2017-07

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2013年の座間味行 その2

 近くの民宿に入宿してから、再び米子の家に行ったら、テレビの大きい音がしていて、今度は在宅だった。5年前の時には玄関払いの風だったが、今回は心安い感じで居間に招いてくれた。子供たちはみな本島に移住して、彼女は一人住まいであり、村内のケア施設に毎日行っているらしかった。

 約70~80分間話したが、直ぐには本部壕の件については質問せずに、戦時中の事を、話好きの老女の話すままに聞いていた。大体は彼女が村史やその他に証言したままの話である。
 自決を覚悟して忠魂碑に向かう途中で、引き返してきた知念老人から「もう解散だから、ナーメーメー(各々)でやりなさい」と言われた事。自決当日の25日の夜、忠魂碑から引き返し、艦砲を逃れて、一時産業組合の壕に入ったが、そこは役場職員の為の壕だからと、追い出された事。同級生の収入役の娘が「米子さん、さようなら。元気でね。」と言って、産業組合の壕に入って行ったとかを聞かされた。

 ところで、座間味村史(1989)の米子証言には、知念老人の言葉に「解散」という語はないので、その件を聞いてみると、「戦後の話でも、軍が住民は解散せよと言った事になっていたように思う…」と、やや曖昧な言い方に思えた。しかし、「野村村長が忠魂碑前で、軍の命令による自決禁止・解散を宣言したという話は聞いたことない」とハッキリ言った。これはやはり、宮平秀幸の虚言に過ぎないという事であろう。(ところで、秀幸はその2年前に死去していたのだが、私はそれを知らなかった。もう過去の人物だと思ったので、訪ねる気に成らなかった。)

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2013年の座間味行

一昨年(2013年)5月末に5年ぶりに座間味を再訪した。前年の5月ごろに朴壽南監督の沖縄もの第二作の「ぬちがふう」を見た時、次作の予告編が流されていた。
 その中で宮里米子、「自分は、助役が義父母の家族を撃ち殺そうとして銃を向けた、という証言を(宮城晴美に)した事はない。あれは嘘だ!」と言っているのを見たからである。
 この米子の目撃談が事実であるかどうかは、晴美の母・初枝の証言(1945.3.25の本部壕での出来事)の真否には直接関係のない事である。だが朴氏は、「母の遺したもの」で、母・初枝の梅澤隊長の自決命令を否定する証言を打ち出した晴美が、他の件でデタラメ取材をしているとの材料を挙げて、間接的に初枝の証言も嘘であると表現したかったのだろう。

 その証言が本当かどうかを米子に確かめたかったのが、一昨年の里帰りの主な理由だった。(その他には、その年の初めに、遺産相続争いの末に癌死した従兄の仏前に線香上げる為もあったが)
 その前に、本島に住んでいる宮城晴美に直接面会して、母親の証言と米子の証言について、記述者である晴美に聞きたくて、連絡先を探したのだが、住所も電話番号も見つけられなかった。これを公表しないのは、大江・岩波裁判で被告側に立つ証言をした晴美には、右翼勢力の圧力が掛っているからと想像された。

 沖縄に着いてその翌日に座間味に渡ったのだが、米子がまだ民宿をやっているのなら、宿泊してじっくり話を聞いてみようと思ったのだが、既にやめているようだった。玄関のカギが開いていたので開けて声をかけたが、返事無し。それですぐ近くの民宿に宿をとった。
(続)

慶良間体験者との面談

 私が慶良間を訪ねたのは、これまで三回である。最初は2007年の夏に渡嘉敷島に行った。沖縄は狭いもので、この時、渡嘉敷の港で、当時小六だった姪に出会った。学校の夏休み研修で全学年で来たという。姪は今年琉大を卒業したが、哀しくも就職浪人しているらしい。

 この時は、私は渡嘉敷に関する知識も乏しくて、大して訪問の成果は得られなかった。面積の割に山あり谷ありで、険しい地形だという事が分かった。想像以上に観光客が多いと感じた。「玉砕場」に行ってみたかったが、「ハブに注意」の警告板があったので、単独行の故、降りるのを断念した。

 後に二回は、2008年3月初めごろと2013年5月末の座間味行である。
 2008年の時はその年の初めに、宮平秀幸藤岡信勝と一緒に、那覇でやった記者会見、即ち梅澤隊長は助役ら5人の申し出を断り「決して自決するでない」と言ったとの証言と、野村正次郎村長が忠魂碑前で、「隊長の命令で、自決はせずに解散せよ」との訓示ががあった、との秀幸証言があった会見である。


             宮里米子
        宮里米子 1987年頃 (仲程昌徳・大石芳野「沖縄の現像』より)

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DVD盤刊行されたらしいが

 ドキュメンタリー映像作家・朴壽南女史のHP『ぬちがふう』によると、「ぬちがふぅ(命果報)-玉砕場からの証言-」DVD盤が発刊されたそうである。
 HPの記載からは判らないが、これは2012年に発表された『ぬちがふう第一部』(渡嘉敷・本島編)のDVD化なのだろうか。だとすれば、『第二部』を発表しないうちに、『第一部』のDVD盤を出すという事だろうか。2012年5月中野での上映会の時に、その年の8月に『第二部』を上映すると朴監督は言っていた。配られたチラシには、二部は宮城親子への告発を含む内容になると書かれていた。HPにリンクされているYoutube映像では、戦時体験者の宮村姉妹、小嶺つる子さんらの証言を引き出して、宮城初枝捏造説を強調していた。
                朴壽南監督(2009年)
               朴寿南監督

 しかし、これだけ強調しながら、予告の時期から2年を過ぎても第二部は発表されてない。私は二度ほど、宮城初枝捏造説は根拠が薄いから、告発する内容にして欲しくないとのメールを送った。

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元梅澤隊・衛生兵の証言

 座間味島に駐屯した海上挺進第一戦隊・基地隊(梅澤隊)の衛生兵だった関根清氏(当時27歳)が、1980(s55)年頃に書いた『血塗られた珊瑚礁』という従軍記を5年前に入手して、1度だけザッと読んでそのままにしていた。この「血塗られた」という形容詞は宮城初枝『血塗られた座間味島』から取り入れたものと思われる。千葉県出身で戦時中、初枝らと最期まで行動を供にした下谷兵長の遺族が編集した「悲劇の座間味島」に初枝の手記も収められており、同じ関東出身の関根氏は初枝の手記を読んでいたに違いないからである。
 5年ぶりに、関根氏の本を1945年3月25日夜に意識を置いて、改めて読んでみると、やはり、米軍の猛攻撃の始まった3月23日からは、梅澤隊長以下の戦隊本部は高又という所にある本部用壕に移動していた事が分かる。

血塗られた珊瑚礁
    『血塗られた珊瑚礁』表紙

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プロフィール

キー坊@ウチナー

Author:キー坊@ウチナー
沖縄本島中部、巨大な米軍基地を抱える町の生まれ。
齢を重ねるごとに、沖縄戦へのこだわりが強くなります。
曽野綾子・『ある神話の背景』は沖縄を究極的な軍事基地にする目的を持っています。「集団自決」は沖縄戦の集約された出来事だと思います。『ある神話の背景』は沖縄への抑圧・差別の集約文書です。

HP・「その『神話』の背景」(文献・資料集)
http://keybow.co

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