2017-08

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ユタシク(宜しく)お願いします。

曽野綾子著「ある神話の背景」は、1973(s48)年に出版されて、沖縄の言論界に大きな打撃を与えた。
渡嘉敷島の島民の「集団自決」は、守備隊長・赤松嘉次大尉の「自決命令」によって強制されたものと、戦後、遍く思われていたが、曽野氏は厳密な現地調査を行った結果、赤松隊長が「自決命令」を出したという何の証拠も、一人の証人も居なかったという。
住民の集団自決は、お国の為にと自発的になされたものであって、「隊長命令」は、遺族が「援護金」を受給するための捏造であった。悪鬼のごとき日本軍守備隊長が「自決命令」を出したという言い伝えは、「神話」つまり作り話に過ぎなかったという結論を出したのであった。

「集団自決」のみならず、赤松隊による10数名にのぼる住民の処刑もまた、戦時中のやむ得ざることであり、赤松隊長および隊員の犯罪とする事は出来ない、としている。また、特攻不出撃の弁解・正当化、兵隊よりもはるかに多い住民を死に追い込んでおいて、自分らは生き長らえた事などなど、特攻隊・赤松軍の全ての所業の全面的弁護に終始しているのが、曽野綾子の「「ある神話の背景」というノンフィクションである。
このような一方的に、戦時中に沖縄で日本軍がなした行為を弁護した本が、「歴史の実証」をなし得た作品と言えるかどうかの検証をしたいのが、小生がこのブログを立てた本意である。

もとより、私ごとき浅学非才な市井の者が、一人で追求するには荷が重いテーマである。先達の研究家の方々の論文、および同じテーマに関心をお持ちの、このブログを閲覧してくれる方々の意見を伺いながら、検討を進めて行きたい。尚「ある神話の背景」はタイトルを変えて、「沖縄戦・渡嘉敷島・『集団自決の真実』・日本軍の住民自決命令はなかった!」という文庫本で、WAC出版から06'5月に再刊されている。

ブログという形式のサイトで、特定の作家の論文を初っ端から、大分のモノを載せる事は適当でないかもしれないが、ご容赦いただきたい。
左欄の記事名は新しい順に並んますが、石田郁夫氏のルポを発表年次順に、読んでいただきたいと思うので、本文は当分は掲載順に並べます。

石田郁夫・各論考最初のページのリンク(初出、年・月)

沖繩の断層(67年11月) 

慶良間の虐殺(68年4月)

集団自決の「記録」と「真実」の間(69年2月)

サンデー毎日記事(72年4月)

赤松隊公式陣中日誌(上)

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テーマ:歴史 - ジャンル:政治・経済

コメント

カンボジア虐殺と対比して

キー坊さん
失礼いたしました。
さて、カンボジア内戦から相当年数が経過しています。ポルポト政権幹部の虐殺行為を犯罪として告発しようとする試みがなかなか進展しません。
このことと、渡嘉敷島の事例に似たものを感じました。
日本の敗戦は曖昧に終戦とされ、政権幹部には復活した者もいたし、下級幹部はそのまま行政に関与し続けました。 一方、カンボジア内戦はフン・センというベトナムに担がれた系譜を持つ政権が冷戦後なし崩し的に脱ベトナム化し、他の諸勢力と曖昧に和解統合されたという印象です。 その過程でポルポトは生け贄にされたようですが、ポルポト派の幹部は虐殺などの責任を問われないという密約があったのかどうか。
TV報道などによれば、ポルポト派の虐殺を告発しようとする人達に、躊躇・逡巡がみられるようです。  被害者と加害者が交錯し本意ではなくとも虐殺の共犯者になっていることなどが一番の原因でしょう。

石田記者の記事を見て半ば驚き半ば納得したのですが、赤松の大城訓導処刑に賛成する島民が結構いて、大城氏がよそものであることが最大の理由のようです。
また、安里巡査を宿泊させた島民は安里巡査から情報を得ていること、安里巡査に同調していることなど宿泊させた軍人を善人と認識している傾向もみてとれました。
赤松は自分に最後までついてきた島民と他の島民との間に対立が生じたと語っていましたね。
それと初めて大宅壮一の「動物的忠誠心」という表現を知ったのですが大いに参考になりました。私のイメージは犬ではなく、サーカスで芸をするために鞭で調教される猛獣です。
NIO615さんのサイト
http://www16.atwiki.jp/pipopipo555jp?cmd=upload&act=open&pageid=1873&file=w%E6%9C%9D%E6%97%A519700821k08.jpg
によると1970年3月を皮切りに200人以上の自決者が叙勲されることになっていた。
「ある神話の背景」でも赤松隊の一人が富山氏に多数の叙勲者が出るとの話を聞きたくなかったとなじる場面がある。  実際はそんな柔な感じではなかったのではないか。
渡嘉敷島公式サイトには叙勲祝賀会の記事がない。
私には、年金と並んでいや、それ以上に叙勲それに続く祭りに水を差されないために島民は赤松命令説を放棄し融和の道を歩んだように思える。
赤松の遺品(生前かも)の時計などを展示したのも融和の一環だろう。
しかし、曽野綾子は赤松をも上回った。周知の通り、家永氏の教科書裁判で曽野綾子は国側証人として活躍する。 その後も新しい歴史教科書を作る会に裁判を働きかけている気配が濃厚である。

渡嘉敷島の島民も問題があった。靖国カルトの呪縛が抜けていない島民も多く年金受給・叙勲で癒され満足する風潮があった。 その中でその一派は、隊長命令はもちろんのこと、軍の関与まで抹殺し、あくまでも島民の自発的美しい行為として顕彰することに突き進んだ。
富山氏はある時点まで曽野に従ったが、ある一線で我慢できなくなり手榴弾配布の件を明かす。  以上確証はありませんが、キー坊さんの赤松命令承諾説に対する別の観点からの反対意見です。

赤松の玉井への命令承諾

和田さん、コメント有難うございます。
この件については、山崎ブログでも、ni0615掲示板でも議論したことありますね。議論しても憶測のやり取りの域を出ることはないので、それほどの意味のあることではないと思っていますが、気に掛る事柄ではありますね。

私は照屋昇雄証言が出たから、自決命令の玉井懇願・赤松承諾があったと考えるように成ったのではないです。その前から、玉井村長の赤松に対する寛容な発言ぶり、曽野綾子取材への便宜の計らい等から、そのように考え始めていたのです。
座間味では、宮城初枝は村の長老から、隊長命令が在ったかと調査官から聞かれたら、「はい」と答えるようにと指示をされ、彼女はその通りの答えをしてしまったという事実。長老は必要があって、初枝にそのような指示を出したのではないかという気がします。
座間味でも渡嘉敷でも、末端の厚生省役人から、一般戦死者との区別化を図る手続きの問題として、「隊長命令」の存在を要求されたのではないかと、推測に過ぎませんが、私はそんな考え方を捨てきれないのです。

もちろん、作る会などに買収されたに違いない照屋昇雄の証言は矛盾多くて、そのまま信じられるものではありません。しかし、彼はその当時、援護手続きの内部情報を知り得る役職にいた事は確かです。玉井・赤松の「密約」が存在したから、それを大幅に脚色して証言したのではなかろうかと、あくまでも憶測に過ぎませんが、そう思うのです。

今回、石田郁夫のルポを読んでみて、その考えが強まっています。67年当時、現地では赤松隊を恨む声よりも讃える声のほうが多かった。72年に、石田が赤松に面会して、渡嘉敷慰霊祭にナニゆえに行く気になったかと問うたら、「遺族会からの懇請があったから行った。かつて自分を悪役に仕立てた事を水に流して欲しいという気持ちからでしょう」と、傲慢とも思える答え方をしています。これは、渡嘉敷村に「貸し」が有るという意識から出たものと想像しています。

最後にお願いですが、小生のハンドルネームは「キーボー」でなく、「キー坊」です。長く使っていますので「キーボー」ではしっくりこないので、ユタシク(宜しく)お願いします。

赤松の自決自認はありえない

キーボーさん
別の所に書いておられることですが、ここに感想を書かせて下さい。
キーボーさんは玉井村長が赤松隊長に自決命令を出したことを依頼し、赤松が承諾したという説のようですが、成立しないと思います。

第一にそんな事実があれば、照屋証言の前に赤松隊や曽野綾子からそのような説が出されないはずがない。実際、曽野綾子は年金のせいで赤松命令説が捏造されたと「ある神話の背景」で記述したのだから、照屋証言のような事実があればここぞとばかり言いつのったに違いない。

第二に照屋証言は時間的に成立しません。
1957年7月に「戦闘参加者処理要綱」で集団自決を含む20類型が決定されている。
ところが、照屋証言に拠れば1956年1月に赤松の自決命令を示す書類を厚生省に提出したことになっている。
順序が逆でしょう。パターンを設定し、しかる後に(渡嘉敷島等の)個別案件についてパターンに該当するかどうか検討するのが順序というものです。
パターンが確定せず、検討中であるのに個別案件をパターンに当てはめるかどうか確定させるなどありえない転倒した与太話。
閣議で個別案件を検討するはずもなく、政令では、年金申請の手順は遺族等が市町村から都道府県という経路で厚生省に届けられ、個別の申請が却下された場合には国の「審査会」に不服申立をするという順序です。 
現実には市町村・都道府県段階で申請の可否がほとんど決定されるシステムです。制度的に連名で多数の住民が同時に申請するわけでも、事前承認制でもない。

第三に渡嘉敷のみ隊長命令が要求され、渡嘉敷と対になる相次形の座間味で隊長命令が要求されないという片手落ちはありえない。 あれほど執拗に自分が隊長命令を出していないと主張し続ける梅沢は今に至るまで厚生省に隊長命令があった報告をしたと語っていない。座間味でそのようなことがあったという主張はない。

以上から照屋証言は死亡した赤松と玉井村長を利用した捏造と考えざるをえない。
1968年と1970年以後の赤松に対する村民の態度が変わっているのは事実。1971年当時、戦闘の様相執筆関係者が生存していながら執筆時期を語る者がいなくなることから考えて赤松や曽野の年金攻撃が効いているとみるのが自然。

No title

>親切至極なご指導

とんでもありません。
意見を発表するまでの苦労はお互い様です。
それを無視する "ええかっこしい" には、
狂ったように、はむかったものでした。

とはいえ、数年前までは
けっこうホームページ作成にも興味があったので、
さほど苦労ではなかったんですが・・・。

感謝!

ni0615さん。

かゆい所に手の届くような親切至極なご指導、この上なく有難たく思います。
あちらの指導ブログにも、感謝の弁をコメントしました。

No title

こちらにリンクのつけ方を図示しました
http://ni0615.blog73.fc2.com/blog-entry-2.html

No title

>各論考の1ページ目のURLは書き込みましたが、リンクになってませんね。

これでも十分助かります。アドレス欄に放り込むとかすればいいのですから。ありがとうございました。

リンクの仕方は、編集画面の欄外に「ブログの書き方」とかがあって、その説明はないですか? たぶん。
いろんなブログで、いろんな文法が微妙に違うものですから・・・。

URLは書き込んだが…。

ni0615さん。
度々のご助言、有難うございます。

各論考の1ページ目のURLは書き込みましたが、リンクになってませんね。
よりましなやり方ありましたら、ご教授ください。

ここに

キー坊さん
せっかくのアップ御奔走にもかかわらず、わたしの読み進めが遅々としています。お願いばかりですいません。

この最初のページに、各論考の最初のページへのリンクをつけていただけると助かります。左欄の<最近の記事>の中には収まらないようなので。

自己レスです。

初めてブログなるモノを作ってみました。
もちろん、沖縄・慶良間の戦時中の出来事を歪曲しようとする論者、特に曽野綾子への追求・批判の為にです。

次のエントリーでは、石田郁夫氏の初出記事をテキスト化したものを掲載しようと思ってます。

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キー坊@ウチナー

Author:キー坊@ウチナー
沖縄本島中部、巨大な米軍基地を抱える町の生まれ。
齢を重ねるごとに、沖縄戦へのこだわりが強くなります。
曽野綾子・『ある神話の背景』は沖縄を究極的な軍事基地にする目的を持っています。「集団自決」は沖縄戦の集約された出来事だと思います。『ある神話の背景』は沖縄への抑圧・差別の集約文書です。

HP・「その『神話』の背景」(文献・資料集)
http://keybow.co

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