 しかしこれも、エントリーでも私は指摘したのですが、沖縄よりも19年も早く、沖縄に構うことなくさっさと「母県」である鹿児島県に日本復帰した奄美の活動を省みる必要もあると思います。
 奄美から沖縄への反感と、沖縄から奄美への無関心、相互関係にあるのですが、これは支配者側の意図したものに違いないと私は思っています。分断したほうが、抑圧するに都合が良いからであり、我々はそのように教育されてきたのだと。

>『足を踏んだ方はすぐ忘れるが、踏まれた方は忘れない』

 もしかしたら、沖縄は奄美の足を踏んだのに忘れていると仰っているのかもしれませんが、一連の記事でも書いたとおり、それは沖縄にとって過剰な非難であると言うしかありません。奄美は米軍基地を負担しない鹿児島県に全員一致で帰っていったのであり、米軍基地を加重に負担していることによって、郷土を荒されているいるのは沖縄なのです。
 沖縄と奄美の交流は是非必要なことです。しかし、それを和気アイアイとした中で進めていけるものではないのが現状だと思います。とりあえず、お互いに関心を抱き、相手を知ることに努めるのが第一歩でしょう。

実際に来て感じたこと。

今年(H23年)から転勤で沖縄に住みはじめました。私は奄美出身者です。

奄美はおそらく全国的にみても稀な県民意識を持った地域です。それは子供の頃から感じていた事実です。学校の先生は本土からきている先生がほとんどで、言葉が奄美とはまったく異なります。ですから、私が子供のころ(現在41歳)子供同士が方言で会話していると、先生方は何を、どんな会話をしてるかわからないので(管理する側としては困るため)、方言は使わないように言われてました。
高校野球時期になると、親たちは鹿児島の高校も応援するが、沖縄と鹿児島の高校同士の対戦になれば、おそらくほとんどの親が沖縄の高校を応援していたと思います。
奄美の人間にとって沖縄は、それほど距離的にも、精神的にも近い感情をもっている印象がありました。その反面、鹿児島は近いようで、いろんな意味で遠いところという印象がありました。

今回、沖縄に住むにあたり、本土出身の特に鹿児島出身の人間より知識があった点としては、『沖縄では、あまり鹿児島出身ということは言いすぎないほうがいい。』ということです。
沖縄同様、かつて、薩摩藩からの支配を受け、苦難の時期を過ごした奄美の人間には常識ですが、これは鹿児島出身者は意外なほど知りません。ですから、私は敢えて『鹿児島出身』とは言わずに『奄美出身』と言うことに決めていました。その方が、絶対に親近感を持って接してもらえる・打ち解けてやすくなる!と信じていたからです。

そして、沖縄に住みはじめて9か月。
出身地を聞かれて『奄美出身』と言い続けての、相手方の反応は予想とは大きく異なる事が多いものでした。 まず、若い年代~40歳前半までの方は、『奄美??』・『そんな遠くないとこだよね?』・『鹿児島だよね』という反応がほとんど。。。つまりほとんど知らない・興味がない。という状態です。
奄美の人に宮古・石垣の位置関係を聞いても、ほとんどが答えられないのと同じではないでしょうか。これはしょうがないかも知れません。

それよりも私が一番印象に残るのは(現在も日々そうですが)年配の方の反応です。『奄美』と言ったあとの相手の微妙な間。。。決して若い世代のように知らないわけではない。。。間。。。そして帰ってくる『近いとこさぁね。』というまたしても微妙な反応。
『いっそのこと”内地”とでも言っておいた方が良かったか??』なんどもそう思いました。
そのような日々感じる疑問『沖縄における奄美ってどうなの?鹿児島と違って、奄美と沖縄は同じ琉球王国の一員だったのに日々感じるこの違和感はなに??』という疑問をネットで見ていくうちに、ここにきています。

キー坊@ウチナー様が文末に書かれた書籍もかじりながらです。 過去を知らなかった自分を恥ずると同時に、奄美人としてのアイデンティティーを少なからず震いたたせることができました。

キー坊様が巻頭に書かれている、自身の幼少期の奄美出身者との分け隔てないふれあいや、感情は紛れもない事実でしょうし、実際、ほとんどの方(特にある程度若い方)はキー坊様と同じであると私も感じています。
ただ、過去の史実の真否はどうであれ、私が感じた印象もまた事実です。

『足を踏んだ方はすぐ忘れるが、踏まれた方は忘れない』と言われます。鹿児島・沖縄・奄美それぞれが過去と真剣に向き合うところからスタートしなければならないと、改めて感じました。

世界中でおきている問題もすべて同じですよね^_^;


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キー坊@ウチナー

Author:キー坊@ウチナー
沖縄本島中部、巨大な米軍基地を抱える町の生まれ。
齢を重ねるごとに、沖縄戦へのこだわりが強くなります。
曽野綾子・『ある神話の背景』は沖縄を究極的な軍事基地にする目的を持っています。「集団自決」は沖縄戦の集約された出来事だと思います。『ある神話の背景』は沖縄への抑圧・差別の集約文書です。

HP・「その『神話』の背景」(文献・資料集)
http://keybow.co

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