2009-05

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うらそえ文藝を読んで、その3(何故「沖縄ノート」を?)

星雅彦と上原正稔(しょうねん)の対談文をHPにUPした。刊行されたばかりの雑誌の文章を丸ごと転載する事はルール違反だとされるだろうが、「うらそえ文藝」はミニコミ誌だし、こっちのサイトは今のところ、アクセス数きわめて少ないから大目に見られても良いと思う。そういう問題ではないと言われそうだが、それだけこの両氏の、特に正稔氏の言ってることには、納得の行かないものが沢山あって、あえて全文を載せて批判したいのである。

この対談で、両氏が異口同音に繰り返して言ってることは、「(大江・岩波裁判で)何故、原告側は『鉄の暴風』を出版した沖縄タイムスを訴えないで、『沖縄ノート』を書いた大江健三郎と岩波を訴えたのか?」という事である。これはもちろん、この二人が誤った記述の多い『鉄の暴風』を非難し、告発させたい意味で言っているのである。
沖縄で大江健三郎を擁護・支援する人たちには、『沖縄ノート』より『鉄の暴風』を訴えるべきだと言う者は居ない。身内を告発する事になるので言わないが、誰でもそれが筋だろうと心中では思っている。また、タイムスを訴えないで、大江・岩波を訴えた原告団の「邪悪な」意図を見通しているからだ。

この裁判は原告の隊長二人の名誉を回復するための「人道」を目的としたものでなく、教科書書き換えへの側面的支援・沖縄への自衛隊増強への足慣しの目論見で起こされた事は明らかである。もう一つ、大きく作用したのはノーベル賞作家・大江健三郎の名誉を失墜させようという曽野綾子の黒い願望である。

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うらそえ文藝を読んで、その2(上原正稔のおかしさ)

 うらそえ文藝の上原正稔氏の論考と、星雅彦氏との対談文を読んでいると、苦々しい気分になり、批判文を書くことも鬱陶しくなってくる。上原氏の言ってることは皮相的であり短絡的であるとしか私は思えない。

 上原氏は80年代から、アメリカの国立公文書館などに所蔵されていた沖縄戦に関する戦時中のニューヨークタイムス記事や、従軍兵士などの日記・回顧録を発掘、翻訳して、沖縄タイムス、琉球新報で公開するという実践活動を行ってきた。また、米軍が撮影した記録フィルムを購入して、一般に公開するいわゆる1フィート運動の創始者でもあるが、あの「平和の礎」も、自分が発案者であると言っている。
本田靖春ルポに出ていた阿嘉島・野田隊への降伏勧告交渉・(捕虜の梅澤裕第一戦隊長も説得に参加した)ウタハの浜での会談を世に知らしめたのも、上原氏が発掘したその時の米軍指揮官の記録に依ってである。

これらの記録は、米軍の側から見た沖縄戦の様相を知る事ができたという点で価値ある事であり、上原氏は実務的に良い仕事をしたと言えよう。

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うらそえ文藝を読んで、その1

 うらそえ文藝が送られてきたので、ようやく星雅彦・上原正稔両人の論考と対談文を読んだ。
36年ぶりに「集団自決」について書いた星氏の論考は、いともあっさりと、「自決軍命説」を否定し、あの集団自決は「自発的」な集団自殺であったと断定し、こんどの「大江・岩波裁判」は納得できないものとして批判している。

今回は上原正稔氏の論考と対談内容について先に述べて、星氏への感想は後で述べたい。

上原氏は、13年前の1996年既に、「沖縄戦ショウダウン」の中の「注釈」(青字部分)で、「鉄の暴風」の記述は全くの誤りであり、自分が渡嘉敷に渡って現地調査をしたところ、体験者の言い分は、流布していた「隊長命令説」を否定する証言ばかりであったとしていて、直後の1995.6月、沖縄タイムスに掲載された宮城晴美「母の遺言」を読み、「隊長命令説」は渡嘉敷においても、座間味同様、援護金を得る為のウソであったのだと、決め付けている。
 今回の「うらそえ文藝」論考・「人間の尊厳を取り戻すときー誰も語れない集団自決の真実」は、さらに内容を強めて、曽野綾子「ある神話の背景」を全面的に肯定し、「大江・岩波裁判」の判決を全否定するかのような書き方になっている。

うらそえ文藝を読んで、その1 »

うらそえ文藝発刊されたらしいが、

ネットカフェからです。

 狼魔人が書いてるように、5.11に「うらそえ文藝」が発刊されたらしいが、発行元は出版業者ではなく、お役所だから個人注文は後回しになるのだろう。小生のところにはまだ届いてない。
 少々悪いのだが、彼のブログに引用されている星雅彦氏の文章を再引用して紹介したい。

<さて、「死」に関する考察だがー人は、「死ね」と命令されて、素直に承知して「死ぬ」だろうか。 生きる生命力が優先するはずだ。ほんとうに軍命によって強制集団死したのであるならば、その已む無き自決は、自決そのものが強制であって自らの意志ではないということになる。 無論、わけがわからないまま殺害された老人や幼児らは別として、すべて強制に従ったとすると、殺す側も殺される側も狂気の中にあったにしろ自らの意志に反する行為を選んだことになる。 この場合、逃げ場を失って混乱していたにせよ、鬼畜米英への恐怖だったにせよ、軍の足手まといにならないように願っていたにせよ、何はともあれ戦時の皇民化教育や軍国主義などに洗脳されての自主的な行為ではなかったということになる。
そうすると強制集団死の強制は、天皇陛下に命を捧げるとか、国のために自ら死ぬといった戦時中の浸透していた独特な空気とも次元が異なり、むしろあの「空気」の存在を否定することになるだろう。 
つまり強制集団死は、現在の視点からの被害者意識に立った解釈に基づいていて、戦中の軍国主義の強制性の存在をも否定したことになるのだ。 そこには善かれ悪しかれ史実としてあったものを無視する強引さがある。 これは逆に史実を捏造したことにはならないか。 ほんとうは戦中の玉砕精神と命を捧げた実態を認めることによって、過去の時代を真に認識し、死者たちの真相を捉えることになるはずなのに、集団自決を単に「強制集団死」の語彙一色に塗りこめると、折角の政治政治的キャンペーンも逆効果になって隠蔽された史実になりはしないか。
老婆心ながら以上のことを痛感する。 裁判も含めて、集団自決問題は厳然たる事実として、その実情を捉えなおすこと。 政治的イデオロギー論争にやたら進展させないで欲しいと思う。>


 やたらに思弁的な考察であるが、星氏は、慶良間の「集団自決」は軍による「強制」ではなく、「自発的」なものであった、と言いたいのだろうか?
38年ほど前タイムスに書いた「曽野綾子」批判の文章とは大分トーンが違っていて、この部分だけを読めば、「ある神話の背景」の基本部分を支持する内容となっている。今度の特集がこのト-ンで貫かれているとすると、「大江・岩波裁判」における原告側の主張を大いに認めることになる。星氏はこの裁判の判決を非難しているのだろうか。 狼魔人の引用は、都合のよい切り取りをやっている可能性があるから、それだけを読んで批判することは危険である。

本が届いてから全文を読んでまた報告したい。内容によっては直接、星氏に批判文を呈上する事も考える。

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プロフィール

キー坊@ウチナー

Author:キー坊@ウチナー
沖縄本島中部、巨大な米軍基地を抱える町の生まれ。
齢を重ねるごとに、沖縄戦へのこだわりが強くなります。
曽野綾子・『ある神話の背景』は沖縄を究極的な軍事基地にする目的を持っています。「集団自決」は沖縄戦の集約された出来事だと思います。『ある神話の背景』は沖縄への抑圧・差別の集約文書です。

HP・「その『神話』の背景」(文献・資料集)
http://keybow.co

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