2009-06

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悪徳言論人のあくどさ

私は、ここに現れた沖縄市民とかうるま市民とかの、大和悪徳右翼に魂売った沖縄のネトウヨを見ると、虫唾が走るので投稿禁止にしたが、都合の悪い事から逃げていると思われるのもしゃくなので、金城氏兄弟の自決幇助の件、少し説明をしたい。

金城氏が自分の家族だけでなく、他の住民をも殺してやったという事実を、初めて公の文書(体験談)で述べたのは、「潮」特集(1971・11月号)での安座間豊子の証言であろう。この中で豊子は、男手の無い自分の家族4人は、首里で牧師になっている人に棍棒で頭殴られたと言っている。同じ特集の直前には金城重明牧師の体験談も載っているが、他人を殺した事を言っていない。しかし、この証言で言ってないからといって、金城氏が他人殺しを隠していた訳でない。それは阿波連部落の人、或いは渡嘉敷村の戦争経験者の多くが知っている事だったのは明らかではないのか。(渡嘉敷村史・山城盛治証言)

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NHK「集団自決」番組

 NHKテレビ 6月22日(月)「“集団自決”戦後64年の告白 ~沖縄 渡嘉敷島~」を見た。
渡嘉敷島「集団自決」の語り部として知られている金城重明氏(80)の兄・重栄氏(82)に焦点を当てて、番組は構成されていた。この番組の為、NHKに取材されるまで、金城重栄氏は自分の体験談を公に語る事はなかった。

今回の番組は、去年8月に九州沖縄向けに放映されたのを再編集したものらしい。最初の撮影は去年の3.28前後である。そして一年後に再び重栄氏にカメラを当てているが、認知症が顕われていて、十分なインタビューは難しいようだった。去年3月の時点では、戦時中のつらい出来事をしっかり振り返り、語っており、その語り口と内容は、これまで弟・重明氏が語ってきたのと同じものである。

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特集は「転落」の露呈

記者会見で二人は次の発言をしている。

上原 「赤松・梅澤両元隊長を(不名誉の)窮地から救ってやりたいというのが、これからの自分の人生の大切な仕事である。」

 「沖縄戦全体の様相を、「慶良間の集団自決」のように、単に隊長の自決命令という事で決着したのでは、沖縄戦の真相から遠くなってしまう。」

私は最初、星雅彦が上原正稔を誘って、「うらそえ文藝」に「集団自決」をめぐっての、沖縄の新聞など、沖縄言論界を非難する特集を組んだ理由を「善意に」解釈していた。星雅彦が39年前、沖縄タイムスに書いた「25年前は昨日の出来事」は、全く共感できる内容であった。「集団自決」への軍隊の責任追及を徹底する為には、共同体内部の戦争責任を追及する必要があるという、至極正当な意見であった。これはおそらく、その数年前の大和人ルポライター・石田郁夫の「沖縄の断層」を読んで影響を受けたと思われる。星も、「自決命令」は赤松隊長から出されてないのではないか、という微かな疑念を持ったのだろう。

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記者会見映像

 狼魔人は素早い情報を記事に書いてくれるが、YouTubeに、星と正稔の記者会見が載ったと書いているので、早速覗いてみた。ことばのアクセントから、星は那覇人、正稔は八重山人だと感じた。

全部で30分くらいの映像が載せてある。奥茂治という沖縄在住元自衛官が撮影し、チャンネル桜に送って、それがYouTubeに載せられたようだ。つまりは、星・正稔と奥・産経・世界日報・チャンネル桜とは、意を通じながらの記者会見だったようだ。

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理解しがたい星雅彦の論理

「うらそえ文藝」の星雅彦の論考の要点は、慶良間の「集団自決」は隊長の命令ではなく、「自発的」に行われたものであったという点である。

「つまり『強制集団死』は、現在の視点からの被害者意識に立った解釈に基づいて、戦中の軍国主義の強制性の存在をも否定したことになるのだ。そこには善かれ悪しかれ史実としてあったものを無視する強引さがある。これは逆に史実を捏造したことにほならないか。」

星氏はあの「集団自決」は、当時の時点においては、「住民の死にたいという自主的な行為」からではなかったかと言うのである。

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星雅彦の論考

 私が読んだ限りの、星雅彦が「集団自決」について書いた論考は、「25年前は昨日の出来事」(1970・4.3沖縄タイムス)、「集団自決を追って」(1971「潮」11月号)、沖縄タイムス・コラム「曽野綾子・『ある神話の背景』をめぐって」(1973.6.12~14)、および去年の「うらそえ文藝」13号(2008・5月)の「編集後記」、今年の「うらそえ文藝」14号の「集団自決の断層」である。

 「25年前は昨日の出来事」は、赤松が慰霊祭出席の来島騒ぎ(70・3.26~29)があった直後に書いたものであるが、これは曽野綾子が「ある神話の背景」を書くに当たっての有効な材料を提供したようである。一部引用してみると。

 「私は記者団にまぎれこんで赤松一派をずっと追跡したが、詳細は別の機会にゆずるとして、問題の自決命令のことを考えると、赤松が直接命令したかどうか、結論を急げばどうも疑問符が次々と出てくるのである。」

 「そこで告発を徹底するためには、軍国主義に忠誠だった村の指導者たち(思想を先取りして、村民を足手まといに扱ったふしがある)にも向けてしかるべきであり、一人一人あの時点でどうだったか、真実をさらす勇気が問われるべきだと思う。」

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星・正稔記者会見

星雅彦と上原正稔が9日に沖縄県庁で記者会見を行い、慶良間の「集団自決」における梅澤・赤松両隊長の「自決命令」はなかったことを強調し、濡れ衣を着せられている元隊長に謝罪すべきだと訴えた、そうである。

5月11日に刊行された「うらそえ文藝」14号が沖縄のマスコミから黙殺されたので、この記者会見を行ったと思われる。当然、この会見にもタイムス・新報の沖縄2紙の記者は姿を見せず、引き続き無視されたようである。
だが、今日(11日)の産経新聞と世界日報にはその報道がされている。世界日報は両氏のツーショットカラー写真まで載せている。おそらく地元マスコミは来ないと予想しただろうから、星と正稔は産経新聞・世界日報という右派系本土2紙の為に、記者会見を持ったものと思われる。

これは、両氏にとって「転落」と烙印を押される行為でしかないだろう。私は、星・上原正稔両氏とも沖縄の2新聞社への個人的鬱憤をブチまける意味で、今回の「うらそえ文藝」での「集団自決」特集を組んだのだと見ていたのだが、どうやらこれは好意的な見方だったようだ。結局、両氏は権力へ摺り寄る姿勢を見せているのではないか。

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宮城母の謝罪

 S30年代初め、厚生省は援護法を慶良間の「集団自決者」に適用する為に、自決は「隊長命令」に拠るものとするという条件を付けた。だが、これは厳密な意味合いで、厚生省は要求したものではないだろう。本土の空爆犠牲者などとの区別化を図る、名目的必要性の為であったと思われる。

 自決直前に梅澤隊長に面会した地元民の内の、唯一の生き残り者であった宮城初枝は村の長老の指示を断れず、「住民は隊長の命令で自決したのか?」の調査官の問いに、「はい」と答える偽証をしたという。その後、雑誌の体験談懸賞募集に応募し、悩んだ末に集団自決は隊長の命令であったという一文を加えてしまった。
その体験談は採用されて雑誌に掲載され、座間味で戦死した兵士の遺族の目に止まった。その遺族の手によって、単行本の中の一章として掲載出版されたので、色々なメディアでもそれが引用され、広くそれが知られるところとなり、「隊長命令説」が定着してしまった。自然、初枝は島での集団自決の語り部となっていた。

しかし、宮城初枝は自分のせいで、梅澤氏に無実の罪を着せてしまったと長年悩んでいた。その事をS52年ごろ、娘の晴美に打ち明けた。なんとか梅澤氏に面会して謝りたいと言った。
晴美はようやく梅澤氏の所在を付きとめ、S55年に梅澤氏を沖縄に招き面会し、初枝は謝罪を果たした。

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自決命令はあったか? 2

 大江健三郎の「沖縄ノート」が発刊されてから35年も経ってから、梅澤・赤松の両元隊長側から訴訟が起こされたのであるが、彼らは何を「切り札」として裁判に進んだのか?
 私は、それは「隊長命令」が無かったという事に、絶対の自信を持っていたからだと思う。おそらく、梅澤は住民に「自決せよ」と言ってないだろう。赤松の場合も、巡査が自決命令を否定している限り、無いものと思わなければならない。

 また、S30年代初期の援護法適用審査のとき、厚生省は「集団自決」で死んだ者への条件として、「隊長命令」を要求しており、座間味では宮城初枝に嘘の証言をさせた事実がある。これは渡嘉敷でも同様の条件を出したと思われ、赤松元隊長の承諾を得て自決命令書を捏造したという、照屋昇雄元援護課職員の証言も全くの嘘だとは言い切れない気がする。玉井村長は25年記念慰霊祭に赤松氏を招待しており、後に戦友会と協同で「戦跡碑」を建て、曽野綾子に碑文を書いてもらっている。曽野の取材にも協力的であった。赤松に「恩義」ある行為のような気がする。

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上原正稔のおかしさ 2

上原正稔は、うらそえ文藝の論考・「人間の尊厳を取り戻す時」の冒頭で次のように書いている。

「ぼくはこの二十数年、戦争を『人間が試される究極の舞台』として物語を書き、読者に伝えてきた。だから、反戦作家ではない。それどころか、ぼくは戦争の物語から『人間とは何か、そして自分とは何か』知ろうとしてきた。」
「人はよく戦争とは醜いものだと言う。だが、ぼくは最も醜いはずの戦争の中に最も美しい人間の物語を発見し、それを読者に紹介してきた。」


確かに、彼は米公文書館等に眠る、アメリカ側が書いた多くの沖縄戦の記録を探し出し、知られてなかった戦時中の物語を紹介して、新たな視点から沖縄戦の諸相を明らかにしてくれた功績はあると言えよう。
 だが、戦争を『人間が試される究極の舞台』と言うその感覚は私は理解しがたい。地獄の戦場で、一握りの人間たちが見せたキラリ光る精神の気高さがあった事は確かだろう。しかしその事で、戦争が『人間が試される究極の舞台』となると言うのは、あまりにノー天な考え方に過ぎるのではないか。
 沖縄の島々は、住民の意思に関わり無く、日本軍によって戦場にされて、膨大な数の命が奪われる修羅場となったのである。そこでは、「人間が試される」も何も、米軍の否応無しの無差別攻撃に晒されて、無惨に焼かれ、吹っ飛ばされて、罪無き命が奪われて行ったのである。日本軍の手によっても少なくない数の住民の命が奪われた。戦争とは醜いものであり、中に美しい物語があってもその醜さが消える事は無いのである。

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「自決命令」はあったか?

星・上原対談の冒頭で、星の「『自決命令』はあったか?」の問いに、上原正稔は「隊長の命令は全くなかった」と断言している。星雅彦も命令は無かったと考えての上で問うているのである。
赤松・梅澤、両隊長の「自決命令」はあったのだろうか?

曽野綾子が「ある神話の背景」を書いて沖縄告発に乗り出した大きな動機は、赤松嘉次隊長の「自決命令」は無かったという確証を得たからだと、私は思っている。曽野は、赤松本人、元隊員、防衛庁筋、厚生省筋などなど、から密着した取材を行って、それを摑んだものと思われる。

 私も明確な、号令的な「自決命令」は無かっただろうと思っている。「隊長命令」が在ったという根拠は、すべて当事者の推量・伝聞の域を出ないものである。最初の証言者は古波蔵元村長であったが、それは安里巡査を通じて伝えられたとの証言だったが、当の巡査は曽野綾子へ否定の証言をしているのであり、むしろ赤松隊長「名将説」を唱えたのである。最近出てきた吉川勇助氏の事件現場での目撃証言も推量の域を出ない。

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プロフィール

キー坊@ウチナー

Author:キー坊@ウチナー
沖縄本島中部、巨大な米軍基地を抱える町の生まれ。
齢を重ねるごとに、沖縄戦へのこだわりが強くなります。
曽野綾子・『ある神話の背景』は沖縄を究極的な軍事基地にする目的を持っています。「集団自決」は沖縄戦の集約された出来事だと思います。『ある神話の背景』は沖縄への抑圧・差別の集約文書です。

HP・「その『神話』の背景」(文献・資料集)
http://keybow.co

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