2017-06

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1954年7月 社会面記事

またまた、奄美話題になって申し訳ないのだが、国会図書館に行く機会があったので、もう一度昭和20年代の沖縄の新聞記事の社会面を見てみた。
奄美復帰7ヵ月後の昭和29年(1954)7月の沖縄タイムスを見たのだが、拙記事10.12のエントリーで紹介したS24~26年頃の社会面と比べての違いは、見出しに犯人の出身地を書く事が無くなっている事である。
窃盗、強盗、殺人、暴行障害、詐欺、重大な交通事故など、犯罪報道は一日に1~3件、月に50件ほどあるのであるが、見出しに奄美或いは大島が出たものは一件もない。奄美だけでなく見出しには犯人の出身地を書く事は無くなっている。記事本文を読めば、出身地を書いてある記事はまだ多いが、以前よりは少なくなっている。

その1ヶ月の中で、本文中に犯人が奄美あるいは大島出身と書いてあるのは、5件であった。
下に、目に付いた8件の記事を載せたが、全部が犯罪記事ではなく、また、奄美に関係のない記事も載せてある。それらと関連付けて、沖縄の新聞がことさらに、奄美の人間を悪く書いたという佐野眞一、惠忠久、奥茂治の言う事が誇張されたものである事を説明したい為である。コピーは取ってなく、文章は、図書館でメモしたものを元に記憶を呼び起こして自分流にまとめたものだから、原文とはかなり違っているだろう事をお断りしたい。 奄美人関係記事は青字で記載。小生の注釈は緑字で記入。直接関係ない記事は黒字で。

7.6 下里議員ついに失格 上訴裁判所判決 
宮古地区選出の下里・立法院議員は、琉球籍を持ってなかった事が判明して、その議員資格の剥奪についての裁判が争われていた。下里氏は昭和14年に、本籍地を東京の麹町に移転していたが、その後沖縄籍へ復帰した事実は認められず、議員資格はないものと上訴裁判所で裁定された。
下里氏は「私が琉球人でないとすれば、沖縄には琉球人は一人も居ないことになる。判決には従うが、米軍民政官に訴えたい。」との談話を述べた。

奄美とは関係ない記事である。奄美の日本復帰に伴い、奄美出身の高官・重鎮が外人扱いされて、公職を追放されたのは、奄美人に対する沖縄人の酷い差別だと奄美人は告発していた。だが、元々琉球人であっても琉球籍を失った者は、公職から追放されたのであり、奄美人だけにそうしたのではなかった。 

7.9 為又(いまた)の嬰児殺し 今日判決
大島生まれ池上○、その内縁の妻中倉○○は、生活苦から生後2ヶ月の我が子を、為又ダムに投げ込んで殺した罪で公判中だが、今日判決が下される。(翌日の社会面に、それぞれ4年と3年の判決との記事)

7.13 胸患う大島青年 強制送還を懇願。
大島郡沖永良部出身の元栄和夫青年(27)は、奄美復帰前にひと稼ぎする為沖縄に渡り、クリーニング店や建設会社等で働いていたが、金を貯える前に胸を患い、生活は困窮の底に陥った。沖永良部に帰ろうにも旅費はなく、実家には年老いた母がいるのみで、頼る事が出来ない。警察に出頭して自分を永良部へ強制送還して欲しいと願った。しかし警察は、この青年は強制送還の要件に該当しないので、役所の社会部と青年の処遇を検討する事にしている、と語った。

これは見出しに大島があるが、犯罪記事ではない。

7.17 覆面強盗に10年
覆面を被って強盗を働いた大島生まれの川内某に10年、花元某に7年の判決が下された。

7.17 強盗に6年求刑
大島生まれ○○外3名に6年の求刑がなされた。


7.24 妹を売りとばす
窃盗で捕まった未成年A子・大島生まれは、取調べに対し、自分の兄に、売春宿に売られて辛い思いをしていたので、そこを逃げ出した。金がないので物を盗んだと答えた。腹違いの兄も人身売買の容疑で逮捕された。兄弟は復帰前に両親と兄弟5人で沖縄に来ていたが、両親と兄弟のうち2人は大島に帰島した。3人の兄妹は沖縄に残って苦しい生活をしていたが、1ヶ月前に妹は兄によって那覇の淫売宿に売られたという。


A子に配慮した為だろう。兄の氏名は発表してない。

7.24 モミクジの親玉に体刑
本部渡久地出身の住所不定、富村順一(23)は、那覇市内の某所でモミクジ賭博の元締めとなって開帳していたが、警察の手入れを受けた際、警察官に暴行を働いて逮捕された。同人は以前にも警察官に暴行を加えて逃げていた。一週間留置場に拘束されたが、その間、大声でわめき続け、警察を手こずらせた。

たまたま、怪人・富村順一の犯罪記事が載っていたので、メモした。記事は奄美と関係ないが、自著によれば富村はその後に奄美に渡ったりして、奄美にも縁が深い人間らしい。

7.25 屋台で脅迫強盗
大島生まれの久保某はペリーの屋台で、居合わせた客に因縁をつけ、暴力を振るい腕時計を奪った容疑で逮捕された。

7.29 深夜の住宅で殺人
浜畑○○君(24)は27日夜中、那覇市内の間借りしている知念某宅の部屋に居たところ、押しかけてきた若い男にいきなり刃物で胸を刺された。病院に運ばれたがまもなく死亡した。
刺した男は上江州某(24)で、逃げていたが、翌日の新聞で被害者が死んだことを知り、警察に出頭した。
犯人上江州某が言う、事の経緯は、27日夕方友人宅で酒を飲んだ後帰宅する途中、浜畑君ら数人が道端に座っていた。「どいてくれ」と言ったら、「よけて通れ」と言われた。怒って浜畑君の顔を殴ったら、下駄で殴り返された。その場は同行友人の制止で収まったが、帰宅してから兄や別の友人に話したら、一緒に仕返しに行こうという事になり、数人で押しかけた。「オーシマー出てこい!」と叫んだら、直ぐに戸を開けて出てきたので、すぐ刺したが、死ぬとは思わなかった。可哀想な事をした、と言っている。


これは殺人という重大犯罪の被害者が奄美人である事件である。犯人が「オーシマー出てこい」と言ったというので、被害者が奄美人だと分る。

上記のように、1ヵ月の犯罪記事50件くらいの内、犯人が奄美人であると書かれているのは5件だけである。5件だけでも抜書きして並べてみると、毎日毎日「奄美」という文字が犯罪記事で躍っていたかのように見えてしまう。佐野眞一や、惠・奥の「特殊奄美人」はそれを狙ったのである。これは沖縄人にとって濡れ衣というものである。
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コメント

阪神さん。こんにちは。
>富村の本は日付や年齢に関しては、話半分・・・

私は半分どころか、十分の一くらいで聞きます。
言える事は、早い時期に座間味に行っていても、富村は宮城初枝に会ってないという事です。「隠された…」をまだ読んではないのですが、その時、初枝の存在を知らなかった可能性もあります。
もし、会ってれば富村は大袈裟にその事を書いたとも思います。「オレが座間味の不正を糾してやったんだ」という風に。

富村は酔っ払って書いたのかも?

キー坊さんこんにちは。
隠された沖縄戦記では、富村は座間味を訪問済みです。富村の本は日付や年齢に関しては、話半分に読んでおいたほうがいいと思います。

富村は初枝に会った事ない

1979年に書かれた「隠された沖縄戦記」に宮城初枝との接触が書かれてなければ、富村順一は彼女に会った事ないのは間違いない事です。1993年に書いた「沖縄戦 語り歩き」には、1987年頃に別の用件で初めて座間味を訪ねたような書き方をしています。その時、宮城初枝と接触したという記述は無いです。
この本には次の記述があります。

「日本軍の命令で自決したとすれば、多少なりとも遺族年金がおりてくる。だから何かいい方法はないかと考え出した村の悪連中が、戦争当時、十六歳だったというある女性をそそのかし、証言させ、彼女が厚生省にうその公文書を提示したということです。同時に、彼女は原稿記事を曲げて書き、婦人雑誌に送って賞までもらった。」

これは宮城初枝のことを言ったつもりに違いないのですが、間違いだらけです。戦争当時、初枝は二十四歳で、婦人雑誌にではなく農協機関紙の「家の光」に書いたのです。実際に会って話をしたことあれば、こんなに年齢を大幅に間違えないはずです。これは梅澤或いは元第一戦隊員から聞いた事を、いい加減に思い出して書いたのです。
宮城初枝が富村順一のようなヤクザと接触し影響を受けて、梅澤に事実を打ち明けようと決意したのではなく、あくまで自らの意志で、娘に相談しながら梅澤に連絡を取ったのだと思いますね。

初枝さんに会った話は出ていない

和田さん、キー坊さんこんにちは。
隠された沖縄戦記では、富村氏は初枝さんが書いた「家の光」の戦記を引用しているだけです。ただ、那覇に住む第一戦隊隊員の某氏から「初枝さんに会って自決命令があったかどうか確かめてみるといいですよ」と促されています。

>梅沢は、1979年以前に大阪等で自分は座間味の自決命令は出していないという街頭宣伝をしていたのでしょうか。
それについては書かれていません。

>梅沢と富村順一が出会った年はわかりますか。
血塗られた珊瑚礁(関根清)によると80年2月です。

>富村順一と宮城初枝の接触時期とどのような話がされたのか富村順一の著作にヒントがありますか。
ヒントらしきものはありません。

>その本で富村は宮城初枝との接触については、具体的に詳細に書いているのでしょうか。

富村氏が初枝さんと接触したかどうか書かれていません。

富村と初枝の接触は?

「沖縄戦語り歩き 」を再度読んでみましたが、座間味についての記述は多くないです。富村順一は1987(s62)年頃、初めて座間味に行ったような書き方をしてます。
「隠された沖縄戦記」を置いている図書館は少ないようです。

阪神さん。その本で富村は宮城初枝との接触については、具体的に詳細に書いているのでしょうか。富村から強く促されて、初枝は梅澤と会って事実を打ち明ける決心をしたとか。梅澤は80年12月に沖縄で宮城母子に会う前に、富村と既に意を通じていたとかの。

新たな謎

阪神さんいわく、 C652] 富村氏の甚大な影響を受けています

>>1979年刊「隠された沖縄戦記」に梅沢か、宮城初枝のことが記述されているのでしょうか。
>両者とも記述されています。梅澤氏は富村氏がいなければ初枝さんに会う事も、反撃に出る事もなかったでしょう。


少し驚きました。 私は、「母の遺したもの」に富村順一の記述がないことと1980年12月の宮城初枝と梅沢の再会において、梅沢に壕内の会見の記憶がないように感じられたとの宮城晴美の趣旨からすれば、宮城初枝が単独での意志と行動で梅沢に再会しようとしたように思っていました。

 阪神さんの記述の印象では、中村の記述にある程度の真実性があることになります。
梅沢は、1979年以前に大阪等で自分は座間味の自決命令は出していないという街頭宣伝をしていたのでしょうか。梅沢と富村順一が出会った年はわかりますか。
      富村順一と宮城初枝の接触時期とどのような話がされたのか富村順一の著作にヒントがありますか。

こないだ近所の図書館から、富村順一・「沖縄戦語り歩き 」を借りて読みましたが、自分の興味あるところを注意して読んで、後は読み流してしまったので、座間味住民のとの接触があったという記載があったかどうか憶えてません。
興味あるところとは、第二戦隊の野田元隊長の家に泊まって話を聞いたという部分です。同期の第一戦隊梅澤隊長はスケベだった、戦闘意欲はなかった、という事。それを富村はあっけらかんとバラしています。

梅澤元隊長が生存していると宮城初枝が知ったのは富村からではないと思います。戦後、座間味を訪ねてくる元第一戦隊員から聞いたのだと思います。
関西文庫K氏によれば、老いた富村順一は今大阪で一人暮らしで、まともに相手する者も居ないという話でした。

富村氏の甚大な影響を受けています

和田さんこんにちは。
>1979年刊「隠された沖縄戦記」に梅沢か、宮城初枝のことが記述されているのでしょうか。

両者とも記述されています。梅澤氏は富村氏がいなければ初枝さんに会う事も、反撃に出る事もなかったでしょう。

>富村の著書を読んでいない私には検証出来ません。

富村の著書を読んで検討してください。梅澤が沖縄タイムスに談判にいったり街頭宣伝などをしたのは、富村のやり方に追随したからでしょう。梅澤が富村の影響を受けたり富村に助けられたりしたことは間違いないでしょう。問題はどのような影響を受けたかですが、私も富村の本を読んでいないので、その先はわかりません。

神戸新聞の記者はどちらかというと「左翼」的文化的記者ではないでしょうか。富村のいわゆる「70年代」本の影響はあると思います。

奥崎兼三になれなかった男

 富村順一のことが出たのでこの欄を利用します。阪神さんあたりご存じないでしょうか。
http://www.interq.or.jp/asia/showashi/n-column.htm
http://kakutatakaheri.blog73.fc2.com/blog-date-20080126.html
上記では「座間味について申せば、住民に自決を命じながら自らは「不明死」を遂げたと『鉄の暴風』で非難された梅澤元隊長の健在を突きとめ、隊長命令のなかつたことを確認し、その事実を座間味の宮城初江さんに伝へた沖縄出身の反戦運動家・富村順一氏」となっている。

「母の遺したもの」で梅沢と宮城初枝が再会した時期はhttp://www.eonet.ne.jp/~chushingura/p_nihonsi/episodo/251_300/nenpyo01.htm
1980年12月。
http://osj.jugem.jp/?eid=9

それによると、「その時期については、原告梅澤は昭和57年6月とし、宮城晴美は昭和55年12月であるとし(甲B5 p261。なお、甲B26 p306では昭和56年12月16日となっている)、その点食い違いがある。乙66の2の封筒の消印は、かすれているが1980(昭和55)年とも読め、昭和55年というのが正しいのかもしれないが(梅澤調書p26)、」

原告の準備書面では、富村順一のことはほんの少ししか出てこないが原告応援サイトでは微妙なことが書かれている。
そこで富村順一の著作 http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/%95x%91%BA%8F%87%88%EA/list.html

図書館では「わんがまりあ沖縄」しか見つけることができなかった。 たとえば、1979年刊「隠された沖縄戦記」に梅沢か、宮城初枝のことが記述されているのでしょうか。 もし、記述されているとすれば通説に反する(宮城初枝はすべて自分の考えで梅沢との会見模様を語る気になったのではなく、富村順一の働きかけによるという)可能性も考えなければならないことになります。 

  今のところ、そのような可能性は低いと考えていますが、今ひとつ気になるのが、梅沢がいろいろ語っていることの一部が実は富村順一の情報を基に加工している可能性、これはありうるのではないかと考えています。
 既に梅沢が語っていた座間味の元郵便局長の言葉が実は神戸新聞の中井記者の電話情報に尾びれなどをつけた可能性があることを原告弁護士団の提訴前投稿と裁判記録の齟齬から推定しました。 梅沢と最も接触が多かった沖縄出身者が富村順一であったとすれば、梅沢が語っていることの中に、富村が語っていた情報と他の情報を混ぜ合わせた情報が入っている可能性は充分あると考えているのですが、富村の著書を読んでいない私には検証出来ません。

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キー坊@ウチナー

Author:キー坊@ウチナー
沖縄本島中部、巨大な米軍基地を抱える町の生まれ。
齢を重ねるごとに、沖縄戦へのこだわりが強くなります。
曽野綾子・『ある神話の背景』は沖縄を究極的な軍事基地にする目的を持っています。「集団自決」は沖縄戦の集約された出来事だと思います。『ある神話の背景』は沖縄への抑圧・差別の集約文書です。

HP・「その『神話』の背景」(文献・資料集)
http://keybow.co

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