2017-10

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野田隊長の資質

 1945年3.26、米軍が上陸すると同時に、阿嘉島で朝鮮人軍夫を二十名ほど連れて投降したのは、染谷という少尉であった。沖縄戦軍人捕虜1号である。当時少年儀勇退として軍に協力していた中村仁勇氏の証言によると、普段から染谷少尉は、「阿嘉の人は、いったい日本が勝つと思っているのかなあ」などと、軍人にあるまじき言葉を発していたそうである。根っからの非戦主義・厭戦主義者のように見えるが、日本軍将校になったくらいだから、最初からそんな言動をしていたのではないだろう。

少々変わり者だったという事だろうが、将校である彼にそんな言動をさせた要因は、もちろん彼が日本軍の敗戦を確信していたからであるが、指揮官である野田戦隊長が日本の敗戦を確信していて、命賭けての戦闘を行う意志を失くしていたからだろうと思う。指揮官の平生のそういう雰囲気を敏感に察知していた部下は少なからず居ただろう。住民の前とはいえ、戦闘前から染谷少尉が「厭戦」の言動を度々見せたのは、隊にそんな雰囲気が在ったからだと推測できる。
染谷に続いて次々兵士が投降したようだから、渡嘉敷の第3戦隊に比べると、阿嘉・慶留間の野田隊にはそういう雰囲気が強くあったと言ってよい。副官の竹田少尉も本田靖春に次のように言っている。 「われわれは戦力というものではなかった。ただ(軍人という名の)人間がおるだけという状況だったんです。おなかを空かせてしまって、何かをやる気はしなかった。逃げる者は、そりゃ必死ですよ。でも、追いかげる方は必死じゃない。追いかけて射殺する気持ちが起こらないんですよ」
これは食糧事情が窮迫してからの事ではあるが、それでも大らかな対応であったようだ。

渡嘉敷島の曾根一等兵は3月下旬の爆撃を目の当たりにしたときから、人の命を無駄に捨てさせない為に、沖縄の守備軍は早く降伏すべきだと思ったと川田文子に証言しているが、彼が逃亡を実行したのは6月30日のことで、これが赤松隊最初の逃亡であった。
第2戦隊では米軍上陸後、果敢にも無謀な切込みを実行して命失った兵士もおり、4隻の〇レが本島に向けて特攻出撃したのであるが、慶良間の3戦隊の幹部は大方、一般兵士も多数が日本の敗戦を腹中では見越していて、生きながらえる事を密かに望んでいたのではないか。

三つの戦隊長のうちでは、野田隊長が最も明確に日本敗戦の確信と、無駄死にを避けたい意思を持ってたと思われる。それだけに、生き長らえる為の食糧への執着は厳しく、わずかでも食料ごまかしの疑惑を持たれた兵士、住民、軍夫は残虐な処置をされた。処刑された慶良間の朝鮮人軍夫は第2戦隊が最も多いかもしれない。阿嘉島で唯一の住民処刑と言われる老夫婦の斬殺は、夫婦が一度米軍の捕虜になって解放された後、米軍から貰った食料品をたくさん持っているのを兵士に見つかったからであった。

野田隊長は一方では、兵士、軍属、住民を問わず、人命を無駄にしない為の配慮をしている。米軍上陸時に防衛隊員が住民の自決伺いをしたところ、「急いで死ぬことはない、杉山に集合させておけ」と自決を制止している。
6月の20日ごろに、水沼軍曹と竹田副官が、染谷捕虜を含んだ米軍と折衝して、1週間後に正式な平和交渉を阿嘉島のウタハの浜で行う事を決めたのであるが、その報告を受けた直後、21日に、野田隊長は「全員を集合させ訓示(軍紀粛正と軍人以外の進退の自由に関しての訓示)を行った。」という。軍人以外(住民)は投降しても妨げないという事である。また、兵士・軍属の投降にも大らかになったようだ。これは口減らしの意味合いもあったが、赤松隊あたりでは8月の中旬になって日本の敗戦が確定的に成ってから、住民の投降に対して寛大になったのであった。

 竹田副官らの報告を受けて、野田隊長はこれで米軍との戦闘は避けられたと思ったが故である。戦闘が無くなれば、安心して食料をやりくりして生き長らえる可能性がとても高くなったのである。食料を必要とする住民は、かえってお荷物になったと計算したのであろう。兵士・軍属の逃亡に対しても大らかに成っている。
それでも、野田隊長は6月26日の平和交渉に臨んでも、隊自体が降伏を受け入れる腹積もりは無かったようであり、陸士同期の梅澤が懸命に口説いたにかかわらず、降伏勧告を受け入れなかった。帝国軍人としての最低限の体面だけは保ったようだ。それでも、米軍と一種の休戦協定を結ぶ事には成功したのであり、それ以後、さしたる犠牲者は出してないようである。

ところで、6月27日の朝、野田隊長は竹田副官を遣わして、投降拒否の通告を米軍に提示したのであるが、次の3項意思表示をしている。一は拒否通告だが、二、三は休戦条件の提示である。

 一、天皇陛下の命令がない限り降伏することはできない。これは日本軍全員の総意であ
      る。
 二、阿嘉島に対するアメリカ軍の攻撃に対し、日本軍は相応の反撃をする。アメリ
    カ側が軍事活動をしない限り、貝を拾ったり、泳いだりするアメリカ軍兵員に
    危険はない。
 
 三、阿嘉島の住民を座間味島に戻すことについて、私は、アメリカ軍の要求に応じて住
   民を解放する約束をしたが、阿嘉島の住民は座間味に移り住むことに反対している。


野田戦隊長、及び戦隊幹部の人命尊重の気質を見せているのではないか。
だが、曽野綾子「ある神話の背景」追求を旨としている当ブログにとって、面白くない材料を見つけてしまった。二の事項であるが、これは「渡嘉敷島遊泳許可事件」として流布された赤松隊不名誉の材料とされた話は、この野田隊の事を間違って伝播されたのではないかという事の…。(つづく)
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コメント

長文はあとで善処します

キー坊さん
いまizaに書き始めましたので(1)~(3)書き上げましたら、ご迷惑の長文は省略しますので、ご容赦ください。
http://ni0615.iza.ne.jp/blog/entry/1297798/

>とは言え、赤松隊の停戦協定は8.16以後の事で、それ以後の時期に向けて、「遊泳許可」を与えるというのも一寸おかしい気もします。

わたしは、赤松隊「陣中日誌」にはない「交渉」が6月か7月にあった、米軍は阿嘉島で行ったことを渡嘉敷島でも試みた、と考えても不思議ではないと思っています。 必ずしも交渉相手の「隊長」は、「戦隊長」でなくてもいいのです。 「泳いでいる米兵を撃つな」と「ルーズベルト給与を拾っている日本側軍夫を撃つな」とを、交換条件にすることは、渡嘉敷島の現場でも充分に考えられます。

8.16以後の事と最初から制限して話を進めているのも、曽野の巧妙さです。

・谷本陣中日誌に書いてあることしか起こっていない、
という曽野が立てた前提は必ずしも自明ではありません。

>野田隊長が「あと十年は保てた、と豪語したのである」 というのも不自然な感じはしますが・・・。

「Okinawa: The last battle」では、豪語したのは渡嘉敷島の隊長ですよね。

>「中抜き手品」

言われるまで、私はこの「中抜き手品」に気が付きませんでした。読み込みが甘いと言うしかないですね。
中を抜いて赤松隊を持ち上げる材料に使い、後では中を戻して、この資料の信憑性を、赤松隊員をして語らせていますね。見事な手品ですが、曽野はその当時、自分かのし上がりたい意欲に燃えて、一時期天才になっていたのでしょう。

とは言え、赤松隊の停戦協定は8.16以後の事で、それ以後の時期に向けて、「遊泳許可」を与えるというのも一寸おかしい気もします。
野田隊長が「あと十年は保てた、と豪語したのである」 というのも不自然な感じはしますが・・・。
『日米最後の戦闘』の著者が取り違えた可能性ないことも無いですね。

>ジョージ・クラーク中佐の手記の原文
今度図書館行ったとき、参考文献として記載あるかどうか見てみましょう。

「中抜き手品」

上原は、
>>ジョージ・クラーク中佐の手記をもとに、一九八五年沖縄タイムスの「沖縄戦日誌」で初めて発表した。

と注記してるのですね。しかし、その典拠は示していますか? 

「沖縄戦ショーダウン」でも、そうした再検証性は担保されてなかったと思います。原文で検証したいけど、上原の独り占め財産として「書誌データ」は示さないのでしょうね(笑)。

ところで、
>二の事項であるが、これは「渡嘉敷島遊泳許可事件」として流布された赤松隊不名誉の材料とされた話は、この野田隊の事を間違って伝播されたのではないかという事の<

「遊泳許可事件」についての曽野綾子の主張ですね。

もっとものように誰もが受け取りますが、『OKINAWA: THE LAST BATTLE 』では、その箇所で「Tokashiki team」「Tokashiki Beaches」と2度も渡嘉敷と言ってるんです。ですから、太田良博氏の反論(http://www16.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/890.html)もまた、ごもっともといえましょう。同じような協定が結ばれる条件は、渡嘉敷島と阿嘉島、2つの島でそれ程変わりはないのですから。

~~~~~~~
On Tokashiki teams of Nisei and Japanese officer prisoners negotiated with the Japanese commander, who refused to surrender his garrison of 300 officers and men. He offered, however, to allow Americans to swim on Tokashiki beaches provided they kept away from the Japanese camp in the hills. Only after many months, when he was given a copy of the Imperial rescript announcing the end of hostilities, did the Japanese commander surrender, claiming that he could have held out for ten more years. 16
~~~~~~~

あとは学者さんが、さらに元資料#16を検証すればいいのです。
#16 77th Div Opn Rpt, pp. 33, 35; 870th AAA AW Bn Actn Rpt Kerama Retto, p. 5.

OKINAWA: THE LAST BATTLE はWEBにあります。
この箇所は、http://www.history.army.mil/books/wwii/okinawa/chapter2.htm#b2 p56の最後のパラグラフです。

面白いのは、曽野がここの訳文を、ご丁寧に2度使いまわしていることです。

最初は曽野本P210。
~~~~~~~~~~
何のために持っていた米を食わなかったのか。彼らはまだこの先、数年間も闘うつもりであった。それが不可能でも、最後の斬り込みに行く場合は、たらふく食べて死ぬためであった。十俵の米はもはや単に、食糧としての存在を離れて、彼らの生きるあかしであり、希望であった。戸次侯補生の文章に生きている彼らの思いは、米国側の記録からも裏づけられる。

「渡嘉敷島では二世部隊や日本軍捕虜の将兵たちが、指揮官と交渉したが、指揮官は、彼の守備隊三百の将兵の降伏を拒んだ。(中略)幾月かたってのち、この指揮官は、天皇の終戦の詔勅の写しを与えられて初めて降伏した。しかもあと十年間は保てた、と豪語していたのである」(『日米最後の戦闘』米国陸軍省編.外問正四郎訳)
~~~~~~~~~~~~~~~

ここでは、「遊泳許可」部分He offered, however, to allow Americans to swim on Tokashiki beaches provided they kept away from the Japanese camp in the hills. の部分を、『(中略)』として隠してしまい、「赤松隊の生きる証しと希望」を裏付ける証拠として使っています。米軍資料は「様様」です。ここでは「指揮官」は赤松。



2度目は曽野本P256。
~~~~~~~~~~~
『日米最後の戦闘』米国陸軍省編に、次のような部分がある。

「阿嘉と渡嘉敷作戦ではおもしろいことがあった。第七七偵察隊が両島を一掃したが、幾千の日本軍や民間人は、どうにかこうにか発見をまぬがれ、島の中央部の丘陵地帯の洞窟や峡谷や密林地帯に逃げかくれた。沖縄戦終了後、第十軍から代表団が来て、阿嘉の日本軍指揮官に降伏を勧告したが、この指揮官は肯んじなかった。この島の日本将兵は、そう頑強でなく、ほとんどが島から逃れて降伏して来た。また渡嘉敷島では、二世部隊や日本軍捕虜の将校たちが、指揮官と交渉したが、指揮官は彼の守備隊三百の将兵の降伏を拒んだ。しかしこの指揮官は、米軍が山腹の日本軍陣地から離れている限りなら、別に米人が渡嘉敷ビーチで泳いでいてもさしつかえないと言ったのである。幾月か
============ P256 ============
============ P257 ============
経って後、この指揮官は、天皇の終戦の詔勅の写しを与えられて初めて降伏した。しかもあと十年は保てた、と豪語したのである」

私はこの点を、赤松隊のダラクを示す最も客観的な資料として、何人かの沖縄の人々から示されたのである。
~~~~~~~~~~~~

こっちでは、最初『(中略)』としたところ、つまり「遊泳許可」部分は、「日本軍の堕落を示す」米軍資料だが、阿嘉島のことを渡嘉敷島だと間違えるようなイイカゲン! とこき下ろしています(笑)。米軍資料はここでは「悪玉」です。ここでは「指揮官」は野田。


パラグラフ全体が「阿嘉島」の話を「渡嘉敷島」だと間違えたものだ、というなら上原が翻訳した「休戦条件1,2,3」と照らして、まだ筋が通っていると言えるかもしれません。しかし、同じ米軍資料の同じ文章を、ウラ・オモテ2通りの使い方、シロクロ真逆の使い方、指揮官も赤松になったり野田になったり、こりゃ「中抜き手品」としかいいようがない!!

自分が引用し『(中略)』として隠したのも自分なのですから、同じ文章であることを曽野が知らなかった筈はありません。でも、読者は40年間も気がつきませんので、今になって気が付いた私も『あとの祭り』、騙された自分を笑うしか術がありません。曽野綾子はこうした行為ができる女性なのですね。
http://ni0615.iza.ne.jp/blog/entry/1291783/ 

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キー坊@ウチナー

Author:キー坊@ウチナー
沖縄本島中部、巨大な米軍基地を抱える町の生まれ。
齢を重ねるごとに、沖縄戦へのこだわりが強くなります。
曽野綾子・『ある神話の背景』は沖縄を究極的な軍事基地にする目的を持っています。「集団自決」は沖縄戦の集約された出来事だと思います。『ある神話の背景』は沖縄への抑圧・差別の集約文書です。

HP・「その『神話』の背景」(文献・資料集)
http://keybow.co

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