2009-10

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野田隊長の資質

 1945年3.26、米軍が上陸すると同時に、阿嘉島で朝鮮人軍夫を二十名ほど連れて投降したのは、染谷という少尉であった。沖縄戦軍人捕虜1号である。当時少年儀勇退として軍に協力していた中村仁勇氏の証言によると、普段から染谷少尉は、「阿嘉の人は、いったい日本が勝つと思っているのかなあ」などと、軍人にあるまじき言葉を発していたそうである。根っからの非戦主義・厭戦主義者のように見えるが、日本軍将校になったくらいだから、最初からそんな言動をしていたのではないだろう。

少々変わり者だったという事だろうが、将校である彼にそんな言動をさせた要因は、もちろん彼が日本軍の敗戦を確信していたからであるが、指揮官である野田戦隊長が日本の敗戦を確信していて、命賭けての戦闘を行う意志を失くしていたからだろうと思う。指揮官の平生のそういう雰囲気を敏感に察知していた部下は少なからず居ただろう。住民の前とはいえ、戦闘前から染谷少尉が「厭戦」の言動を度々見せたのは、隊にそんな雰囲気が在ったからだと推測できる。
染谷に続いて次々兵士が投降したようだから、渡嘉敷の第3戦隊に比べると、阿嘉・慶留間の野田隊にはそういう雰囲気が強くあったと言ってよい。副官の竹田少尉も本田靖春に次のように言っている。

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1945年阿嘉島の平和交渉

 1945年6月26日、慶良間諸島の阿嘉島の海岸で、阿嘉島に進駐していた海上挺進隊第二戦隊の野田隊への降伏勧告の交渉が行われたという事実は、沖縄戦の出来事してはかなり異例の事だろう。降伏もしてない敵同士が遭えば、戦闘になるのが当然の戦時中に、お互いを信頼し切ったかのような会談が行われたのである。一通りの話し合いの後、米軍の計らいで昼食まで一緒に取ったという。これには双方の隊員の気質等、偶然の要素が絡んでいると思われる。
面白い事は、戦闘で負傷し既に捕虜になっていた第一戦隊の梅澤裕隊長も、米軍側の交渉役としてこの会談に加わっていた事である。

私が見ただけで、この出来事をレポートした三編の出版物がある。HPにアップしておいたが、発表順に並べれば、

「沖縄県・阿嘉島の夏」本田靖春、1987ー「小説新潮」に連載したルポの一章。
「大谷海岸での米軍との交渉」儀同保、1992ー著書「ある沖縄戦」より沖縄戦史サイトに転載されている。
「阿嘉島の平和交渉」上原正稔、1995ー「沖縄戦トップシークレット」の一項。

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1954年7月 社会面記事

またまた、奄美話題になって申し訳ないのだが、国会図書館に行く機会があったので、もう一度昭和20年代の沖縄の新聞記事の社会面を見てみた。
奄美復帰7ヵ月後の昭和29年(1954)7月の沖縄タイムスを見たのだが、拙記事10.12のエントリーで紹介したS24~26年頃の社会面と比べての違いは、見出しに犯人の出身地を書く事が無くなっている事である。
窃盗、強盗、殺人、暴行障害、詐欺、重大な交通事故など、犯罪報道は一日に1~3件、月に50件ほどあるのであるが、見出しに奄美或いは大島が出たものは一件もない。奄美だけでなく見出しには犯人の出身地を書く事は無くなっている。記事本文を読めば、出身地を書いてある記事はまだ多いが、以前よりは少なくなっている。

その1ヶ月の中で、本文中に犯人が奄美あるいは大島出身と書いてあるのは、5件であった。
下に、目に付いた8件の記事を載せたが、全部が犯罪記事ではなく、また、奄美に関係のない記事も載せてある。それらと関連付けて、沖縄の新聞がことさらに、奄美の人間を悪く書いたという佐野眞一、惠忠久、奥茂治の言う事が誇張されたものである事を説明したい為である。コピーは取ってなく、文章は、図書館でメモしたものを元に記憶を呼び起こして自分流にまとめたものだから、原文とはかなり違っているだろう事をお断りしたい。

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佐野眞一本・追及の最終

 私が、佐野眞一『沖縄 誰にも書かれたくなかった戦後史』奄美関連部分の記述に対し、しつこく追求を続ける理由は、佐野が書いている以下の部分に沖縄人として、並々でない怒りを覚えるからである。

「すさまじい奄美差別」、
「沖縄人の露骨な差別と非人間的扱いだった」、
「この事実ははほとんど知られていない。というより、沖縄の戦後史の暗部として、なかったことになっている」、
「USCAR(ユスカー)は彼ら在沖奄美人に対して、近世の封建領主が定住地を持たない漂泊の民にとった以上の苛烈な態度で臨んだ。」



 幼少時、沖縄の中部の米軍基地の多い土地柄、自分の周囲にも多く居た「奄美出身者」=「オーシマンチュ」と接触した生活体験から、この佐野眞一の記述はあまりに誇張されていると感じる。

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「食えない大島…」の記事本文

 しつこく、佐野眞一・『沖縄 誰にも書かれたくなかった戦後史』の中の「空白の琉球弧」を追求して行く。

 挙げられた新聞見出しの三番目、「食えない大島、沖縄に出る外なし」(昭和二十五年六月十五日 沖縄タィムス)についてであるが、これは奄美人が犯した事件を書いた記事ではない。記事全文は次のとおりである。(青字)

 「食えない大島 沖縄に出る外なし」

 大島連絡事務所言う
 ・・・・・・・・・・・・・・・・
 志喜屋知事は軍との連絡会議で、大島からの渡航についての措置をミラー軍政官に要望したが、松葉大島連絡事務所長は次のように語っている。

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誇張された奄美差別 3

 佐野眞一・『沖縄 誰にも書かれたくなかった戦後史』の中の「空白の琉球弧――奄美群島」は、惠忠久という「特殊」奄美人から聞き取った事を、そのままルポした噴飯モノのフィクションとなっている。まだ奄美が復帰しない戦後間もない頃の、沖縄の新聞の犯罪報道を取り上げて、沖縄のマスコミがいかにも奄美人差別を煽り立てていたかのような書き方をしている。

 奄美人差別をそそのかすような報道姿勢は、実は奄美の復帰前から始まっていた。
 戦後、ガリ版刷りの紙面から始まった沖縄タイムスや、沖縄各地の捕虜収容所で配布されたうるま新報(終戦で休刊を余儀なくされた明治二十六年創刊の琉球新報に昭和二十六年統合)の紙面を通覧していくと、奄美人を特殊視する見出しのオンパレードである。

 
 ・ピストル男は大島生れの脱獄囚(昭和二十四年十月一日 沖縄タィムス) 
 ・転落の女二十六名、那覇署が密淫狩り(昭和二十五年五月二十三日 沖縄タィムス)
  摘発された娼婦の二十六名中、二十名が大島出身者だったと報道。
 ・食えない大島、沖縄に出る外なし(昭和二十五年六月十五日 沖縄タィムス)
 ・夜の街に暴力は乱舞(和二十六年一月二十八日 うるま新報)
  大島出身の暴力団が市民生活を脅かしていると報道。
  ・大島青年米兵を刺す 闇の女めぐる兇劇か(昭和二十六年二月五日 うるま新報)

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偽沖縄人・狼魔人の妄説

 私が「偽沖縄人」と断定している狼魔人こと江崎孝は、とにかく沖縄と沖縄人を中傷・誹謗することを、人生の使命としている物書きだ。米兵が沖縄人相手に事件を犯せば、あらゆる理屈を駆使して米兵を庇い、沖縄人被害者の落ち度を針小棒大に言上げて、米兵の責任を無い事にしようと血道を上げるのが、彼の常套的手法である。

 最近のブログ記事でも、去年12月に金武町伊芸で起きた、米軍による被弾事件をしつこいほどに取り上げて、米軍無実論をこれでもかこれでもかと繰り返している。それほどにしつこく言うほどの根拠が有るのかと思えば、考えられないほどのお粗末見解でもって、米軍を弁護しているのである。

 事件の起きた日を12月10日であると、被害者(被弾した車の持ち主の祖母)が証言していることに対して、米軍は独自の調査後、事件は12月10日ではなく11日以後に起きたのであって、11日には射撃訓練は終わっているから、事件は米軍とは関係ないものだという、最終報告を行った。
その報告書では、被弾した車は10日にはまだ現場に駐車されてなく、11日から駐車されたのだから、その弾は米軍の実射訓練の物ではないとしたのである。ところが、報告書は何故、被害車は10日にはまだ駐車されてなかったのかの理由は述べてない。

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誇張された奄美差別2

 「空白の琉球弧」で佐野眞一は惠忠久と次のような一問一答をしている。(茶字・佐野青字・惠)

――奄美出身者は公職からも追放されたようですね。
「当時、琉球政府の行政副主席で立法院議長を兼ねていた泉有平さんが解任されました。琉球銀行の初代総裁だった池畑嶺里さんも追放されたし、復興金融公庫総裁の宝村信雄さんも、電電公社総裁の屋田(おくだ)甚助さんも追放されました」
――エェッ、沖縄政財界の重鎮たちが、全員クビですか。それはすきまじい。
「持に、琉銀総裁の池畑さんの場合はひどかった。復帰前日の十二月二十四日に、しかも、鹿児島に仕事で出張中に突然、解任されたんです」
 池畑解任の理由は、琉球の中央銀行たる琉銀のトップに"外国人〃の総裁を置いておくわけにはいかない、という理不尽なものだった。
「電電公社総裁の屋田さんが、僕によくこぼしていました。USCARは沖縄人をどんどん採用しろというけれど、入社試験をやったら、成績の一番から七十番までほとんど奄美人だった、だから奄美人を採用せざるを得ない。ところが、奄美人は採用するなという通達があって部長以上は全部免職になった、と」

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誇張された奄美差別

 最近、小ブログは奄美話題の記事が多くなっている。「ある神話の背景」追求という主旨からはずれているが、「大江・岩波裁判」に関して、惠忠久・奥茂治等の長年沖縄に在住している特殊な奄美人が、原告側のために暗躍している事が明らかに成ったからである。両人が幹部を務める「三欣会」という組織が照屋昇雄氏を原告側に手引きしていたのである。宮平秀幸を、「つくる会」などに引き合わせた人物は奥茂治のようだ。
 また、奄美血筋の偽沖縄人・惠隆之介ともう一人の偽沖縄人・江崎孝(狼魔人)が、目に余る沖縄誹謗の言論を書物やブログで繰り広げている事にも我慢が成らないからである。江崎は「うらそえ文藝」の発刊に関しても、一枚も二枚も噛んでいる事は間違いない。
 そして、佐野眞一の本には、惠忠久・奥茂治が提供した、大袈裟な「奄美差別」の長い文章が書かれている。これも無視できないことである。

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プロフィール

キー坊@ウチナー

Author:キー坊@ウチナー
沖縄本島中部、巨大な米軍基地を抱える町の生まれ。
齢を重ねるごとに、沖縄戦へのこだわりが強くなります。
曽野綾子・『ある神話の背景』は沖縄を究極的な軍事基地にする目的を持っています。「集団自決」は沖縄戦の集約された出来事だと思います。『ある神話の背景』は沖縄への抑圧・差別の集約文書です。

HP・「その『神話』の背景」(文献・資料集)
http://keybow.co

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