2017-11

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常に米軍を庇い、沖縄誹る偽沖縄人

 米軍・米兵が犯罪・事故を起した時、必ず米軍・米兵を擁護して、沖縄人や沖縄の新聞を誹謗するブログ記事を書く沖縄在住の物書きが、狼魔人=江崎孝というニセ沖縄人である。
最近の記事でも、読谷の「ひき逃げ死亡事故」にからんで、小ブログへの貶しを入れながら、米兵を庇い、沖縄人と沖縄の新聞を貶している。前段部分を引用してみると、

ネットで流布する落書きの類に「狼魔人はニセ沖縄人であり、米軍基地関係の仕事をしているので、必死になって米軍を擁護している悪徳言論人である云々」といった書き込みが散見される。
 前段の「ニセ沖縄人」という理由が「沖縄人なら仲間を裏切る狼魔人のような文章は書かない」というのだから、初めてこれを目にしたときは、思わず吹いてしまった。


上の狼魔人のセリフは、ここのブログの事を言っていると思われる。
 しかし、これはつまらない事挙げではないか。私はこのブログで、狼魔人が"米軍基地関係の仕事をしているので、必死になって米軍を擁護している"という文言を書いた覚えはない。どなたかがコメント欄で、狼魔人は米軍と取引関係のある会社をやっているのではないか、という推測を述べてはいた。だが、「米軍基地関係の仕事をしている」というケチな理由を付けて、「必死になって米軍を擁護している」と、私が言うはずはない。日本の国家権力に奉仕する事と、沖縄を貶す事が人生の喜びである事が、"必死になって(沖縄を貶し)米軍を擁護する"彼の動機なのである。

"「ニセ沖縄人」という理由が「沖縄人なら仲間を裏切る狼魔人のような文章は書かない」というのだから、…" と嘲笑するかのように言っているが、こっちの方が吹き出してしまう。
 あちこちネット上を見れば、沖縄を裏切るような、米軍擁護をする自衛隊上がりのネトウヨとか、沖縄の基地撤去運動とそれを報道する沖縄紙を貶す沖縄人ゴミウヨはたくさん居る。でも、書かれた文章を読めば、それがホントの沖縄人であるかないかは大体は判るものだ。沖縄人ネトウヨなら沖縄を激しく貶す場合でも、どこかに屈折した侘しい雰囲気を醸すものだ。たとえ沖縄を裏切る言論をしていても、沖縄人は沖縄人であり「偽沖縄人」とはいわない。
 惠隆之介・江崎孝=狼魔人の二人が書く文章からは、彼らの沖縄に対する、冷淡な底意地の悪さを感じるのだ。彼らは「自分は沖縄人」というアイデンティティを持ってないから、何の遠慮も、躊躇もなく、延々と貶し言葉を書き連ねることができるのだと思う。彼らの文章からは、自分の故郷に「愛着」をもちながらも貶さざるを得ないという屈折感を、私は読み取ることは出来ない。

狼魔人は、戦時中に、沖縄人ではない(父)親から生まれて、沖縄で育った珍しいタイプの人間だと推測する。自分の親・家庭とは、異質の人間達が構成する社会で育ったのであり、時代背景からいっても複雑な心情を持って育ったのだと思う。
惠も、戦後生まれだが類似の境遇で育ったのであろう。彼は奄美血筋という、独特の戦後差別状況の中で少年時代を送ったのであり、おそらくウチナーンチュとしてのアイデンティティは獲得できなかったに違いない。それは奄美2世には普通の事である。だが、彼は、自分らの家族を差別した沖縄社会への怨念を根底に持ち続けていると推測する。小生の惠隆之介への批判記事は、以前に連続記事で非難しておいた。


狼魔人のブログは、詭弁による沖縄誹謗の連続であるが、最近の沖縄読谷での「米兵ひき逃げ事件」からんで、例によって奇妙な米兵擁護、沖縄(の新聞)誹謗の記事を書いている。まず、ちょっと長いが記事を引用する。(茶字)


(前略)
ここで、同じく加害者が米兵で被害者が沖縄人の交通死亡事故を紹介するが、
なんと社会面の最下部の最も目立たない場所のベタ記事であるから不思議である。

■不思議な死亡事故記事

紹介するのは3年前の琉球新報記事。
沖縄タイムスも同じ日に大同小異の記事を掲載しているが、
通常この手の記事では一面で大騒ぎするタイムスが、何故か新報より小さめなのでここでは新報記事を引用する。


琉球新報 2006年8月19日

乗車と衝突し バイク男性死亡 沖縄紙(ママ)

18日午後9時ごろ、沖縄市登川の国道329号で、南向けに走行していた在沖米海兵隊所属の二等軍曹の男性(26)の運転する普通乗用車が右折しようとしたところ、対向車線を直線してきた1100ccバイクを運転していたうるま市石川山城のペンキ工、山城裕史さん(31)が全身を強く打ち、意識不明の状態で病院に搬送されたが、19日午前零時48分に死亡が確認された。  二等軍曹にけがはなかった。 現場は片側二車線の見通しのいい直線道路。 沖縄署は二等軍曹の安全不確認が事故原因とみて調べている。


                    ◇
三つの不思議
①加害者が米兵であるにも関わらず見出しに「米兵」と記されていない。
②被害者の沖縄人は死亡し、実名を記されているのに加害者の米兵実名は記されていない。
③何よりも目立たないベタ記事であること。

米兵が加害者で沖縄人が被害者のの交通死亡事故となれば、
従来の沖縄タイムスと琉球新報なら、一面トップはともかく、社会面トップにしてもおかしくない「おいしい」記事の筈である。
それが、人目をはばかるようなベタ記事になったのには、訳がわった。
読者に知られたくない被害者側の「不都合な事実」を両紙が隠蔽していたからである。
事故当時の病院関係者の話によると、被害者が病院に担ぎ込まれたとき、酒の臭いがプンプンしていた。

検査するまでもなく泥酔のままバイクを運転して事故を起こしたことが自明だったという。 
当然警察からも血中アルコール濃度測定のため採血依頼が病院にあったほどだから。
ところが記事のどこをさがしても泥酔どころかアルコールのアの字の記述もない。
琉球新報は被害者の泥酔によるバイク事故という事実を隠蔽したのである。
病院関係者の話によると、「あんな泥酔状態のバイク事故に遭遇した米兵も災難だ」と加害者の米兵に同情的だったという。
つまり沖縄タイムスも琉球新報も泥酔運転のバイクと交通事故を起こした米兵に多少は悪いと思ったので、

「泥酔事故」を隠蔽した贖罪意識で目立たないベタ記事にしたのだろう。
沖縄タイムスと琉球新報には、もはや報道機関の誇りは微塵もない、……
(攻略


以上引用終わり。

 琉球新報の記事は3年前のものである。狼魔人は何処からこの(沖縄人男性が飲酒していたという)情報を得たか書いてない。この事故が、今回の読谷の事故と大きく違うところは、ひき逃げのような悪質事故ではなく、死亡した大型バイクの沖縄男性に酒酔い運転という重大な落ち度があった事であり、加害者である米兵に悪質さは無かった事である。それ故、小さな記事になったという事であろう。
それでも道交法上、直進車と右折車、どっちに優先権があるかといえば、直進車輌にあるのは常識であり、衝突された沖縄人男性は死亡しているのである。男性が飲酒していたとはいえ被害者であり、衝突車の米兵は加害者であることに違いなく、責任が無いと言えるものではない。

狼魔人はまるで、米兵が被害者で、沖縄人男性が加害者であるかのような言い方をしている。右折しようとして対向車に衝突した米兵の運転に落ち度があったのは当然である。沖縄人男性は死亡したのである。琉球新報は、被害者にも酒酔いという重大な落ち度があった故に、記事はベタ扱いにしたのである。そこに何の問題があるのか?
このブログ記事一つを見てみても、狼魔人=江崎孝が沖縄人に対して極めて冷淡で、米兵に何とも言えぬくらいの同情心を持っている事が判る。本物の沖縄人ならこんなこじつけ理由でもって、米兵擁護・沖縄人誹謗の文章はとても書けるものでない。

被害者の沖縄人男性が酒酔いだったという事を隠蔽していると、琉球新報に悪罵を浴びせているが、それを言うなら、自分は何処からそんな情報を仕入れたかを書かなければならない。たとえそれがガセでないとしても、新報が都合の悪い事を隠蔽したなどと、ニセ沖縄人・狼魔人が文句を付ける筋合いのものでなかろう。

「ニセ沖縄人」と言われたたくなければ、少しは自分のプロフィールを明らかにしたらどうか。手前もしょっちゅう何かを隠蔽しているくせに、些細な沖縄人や沖縄の新聞のほころびをついて詭弁を弄する手法は、もう賞味期限が切れいる。
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コメント

迂闊な質問に

阪神さん
お応えいただきましてありがとうございました。

やはり、皆本氏からの情報だったのですね。
しかしそれにしては、「殉国日記」への皆本の手紙と較べると随分と可笑しな記述があります。益田氏による勝手な潤色が、御紹介いただいたページだけを見ても、かなりあると思われます。

ですから、これを「56年ごろの皆本氏の認識」とすることには躊躇があります。震洋隊長としての自己の体験を、海上挺進隊に勝手に敷衍していなければいいが、と思います。

軍人というのは、真実に殉ずるものではなく、味方を利すれば何でも良く、経験的判断とか都合の良い判断は可どころか推奨、という職業のようですから。

益田善雄氏

ni0615さんこんばんは。
1.あとがきに「皆本氏(沖縄戦および陸軍海上挺進隊)の御尽力を頂いた」とあります。
2.ご指摘のとおり第103震洋隊隊長です。敗戦後中尉になっています。昭和26年陸上自衛官になりました。昭和35年に海上自衛官に転官し、主として防衛庁技術研究本部勤務との事です。
3.あとがきに第一、第二復員局、防衛庁戦史室関係者に謝辞を述べていますので、そこで紹介されたのかもしれないし、同じ陸上自衛官なので知り合う機会があったのかもしれません。
私が読んだのは三訂版です。本がどのように製本されるのか知らないのですが、慶良間の戦闘の部分は昭和31年当時のままだと思います。というのは、印刷されている文字がかすれているというかスキャンしてそのまま印刷したような感じです。巻末の「還らざる特攻艇」追記の部分は文字がかすれておらず、はっきりした文字です。万全を期するために機会があれば国会図書館で確認します。
僕は震洋は必死攻撃かと思っていましたが、舵を固定して突入前に海に飛び込んでもよいとの事だったので、益田氏は懊悩していたようです。また海軍でもマルレを使用していた部隊がある事もわかりました。
余談ですが、同書には書いてありませんが、マルレは米軍上陸後、沖縄で5隻造られたそうです。この話を軍事ヲタ木俣滋郎氏に教えてあげたらたいそう喜びそうですねw

3つの版

国会図書館の検索によるとその本は3つの版があるようです。阪神さんがお読みになったのはどれでしょうか? 老婆心で申しますと、この手の本は、改版時に書き換えても、エクスキューズしないものがありますので、注意が必要です。(例えば山川「沖縄戦記」、息子が勝手に加筆削除して再刊して、裁判で指摘されました)

1. 還らざる特攻艇 / 益田善雄. -- 鱒書房, 1956. -- (戦記シリーズ)
http://opac.ndl.go.jp/recordid/000000951021/jpn
2. 還らざる特攻艇 / 益田善雄. -- 新訂版. -- 霞出版社, 1987.10
http://opac.ndl.go.jp/recordid/000001923037/jpn
3. 還らざる特攻艇 / 益田善雄. -- 3訂版. -- 霞出版社, 2005.5
http://opac.ndl.go.jp/recordid/000007725429/jpn

阪神さん、こんなことを申上げて失礼の段、お許しください。1956年刊の記述なら裁判で省みられなかったのも、すこし謎です。

益田善雄とは?

阪神さん、「還らざる特攻艇」 益田善雄 1956年を紹介していただきありがとうございます。しかし、今から読むと随分とイイカゲンな本ですね。

1、この本が、皆本良博からの聞き取りに基づく、ということは何からわかりますか?
2、著者の益田善雄という人物はどのような人ですか?
3、この本は1956年成立したとすると、益田善雄は復員局もしくは厚生省援護局関係のコネクションで海上戦隊の人脈を得たか、個人的な類縁者がいたということになりますね。保安隊(自衛隊の前身)で皆本と知りあったことは考えられますが。

追記
http://www.amazon.co.jp/%E9%82%84%E3%82%89%E3%81%96%E3%82%8B%E7%89%B9%E6%94%BB%E8%89%87%E2%80%95%E7%88%86%E8%A3%85%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%88%E3%81%AE%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%96%E3%82%8B%E6%88%A6%E9%97%98%E8%A8%98%E9%8C%B2-%E7%9B%8A%E7%94%B0-%E5%96%84%E9%9B%84/dp/4876022240
http://www1.odn.ne.jp/tobu7757/J_wsd/specialattack/sa_shinyou.htm

第103震洋隊隊長・少尉であったことは確かでしょうか。

1956年時点での皆本氏の証言

還らざる特攻艇は1956年に出版されました。渡嘉敷の出撃状況が書かれています。これは皆本氏から聞いた話を書いているはずです。曽野本との異同が見られます。
http://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1268566431.jpg.html
http://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1268566453.jpg.html
http://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1268566467.jpg.html
http://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1268566478.jpg.html
http://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1268566501.jpg.html

住民スパイ説は本からのパクリ?

こんにちは。「日本特攻艇戦史(木俣滋郎)」には、「一説によると三人の漁夫が米潜水艦に捕まり、その言により慶良間に特攻艇の基地が隠されている旨が暴露され、フロッグメンが調査にやってきたのだとも言う(米Male誌、昭和60年頃)」と書かれています。
梅澤氏はこの本からヒントを得て住民スパイ説を唱えたのだとしたら、余りにもトホホですね。また、山頂で懐中電灯の光が点滅していたという話は、皆本氏から慶留間島の件を聞いて流用したのかもしれません。慶留間島の件は「還らざる特攻艇(益田善雄)1956年」に「(慶留間島の)山頂付近に点滅する信号を発見、直ちに捜索して米兵三名を追い詰めた。」と書かれています。同書の巻末には、執筆するにあたり「皆本氏に尽力いただいた」と書かれているので点滅信号の件は皆本氏から梅澤氏に伝わったのではないかと思うのです。
もっとも、フロッグメンが座間味で信号点滅させていた可能性も十分ありますし、当時は住民スパイ視はどこでもありましたので推測の難しいところです。
「還らざる特攻艇」では渡嘉志久で「艇搬出用のレール」が砲爆撃で被害を受けてしまっていたと書かれています。補修用のレールも十分用意していたとも。このレールが鉄なのか、リアカーで動かしていたのかは不明です。

私は、千葉県に、国立歴史民俗博物館・新常設展示室「現代」という施設がオープンする事を知りませんでしたが、

「元戦隊長やその遺族が起こした訴訟が最高裁で係争中であることなどを理由に挙げ、変更を求める意見が出た。同博物館は校正の最終段階で、指示や命令の記述を削除した。」

という記事ですが、最高裁判決がまだ出てない事が削除の理由だそうです。高裁では判決が出ているのだから、もし、最高裁で逆の判決が出たら削除する、という発想には担当者は成らないのでしょうかね?

 上告審開始から1年半経っているのに判断が出ないのは、何とか逆転の結論を出そうとしている力が働いているのかと気になります。

歴博「現代」

別件ニュースですが、16日から始まる歴博新展示「現代」で、「集団自決」に関するパネル説明文が、直前に差し替えられたとか。
http://www.okinawatimes.co.jp/article/2010-03-09_4268/

軍関与の記述 削除 「集団自決」国立歴史博物館
検討委に慎重論
社会 2010年3月9日 09時49分

トホホの出所

ni0615さん、梅澤氏のトホホな話の出所についてはわかりかけてきたので、追求できる所まで行き着いたら報告いたします。

しつこくてすいません

Samuel Eliot Morison の本は15巻のシリーズ(出版1947-1962)の一つです。
http://en.wikipedia.org/wiki/History_of_United_States_Naval_Operations_in_World_War_II
名称は、
"Victory in the Pacific, 1945" (出版年不明)


WEBにある
Okinawa: Victory in the Pacific (出版1955)
とは違うようです。

フロッグメン

>梅澤氏がチャンネル桜でフログマンと言っていましたが、これは確かに米軍に存在していたとわかった事です。ただ、座間味に上陸していたかどうかはわかりませんが、S.E.morison,victory in the pacificという本によると3月25日に座間味と阿嘉を調査していたと書かれているそうです。

WEB上のこちらに記述があります。
http://www.ibiblio.org/hyperwar/USMC/USMC-M-Okinawa/USMC-M-Okinawa-3.html
p40です
~~~~~~~~~~
The mine sweepers of Admiral Blandy's Amphibious Support Force had cleared the way for the approach of the Western Islands Attack Group by nightfall of 25 March.34 During the day members of UDT's (Underwater Demolition Teams) had reconnoitered the beaches of target islands in the Kerama group. The "frogmen" reported that no beaches were suitable for landing boats; all assaults would have to be made by amphibian tractors.35
~~~~~~~~~~~~
Blandy提督下の水陸両用艇(車)掩護の掃海艇は3月25日の日暮れまでに、(慶良間)諸島の西側の島々へのアプローチを切り拓きました。UDT(水面下破砕チーム)のメンバーは1日かけて慶良間諸島の目標島のビーチを探察しました。 「潜水夫」は、どんなビーチもボートを着岸するのに適当でないと報告しました。水陸両用艇(車)を使って攻撃すべきということです。
~~~~~~~~~~~~
もしこれなら、上陸前日の25日のことですから海上には米艦艇が密集しています。梅澤裕の「密かに潜水艦が現れて」というフロッグマン物語とは全然結びつきません。彼の物語では、村民の中のスパイが地図などをフロッグマンに渡したというのです。トホホ

なお、この本は筆者は違いますが同じ題名 "Victory in the Pacific" です。
http://www.ibiblio.org/hyperwar/USMC/USMC-M-Okinawa/
英語が不得意なので版の関係はまだわかりません。

ありがとうございました。

画像をアップしてくださったのは阪神さんだったのですね、失礼しました。

筆者は
~~~~~~~~~
木俣 滋郎/著
昭和5年、浜松市に生まれる。一橋大学経済学部卒業。工学院大学付属高等学校教諭。教鞭をとる傍ら、戦史・兵器の研究に勤しむ。平成10年、退職(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
~~~~~~~~~~
だそうですね。
http://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refISBN=4769821999
著書一覧は
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/search-handle-url?_encoding=UTF8&search-type=ss&index=books-jp&field-author=%E6%9C%A8%E4%BF%A3%20%E6%BB%8B%E9%83%8E
要するに「軍ヲタ」爺さんかも。

説明なし

ni0615さんこんばんは。
これは日本特攻艇戦史という本に掲載されていたのを私がスキャンして貼り付けました。本には図の説明文はありませんでした。また、どの戦隊がどのように舟艇を運んだかの詳細な記述もありませんでした。慶良間にはリアカーや金属のレールはなかったと思います。
これとは別件ですが、梅澤氏がチャンネル桜でフログマンと言っていましたが、これは確かに米軍に存在していたとわかった事です。ただ、座間味に上陸していたかどうかはわかりませんが、S.E.morison,victory in the pacificという本によると3月25日に座間味と阿嘉を調査していたと書かれているそうです。この日本特攻艇戦史の著者、木俣滋郎氏は戦争経験者からの聞き取り調査を一人も行っておらず、単にあちこちの本から引用しているだけなのが残念です。

阪神さん

貴重な資料ですね。

画像投稿掲示板のようですが、投稿欄には説明はありますか?
できましたら投稿欄のURL教えてください。

泛水

震洋の運搬の仕方がわかりましたので参考までに。
http://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1267855104.jpg.html

大状況の隠蔽

曽野綾子の「ある神話の背景」の情報操作の手法は多岐にわたるが、慶良間の集団自決を孤立した偶発的事件に矮小化しようとして、背景や状況を徹底的に隠したことはもっと注目されてよい。  もしも、原爆開発が1年遅れ、九州・関東に米軍が上陸したとすると、日本軍に沖縄人蔑視があったことを割り引いても、住民の処刑や自決命令がされた可能性は否定しがたい。

http://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/tuyama.htm
 戦前1930年代だったか津山方面で(現在に至るも日本での個人の殺人としては公式に最大の)30人程度の殺人事件があった。  しかし、この事件は現在あまり注目されることはない。
その殺人事件が特異かつ偶発的な個人的事件とみなされたからである。

 しかし、自決命令と根を同じくする軍による住民処刑などはカンボジアのポルポト派によるものなど数多く存在し、特異かつ偶発的出来事とはいえない。 曽野がやろうとしたことは、突然何の情報もなく米軍が侵攻し、渡嘉敷島では住民が集団自殺鼠のように西山盆地に移動したとみせかけることだった。 そのため、赤松にあらかじめ村民の相談があったように「青い海」などで主張させ、3/26と一日早く安里巡査に会ったように嘘の主張をするよう指導した。  

さらに命令を聞いて付き従っただけabcd匿名女子を利用して、自然に自決場に行ったように読者を誘導した。

また、曽野綾子は米軍の侵攻予測と、それに対応する大町大佐の行動を、まるで突然の時期を予期せぬ自然災害(米軍の侵攻)と、前々から計画どうりの視察(大町大佐)が整然と行われたように読者に錯覚させることを狙った。 大町大佐の行動は米軍の侵攻予測を受けたものではないようにみせかけたのだ。


米軍のアイスバーグ航空作戦の台湾陽動爆撃(米軍の計画書にはっきりそう表現されている)が1945/3/20日収まったことから、大本営首脳が米軍の台湾上陸の可能性が消えたと判断し、早い段階で沖縄上陸があることを予期していたことが「戦史叢書」から窺われる。その後米軍の侵攻方面に関する記載はない。その後は予測が変更されることなく維持されたからだ。

  大本営への情報は台湾・沖縄からの現地報告及び九州・四国の偵察機などによるものであろうが、(米軍の侵攻方面が確定しない段階では)沖縄方面軍として台湾の情報に注意するのは当然のこと。 台湾と連絡を取り合い、台湾への陽動爆撃が収まった段階で米軍の沖縄方面指向を察したはずで、その時間は大本営と同時か少し前であろう。  現地軍という性格から事態を重く見て判断するのが普通である。


http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-17785-storytopic-1.html
上記に
「資料によると、米軍は約100人の民間人を捕らえた慶留間で、男女に分けた2つの収容施設を設置。尋問された民間人たちは「3月21日」に、「日本兵(Japanese soldiers)が、慶留間の島民に対して、山中に隠れ、米軍が上陸してきたときには自決せよと命じたと繰り返えし語っている」と証言している。」


大本営も軍関係者に無線で米軍の沖縄侵攻が近いことを連絡しただろう。 連絡網は速やかに順次、住民まで伝わることになった。 その一つの証拠が3月21日の自決命令ということになるだろう。 慶良間の住民にとっても、米軍の侵攻は予期せぬ自然災害のような状況ではなく日本軍から米軍の侵攻が近いことを聞かされていた動かせない証拠である。 

ところで、当時の慶留間島住民総数は役百名でそのうち、53名が米軍上陸後の集団自決により死亡したとされる。 「100人の民間人を捕らえた慶留間」 では数が合わない。 よって、米軍に捕らえられた百名の民間人には渡嘉敷島か、座間味島の住民が含まれている可能性がある。
  もしかしたら、渡嘉敷島の島民が語ったのかもしれない。  渡嘉敷島の島民が語ったとすれば、富山兵事主任の3/20日が3/21日の記憶違いだったとして(整合的に)了解できる。 

知念の行動

曽野綾子は珍しく「ある神話の背景」の中で知念に対する取材日を明記している。1971年7月11日である。 
そうすると、「青い海」1971/6月号の写真にある曽野と赤松隊の会合に知念は同席していない可能性がある。 さらに、下記の1974年に出版された「沖縄県史第10巻」
http://keybow49okinawan.web.fc2.com/akamatutai/tinen-kensi.html

引用すると「私は本部付の警戒小隊長で、出撃の時は私の舟艇が先頭を切ります。私の次に赤松隊長艇、そのあとに三中隊が横に広がって続き、突撃の態勢にうつると、ぱーっと散兵して、目標に向うことになっていました。 」 

 
この話は、「ある神話の背景」で第二中隊の富野が先頭で出撃する予定がエンジン故障で云々という話と矛盾する。三中隊の後、つまり最後に二中隊の富野が続くはずだからである。

 出版時期から判断すると、可能性としては沖縄県の知念取材は1971年6月より後の確率が高いであろう。 やはり、知念は渡嘉敷慰霊などには参加していたが、名古屋での謀議には同席していないため、また曽野綾子が富野先陣の嘘を知念に伝えなかったため、知念は沖縄県の取材に対して事実(知念が先頭)を語ったということだろう。

 考えてみれば、1968年に戦友会に出席した元第三戦隊員のうち、赤松等の陰謀に加担したと「ある神話の背景」、「原告引用資料」などで名前が確認出来る者は10名ほどで、説明会に出席したなどと引用された者を含めても10数名。 隊員こぞって赤松擁護に邁進したとはいえない。 もっとも、南京虐殺の責任者松井石根を冤罪だから赦免せよとの元南京攻略軍人の大規模な運動はなかった。 このことから1970年代になってネッソス向井・野田の遺書を利用した鈴木明等による百人斬り否定に絡む虐殺否定は完全な後出しじゃんけんといわざるをえない。 


 それはともかく、赤松擁護に回らなかった元戦隊員、また曽野からゼネストをしたなどと帝国軍人としておとしめられた勤務隊について、曽野は従順な元軍人が赤松復権の方便である虚偽に荷担はできなくとも、告発などはしないに違いないと、たかをくくっていたのだろう。


もう一つ証人尋問での知念の発言に注目すべきだろう。「私は赤松の事実上の副官だ」と証言した。  まだ知らない人が多いと思われるが、
http://d.hatena.ne.jp/yama31517/20080929
軍の組織上は、知念は赤松(第三戦隊)の副官ではなかった。副官は張間中尉だった。だから、知念は偽証を指摘されるかもしれない証人尋問では「事実上の副官」と正確に答えたのだ。

つまり、知念が赤松の副官ということについて、曽野・赤松・知念は嘘を語っていた。  知念はおそらく当初、この嘘について同調することを躊躇していたのだろう。  しかし、知念が単独で曽野綾子と会合したその日、赤松等の陰謀に加担することを決意し、曽野の説得が成功した。日付を明記したのは曽野綾子が成功を記憶に留めるための勝利宣言であったろう。 

しかし、曽野綾子には手抜かりがあった。1971年10月に「ある神話の背景」の連載を始めた曽野綾子にとって、時間的には知念との会合で実際に先頭を切る知念の船艇エンジンが故障したことにすることは充分可能だった。間に合ったのだ。 そうしなかったのは、曽野の抜かりか、知念は富野ほど嘘をつくことに慣れていず、ことわられたかのどちらかであろう。

 曽野は知念から壕が出来ていない3月27日に「持久戦云々」の将校会議はなかったと言質を取った。   しかし、実は4月8日に持久戦に言及する将校会議が開かれていたようだ。
http://www16.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/2254.html#id_e6c9506b

「九 各隊ノ将校全員明八日○七四○迄ニ本部ニ集合スベシ」   また、これらの内容は大筋で谷本版「陣中日誌」と一致している。 

考えてみれば3月27日の米軍上陸で第三戦隊隊員は、彼我の圧倒的戦力格差から遠からず全滅と覚悟していたはずだ。 つまり、この時点で赤松等は持久戦を想定していないであろう。 ところが米軍は一端撤退。直後赤松等は、生きていた無線や、もしかしたらラジオなどからも米軍の沖縄本島上陸を確認したはず。 

そこで赤松等が考えることは、米軍は沖縄本島攻略を優先した。 その後渡嘉敷に再上陸がありうるが過去の米軍の行動(ブーゲンビル・ラバウルなどの日本軍放置などの情報)からこの孤島に対する攻撃は全力投入ではない可能性がある。  従って持久戦になる可能性があると考えたのではなかろうか。  

実際、上記4/7,4/8の記事は「持久戦に備える」ことが中心的記載である。 
おそらく、「鉄の暴風」取材者は4/8の将校会議に関して事実誤認をし、3/27と記載した。  谷本版陣中日誌を読んでいる曽野綾子にその可能性が浮かばないはずがない。 

 しかし、曽野綾子は名古屋での会合で赤松等と3/27で持久戦に関する将校会議がなかったことを確認したはずだが、どうしても知念から慟哭などなかったと証言させ、本人の口から「鉄の暴風」の真実性を毀損させることにこだわった。 その日(1971年7月11日)、全面的な歴史改竄には距離を置いたかもしれな
以上の知念の情報からすると、知念は当初から歴史改竄の首謀者ではなく途中から共犯者となったものであろう。

事実誤認と虚偽

あるいは「鉄の暴風」での渡嘉敷の記述はわずかな記載であるのに誤りが異常に多い。 むしろ、誤りの密度は「ある神話の背景」以上ではないかという向きもあるかもしれない。

しかし、そのような論議は前提を誤っている。 現在では、大本営発表という言葉は、誇大な自画自賛という感触で語られている。 しかし、大本営発表に誤りが多いのは事実だが、誤りには二種類ある。  一つは事実誤認であり、他は虚偽だ。
http://www10.ocn.ne.jp/~kuushuu/d191019.html


誇大発表で有名な台湾沖港空戦。米航空母艦十一隻撃沈はむろん、大破さえなかった。  しかし、大本営というより海軍首脳は大戦果を信じていた。 つまり事実誤認。 マリアナ沖航空戦で惨敗した日本海軍は夜間、台風に紛れて米機動部隊を攻撃すれば、戦果を得られるのではないかと夢想した。 そして、夜間の日本戦闘機が撃墜され海面で爆発を起こしたり、敵艦船ではなく、海面に落とされた爆弾を見て、米軍航空母艦撃沈などと誤認した。 しかし、その後の偵察により、米艦戦の損傷はほとんどないことが判明したにもかかわらず訂正しなかった。 訂正しなかったことは隠蔽だが当初はあくまでも、事実誤認だった。


http://www10.ocn.ne.jp/~kuushuu/d170610.html
ミッドウェー海戦で日本は航空母艦4隻を喪失。 一方米軍航空母艦で撃沈されたのは一隻。   大本営発表では航空母艦について、日本軍喪失1隻、米軍2隻。 発表だけをみれば日本軍は勝ったことになる。 内訳を見ると米軍航空母艦2隻を撃沈というのは事実誤認。 実は航空機により大破させた米軍航空母艦ヨークタウンは2日後、日本の潜水艦によって撃沈された。 同じ航空母艦を別の航空母艦と誤認した。

   しかし、日本軍の航空母艦喪失が一隻というのは明らかに虚偽。 ジャングルで通信不能になった陸上部隊ならともかく、帰還しない航空機や艦船は撃沈されたか、捕獲された可能性が非常に高い。 大本営は虚偽と知りつつ、国民の戦意喪失を恐れ虚偽の発表をしたのだ。

曽野綾子の「ある神話の背景」に書かれた数々の誤りは、事実誤認かそれとも虚偽か。 いうまでもないだろう。 潮位の嘘、実際には知念→第三中隊の順で出撃する態勢が出来ていたのに富野の第二中隊が戦闘でエンジン故障の記述など赤松等と曽野綾子の複数の会合と手紙で話し合われた謀略と考える他ない。

それに対して、「鉄の暴風」はどうか。 人口900万のハイチでの地震死者は30万になるかどうかという。 沖縄戦では人口40万のうち10万が死亡といわれる。  おそらく、5年後のハイチのほうが「鉄の暴風」が書かれた1950年の沖縄より取材しやすいだろう。  テープもなく、取材者に記事の確認もしない内容では誤りが多いのは当然。 

 取材者は渡嘉敷在住の者が多かったのだろう。 渡嘉敷と恩納河原の地名が頻出するのはそのためで、島民の多くは安里巡査の移動命令を受けて、ついてきたまでのことで事の経過を詳細に把握出来ていた者は少なかっただろう。   明らかに事実誤認である。事実誤認であれば、断片的な真実はありえる。


曽野綾子の「ある神話の背景」は赤松等と曽野綾子の謀議によって作られた謀略文書である。  このことは動かない真実だ。 曽野綾子は嘘を書きながら、ほくそ笑み読者は嘘を見抜けないだろうと嘲笑っていた。

http://blog.goo.ne.jp/taezaki160925/c/612a2545d739b4a777be0c48c5a0229b
上記に星雅彦の「鉄の暴風」の数々の誤りを指摘し、米軍の絡んだ謀略だという。何と底の浅い推測だろう。 曽野綾子が「ある神話の背景」に描いた知念による3月27日の将校会議否定を中心に知念の行動を追ってみたい。

狼魔人の漁船解釈と事実

http://210.165.9.64/taezaki160925/d/20080716

上記「狼魔人日記」より引用する。
「反抗する術(すべ)を知らず、拒否もせず、日本軍の非道なる命令と、当時の教育の犠牲者であった“羊のように従順な沖縄住民”――というのが、安仁屋氏や大江氏がイメージする戦時中の沖縄とりわけ離島の島民像である。だが、これは全く事実に反する。....防衛研究所戦史室著『沖縄方面陸軍作戦』では、次のように記されている。  「大町大佐の帰還輸送を特攻艇にするか、漁船にするかが研究されたが漁船が得られず、第三中隊でようやく引き上げた特攻艇二隻によることとなった」  あまり要領を得ないが、曽野綾子著『ある神話の背景』が、分かりやすく書いている。 「大佐の一行は、村民にくり舟を出して貰えないか、という交渉をしに行ったが、拒否されて帰ってきた。こんな危険な時に、軍人ででもなければ《よし行きましょう》という物好きはいる筈がなかった」  大町大佐は、赤松隊長の上官だ。一般住民にはそれこそ、雲の上のような立場の人だ。その者の要望を拒否している。大町大佐や赤松隊長が、村人を脅したり舟を出すよう“強制”したという記録もない。大佐一行は引き下がっているのだ。」


狼魔人のこのような見解は、偏向した視点でこじつけた的はずれのものであることがわかりました。
http://www.vill.tokashiki.okinawa.jp/modules/tinyd01/index.php?id=3
上記渡嘉敷島公式ホームページより引用
「昭和19年9月8日 鰹漁船嘉豊丸、源三丸、神佑丸、信勝丸、同乗組員130人軍需部漁労班に徴用され、村営航路船嘉進丸、軍船舶隊に徴用される。....10月10日米軍機来襲、始めて空襲を受く、鰹漁船嘉豊丸、源三丸、神佑丸、信勝丸被弾し死者が出る。」
鰹漁船は軍に徴用されている。そして、他の資料も同様の内容であるが10・10空襲により鰹船は全滅した。


http://www.okinawa-sen.go.jp/view.php?no=B0304111
上記は防衛省が保存する資料である。1-2頁を見るだけで必要な内容が書かれている。

1944/10/10の空襲により、海上挺進基地第三大隊が徴用していた漁船「交開丸」が攻撃を受け乗船していた13人のうち6人は死亡したとの報告書を提出した。報告した者の中には、神山島に避難していた兵事主任、新城(富山)眞順もいた。  漁船交開丸に乗船した者はほとんど軍人であったことがわかる。


交開丸は、第三基地大隊が徴用していることから、他の慶良間諸島から徴用された鰹船である可能性が非常に強い。軍は、そのような徴用船を元の使用目的でもある漁船と呼称していることもわかる。


以上、2点の資料から鰹船を軍民共に漁船と読んでいたこと、鰹船は早くから軍に徴用され、軍人が乗り込み専ら軍の目的のために使用されていたことが明らかである。

何のことはない。  漁船とは狼魔人が言うようなクリ船ではなかった。漁船が得られないという意味は大町大佐が赤松に既に徴用されている鰹船の中で米軍に破壊されていないものがあるかと尋ねたということ以外ではない。 

 軍が民間保有の船舶使用に躊躇していたのではない。 とっくの昔に徴用して利用していたというのが事実である。  クリ船云々は「青い海」に掲載された写真の赤松・曽野問等の名古屋での謀議において、曽野綾子が「ある神話の背景」に漁船をクリ船に変更する企みが決定され、それが実行される前の「潮1971/11月号」に謀議に同席していた大城良平が口走ってしまったというのが真相である。   

 軍は島民に何ら遠慮することなく、戦闘前夜よりずっと前から漁船を奪って自由に使用していたというのが真相だ。

   
狼魔人は、沖縄ノートに記載されている屠殺の意味が「南京屠殺」の意味と同様であることが理解出来なかった。  

     狼魔人はまた、沖縄ノートに記載されている土民という語が、日本軍が沖縄人を見下して使用した言葉をそのまま援用したことに気づかないか、気づかないふりをした。 

  
狼魔人はこれからも、偏向した目で珍説を展開するだろう。 これからも狼魔人の言説を検討すれば、真実が明らかになることがあるだろう。

サラ関連の削除

サラについては、女の謀略の要素が強いと思っていたので、私は注意深く観察してませんで、日記が削除されたこと気が付きませんでした。
狼魔人も同時に削除となると、都合の悪い事が出てきたのでしょうね。自主的に削除して、石垣市長に勘弁してもらおうという弱気の露呈でしょうか。

削除と隠蔽

「サラの日記」は削除され、狼魔人も関連エントリを何時の間にか「狼魔人日記」から削除してしまっています。

権力の犬

okinawazinさん、コメント有難うございます。

狼魔人はあらゆる件に関して、沖縄を貶し国家権力に奉仕することをライフワークとしています。「集団自決」、「普天間基地移転」、「米軍人犯罪」など、全てに関して権力の用心棒です。その言い方は徹底していますが、それは彼が沖縄人ではない「隠れ大和人」だからだと思います。
沖縄で生まれ育った奄美人・大和人には、いろいろなタイプの人が居ますが、沖縄への強い反感を持って育った者も居ます。そういう者が軍国思想や、権力追随の志向に染まった場合、狼魔人=江崎孝、惠隆之介のような「ニセ沖縄人」が誕生する事に成ります。
今日のブログ記事で下記のように書いてますね。
 ↓    ↓    ↓ 
「普天間移設」は辺野古でほぼ煮詰まった現在、タイムスによると鳩山首相は来月にも説明のため沖縄を訪問するという。そのときの談話が注目されるが、おそらくは次のような言葉が予想される。

《県外移設を必死で模索したが自民党政権が合意した辺野古案を覆すことはできなかった。 県民の思いには別の形で答えたい。 一昨年の県民大会に集結した11万人の県民の思いを民主党は今でも忘れてはいない。》    

普天間基地の辺野古決着と「歴史教科書検定意見撤回」のバーター取引が宣言された瞬間である。
  ↑    ↑    ↑
実にエゲツない予想をしてますね。このエゲツなさが狼魔人の持ち味です。

狼魔人さんは、集団自決問題にチェエンジしてきてますね?
何がねらいなのでしょうか?

原因が分かりましたので再投稿

こめんなさい、沖縄にも大バカがいた
2009/11/18 12:17
~~~~~~
  そもそも「教育勅語」も「軍人勅諭」も「勅」の字が付くのでも分かるとおり天皇陛下のお言葉(勅語)を文字化したものである。
  従って当時の学生が「勅諭」や「勅語」を暗記しようと努力した気持ちは当時の時代背景から判断してもよく分かる。
  ところが一方の「戦陣訓」は臣民である東条英機が発令したもので、軍人ならともかく、これを一般住民が必死に暗記したとは考え難い。
-------------------------------
狼魔人(江崎孝名の著書宣伝家・『正論』寄稿者・チャンネル桜のふうぞく事件仕掛け人)さんのブログ http://blog.goo.ne.jp/taezaki160925/e/7bb278bccf097692ca80708ab271e665 より
~~~~~~~~~

狼魔人さんは、
当時の中学四年生(高校1年生)のクラスで、たった一人が軍人勅諭を暗記したという、たった一つのエピーソードだけで、沖縄では「戦陣訓」の暗記教育はなかった、その証明がなりたったといってます(笑)。

こんな江崎さんのような、おバカな小学生だったら、軍人勅諭よりもずっとやさしく書かれた、少国民用戦陣訓でも、とうてい暗記などできなかったと、おもいま~す。

戦陣訓かるた http://www.library.pref.nara.jp/sentai/gallery002/gallery002003.html

一般国民に対しては用紙統制が行われているなか、1941年だけでも少なくとも『戦陣訓述義』『戦陣訓話』など12種の解説書、『たましひをきたへる少国民の戦陣訓』『少年愛国戦陣訓物語』など5種の教材が出版許可を受けて出版されており、以後も敗戦まで種々のものが出ている[6]。(wikipedia「戦陣訓」より)

こういうおバカな『自称評論家』を相手にしない沖縄のマスコミは、堅実だということなのでしょう。

小分け(2)

狼魔人(江崎孝名の著書宣伝家・『正論』寄稿者・チャンネル桜の事件仕掛け人)さんのブログ http://blog.goo.ne.jp/taezaki160925/e/7bb278bccf097692ca80708ab271e665 より
~~~~~~~~

ni0615さん。

貴兄からのコメントに関するメール通知が来てるのですが、ブログに表れません。
試しに、そのコメントをコピペして自己レスをしてみたら、「スパムメールと判定されました」と、やはり投稿制限されました。理由が私には思い当たらないです。今一度、表現を変えて投稿してみたらどうかと思います。

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キー坊@ウチナー

Author:キー坊@ウチナー
沖縄本島中部、巨大な米軍基地を抱える町の生まれ。
齢を重ねるごとに、沖縄戦へのこだわりが強くなります。
曽野綾子・『ある神話の背景』は沖縄を究極的な軍事基地にする目的を持っています。「集団自決」は沖縄戦の集約された出来事だと思います。『ある神話の背景』は沖縄への抑圧・差別の集約文書です。

HP・「その『神話』の背景」(文献・資料集)
http://keybow.co

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