2017-11

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佐野眞一本・追及の最終

 私が、佐野眞一『沖縄 誰にも書かれたくなかった戦後史』奄美関連部分の記述に対し、しつこく追求を続ける理由は、佐野が書いている以下の部分に沖縄人として、並々でない怒りを覚えるからである。

「すさまじい奄美差別」、
「沖縄人の露骨な差別と非人間的扱いだった」、
「この事実ははほとんど知られていない。というより、沖縄の戦後史の暗部として、なかったことになっている」、
「USCAR(ユスカー)は彼ら在沖奄美人に対して、近世の封建領主が定住地を持たない漂泊の民にとった以上の苛烈な態度で臨んだ。」



 幼少時、沖縄の中部の米軍基地の多い土地柄、自分の周囲にも多く居た「奄美出身者」=「オーシマンチュ」と接触した生活体験から、この佐野眞一の記述はあまりに誇張されていると感じる。
 私が奄美人と接触したのは高校生までであり、特に親しくしている友人が居たのでもないが、十年間は、彼らと学校や近所付き合い等で接した経験がある。子供の頃は相手が奄美出身だろうが、地元出身だろうが、特にそれを意識するものではなかった。奄美出身の級友には、ヤンバル出身や宮古・八重山出身の者に対してのものと、同様の感覚で接していたと言ってよい。佐野眞一がいう「沖縄人の露骨な差別と非人間的扱い」「近世の封建領主が定住地を持たない漂白の民にとった以上」の状況に、在沖奄美出身者が置かれていた事は絶対にない。
 職を求めてきた移住者がほとんどだから、地元の人間に比べれば、平均して裕福とは言えなかっただろうが、沖縄全体が貧しい時代だったから、特別、奄美出身者が経済的貧窮の底にいたという記憶は私には無い。

 羽振りのよさを見せていたのは、やはりキャバレーとか飲み屋関係者が多かったように思うが、レストランで成功していた人も居たし、歯医者でPTA会の役員がいたり、散髪屋、食堂、左官屋、建設現場労働者…。
 建築関係の零細な自営業者が多かったようにも憶えているが、沖縄が日本復帰する少し前からは、被選挙権もみとめられて町会議員も出していた。彼らが奄美人であることを隠すような事は全くなかったと思う。米軍基地の町といっても、都会ではなく、田舎町だから出身地を隠したくても隠せるものではなかった。彼らは「奄美」という引け目を持って小さくなっていた訳でもない。大っぴらに自分らは「オーシマンチュ」であることを公言していた。中学生の時、学校でも、「ぼくらは鹿児島県の人間だ、日本人だ。」と自慢げに言う級友も居た。

 それでも、沖縄(本島)も、生身の人間が構成している社会である限り、他所者への差別があるのは当然な事であろう。どんな社会でも多かれ少なかれ、差別というものは在るに違いない。奄美出身者への差別も、ウチナーンチュの他所者への感覚としてあったと思う。しかし、それが抜きん出て苛烈なものだったとは思わない。ヤンバル、宮古、八重山の者への地域差別も当然あったのであるが、それらと比べて奄美へのそれが特に激しいものであるのではなかった。奄美人が自分らは特に激しく差別されたという主観を持つとすれば、やはり奄美の日本復帰を境に外国人扱いされて、権利を制限された事があるからである。

 しかし、それは今までに述べてきたように、奄美が復帰する前から予想された事であった。支配者である米軍の政府が、外国人となる奄美からの移住者へ、権利制限を図ってくる事は十分考えられる事だったであろう。
 奄美大島など現地では、「断食祈願」をしてまで、全員一致で、鹿児島県という「母県」の下への日本復帰を果たしたのである。それは沖縄には何の配慮もなしに行われたものであった。琉球政府や公営基幹企業の幹部にも多くの人材が居たのであるが、その重鎮たちは、沖縄を取り残しての、奄美の復帰運動に何の異議も唱える事無く、復帰後は静かにその職からの追放を受け入れたのである。

 奄美人が激しく非難する復帰後の急激な権利制限、外国人登録、指紋押捺等は「米国民政府=USCAR」が強行したものであり、琉球行政府はそれに逆らえなかったのである。元々、奄美の復帰運動は、沖縄人の心情に配慮することなく一方的に押し進められたもので、取り残された感覚を持った沖縄人が体を張って、在沖奄美人ために抗議の行動を起こす気持ちになれるものでなかったと思う。そういう事を期待するとすれば、琉球政府副主席とか、米軍所有の諸公社のトップに在った奄美人重鎮とかが復帰実現前に活動を起こすべきでなかったのか?
 そんな活動も言論も無く、黙って役職を追放された。彼らの多くが、そのまま沖縄に留まって別の重職を得たり、数年後には元の役職に返り咲いたりした事を考えれば、「沖縄人の露骨な差別と非人間的扱いだった」とか、「(沖縄は)自分らを収奪するだけ収奪して、あとは弊履のごとく捨て去って一向に顧みない加害者の島だった」、という佐野の記述こそ、すさまじい「沖縄差別」の妄言であると言ってよい。

 「(奄美差別は)沖縄の戦後史の暗部として、なかったことになっている」とも佐野は書いているが、「奄美人への差別」という事は、度々奄美人の方から繰りかえし言われて来たことである。
 佐野の本でも引用されているように、
日本道路争議団アッピール中の松田清の解説文(1952・6・13)、
市村彦二「沖縄の知られざる差別 (『青い海』1972年)」、
中村喬次「異土の同胞(はらから)1984年」、
村山家国「奄美復帰史の中の『琉球統一の嵐の中に』」及び「奄美この十九年(1972年『青い海』)」、
以上のように、奄美出身の「琉球新報記者」、奄美の「南海日日新聞」創立者、記者などが告発調で書いてきた事であり、「なかったことには」なっていない。
 注目すべきは市村彦二・中村喬次の2氏は沖縄の「琉球新報」の記者
だった事ではないか。、両氏とも定年まで勤め上げ、市村氏は重役にもなっているのである。中村氏は今も沖縄で余生を過ごしているようだ。奄美人が「すさまじい差別」を受けている社会でこういう事が在りえるか?

 これらの「沖縄の奄美差別告発」の言論に対して、沖縄のマスコミ、言論人が反論を行ったという論考を私は見たことがない。沖縄社会と沖縄言論界は太っ腹の世界なのだろうか?そうではあるまい。沖縄人は人がよくて、気が弱いのである。自分らに七分の理があっても相手に三分の理があれば、黙ってしまうか謝ってしまう。
 奄美人には、沖縄は奄美を「捨て石」にして、良い思いをしたという言い方をする者がいるが、歴史のどの時点で沖縄は奄美を「捨て石」にしたのだろうか?1609年以後は、奄美も沖縄も共に「薩摩」から搾取・収奪されたのである。その植民地的収奪は廃藩置県まで続いたが、収奪されるだけされた奄美は経済的価値が減ってくると、鹿児島県からろくに資金を投入されずに、貧困を固定化させるという戦争前までの差別政策の下に置かれた。その為に、奄美はそれほどの戦災を受けなかったに拘らず、戦後、産業が立ち行かず困窮の極に達したのである。

 戦時中の奄美は、特攻隊などが配備はされていたが、沖縄が本土防衛の為の「捨て石」になったが故に、鹿児島県という本土の一部だった為、それほどの戦争犠牲者を出さずに済んだ。戦後八年間沖縄と伴に米軍支配下に置かれたが、そこは元々鹿児島県であった為、住民の強い念願により沖縄より19年も早く、日本復帰を果たした。取り残された沖縄は米軍によって土地を取り上げられ、軍事基地の島に恒久化され、その間夥しい数の米兵犯罪、悲惨な航空機・米軍車両の事故に見舞われるという屈辱的状況を強いられた。
 今奄美には一坪の米軍基地もない。地政学的宿命で沖縄には米軍基地が必要だと保守の人間はいうが、すぐ隣の奄美諸島は地政学的に不向きなのだろうか?米軍が早々に奄美を日本に帰したのはそういう事だからなのか?

 こうして近現代の奄美と沖縄の関係を考えてみると、奄美を犠牲にして沖縄が得をしたという事実は皆無といってよい。にも拘らず、奄美が沖縄に、生理的とも思える反感を多々口にする要因は何なのか?という事を私なりに考えてみれば、あの1609年、琉球王朝支配下にあった大島から与論までの「大島郡」が分割、直接支配される契機となった「薩摩の琉球侵略」という痛恨の出来事が、奄美人に民族的トラウマを与えているからではないかと思われる。その時から、物質的にも精神的にも、奄美は沖縄よりもはるかに苛烈な搾取収奪を受けたに違いない。その苦渋の歴史が、大和でもない沖縄でもないというアイデンティティーの不確かさをもたらし、民族的欲求不満が解決されない問題として、奄美人全体に残っていると思える。
 沖縄人は沖縄人で、1609年の事実は、沖縄の無為・無策・無力のせいで奄美に迷惑をかけたという潜在意識が、何につけても奄美人への反論を躊躇わせている要因だと思う。だが、実際に奄美を物質的にも精神的にも、収奪したのは「薩摩」「鹿児島県」である事を沖縄人はもっと認識すべきではないか。

 奄美人は戦後の経済的困窮と相俟って、米軍の行った奄美差別政策を、無意識のうちに沖縄人の奄美差別へと転嫁して、激しい沖縄人批判の声を増幅させたのだと思う。しかし、4百年前の負い目を現在の問題に絡めて、言いたい事を言わないで放置する事は沖縄人にとって、はなはだ不利益な事だと私は思う。現時点では沖縄のほうが惨めな状況にあるのではないか。奄美と沖縄の米軍基地の存在の差異を見てみれば一目瞭然である。戦時中も戦後も、奄美を含む日本本土のために「捨て石」にされているのは沖縄のほうである。

 米軍基地の存在によって、沖縄は補助金を日本政府から貰わなければ、生きて行かれない仕組みにされている。国家権力は金で沖縄人を黙らせる政策を復帰後採ってきた。それ故、沖縄人の骨抜きは相当に進んでいるのだが、金銭的沖縄優遇を見て、沖縄は奄美より多くの金を貰って良い思いをしている、と考える奄美人も居ると思う。(ニセ沖縄人・惠隆之介は、沖縄は不応相に国から金を貰っていながら、怠惰と無能力ゆえに税金の無駄遣いしていると誹謗)。それでは普天間基地を奄美に移転すれば巨額の補助金が下りてくるが如何かと、沖縄人から持ち掛けられれば、奄美人は激怒する事だろう。郷土を売ってまで沖縄と同じような状態になりたくないという防御本能が働くだろう。

 長々と書いてしまったが、要は沖縄人は奄美人からの批判・告発に対しては黙っていないで、正当な反論をしなければならない、という事である。過去に奄美人新聞記者などの「正常」な奄美知識人から為された批判・告発に対しては、躊躇わずに反論すべきであったと思う。無視する事は怠慢であって、「沖縄の酷い奄美差別」という観念を固定化させてしまったように思えるのである。 
 また、惠隆之介・惠忠久・奥茂治・江崎孝などの「特殊奄美人」「ニセ沖縄人」たちを跋扈跳梁させる下地を作ったようにも思える。彼らは、反論しない沖縄の言論界をなめ切っていると思える。「集団自決裁判」に関して沖縄で暗躍し、大和の歴史歪曲勢力に少なからず貢献しているのである。そして、今回、奥茂治と惠忠久の「特殊」奄美人二人は、佐野眞一という通俗ノンフィクション作家に歪曲材料を提供するという悪さをしている。これは佐野眞一に抗議しなければならない事である。
 また、「一般」奄美人に対しては、沖縄から毅然としたメッセージを送るようにしなければ、何時までも彼らは「固定観念」に捕われたままになると思う。それでは両者が共に解放される日は遠ざかるばかりである。
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クジムチさん。ウチナーンチュが来てくれて大変うれしいです。
 実をばらせば、プロフィール写真は自分のものでありません。自分と同年代のベテラン俳優の若い頃の写真です。昔は似ていると言われましたが、今は言われず、あんなにカッコいい者でもないです。

クジムチさんも、現在若者ではないとすれば、自分の経験上、あの佐野本の「沖縄の奄美差別」の文章はとても受け入れ難い内容だと思いますよね。
それ以外の「小文字」で書いたという沖縄社会の裏話は、興味深い所もあって、それほど不快感は私は持ちません。面白い読み物ではあります。
 かといって、沖縄社会の真実を明らかにしたというほどの作品ではないと思います。大江・筑紫を軽くいう態度はいただけないです。

今私は本土に住んでいるのですが、長く住むに従って、大和社会の差別の底深さは沖縄の比ではないと感じます。また、真綿で首を絞めるような圧迫感。ヤマトゥンチュ自身が生き難さを感じて、沖縄へ「癒し」を求めて、大勢出掛けるのだと思います。沖縄の奄美差別を、大和の「部落差別」及び「在日差別」と同列に論じるのは、仰るようにおかしい事です。前世代の奄美人が沖縄を罵る要因は、鹿児島から受けた長年の抑圧のはけ口にしたいからだと思ってます。(沖縄人はもっと奄美への関心を持たなければ成らないと思いますが)

 そんな沖縄が、奄美への「すさまじい差別と非人間的扱い」などという佐野の言い方は、到底承服できるものではありません。佐野の本をこれ以外に読んだ事ないですが、「通俗ノンフィクション作家」の称号を贈りたいと思います。

ガンバウ1チナーがいた。祝!

いやぁ お年は若くはないと思うが50を超えている印象はないねぇー。でもあのプロフィールの写真が実物だとすると若い。感心して、これからも拝読させていただきたい。
佐野という人には切れはない。面から受ける感じはおばさんだ。だから突っ込む力はあまりない。まず差別の問題を本土の内の部落差別と同質の問題ととらえているのではないのか、おばさんだから部落問題には逃げ腰でありながら奄美差別を強調する。俳優の山城新伍さえ部落差別を扱って「チョメチョメ」という工夫をして社会問題に挑んだのだが、逃げているのなら大きなことを言うなといいたい。
陽性の差別いわゆる好き嫌いは誰にでもある。民族差別、部落差別を同列に論じるバカ。奄美人だから結婚はお流れになった話はないが部落出身とわかると破談になる話とは次元が違う。沖縄を持ち上げたキャスターの筑紫をからかって語られたくない沖縄をアピールしたが所詮ヤジウマ。

追記

佐野眞一の『沖縄 誰にも書かれたくなかった戦後史』は3年近く雑誌に連載されたものであり、650ページもあって、沖縄の裏社会、警察関連事、財界巨頭、政治家の裏話、芸能界等など、沖縄の裏戦後史を網羅している。散々貶してから言うのもナンだが、そういう点で、よく出来たノンフィクションであると言ってよい。

沖縄出身者でも、この本で、初めて知る事が多い。例えば、中村テル兆(てるあき)元立法院議員の失踪事件と変死事件、それにまつわる米軍現金輸送車強盗事件、沖縄の人間でも興味深く読むと思う。大和人の作家だから、ここまで証言者から聞き出せたのではないかと思う。証言者も同じ沖縄の人間には話しにくい事も、他所の人間には話せるという事もあるだろう。 
佐野の言う「小文字言葉」で語られる沖縄裏話はむしろ沖縄の人間にとって、興味深い読み物となっていて、書かれたくないような内容ではない。

だが、それは記述に嘘や歪曲が無いという前堤があってのことである。多少の脚色は仕方ないとしても、大幅に誇張して、当事者の名誉を損なう記述をしてはいけないのは当然である。
惠忠久、奥茂治から聞き取ったという「沖縄人による奄美人差別物語」は、到底納得の行くものではない。佐野眞一は、それに何の検証も加えずに、かつて「すさまじい奄美差別」が、隠された沖縄の暗部として存在したかのような記述をしている。既に、ウィキペディアには、この本を出典としたらしい「沖縄の奄美差別」と言う項目が載っている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%96%E7%B8%84%E3%81%AE%E5%A5%84%E7%BE%8E%E5%B7%AE%E5%88%A5

沖縄人全体に対しての許しがたき「名誉毀損」と言うしかない。一部分にとんでもない記述があるために、この本全体が私にとっては疑わしいものと成っている。

ようこそ。

かんまに さん、コメント有難うございます。
佐野眞一の『沖縄 誰にも書かれたくなかった戦後史』というノンフィクションは、私が批判している「沖縄による奄美差別」の部分を除けば、上手く書かれていると思います。

だが、奄美に関する部分は、惠忠久(国旗国歌推進県民会議会会長)、奥茂治(元自衛官)という背中に日の丸立てた特殊奄美人から聞いた内容を、そのまま書いています。
一部分でも、そんな歪曲記載があると、本全体への疑惑が生まれてしまいます。

きました!

リンク飛んできました!ものすごくありがたいです。こういう情報を探していたのです。沖縄(というか、それ以外の県でも、自分の住んでいる地域以外すべてですね)について詳しくないなか、「なんだかなぁ・・・」という情報があふれかえっているなか、キー坊さんのような人に出会えて良かったです!
また、やってきます!

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キー坊@ウチナー

Author:キー坊@ウチナー
沖縄本島中部、巨大な米軍基地を抱える町の生まれ。
齢を重ねるごとに、沖縄戦へのこだわりが強くなります。
曽野綾子・『ある神話の背景』は沖縄を究極的な軍事基地にする目的を持っています。「集団自決」は沖縄戦の集約された出来事だと思います。『ある神話の背景』は沖縄への抑圧・差別の集約文書です。

HP・「その『神話』の背景」(文献・資料集)
http://keybow.co

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