2009-02

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沖縄同行取材者の解説

曽野綾子は、1967年の暮れ、仲宗根政善琉大教授とその戦時中の教え子女性3人と出会い、戦争中の話を聞いたことによって、女学生たちの記録を残したいという気持ちが湧いてきた、と「生贄の島」の後書きで述べている。そして、幸運にも、週刊現代が費用と有能な記者を4人も提供してくれることに成り、68年の半ばごろから、共同で下準備を始め、68.11.22~12.6の2週間沖縄に渡って、5名で手分けして集中取材を行ったそうである。

中心になって曽野の取材に同行協力した週刊現代・鈴木富夫記者は、95年に刊行された文春文庫「生贄の島」の解説文に、その沖縄取材のときの模様を書いている。
沖縄から持ち帰った膨大な取材資料を、曽野綾子は素早くまとめて、明けて69年の週刊現代・4月3日号から18回にわたって、連載をした。単行本は70年3月講談社から刊行された。

当時は、沖縄の日本復帰が日程に上り、色々な意味で注目されていた時勢だったから、出版社も戦時中の沖縄の事物を取り上げることに、価値があると考えたことは自然なことであっただろう。
しかし、半年の間準備を進め、有能記者4人を付けて沖縄への取材チームを派遣したという事は、単に女学生の取材・報道という目的以外の「背景」が在ったのではなかろうかという疑念が湧いてくる。

人道的な匂いをまぶした「生贄の島」及び「切り取られた時間」は、最後に「ある神話の背景」を出すためのカモフラージュ作品でしかなかったような気がする。
               リンク→ 文春文庫「生贄の島」・鈴木富夫の解説文
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沖縄棲息・老ブロガーの日記

人生の大半を沖縄で過ごしているらしい大和人ブロガー・狼魔人が今日のブログ日記で、1972年5月、沖縄県教職員組合が出した『これが日本軍だ』という小冊子の内容を、例によって長々と引用しながら、渡嘉敷島集団自決・赤松軍命令説を否定する与太記事を載せている。

彼や鴨野守など低劣ウヨク仲間たちの理屈のやり方は、簡単に言うと次のようなものだ。

①住民の「集団自決」は村長や兵事主任など、軍国主義に染まっていた村のリーダー達が、隊長の意向を無視し、勝手に先導して引き起こしたものである。
②生き残ったリーダーや金城牧師など、自分の家族や他の家族を殺し、自分は生き残ってしまった者達は、遺族への贖罪意識、自責の念から逃れるため、或いは援護金を貰うために、罪をすべて赤松隊長になすり付ける証言をしてきた。というものである。

こんな事に反論することは、もう詰まらないことなので、今ここでやる気は無い。
今ここで話題にしたいことは、狼魔人が引用している沖縄県教職員組合『これが日本軍だ』という小冊子の事であるが、これは安仁屋政昭(那覇高校社会科教師⇒沖国大教授)、儀部景俊(那覇高校社会科教師⇒沖国大教授)らが中心になって、編纂されたものらしい。

引用されているのは、「渡嘉敷島の集団自決」の状況のあらましであるが、「ある神話の背景」刊行以前のものであるから、やはり、赤松軍が移動した陣地を「西山A高地」としたり、住民が集結した場所を「恩納河原」としたり、赤松隊長から「住民はすみやかに軍陣地を去り、渡嘉敷に避難しろ。」と、命令されたとしたり、場所の記述について誤記、混乱が多い。この小冊子だけでなく、戦記全般においてそうだっただろう。

引用文の結論では、赤松命令の不確実性についての探求を、生存者は勇気を持って語るべきとしている。だが、場所についての混乱は、軍の責任追及の本質的な問題でないにしても、曽野綾子や赤松側に付け込まれる隙を見せてたと言えるだろう。

『これが日本軍だ』という小冊子の原文を私は持ってないので、また、狼魔人が都合のいい切り取りをしているかも知れないが。

いれいたかしの訃報

沖縄タイムス2.6の夕刊に、いれいたかし氏(伊禮 孝)死去の記事が載っていた。73才である。晩年は千葉で過ごしたようだ。伊是名島出身、琉大国文科卒。高齢になった顔写真も載っている。
いれいたかしと言えば、73年に「ある神話の背景」刊行直後の6月、沖縄タイムスに、岡本恵徳・星雅彦とともに、批判論考を載せた文芸評論家である。

実は、岡本氏の「水平軸の発想」をテキスト化しようと思って、7日に図書館でコピーを取りに行ったのだが、ついでにというのではないが、いれい氏の論考も探っていたみたら、「沖縄にとっての戦後」という著書の中に、「島共同体の生理」という論考が在ったので、その部分もとりあえずコピーしておいた。
自宅に帰って読んでみたら、それはあのタイムス73年6月19日~21日の、「ある神話の背景」批判の論考を加筆・修正した内容である。
それから、届いていたタイムス夕刊を見たら、氏の訃報が載っていたわけである。

岡本氏は昨年逝去したし、いれい氏も世を去ったとなると、存命の人は星雅彦氏だけである。「うらそえ文藝」での「集団自決特集」を期待したい。

とりあえず、いれい氏の「島共同体の生理」をHPにアップしておいた。

「ある神話の背景」(集団自決の真実)を読もう

タイトルは、今日沖縄の新聞の投稿欄へ送った原稿の内容である。衆人(或いは知人)の目に留まるかもしれないとなると思うと、たった1千字の原稿に(1千字だからなお更かもしれないが)四苦八苦である。作文の訓練不足を痛感する。

昨年送った論壇への投稿は採用されなかった。
今回の分も、曽野綾子とその本を貶す内容なので採用されないかもしれない。一応気分的には一区切りついた。


「ある神話の背景」(集団自決の真実)を読もう »

仲程昌徳氏の論考その2

仲程氏のこの論考は、1985.4月~5月の「太田・曽野タイムス紙上論争」を受けて、6.11~15、沖縄の研究者5名(石原昌家・大城将保・いれいたかし・仲程氏・宮城晴美)が、日替わりの論評をタイムスに載せた時のものである。

4番目に登場した仲程氏は、4年前の「ある神話の背景」への最大級評価の言辞は何処へやら、この論争への論評は、どっちつかずの訳の解らない文章に成っている。前の論文から4年も経って、自分の論文のそそっかしさに気づいてきたのだろう。そして、太田良博が伝聞説を明確に否定したことに打撃を受けたのではないか。
前の論文では、曽野が書いた「直接体験者でない二人の人物(山城安次郎・宮平栄治)」からの伝聞証言で持って、赤松隊長自決命令説は創作されたのだという『神話』」を、仲程は単純に信じ込み、それを前提に、自論を展開していたからである。
この論考では、「内的自己」と「外的自己」の「分裂」を問い直せ、とかの主張を持ってきているが、問題はぐらかしの弁に過ぎないだろう。過去の自分の軽薄さへの忸怩の思いが見て取れる。

仲程氏もこれでもって、「集団自決」への筆というか、政治的言論への筆を折ったようである。曽野綾子の影響力はすごいものだったと言えようか。

仲程昌徳氏の論考その2 »

仲程昌徳氏の論考その1

仲程昌徳氏の「ある神話の背景」への論評を HPにアップしました。仲程氏は1943年テニヤン生まれ。執筆時は琉球大学助教授。

仲程氏が1981年に「琉球新報」に連載した「沈黙の地平ー沖縄戦記大概」は、「沖縄の戦記」として朝日選書から単行本刊行された。その中の「ある神話の背景」の項を今回テキスト化してみた。誤転換、脱落部分も在るかも知れないので、ご勘案ください。
沖縄人の論者の中では、”珍しく”、「ある神話の背景」をとんでもなく高く評価している。「背景」発表から10年も経っている段階でである。

仲程昌徳氏の論考その1 »

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プロフィール

キー坊@ウチナー

Author:キー坊@ウチナー
沖縄本島中部、巨大な米軍基地を抱える町の生まれ。
齢を重ねるごとに、沖縄戦へのこだわりが強くなります。
曽野綾子・『ある神話の背景』は沖縄を究極的な軍事基地にする目的を持っています。「集団自決」は沖縄戦の集約された出来事だと思います。『ある神話の背景』は沖縄への抑圧・差別の集約文書です。

HP・「その『神話』の背景」(文献・資料集)
http://keybow.co

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