2017-10

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誇張された奄美差別 3

 佐野眞一・『沖縄 誰にも書かれたくなかった戦後史』の中の「空白の琉球弧――奄美群島」は、惠忠久という「特殊」奄美人から聞き取った事を、そのままルポした噴飯モノのフィクションとなっている。まだ奄美が復帰しない戦後間もない頃の、沖縄の新聞の犯罪報道を取り上げて、沖縄のマスコミがいかにも奄美人差別を煽り立てていたかのような書き方をしている。

 奄美人差別をそそのかすような報道姿勢は、実は奄美の復帰前から始まっていた。
 戦後、ガリ版刷りの紙面から始まった沖縄タイムスや、沖縄各地の捕虜収容所で配布されたうるま新報(終戦で休刊を余儀なくされた明治二十六年創刊の琉球新報に昭和二十六年統合)の紙面を通覧していくと、奄美人を特殊視する見出しのオンパレードである。

 
 ・ピストル男は大島生れの脱獄囚(昭和二十四年十月一日 沖縄タィムス) 
 ・転落の女二十六名、那覇署が密淫狩り(昭和二十五年五月二十三日 沖縄タィムス)
  摘発された娼婦の二十六名中、二十名が大島出身者だったと報道。
 ・食えない大島、沖縄に出る外なし(昭和二十五年六月十五日 沖縄タィムス)
 ・夜の街に暴力は乱舞(和二十六年一月二十八日 うるま新報)
  大島出身の暴力団が市民生活を脅かしていると報道。
  ・大島青年米兵を刺す 闇の女めぐる兇劇か(昭和二十六年二月五日 うるま新報)
 沖縄の新聞は、たとえば屋台の食い逃げであっても、その容疑者が「大島生まれ」なら、ここぞとばかり書き立てた。

 挙げられた見出しの数々を見れば、なるほど沖縄の新聞は奄美(大島)の人間を殊更、を非難・侮蔑していると、読む者は思わされるだろう。
 私は国会図書館のマイクロで、その報道がされた「沖縄タイムス」の昭和二十四年十月、昭和二十五年五月と六月。「うるま新報」の昭和二十六年一月と二月の記事を見てみた。確かに上に挙げられている記事の見出しの記述はその通りである。

 だが、両紙社会面の記事で、見出しに「奄美(大島)」が記載されているのは、上から一番目、三番目、五番目の三件しかなかった。二番目と四番目は見出しには「奄美(大島)」の記載は無い。二番目記事は、本文中に逮捕・検挙者26名中「大島」生まれが20名いる、と書かれているが、検挙者の名前は沖縄人の名前が数名書かれているのである。
 四番目の記事(うるま新報)には、別々の4件の暴力記事が載っているのだが、その内2件で「大島」出身者が犯人だと書かれている。他の1件は犯人未検挙の事件、もう1件は八重山人同士のケンカで一人が逮捕され、もう一人の八重山出身者は同日別記事に、別事件で逮捕されたと書かれている。

 一番目の「ピストル男は大島生れ」という見出しにしたのは、犯情が重いからである。本文には「大島郡和泊村柳元某は … 宮古生まれの具志堅某と共謀して … 逃走した」と書かれている。脱獄した上に、逮捕された時にピストルを持っていたから、重大視したのであろう。その故に見出しに「大島」を入れたのである。

 当時の別の犯罪報道を見てみても、本文には必ずと言って良いほど、犯人の住所はもちろん、出身地も書いているのだ。おそらく、沖縄の都市化が始まった時期で、犯罪者の出自に興味を持つ時代であったのだと思う。重大な犯罪の場合は、犯人がどこの出身であっても、見出しにその出身地を載せている。
 
 例えば、戦後沖縄で初の死刑判決を下された「壺屋強盗殺人事件」(昭和二十六年一月十三日・1951.1.13)の報道の見出しは、
「有効な目星つく 密航日本人と窃盗常習宮古人」とある。これは端的な例であるが、事が重大な時、見出しに犯人の出身地を載せるのである。特別、奄美(大島)出身者だけが、悪しざまに報道されていたのではないのである。(密航日本人とは佐賀県出身の高島某、無期に減刑され後、復帰恩赦でs47年頃釈放) 

 佐野眞一が書いた見出しが載った月の、6ヵ月分を見ただけであるが、「たとえば屋台の食い逃げであっても、その容疑者が『大島生まれ』なら、ここぞとばかり書き立てた。」という事実は断じてない、と言える。第一、沖縄には「屋台」という移動式食い物屋は当時も今も無いはずである。それは比喩的な言い方だとしても、屋台の食い逃げでも、当時の報道慣習として犯人の出身地を、本文に書く事は奄美(大島)に限った事ではなかったし、重大事件の場合は見出しにも出身地を載せた。
 その他、タイムスS24.2.22記事に「朝鮮人からもらった ニセ札犯人追求中」という見出しの記事がある。本文は、
「清某(39)ら3名。朝鮮人から14万円のニセ札をもらって7.500円は大島で使い、13万円は今度の糸満で、残りの1.500円は捨てた …」
 
犯人は奄美(大島)出身である事がうかがえるが、見出しに奄美と書いてあるわけでない。
 佐野眞一は、奄美の日本復帰前のs24年~26年頃の事件記事から、奄美をとり上げたものを抜書き、列挙して、さも沖縄の新聞は奄美差別を煽り立てる記事のオンパレードだったと見せかけているのだ。

 この沖縄の新聞報道に対する佐野眞一の記述は全て、惠忠久からの聞き取りを鵜呑みにして書かれたものであり、沖縄の報道界への、というより沖縄社会への中傷ルポルタージュというべきである。佐野は惠の言うことが大袈裟であることを承知の上で、このような中傷ルポを書いた可能性も強い。
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追記

沖縄が復帰する前から長年、琉球新報社員であった市村彦二氏(奄美生まれ)が、1972年「青い海」に書いた「沖縄の知られざる差別」という告発論考がある。http://keybow49okinawan.web.fc2.com/itimura/itimura1.html
その中に、
「戦後、沖縄で活躍し、沖縄の人にもよく知られているのは、初代琉球銀行総裁の池畑嶺里氏、初代琉球開発金融公庫総裁宝村信夫氏、現琉球電力公社総裁屋田甚助氏、初代副主席泉有平氏、初代文教局長奥田愛正氏らがある。」
という一文がある。
屋田甚助氏はとっくに電力公社に復帰していて、沖縄の祖国復帰直前まで総裁の職に在ったのである。
市村彦二氏自身にしても、沖縄を告発する論考を発表していながら、「琉球新報」に定年まで勤務し、経営陣にも加わり、他のマスコミにも天下りしている。また那覇市社会教育委員の地位にもいた。

中村喬次氏も、沖縄復帰の年に「南海日日新聞」から「琉球新報」に転進し、「異土の同胞」というこれまた沖縄告発を含む長期連載を、1984年(s59)、古巣の「南海日日新聞」に行っている。彼もまた定年まで勤め上げ、現在も沖縄に在住している。
http://keybow49okinawan.web.fc2.com/harakara/prologue.html

彼らの行動を見てみれば、沖縄社会が本当に、奄美人への凄まじい差別に満ちた社会かどうか考えてみる必要があるのではないか?

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Author:キー坊@ウチナー
沖縄本島中部、巨大な米軍基地を抱える町の生まれ。
齢を重ねるごとに、沖縄戦へのこだわりが強くなります。
曽野綾子・『ある神話の背景』は沖縄を究極的な軍事基地にする目的を持っています。「集団自決」は沖縄戦の集約された出来事だと思います。『ある神話の背景』は沖縄への抑圧・差別の集約文書です。

HP・「その『神話』の背景」(文献・資料集)
http://keybow.co

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