2009-01

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沖縄棲息ブロガーのつまみ食い

 沖縄に永らく棲息している大和人ブロガー・狼魔人が、21日の日記で、星雅彦氏の集団自決に関する(最近の)論考を部分的に引用して、あたかも星氏が、大江岩波裁判の地裁判決を非難しているかのような記事を載せている。いわゆるつまみ食いの与太記事である。
星雅彦氏は、政治的な論考を新聞雑誌に載せることは少なくなったが、現在同氏が編集長を務める、年1発行雑誌・「うらそえ文藝」第13号(2008.5月)に、編集後記として次の記述を載せている。
茶字の部分は狼魔人が引用した部分である。青字は小生が引用した後の部分。

狼魔人ブログ→   星雅彦氏の疑義!『鉄の暴風』と地裁判決へ
  

 星 雅彦氏の編集後記 ↓ 

  集団自決(強制集団死)について

●「集団自決」訴訟の大阪地裁で3月23日に、深見敏正裁判長はによって判決が言い渡された。 その日は奇しくも渡嘉敷島で集団自決があった命日でもあり、合同慰霊祭の日でもあった。
●大江健三郎氏の「沖縄ノート」については、座間味島の元戦隊長梅澤裕氏と渡嘉敷島の元戦隊長赤松嘉次への名誉毀損の成立は認めず、軍の関与を認め、原告側の請求を全面的に棄却した。 
●この事件から、浮上した諸問題がある。 まず当初からの争点であった戦隊長の直接命令の有無であるが、その「伝達経路は判然とせず、自決命令を発したとはただちに判定できない」と判決し、その一方では、軍から自決用に手榴弾を渡された住民証言を根拠にして「隊長の関与も十分に推認できる」としている。
●問題は手榴弾である。 手榴弾は何個あったのだろうか?
証言者達の集計では信じ難い数になる。実際には不発弾を除いたら数発ほどの爆発ではなかったか。 多くの住民は棍棒、鍬、鉈、鎌、小刀、縄などを使用している。 他方、貴重な武器であるはずの手榴弾が厳重に管理されていず、防衛隊が任意に入手したふしもある。 少年兵が併記倉庫から手榴弾を盗み出してきたという証言もある。 
●「鉄の暴風」は援護法の適用が意識される前から発刊され存在していたという事実から、隊長命令説は援護法適用のための「ねつ造」だという主張は、認められないという判断だ。 しかし当時はまだ軍民一体の思想の余韻が通念としてあったはずだ。むしろ、死者数を水増しして、それを援護法に適用するために用いられたとは考えられないか。実際に集団自決の死者たちの人数は、実数と多少食い違いがあると言われている。
●「鉄の暴風」については、50年前の初版は誤謬が余りにも多い。例えば「(省略)梅澤少佐のごときは、のちに朝鮮人慰安婦らしきもの二人と不明死を遂げたことが判明した。」(41頁)というくだりは知る人ぞ知るで、明らかな誤りだ。 そのことを梅澤氏は20年ほど前に沖縄タイムス社に抗議している。 その後、版を重ねて決定版を刊行したが、誤謬はまだ幾つかあると言われている。 にも拘わらず裁判では「鉄の暴風」をかなり信頼して、判断基準にしたきらいがある。
●今一つ半信半疑な点は、日本軍の駐留したところに限って集団自決はおきており、その点から推察して、軍命は間違いなくあったという決定判断だ。
●日本軍の駐留地と集団自決の関係は、「密接」ではあるが、必ずしもすべて当てはまるとは限らない。 日本軍の駐留地の阿嘉島では集団自決が起きていないのに、日本軍がいなかった屋嘉島では少数の集団自決が起きている。 これに類した例は他にもある。(略)>



 狼魔人が引用した部分を読めば、星氏は原告側に有利な考えを述べているかのように思える。特に、太字の部分はそう言っているようにも思える。
確かに、70年4月3日のタイムス>「25年前は昨日の出来事」以来、沖縄側の戦記のあり方、戦時中の様相の捉え方に疑念を持っていた。しかし、それは赤松隊長や軍一般の免罪を意味するモノではなかった筈である。狼魔人が略した以下の後半部分を読めば、星雅彦氏が過去に、本質を追及したかったが其れをなし得なかったという複雑な心中がわかる。そして沖縄に何十年も巣食っている、このヤマトゥンチュ植民者のあざとさが判るだろう。


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渡嘉敷島の河川分布図

渡嘉敷を訪れた阪神さんが、ni0615さんの掲示板でその報告をされている。
小生が希望した恩納河原も行ってみたようだ。住民の避難場所だった上流までは道らしい道がなかったようだ。
私が、恩納河原が玉砕場とは違うことを知ったのは、次の地図を見てからである。

渡嘉敷河川図
「渡嘉敷村史」より

ホームページを立ち上げましたが

「ある神話の背景」追求のHPを作りました。
 
 リンク⇒ 「その神話の背景

主旨はブログに収めるには、大きすぎる資料、或いは希少性のある記事・文献をなどを入手したとき、に資料庫として使おうかと思います。自分にとっては、四苦八苦しながらの苦手な作業です。ブログに収めた石田論文をHP内に移動して収めようとしても、リンクが上手くいかないのがあって、その儘にしてあるのもあります。
こんな難儀なことに時間を費やされるのは、はなはだ不本意なので、適当なところで諦めるのがよいと思いました。

ちょっと疲れたので、しばらくしてから曽野綾子「ある神話の背景」追求を開始したいともいます。

赤松隊公式陣中日誌の一部(下)

7月1日は谷本版には記録がなく、7月3日には辻版に記録がない。辻氏の「陣中日誌」は公式の軍隊記録といっても、住民処刑のことを書いてないとは信頼性に疑問を持たせる物である。
本物「陣中日誌」でさえ信頼するに足るものでないのに、曽野綾子は、改竄が明らかで事実性に疑問のある戦後「陣中日誌」、そして赤松氏が戦後記録した「手記」を、大きな典拠として「ある神話の背景」を書いたのである。


6月30日の曽根一等兵と朝鮮人軍夫の逃亡については、辻版には記録されてないが谷本版にはヤケに詳しく書かれている。だが、執拗に追跡した事は両方とも書いている。
7月5日には、両方とも四名を逮捕したと書いている。「赤瓦の家」(川田文子)には、曽根元一等兵に面会して聞いたところによると、逃げた20名余は全員無事米軍の捕虜になった、と書かれている。故に、この捕らえられた四名の軍夫は見せしめの為に捕らえられ、処刑されただろうと、川田文子は推測している。

陣中日誌本文へ

赤松隊公式陣中日誌の一部(下) »

赤松隊公式陣中日誌の一部(上)

1970年に編集・公表された「海上挺身隊第三戦隊・陣中日誌」には、その前書きで、編者・谷本小次郎氏は「いささかの追記誇張、削除をも行わず、正確な史実を世代に残し・・・」と書いている。
が、今回、第三戦隊の辻政弘中尉が戦闘中に記録した、公式の「第三戦隊陣中日誌」を入手することができた。谷本編集の「陣中日誌」と比べてみると、ざー、と流し読みしただけでも、字数・内容ともに大幅な違いがあることがわかる。
ni0615さんがご自身の掲示板に、辻版3.23~3.28の分を載せてられるが、この部分も、日付毎に谷本版と読み比べれば、「いささかの追記誇張、削除をも行わず、」といえるものでない事は明らかである。

小生は、曽根一等兵が朝鮮人軍夫を引き連れて逃亡した6.30から、赤松隊が伊江島住民、大城教頭を処刑した7.2、そして、逃げた軍夫を血眼になって捜索した、7.5までの辻中尉記録の「公式陣中日誌」を掲載する。辻版には、大城・伊江住民処刑の記録は7.2の日誌に書かれてない。
陣中日誌本文は続きへ

      -------------------

赤松隊公式陣中日誌の一部(上) »

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石田郁夫・サンデー毎日記事7

  石田郁夫・サンデー毎日記事7

無責任体制の純粋な結晶物

本文はここへ移動しました。

石田郁夫・サンデー毎日記事6

   「基地になったのが悪い」と 

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石田郁夫・サンデー毎日記事5

石田郁夫・サンデー毎日記事5
   
「私は悪役に仕立てられた」

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石田郁夫・サンデー毎日記事4

 石田郁夫・サンデー毎日記事4 

 政治的な慰霊祭参加
 
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石田郁夫・サンデー毎日記事2

石田郁夫・サンデー毎日記事2
  
川に流血、号泣盆地に満つ

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石田郁夫・サンデー毎日記事1

 石田郁夫氏の最後の資料として、以下のルポを7回に分けて掲載します。石田氏の沖縄・慶良間レポートを年代順に読んでいただいて、赤松嘉次のデビュー、曽野綾子の「神話」執筆開始と、時期的な関連を見ながら、比較・検討していただければ幸いです。

サンデー毎日1972年4月30日号
       渡嘉敷島住民・集団自決の真相   石田郁夫


 石田郁夫・サンデー毎日記事1 
 
本文はここへ移動しました。

集団自決の「記録」と[真実]の間4

         集団自決の「記録」と[真実]の間四

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集団自決の「記録」と「真実」の間3

    集団自決の「記録」と「真実」の間3
 
 本文はここへ移動

集団自決の「記録」と「真実」の間2

    「集団自決の記録・・・」二

 本文はここへ移転

集団自決の「記録」と「真実」の間1

「慶良間の虐殺」1968・4月に続いて、石田郁夫氏の「集団自決の『記録』と『真実』の間」を掲載する。この論稿は、単行本「沖縄の土着と開放」からの引用である(執筆は69.2月)。
内容は、「慶良間の虐殺」からの引用文を多用していて、それの再編成のような論文である。なぜ、石田氏が時間を置かずにこの論稿を書いたかと、推測すれば、赤松氏が68.4月にマスコミデビューを果たして自分の無実論を展開したが、その主張内容の根拠に、自分のルポが利用されたと、思えたからではないだろうか。

「慶良間の虐殺」では、自衛隊の幕僚になってなかった赤松元隊長に、幾分同情的な筆致があると思える。だが、直後(68.4月)に「週刊新潮」、「琉球新報」で、”責任なし”の弁明を行った記事を見て、石田氏は非難の情をよみがえらせたのではないかだろうか。この論稿では、筆致の急激な変化こそ見せてないが、「週刊誌が取材したものを呼んだが、まったく罪の意識はない。集団自決の命令は下さなかったと、うそぶき、『おりかきたら、一度渡嘉敷島に渡りたい』と、ほざいていた。」というように、きつい言葉を書き加えている。
 

(「沖縄の土着と開放」合同出版・1969からの引用)

    集団自決の「記録」と「真実」の間1 本文ここへ転載   

石田郁夫・慶良間の虐殺3

慶良間の虐殺3

本文はここへ転載

石田郁夫・慶良間の虐殺2

 慶良間の虐殺2

 本文はここへ       

石田郁夫・慶良間の虐殺1

「沖縄の断層」の最終の数ページで、渡嘉敷島のことについて書いた石田氏だったが、単行本「沖縄:この現実」に収録するにあたっては、この部分を大幅に加筆、三章26ページに及んでいる。 石田氏の興味の焦点は、渡嘉敷島の犠牲者だけにあるのではなく、何百名も居た「朝鮮人軍夫・慰安婦」にも当てられている。
(「沖縄:この現実」三一新書・1968収録)

本文はここへ→

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石田郁夫・沖縄の断層4

本文に続く

石田郁夫・沖縄の断層4 »

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石田郁夫・沖繩の断層3

     沖繩の断層三 

本文に続く

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石田郁夫・沖縄の断層2

沖縄の断層二

本文に続く  

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石田郁夫・沖繩の断層1

 (引用者注) 
石田郁夫氏は1933年7月、伊豆大島生まれ、日共に入党、除名の経歴あり。1993年2月肺がんのため死去。

1967年5月頃、沖縄を初訪し、約1ヶ月滞在。伊江島、喜屋武、渡嘉敷島、八重山、与那国島などを訪ね取材した。 帰京後、「展望」11月号に「沖繩の断層」を掲載した。沖縄の取材のルポを、三一新書「沖縄:この現実」(1968年4月)に収録する際、「沖繩の断層」は、「島の断層」と「慶良間の虐殺」の二つの章に分けて掲載されたが、「慶良間の虐殺」では赤松元隊長個人を難詰する調子は薄くなっているように思える。

だが、同じ1968年4月に、赤松氏は「週刊新潮」に責任否定の弁明記事、「琉球新報」にも同様の弁明発言を行い、マスコミデビューを果たした。これを読んだろう石田氏は、「ドキュメント日本人8 アンチヒューマン」(学藝書林69年3月)に、[集団自決の『記録』と『真実』の間」を発表した。内容は「慶良間の虐殺」のリライトであるが、赤松を責める口調はきつくなっている。
1972年4月、「サンデー毎日」4月30日号に記事を書くため、石田は4月10日に赤松氏を自宅に訪ねている。この記事が「渡嘉敷島集団自決の真相」である。

以下、石田氏のこの4編のルポルタージュをテキスト化したので、このブログで、発表順に公開してみたい。



沖繩の断層 一の本文へ
 

ユタシク(宜しく)お願いします。

曽野綾子著「ある神話の背景」は、1973(s48)年に出版されて、沖縄の言論界に大きな打撃を与えた。
渡嘉敷島の島民の「集団自決」は、守備隊長・赤松嘉次大尉の「自決命令」によって強制されたものと、戦後、遍く思われていたが、曽野氏は厳密な現地調査を行った結果、赤松隊長が「自決命令」を出したという何の証拠も、一人の証人も居なかったという。
住民の集団自決は、お国の為にと自発的になされたものであって、「隊長命令」は、遺族が「援護金」を受給するための捏造であった。悪鬼のごとき日本軍守備隊長が「自決命令」を出したという言い伝えは、「神話」つまり作り話に過ぎなかったという結論を出したのであった。

「集団自決」のみならず、赤松隊による10数名にのぼる住民の処刑もまた、戦時中のやむ得ざることであり、赤松隊長および隊員の犯罪とする事は出来ない、としている。また、特攻不出撃の弁解・正当化、兵隊よりもはるかに多い住民を死に追い込んでおいて、自分らは生き長らえた事などなど、特攻隊・赤松軍の全ての所業の全面的弁護に終始しているのが、曽野綾子の「「ある神話の背景」というノンフィクションである。
このような一方的に、戦時中に沖縄で日本軍がなした行為を弁護した本が、「歴史の実証」をなし得た作品と言えるかどうかの検証をしたいのが、小生がこのブログを立てた本意である。

もとより、私ごとき浅学非才な市井の者が、一人で追求するには荷が重いテーマである。先達の研究家の方々の論文、および同じテーマに関心をお持ちの、このブログを閲覧してくれる方々の意見を伺いながら、検討を進めて行きたい。尚「ある神話の背景」はタイトルを変えて、「沖縄戦・渡嘉敷島・『集団自決の真実』・日本軍の住民自決命令はなかった!」という文庫本で、WAC出版から06'5月に再刊されている。

ブログという形式のサイトで、特定の作家の論文を初っ端から、大分のモノを載せる事は適当でないかもしれないが、ご容赦いただきたい。
左欄の記事名は新しい順に並んますが、石田郁夫氏のルポを発表年次順に、読んでいただきたいと思うので、本文は当分は掲載順に並べます。

石田郁夫・各論考最初のページのリンク(初出、年・月)

沖繩の断層(67年11月) 

慶良間の虐殺(68年4月)

集団自決の「記録」と「真実」の間(69年2月)

サンデー毎日記事(72年4月)

赤松隊公式陣中日誌(上)

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プロフィール

キー坊@ウチナー

Author:キー坊@ウチナー
沖縄本島中部、巨大な米軍基地を抱える町の生まれ。
齢を重ねるごとに、沖縄戦へのこだわりが強くなります。
曽野綾子・『ある神話の背景』は沖縄を究極的な軍事基地にする目的を持っています。「集団自決」は沖縄戦の集約された出来事だと思います。『ある神話の背景』は沖縄への抑圧・差別の集約文書です。

HP・「その『神話』の背景」(文献・資料集)
http://keybow.co

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